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「お金ではない豊かさ、自然の美しさを 次世代につなぎたい」

さっそうと現れた男性のTシャツは、放射能標識をモチーフに描いたものだった。「原子力災害考証館」館長、里見さん。いわき湯本温泉郷の老舗旅館「古滝屋」の16代目でもある。
「自然の美しさ、お金ではない豊かさを大事にするためには、今のライフスタイルを見直すことが必要だと思うんです」。そんな思いを語ってくれた。

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里見さんは、歴史や文化といった無形のものが好きだった。東京で10年、ハウスメーカーに勤めていたが「振り返ると、あの頃は消費の片棒を担いでいた」と話す。
東日本大震災・原発事故では、地域全体も里見さん自身も、悔しい思いも悲しい思いもたくさんしたが、その一方で、様々な人と出会うこともできた。特に、東日本大震災のためにボランティアに訪れた人たちとの繋がりは、財産だと里見さんはいう。その出会いによって、東京で会社員として働いた10年で身につけてしまった「武器」や「鎧」のようなものが剥がれ落ち、よりシンプルで素のままに生きられるようになったと。
震災後は、生産が得意な地域性を生かし、「衣食住」の「衣」にあたる綿花を、農薬や化学肥料を全く使わない有機農法で栽培している。その綿花で糸紡ぎをしてタオルやハンカチ等を作る。2021年に設立された「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト(ふく・わた)」にも関わる。
「50年後、100年後に、有機の土を残したいと思ったんです。原発事故で傷ついた福島県だからこそ、チャレンジしたいと思いました。原発事故で、人間の驕り、地球への横暴が過ぎると突きつけられました。福島県は首都圏のエネルギー供給源でしたが、やっぱり消費する首都圏のライフスタイルが変わらないと、この問題は解決できないと思っています」。
今年からは、「衣食住」の「食」の部分にも関わりたいと思い、田植えを手伝うようになった。
「生産者だけに労働を押し付ける生き方ではなくて、誰もが小さなコミュニティで分け合える暮らしが大切なのではないかな、と思っています」。
9月には、台湾で反原発国際会議にも参加して発言。「代替エネルギーで補うより、ライフスタイルを再考すべき」と訴えた。
「核のゴミや汚染水の海洋放出は、人間以外の生き物にも迷惑をかけます。東京の会社が福島県の土地に太陽光パネルを建設したりしていますが、いずれ役目を終えたパネルを引き取るのはきっと福島県です。その構造を見直していかないと、何の解決にもならないと考えています」。

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原子力災害考証館は、「古滝屋」9階の2つの広い和室にある。常設展示と企画展示だ。常設展示の部屋には、大きな写真とオブジェ、書籍、資料、パネル、年表等が展示され、畳でゆっくり閲覧できる。
大熊町の津波で娘、妻、祖父が見つかっていない木村紀夫さんによる展示は、娘のちゃん、妻の深雪さん、祖父の王太朗さんの写真と共に、津波直後を再現したオブジェがある。
本紙でも紹介した、三原由起子さんの詩集『ふるさとは赤』や、三原さんのご実家の「乗り物センター三原」の看板も展示されている。壁には、浜通りに通い続けている写真家・中筋純さんの浪江町のパノラマ写真があり、目を引く。
企画展示の部屋には、中間貯蔵施設の地権者である門馬好春さん(30年中間貯蔵施設地権者会会長)による展示がある。用地契約について、環境省と地権者会が地道に交渉を続けてきた歴史がパネルに示されている。「地権者の声」というパネルには、ふるさとへの思いが語られている。
考証館には「furusato考証ツアープログラム」があり、双葉郡を中心とした地域に足を運ぶこともできる。取材に訪れた日も、東京都練馬区から、里見さんのお話を聞きに参加者が集まっていた。
古滝屋1階ロビーの大きな本棚には、たくさんの本がある。里見さんの好きな本もおすすめしてくれる。ぜひ、訪れてみてほしい。
(吉田 千亜)


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