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「ほっと岡山」代表 服部 育代さんに聞く 避難者がいなかったことにならないために

2023年3月10日号

12年が経つ今も、原発事故の影響で避難をした人々は全国各地に存在する。生活再建が順調な人もいれば、心身の不調を抱えて生活困窮に陥る人もいる。しかし、「原発事故さえなければ…」とふと思う瞬間をみなが抱えている。
岡山県には、愛知県以西で最も多い844人の避難者が暮らしている。発災直後から、岡山県内では避難者受け入れ支援が複数の民間団体で始められ、2013年頃からは避難・移住を希望する人たちが目立って増え、「岡山現象」と呼ばれるほどだった。実際に、他県では避難者支援は横ばい(ないし減少傾向)だった2014年12月頃、岡山県だけが避難者数が増え続けていた(『原発避難白書』人文書院)。
「ほっと岡山」の服部育代さんは、その避難者の人たちへの生活再建支援、安心して語る場や交流会開催を行なう支援団体の代表として活動し続けてきた。集う避難者は「実家のようだ」「ここに来れば、本音を話せる」と胸のうちを明かすという。

▼「子どもたちを守りたい」

服部さんは、自身も東京都からの避難者だ。原発事故から12日後には金町浄水場のセシウム濃度が基準値以上になったように、放射能汚染は福島県内だけではなく、関東圏、さらにその先の広範な地域に広がった。


「子どもを守りたい」と願う全国の母親たちが、SNSで繋がった。服部さんは、2011年7月、「放射能から子どもたちを守る全国ネットワーク」の立ち上げに加わった後、当時6歳と4歳だった子どもたちを連れ、岡山へと避難したのだ。
それから12年。無我夢中で、避難者の拠点「ほっと岡山」の運営を進めてきた。しかし今年、福島県による避難者支援の助成金が大幅に減額され、「ほっと岡山」は、活動継続の危機に立たされている。

▼「避難者ゼロ」にしたい福島県

団体運営には、様々な経費が必要だが、福島県避難者支援課は、突如、役員人件費や事務所の家賃、電話代などを助成金の対象外とした。全国各地の団体からは、「電話代も出ないのにどうやって相談業務を続けられるのか」「補助金が支給されるまでは、自腹を切らなければいけない」「避難者にしかわからない苦悩があり、自分で団体を立ち上げて手弁当で活動してきた。はしごを外された思い」(朝日新聞/2022年7月12日)といった声も上がった。
福島県は、「福島県第三次復興計画(2015年12月)」の中で、2020年に避難者数を「0人」にする目標値を掲げていた。しかし、2022年11月時点(最新)でも、2万7789人。実際には、もっと多いと言われている。
補助金の大幅な縮小は、避難者に対して県がどう考えているかが垣間見える。県に対して不信感を募らせる避難者は多いが、県は今頃になって交流会参加者や戸別訪問世帯の名簿や相談内容の提出を求めてきた。それによって、「ここなら安心」と思ってきた避難者は、福島県に個人情報を取られる不安から、相談に行けなくなるかもしれない。
助成金が減額され、個人情報まで管理される一方、浜通りの「福島イノベーション・コースト構想」には湯水のようにつぎ込まれている。被災者支援や福祉には使わず、「稼ぐ」方面だけに多額の税金が流れていく。

▼活動支える支援を

それでも避難者は全国に存在する。「ほっと岡山」では現在、避難・支援・防災の教訓に触れられる拠点として維持していくために、クラウドファンディングを行なっている。
「相談窓口は、なくすわけにはいかない。避難した人たちの手記などを集めたアーカイブ拠点にもしたいんです」と服部さん。
「根無し草のようで、取り残されているようだ」といった一人ひとりの避難者をつなぐ場が残るよう、ぜひ、応援してほしい。



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