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【ロンドン留学記#1】十九歳、秋。ひとりロンドンへ

 二十年近く住んだ東京を離れた。

 九月中旬、朝の羽田。ロンドン・ヒースロー空港行きの航空機は、不安と期待に揺れる私を乗せ、秋晴れの空の中へ飛び立った。

 遠ざかる東京の街を眺めながら、はたして東京とは、なんて美しい都市なのだろうと思う。まだ「江戸」と呼ばれていたころから世界最大の規模を誇り、現在は1400万の人口を抱える日本の首都。東京は田舎から出てきた人々が汗水たらして作り上げてきた街なのだ、といつか誰かが言っていた。清潔で整然とした街並みは、「東京」を形作ってきた人々の努力と息遣いを確かに感じさせる。
 忙しなく人の行き交う東京に暮らしていると疲れることも多いけれど、ここは私が生まれてからずっと暮らしてきたところであり、大切な人たちがいる街、「帰ってくる場所」でもあるのだと思うと、心が和らぐような気がした。

 九ヶ月間のイギリス留学を決意したのは、ちょうど一年前。学生のあいだにヨーロッパに身を置いてみたいという憧れを抱きはじめたのは、大学に入る前からだ。

 二十年間、私は東京で何不自由なく暮らし、人や環境に恵まれ、人生への不満や不安も人並み以上のものは抱いてこなかった。しかし、私が見てきたものが狭い世界の域を出ないものであったことも確かだ。若いうちに広い世界へ飛び出して見識を深め、自分の可能性を広げてみたかった。洗練された芸術や政治制度を有するヨーロッパの文化と歴史を肌で感じるとともに、現在のヨーロッパの抱える限界や課題にも目を向ける機会を得たいという思いもあった。

 その中でも、なぜロンドンなのか。英語圏であることも大きな理由の一つだったし、都市の利便性や名所の多さにも惹かれていた。イギリス英語への憧れもあった。何よりも、多くの芸術施設を有し、多種多様な人々の集まるこの地には無限の可能性が感じられた。
 というわけで一年前の私は、交換留学のための希望調査にすべてイギリスの大学を記入するという暴挙に出た結果、ありがたいことにロンドン中心部に位置する第一希望の大学で学問に勤しむ機会を得ることになる。

 正直にいえば、留学先決定から渡航までの数ヶ月間で、期待よりも不安のほうが大きくなっていった。海外で一人で生きていけるのか、授業についていけるのか、大切な人たちと離れて寂しい思いをするのではないか。
 そんなことを考えているうちに渡航の日はやってきて、お見送りに来てくれた人たちともあっという間に別れ、気づけば私は機内の窓側の席に座っていた。
 離陸後、北回りで進む航空機は、日本を離れてベーリング海へと進み、やがて北極圏に突入する。浅い眠りを繰り返しながら眼下に広がる風景を眺めていた私は、忘れがたい光景を幾度も目にすることとなった。

 まずは、雲に覆われたアラスカ。かつて、この雲の下に、写真家の星野道夫が生きていたのだろうか。一面の雲の向こうに滲む虹色の光を眺めながら、これはまるで希望だなどと思う。だれかの孤独や不安を包み込むような朝の光。この光のように、たった一人でも、だれかに希望をもたらすことのできる人間でいられたなら、どんなにいいだろう。この光景をずっと覚えていようと胸に誓った。

アラスカ上空の朝焼け

 そして、フライトも終盤に差し掛かったころ、眼下に広がったのは、はっと息を呑むようなグリーンランドの氷床であった。ひとつ前の座席にいたイギリス人のご夫婦と日本人の男性が’nice view’ ’wonderful’と囁きあっていたのをよく覚えている。

グリーンランドの氷床

 大自然を前にして、私はただのちっぽけな人間にすぎなかった。不安も複雑な感情も、空のかなたへ消え去っていってしまった。世界は、私が思っている何倍も広いようだ。
 そんなことを考えているうちに航空機はグレート・ブリテン島に差し掛かり、あっという間にロンドンの中心部が見えてくる。東京と似ているようで何かが違うような街並みを見下ろし、タワー・ブリッジやビッグ・ベンを眼下に認めながら、私はこれからここで生きていくのだと思った。

ロンドン中心部。テムズ川沿いにビッグ・ベンやロンドン・アイが見える。

 東京からロンドンへ。大都市から大都市への移住だが、言語も文化も歴史も異なる。これから始まる海外生活で、私は何に驚き、何に感動し、何に落胆するだろうか。広い世界は、いつでも私を待っている。アラスカとグリーンランドの風景は、私にそう感じさせてくれた。あの景色が与えてくれた確かな勇気と希望を胸に、これからの九ヶ月間を生きていこうと、そう思った。

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