
#15-1 家族の介護経験を力に!「仕事と介護の両立支援」への想いー吉岡規子さん
こんにちは。「ワーク・ライフチャレンジ〜未来をひらく私たちの働き方〜」15話目前編は、大手企業、公認会計士事務所などの勤務経験後、2002年に独立され、2019年に法人へと組織拡大をされた、アイ・スマイル社会保険労務士法人 代表 吉岡 規子(よしおか のりこ)さんを愛知県からお迎えし、ご自身の介護経験から生まれた「仕事と介護の両立支援」についてお話を伺います。
🔽プロフィール
吉岡 規子(よしおか のりこ)さん
アイ・スマイル社会保険労務士法人 代表
活動拠点:愛知県を中心に中部地方にて対応可能
愛知県在住。
2002年に愛知県尾張旭市にて吉岡規子社会保険労務士事務所を開業
2006年にビーパートナーズ社労士事務所
2019年にアイ・スマイル社会保険労務士法人へと組織を拡大。
2011年から企業の介護離職ゼロを目指すために、仕事と介護の両立支援の導入を支援。
長年にわたり企業の労務問題解決や働き方改革に携わり、多くの企業を支援。
コンサート観賞やグルメなど、自分の気持ちをアップさせるための時間を大切にしている。
【コンサルティング実績】
■ワーク・ライフバランスとは何かの周知
新入社員研修始め様々な研修に「ワーク・ライフバランスとは何か」を入れてもらい、大勢の人に周知
■仕事と看護介護の両立支援
自身の看護介護体験(現在も進行形)と超高齢社会である日本の現実から、初動が遅れぬようセミナー、ガイドブック作成、働き方の見直しを支援。
セミナー実績:建設、製造、金融、IT、電力などの企業多数
■愛知県ワークライフバランスコンサルタント
ファミリー・フレンドリー事業の普及促進と助言指導、審査
1.育児介護休業法に関する規則の整備 2.育児関連助成金 3.ファミリー・フレンドリー企業登録方法
【資格】
*特定社会保険労務士
*ワーク・ライフバランス認定上級コンサルタント
*愛知県ワーク・ライフ・バランス普及コンサルタント
*訪問介護員2級養成研修課程(ヘルパー2級)
自己紹介
──それでは、本日お話をいただきます吉岡さんのプロフィールをご紹介します。
前川 2002年に愛知県尾張旭市にて吉岡規子社会保険労務士事務所を開業し、2006年にビーパートナーズ社労士事務所に、そして2019年にアイ・スマイル社会保険労務士法人へと組織を拡大。
長年にわたり企業の労務問題解決や働き方改革に携わり、多くの企業を支援されています。
悲しみを力に変えて、社労士 独立開業への道
──具体的な吉岡さんの活動内容を、お伺いできますでしょうか。
吉岡さん 東京での勤務に始まり、結婚を機に夫の転勤で、名古屋へ行くことになりました。その当時、女性が転勤することは珍しく、また本社の業務に特異性があったようで、転勤を希望しましたが、願いが叶わず退職しました。
その後、大企業に勤めましたが、当時の状況から、「既婚女性がフルタイムで働く」ということの理解が、充分ではないことを実感し、1年ほどで退職しました。その後、ご縁があって、公認会計事務所に勤めることになりました。
ある時、クライアントの社員が仕事中にお亡くなりになり、お亡くなりになった社員のご家族が抱える悲しみを目の当たりにし、その手続きの支援を機に社会保険労務士という仕事に興味を持つようになりました。奥様が同い年ぐらいで、当時、お子さんが小学校3年生ぐらいでした。
「社会保険労務士として何か力になりたい」と強く思ったのが、資格を取得するきっかけになっております。企業への就職を考えていたところでしたが、当時、社会保険労務士のような資格を持っている女性を歓迎する企業が多くないように思いましたので、独立して事務所を開設することを決意しました。
お客様0件から始まったので、最初は苦労も多かったのですが、お客様の悩みを一緒に解決するうちに、社会に貢献できている喜びがじわじわと湧き、自分の中に仕事に対する楽しさが芽生えてきて、今日まで続けてきております。

前川 吉岡さんのお話から、当時の女性の働き方が、本当に制限されていたことを感じました。
ワーク・ライフバランスとの出会い
育児や介護と向き合うということ
──資格を持っているのに、企業に歓迎されないということは、今ではほとんど、ないですよね。
吉岡さん そうですね。当時を考えると、本社勤務に特異性があり、ほぼ本社に転勤できるのは男性だったということもあったかもしれません。私自身も、「女性が本社に転勤する」ということを耳にすることはなかったと思います。
前川 そのような環境の中で、吉岡さんが困難を乗り越えられて、そしてゼロから開業され、今では多くの企業の方をご支援されているということが、本当に素晴らしいと感じました。
吉岡さん 時代背景から、創業当時は女性社員のみでスタートしました。そんな中、社員達が、結婚や出産を経験していくのですが、ほとんどの方が仕事を続けたいと強く願っていました。
彼女たちの姿に刺激を受けて、私自身も女性が働きやすい環境づくりに貢献したいと思いました。少人数の事務所ではありますが、実際、女性だけで進めていく中で、社員が出産・育児休業を取得するということ向かい合わなければいけませんでした。
やはり、社員が休業で抜けてしまうというのは、とても大きな影響を受けました。そのことを思い出しても、どうやってそれを乗り越えてきたのか、最初の時のことは、なかなか思い出せません。
現在では、社員全体で6人の子どもたちが生まれていますが、気持ちの余裕とともに、人員配置や業務の調整に、苦労しながらも少しずつ推進できたのかなと感じております。
前川 私が勤めている会社も、少人数で女性が中心ですので、その状況はすごく理解できます。
吉岡さん 私自身は子供がおりませんので、実際、スタッフが、出産・育児休業に入れば、復帰した後も私がそのサポートすればいいと、単純に思っていました。当時は、長時間労働は当たり前で、もちろんワーク・ライフバランスなんていう言葉も、知りませんでした。
自分の時間でカバーしていけばいいと思い、そのような生活を送っていました。そのあとに転機が訪れました。2009年に、実家で父を介護していた母が、突然、救急病院に運ばれ、重篤な状態になりました。
医師からは、「いつ容態が急変してもおかしくない」と説明受けて、父と弟も、ほんとに大きなショックを受けました。そして、1か月半後には、本当にあっという間に、母は私たちのもとを去ってしまいました。
その時は、開業して7年目ぐらいで、ご縁あってお客さんも増えてきており、少し波に乗ってきている頃でした。そういう中での突然の母の死で、父の介護を担うことになりました。
介護者の主は弟ですが、サラリーマンの中堅どころという年齢でもあったので、弟の働き方を守らなければなりません。少しでも弟の負担を減らし、父を二人で支え、そして、自分自身の働き方も見直していこうと決意しました。
介護は、初動が大切。始めの一年間を乗り越えるために
決意はしたものの、仕事と介護を両立できるかどうか、強い不安を感じていたのは事実です。ラッキーなことに、離れたところで仕事ができるよう、少し先行してテレワークの環境を整えていました。
しかし、実家に戻っている間も、事務所の維持が、本当にできるのかと、不安が常にありました。実際に、目の前にいる父が、よくなっていくということはなく、徐々に体力が落ち、ゆっくりではありましたが、病気も進行していきました。
名古屋と千葉を行き来するのも、多い時は週に2回、日帰りでありました。実家のある千葉に戻った方がいいのかと悩み、閉塞感に包まれました。仕事は他の社労士に任せて、事務所は閉めてしまおうかとマイナスの考えが、頭をよぎりました。
働き方を変えなければいけないという状況は、頭ではわかっていたのですが、私自身が長時間労働をしておりましたので、最初の半年ぐらいは、心身ともに、バランスを崩すことがありました。
また、母が家族の中心となり、父と弟、そして、私を繋げてくれていたので、急に、直接話さなければいけない状況になり、家族の関係性が大きく変わったことに対し、なかなか向かい合えずにいました。
その当時、私自身、「家事は女性がやること」と思っていたので、実家に帰ると家事を中心に家のことをやっていました。特に父や弟の気持ちなどは考えずに、自分のやり方だけで進めていたのですが、そのことが、実はよく思われていなかったことが、だんだんとわかってきました。
家事などの考え方や、やり方は、それぞれなので、すり合わせてやっていくことが大事で、それが必要だったようです。弟は、私が実家に来ることを「台風がやってきた」という風に、言っていたのを覚えています。
今振り返ると、良かれと思ってやっていたことが、父や弟には負担に思っていたことがたくさんあり、そのため家族のコミュニケーションがうまくいかなくなり、ギクシャクして、悩んでいた一年だったと感じています。
前川 お元気だったお母様のご容態が突然悪化されたことは、吉岡さんとご家族の皆様にとって、本当に大きな出来事だったとお察しします。
──遠方の千葉にお住まいのお父様の介護をしなければならない状況になってから、ご家族の関係性が変化せざるを得なくなった、始めの一年間が大変だったということでしょうか。
吉岡さん そうですね。歳をとっていくにつれて、いつかそういうことが必要になっていくということを、誰もがなんとなくは感じているのだと思います。父が病気でもあったので、既に介護を必要としていた父が先で、その後に母を自分たちが介護すると、勝手に順番を決めていたかもしれません。
母の突然の旅立ちは、残された私たちにとって、とても大きな影響を与えました。そのことによって、それぞれが生活の様子を変えながら、父の介護に向きあわなければいけない状況になり、課題がいくつも重なっていました。
そのため、目の前で生きている人が優先的になってしまい、亡くなった母に対しての悲しみを感じている暇がなくなり、心身のバランスが悪くなっていったのかなと感じます。
ワーク・ライフバランスの取り組み
介護のイベントでみつけた「希望の光」
──その後、どういった形で、コミュニケーションや重なっていた課題について、よりよい状況にされていったのでしょうか。
吉岡さん 直接、家族と向かい合うことで、何かが始まったわけではないのですが、2012年に「介護離職防止」をテーマにしたイベントに参加することになりました。
その時、介護についての情報は、まさに私にとって必要なことであり、転機となりました。イベントでは、「介護離職防止・介護と仕事と両立をさせよう」という取り組みを進められていた丸紅株式会社と大成建設株式会社の事例発表でした。
それが、とても印象的でした。もう何年も、組織で、社員に対して向かい合っているというような発表でした。丸紅株式会社の方では、社員の約4割が海外駐在の可能性があるので、介護を理由に赴任を断念するというケースが増えているということでした。
例えば、海外勤務の内示を出すと、介護が必要となりそうな親御さんが、気になるとのことで日本を離れたくないというようなことです。それが企業の損失に繋がっているとのお話でした。
もう一方の大成建設は、女性活躍推進の一環として、女性社員へのヒアリングを実施したところ、介護に対する不安が根強いということがわかったそうです。育児については、既に推進されていらっしゃったのだと思います。
実際に、介護の話というのは、男女共通の課題だというふうに捉えられて、積極的に対策を進めていたという話が、衝撃的でした。そして、丸紅株式会社が作成した「介護支援ハンドブック」が、株式会社ワーク・ライフバランスによって監修されていることを知り、「ワーク・ライフバランス」という言葉、そして概念に出会うきっかけに、なりました。
強く興味が湧くようになって、イベントにも参加し、ワーク・ライフバランスによって学びが深まるきっかけになっていきました。自分が介護との両立でしたが、育児との両立をテーマに持って、ワーク・ライフバランスコンサルタント養成講座(以下、WLBC養成講座)に参加されている方たちもたくさんいました。
私が知りたかった介護の部分よりも、もっと深い課題や、何を目指していかなければいけないのかということを、たくさん学ばせてもらったと思っております。現在、WLBC養成講座で一緒に学んだ仲間との交流が続いています。そういう意味では、実践的なお話も聞く機会があったことは、とてもいい時間でした。
前川 本当に必要とされていた時に、ワーク・ライフバランスとの出会いがあったことは、素晴らしいと思いました。
吉岡さん ワーク・ライフバランスという考え方や、介護だけではなくて育児などでも共通しているかもしれませんが、自分を通して、もっと働き方を追求でき、仕事と介護を両立できるのかもしれないと思い、私にとっての「希望の光」になりました。
ちょうど、イベントに参加した頃、愛知県の労働福祉課に、「仕事と介護の両立支援」を行っている企業が、愛知県ではどこにあるのか問い合わせてみました。具体的な企業の情報は得られなかったのですが、すぐ後にある企業が「仕事と介護の両立支援に関する相談」を愛知県労働福祉課にしていました。
タイミングよく連絡があり、「吉岡さんが良かったら、そこの会社とお会いになりますか」ということになりました。このことがご縁で、現在まで12年間にわたって、その企業の取り組みをご支援しています。

前川 素晴らしいですね。すごいご縁ですね。
吉岡さん 社会保険労務士として、企業の社員を守るために何ができるかということを、ちょうど模索していたので、この経験は大きな転機となりました。
企業の方からは、本当に教わることが多くて、特に体験談の中で、介護の部分は、自分特有の課題だと思い、なかなか職場に伝えられないというような実態も分かってきました。ですので、より働きやすい環境づくりに貢献したいというふうに考えております。
前川 吉岡さんがご家族の介護というご経験を通して、ワーク・ライフバランスが大切だと実感されて、その経験が契機となり12年間の支援をすることになる会社と出会い、そして現在までつながっているというのは、大変素晴らしいことだなと思いました。
介護離職防止から誰もが働き続けられる職場へ
──実際、2010年のイベントについて、お話しされていたかと思いますが、そこから「仕事と介護の両立支援」が本格的に社会問題として認識され始めたのでしょうか。
吉岡さん そうですね。ちょうどその時期に、介護離職者が10万人に達するという統計資料も発表されていた記憶があります。
大きな企業が中心ですが、その統計資料を見た企業が、育児と介護は異なる問題があるとの認識を広め始めたということもあり、取り組みが先行している企業が、その対応の必要性を、少しずつ発信しているような時代だったと思います。
先ほどお伝えした丸紅株式会社と大成建設株式会社の2社が、すでに3〜4年は経っていますというような取り組みについて発表をしていました。そういう意味では、2社の取り組みが他の大企業に影響を与えて、「うちも取り組まなければいけない」というような意識を、喚起したと考えられます。
現在、私が関与している企業も、取り組み始めたきっかけというのは、人事担当の方が、「自分と同期の男性社員が、介護離職で辞められた」ということを目の当たりにしたことです。介護離職が発生したということで、取り組み始めたということをお聞きしました。
その会社は、ある程度の人数がいらっしゃる会社で、社内の両立支援制度も、とても充実している企業でした。退職された男性社員は、社内の両立支援制度について説明を受けた上で、介護を理由に辞めたということは、会社にとっては、とてもショックな出来事だったということを聞いています。
前川 「仕事と介護の両立支援」が整っている会社でも、その説明を受けた上で離職されたということは、ほんとに衝撃的な事実だと思います。
──制度の存在だけでは、解決できない課題が、存在するということなのでしょうか。
吉岡さん そうですね。今回の介護のケースは、まず、制度があることや内容を説明しても退職されたというのは、当時は上長の方が、「仕事と介護の両立支援制度」について未体験だったということもあると思います。
そして、先輩たちが介護と両立をしながら働いているという事例も、なかったのだと思います。現在も同じような課題を聞かされることが多々あり、結局、支援制度を使いながら、自分がどのように向かい合ったらいいかというのが、想像できないというようなことがあります。
ですので、充実した制度があっても、上の方がそれに対して、例えば「男性が介護をするの?」というようなことを思われている場合もあります。また、長い間休んでしまうと、ポストがなくなるといった、仕事と介護の両立に前向きではない職場環境だったのではないかと思います。少しずつ変わってきてはいると思います。
前川 来週は、制度が実際に機能するために、その職場環境の整備ですとか、従業員それぞれの状況に合わせた柔軟な対応の重要性などについて、12年にわたってご支援されている企業のエピソードを交えながらお伺いできればと思いますので、是非よろしくお願いいたします。
吉岡さん ありがとうございます。次週もよろしくお願いいたします。
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経営戦略としてのワーク・ライフバランス福利厚生の一環ではなく、企業業績向上のために。 現代の社会構造に適応し人材が結果を出し続ける環境を構築する「サスティナブルな働き方改革」のプロフェッショナル集団です。
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大家 三佳
東京在住、京都造形芸術大学卒。子育てをしながら、水彩画、ドローイングを中心に人、食べ物、動物を描くイラストレーター。パッケージやポスター、グッズなど幅広い分野で活躍中。透明感のある優しいタッチで、日常の風景や人物を描く。ペーターズギャラリーコンペ2014 宮古美智代さん賞受賞など。
編集、プロデュース、インタビュー:前川美紀(ワーク・ライフチャレンジ プロジェクト代表/ブランディングディレクター)
note編集:松本美奈子(次世代こども教育コンサルタント/認定ワーク・ライフバランスコンサルタント)