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きょうだい児は幸せになれるハズ〜「きょうだい」の私が心の復活で学んだ10のコト〜

自己紹介
地方都市で看護師をしている30代女性。
姉が知的障害。弟は健常者の真ん中っ子。
「姉を馬鹿にする人とは結婚するな。将来、両親が他界したら季節事でいいから姉を気にかけてやってくれ」という母の言葉をモヤモヤしながら素直に受け取り、大学までは問題行動を起こさず過ごす。
転機を迎えたのは父の自殺。
そこから、長年抱えていた母に対してのモヤモヤが爆発。ちょうど就職も重なり、家を出る。
約8年に及ぶ母とのバトル、離職、情緒不安定、適応障害、スピにはまりかけたり、悪い人に騙されたり、と今振り返ると中々ヤバい奴。
そんな中でも、助けてくれる他者がいて
なんとか社会復帰、情緒の安定を取り戻し、母とも和解。
就職、結婚、妊娠、出産、育児、と自分が手にしたかったライブイベントを現在は満喫中。
楽しく充実した毎日を送っている。

そんな「きょうだい」の私が、体験から「わかった」「きょうだい児」の思考パターンやとりまく環境をベースに学んだ10の事。

その1
環境を疑え 〜家族が言ってる事は本当か?〜
この家族、というのはいわゆる「保護者」
我々、きょうだい児の保護者という人達は
「障がいをもった子ども」を産み育てる過程で多かれ少なかれ、恥ずかしい思いをしたり、他人が傷つけるつもりが無くても発した言葉に傷ついたり、と、まぁ心に「傷」を負っているわけです。
その心に傷がある人は、これ以上傷つきたくなくて少々曇ったメガネで世間の事を「きょうだい」に教えてくれます。
代表的な曇ったメガネで伝える言葉
それは
「将来、両親が他界したら障がいを持った兄弟(以下同胞)の事よろしくね」
です。
ここで、「何故よろしくされないといけないのだろう?めんどくさいな」
と思ったきょうだい児はきっとこの記事を読んでないでしょう。
「よろしくされなきゃいけないんだ。だって親がこんなに悲しんでる。困ってる。可哀想」
と幼心に思ってしまった素直で優しい心の持ち主のあなた。
実は、よろしくされなくて良いんですよ。
だって、きょうだいに同胞を扶養する義務ないんですもん。
同胞に障害がない程で考えてみてください。
健常者だとしましょう。なんで面倒みなきゃいけないの?となるでしょう。
同胞だから、そういう家庭環境だから、と思って素直に親の言う事を信じなくて良いのです。
あなたが、同胞の事が好きで。家族として大事だから、会いに行ける距離にいて、サポートしてあげたい、と心から思うなら
「よろしく」されれば良いですが
上記のような気持ちに100%とは言わずとも
80%以上納得してないのなら
親の言う事なんか、糞食らえ。
で良いんですよ。自分の人生なんだから、たまたま同胞がいる環境で育ったけど
同胞の介護ができるかどうかの基準で自分の人生を決めなくて良いのです。
私がそれに気付いたのは27歳の時。その時は情緒不安定の兆しがあり、しなくても良い身の上話を上司にしてしまった時。
母によって刷り込まれていた同胞の面倒をみる、母の元から離れないプランを当たり前だと思って話していたら、その上司に
「なんで?」と言われました。
本当に、その上司は心から「なんで?」と思ったのでしょう。
素直な疑問からの「なんで?」が妙に心に響き
「確かに、なんでだろう?なんで私はそうしなきゃって思っているんだろう?」とずっと刷り込まれてきたプランを初めて疑う事が出来ました。
疑って下さい。親が言っている、あなたの将来を。あなたの心は本当に納得していますか?
小さい頃から、刷り込まれていたら気付かないかもしれません。でも、きっとずっと納得してないのなら、あなたの心はサインを出し続けているはずです。
同胞や親の事は、一先ず置いておいて
「自分の気持ち」に心を傾けて下さいね。
それは、決して悪い事でも家族を裏切る事でもありません。

その2
幼い時の直感は正しい
小学4年生ぐらいの時
ピアノ教室に歩いて行っている時だったと思います。
「母さんは、私をおじいちゃんの代わりにしている。でも、満たされる事ないよね」という結論に至ったのです。
小学4年生なので、その時にはだいぶ思考力というのがついてきているせいか
今まで母から聞かされてきた
自分の両親への不満、義両親への不満、夫への不満、親戚への不満、世間への不満
を総合して、導き出された結論です。
「なんで母さんは、私には厳しくて弟には甘いんだろう?」という不満から導き出された結論。
「私をおじいちゃんの代わりにしている」
「満たされる事はない」
は心理学を学んで、現在精神科に勤めている私ですが
中々、本質をついた結論に至っている、と今でも思います。
母は、よく車で運転している時に私に様々な話をしました。
話題はだいたい
・自分の幼少期、父母に大事にされてなかったという話
・知的障害がある姉の育児中に両親や親戚、義両親、他者から言われた、された嫌な事
・母がしんどいのに父が力になってくれない事
だいたいこれらのことを車という密室空間で話していました。
今は大人になったし、一周まわって母と和解したので
これらの話を聞いても、母も辛かったんだな。両親にもっと情緒的な関わりを持って接してもらいたかった、自分を見て欲しかったんだな。さらに、父に両親にしてもらえなかった事をパートナーとして甘えさせてもらって傷を癒したかったんだな、しんどかったんね。そんな中、3人の子どもの育児に仕事、すごいな。ま、私には負担かかったけど、しゃあないか。
と思えますが
心も体も発達途上の小学生の私は
直感的に
「私をおじいちゃんの代わりにしている」
「満たされる事はない」
とわかったとしても
具体的にどう行動したり、私自身の心の保ち方なんてわからなかったので
思春期はよく、癇癪を起こしていました。
いつもイライラ。思春期で身体が発達していっている事も関係して、もあると思いますが人からよく「怒ってる?」と言われていたのを覚えています。聞かれる頻度は徐々に少なくなりましたが、30歳ぐらいまで「怒ってる?」と聞かれてました。顔が怖かったんでしょうね笑
思考力がついてきた、幼い時の直感、あなたは覚えていますか?あながち、間違いじゃないと思います。
幼い時は、親の保護下で自分自身を食わせる事も出来なかったと思いますが
今は違います。
幼かった時の直感と行動ができる年齢で、自分自身を居心地が良い環境に置いてあげましょう。
自分の笑顔が大嫌いだし、笑ってる人が嫌いだった10代〜20代の私は現在は可愛い我が子に毎日笑顔で接する事が出来ています。

その3
成人するまで実はかなりの苦労人
そう。我々、きょうだい児って苦労人なんですよ。産まれた環境が日常で普通だと思ってるから、苦労なんかしてないと思っているでしょうが、苦労人なんですよ。だから、悩んでこの記事のタイトルに引き寄せられたんです。
私が思うに、きょうだい児で悩んでいる方は
その家の
・調節役 だったり
・ケアワーカー
的な立ち位置に幼い時から知らず知らずなってしまっているのです。
私がしていたように
母の愚痴聞きだったり、父と母の仲をとりもったり、時には祖父母との仲や親戚の仲を調節したり。
実質的な同胞の介護をしている方もいるでしょう。介護をしてなくても、行政等の手続きや支援者への対応、など
言わば、ブラック企業の中間管理職を幼い時からずーっとしているのです。
誰かと誰かの間に挟まれ。両者から愚痴をきき、自分も現場を回す労働者。
愚痴、ネガティブな話というのは聞いている人の正気を奪います。
小さい頃から、感受性が豊かで優しい故に調節役、ケアワーカーになってしまったあなた。
成人するまでにかなりの苦労してるのです。ブラック企業で働いている人がうつ病になったりしていますよね?
それぐらい、しんどい事を小さい頃からしているのです。
だけど、未成年の立場だとできることも限られてくるし
「子供なのに生意気な」と言われる反面
「子供だから出来ない、しなくて良い」こともあったのです。
大体にして、きょうだい児で苦労している人はその人がやらなくていい家族の役割を何個もしてしまっているように思うのですが、子供なので表面化しにくいように思います。なので、周りから労ってもらったり、助けてもらうことはなかなか出来ず、一人しんどい思いを抱えて成人になっていく。
自分のライフイベントに対し自分だけのことと考えれずどうしても、「家族」単位で考えてしまう。学生のときはまだいいです。自分のライフイベントは「いつか」「まだ」と漠然とした不安を抱えつつも「まだ先のこと」と思えるのですから。しかし、成人特にライフイベントが多い20~30代はどうでしょうか? 
その4
成人してからも苦労人
20代になったら、一気にライフイベントが訪れる感覚ですね。全ての人ではないにしろ、就職・結婚・家庭というイベントが待っていると思います。学生の時はそれぞれのイベントに対して憧れと見聞きした事しかわからず、具体的な生活や自分の心理状態なんて想像できないのではないでしょうか?
私は出来ていないかった上に母の希望に対して叶えたい自分と叶えたくない自分、さらに誇大した自分像のせいで最初の就職は大ゴケ。自分の事なのに全く自分がわかっていませんでした。今でこそ、自分は実は苦労人だったのだ、と思うことが出来ますが、母の過保護・過干渉で育った私は世間がわかっていないし、進路や就職も結局は母が引いたレールで行っていただけなので家族の事で苦労、というか目に見えない心労はあったけど社会性が磨かれるような苦労はしていませんでした。加えて、過保護・過干渉で育ったため自己決定を意識しての進路選択の経験がなく、「自分」というものがなかったです。そんな状態での就職で、周りは世間に揉まれて「自分」を持っている人だらけ。通用するはずがありません。しかも、この頃母と仲が悪く家を出ていたため、情緒不安定さは増す一方。きょうだいの傾向として、家族に目が向きすげて自分に目がいかない、そして家族のなんやかんやで疲れていて社会に出て、社会性を学ぶ事まで若いうちに出来ていないように思います。そうなると、就職時、その後も家族のことでも悩み、そして世間とずれている自分の感覚とも悩み、しんどくなっていくのです。私は20代後半から30代前半までそれはとてもとても悩みました。悩んだし、今考えるととんでもない社会人だったと思います。とっても恥ずかしい事や本当に悪い意味での常識外れな事をして職場には大変迷惑をかけたと思います。本当に黒歴史です。結婚に至っても、今は手順を踏んで結婚後のビジョンを持って現在の夫と結婚できたので良かったな、と思っていますが20代後半の時も結婚しようとしてそれはもう大ゴケしました。きょうだい児の根底に「こんな自分だけど結婚できるだろうか?」という思いがあるように思います。「こんな自分」というのは同胞がいる家庭環境の自分。さらに、同胞にばかり注目がいく環境で、同胞を育てる中、親も多かれ少なかれ傷ついているのできょうだい児の情緒に寄り添うということは中々できないと思います。(出来ている親御さんはすごい)そのため、きょうだい児は親に十分に構ってもらえない寂しさ故に自己肯定感が低い傾向にあると思います。なので、「こんな自分は他人に好かれるのだろうか?」という自信のない思いが根底にあると思うのです。私もそうでした。なので、恋愛への憧れが強く恋人が出来ても距離感が上手く取れないそんな中での結婚話はやはり大ゴケ。これも黒歴史です。社会に出る前に経験すれば良いイタイ経験を社会に出てから経験したもんだから、情緒が崩れるということは仕事にも差し支えます。当然、仕事に行ける精神状態ではなくなり、離職・転職をすることになりました。成人してからの苦労人、というのは年齢に応じての黒歴史を年を重ねてからしてしまうと路頭に迷いかねないし、社会復帰出来ない可能性があるという事です。私も数々のイタイ失敗をしましたが幸い助けてくれる他者がいて、今があります。
その5
家族から距離をおけ 〜「自分」だけを見直す〜
その4で書いたように、きょうだい児は常に自分のことを「自分+家族(の意見)」で考えてしまう思考癖があると思います。「自分」の気持ちを優先して考えれないのです。そうしないと、家族の中で立ち回れなかったし、家族が回っていかなかったから。しかし、被害者である反面上手い具合に「言い訳」が常にあるようなものなのです。「きょうだい児」だから。「同胞が大変」だから。「親がおかしい」から、と。自分の失敗や、やりたい事をやらなかった事に対して家族や同胞を言い訳として使い、やがてそれは依存になっていくのです。私の場合、姉が、というより「母」を言い訳にしていました。母に言われる事がそんなに嫌なら、計画性を持って実家を出ればいいのに「無理だ」「怖い」という感情があったように思います。何故なら、母の言うことを聞いていれば例え失敗しても母のせいにできるから。その言い訳をなくし、自分で決めた事を自分で責任を取ることがとても怖い事だったのです。何故ならそれまでに経験をしていなかったから。ですが、父親が自殺し天啓のように「このままでは、私は母に殺される」と思ったのです。別に包丁を持って刺される、という事ではなくて今思えば「自分を本当に見失う」ということだったのではないかと思います。その思いから焦り、一方的に毋へ憎悪の気持ちを向け、情緒不安定の中、実家を勢いのまま出ることになり、社会人生活をスタートさせました。しかし、そこから世間がわかっていない年齢不相応の失敗を沢山繰り返します。今でこそ、黒歴史で恥ずかしすぎるし、失敗をした場へは行く事は心理的に難しいですが、年齢不相応の失敗だったけどその失敗をして良かったな、と思います。何故なら、失敗だらけの8年間でしたが、年齢的にまだ助けてくれる人がいてこの8年間で「自分」を知ることや家族との距離間、他者との円滑なコミュニケーションの取り方を学べたからです。とても苦しい8年間でしたが、「家族込み」の「自分」ではなくただ一人の「自分」としてもがいた8年間でした。

その6.
「自分」の崩壊と再生
もがく前の「自分」は、母のフィルターを通った自分で、母の希望を叶えたいけど叶えたくない自分。様々な感情が入り混じり、整理もできていないしそんな弱い自分を他者に知られたくなくて防衛丸出しでいつも怒って気を張っていたように思います。一時期は自分がしてきた事は全部無駄だったと思い、過去に戻りたいと毎日思いベッドから一日中出れない日もありました。なぜこんなに苦しいのかがわからず、カウンセリングをしたり精神科にも行きましたが、苦しい原因がわかりませんでした。原因がわからないので、ますますしんどくなる、の負のスパイラルでした。母と不仲でしたが、離職したことをきっかけに実家に戻っていた時期がありました。ですが、この苦しい状況をどうにかしたくて、母に当たる毎日。流石に母も気が滅入り、一人暮らしを提案され実家を再び出るのでした。今でこそ出て良かったと思いますが、当時は「見放された」「私がこうなったのは、母のせいでもあったのに責任を放棄した」と母を恨んだものです。不安だらけで一人暮らしがスタートしましたが、あら不思議。実家にいる時より情緒が安定したのです(まだまだ不安定だけど)そうなると、母へ対しての恨みが今度は怒りとなって現れます。そして、怒りは原動力となり過覚醒へとなって行きました。今思えば、躁状態です。仕事は一応していましたが、情緒不安定極まりなかったです(危ない)。当時の職場にはそれはもう、迷惑をかけまくりましたが偶然にも職場の先輩や同僚がすごく優しい人達でした。今思えば、この人達に社会性や見守ることの大切さ、社会人として仕事との向き合い方を育ててもらったと思います。
しかし、せっかく良い職場に巡り会えましたがその仕事内容は自分のしたい事と違っていたのです。というか、したい事も明確に見えていませんでしたが、とにかくしたくなかったし向いていないと思うようになっていました。ですが、母からの強い勧めというか強制がありその職についていました。が、やはりやりたくないものは続かないし、壊れます。逃げようとします。結局、職場事態は良いところでしたが情緒不安定になってしまい離職。
情緒不安定だが、躁状態のためやたら活動的。なので、様々な人との交流を求めに行き人間関係のトラブルや人に騙されたり、という苦い経験をして世間を体験しながら新しい「自分」を作っていきました。
黒歴史ばかりですが、これが、もしあと5年遅かったら?私はきっと引きこもりになっていたと思います。しんどくて恥ずかしい事ばかりしていましたが、一歩を踏み出せず留まるより、踏み出して良かった。人間、人間関係の修復や恥の回収はしようと思ったら出来ますが、若返る事だけは出来ません。
まだ肉体的に若い時に一歩を踏み出す。それが自分の再生と構築だと思います。
その7
家族以外の人の方が実は話が通じる?
私の精神的な崩壊は自分のせいでもありますが、やはり家庭環境にも原因があります。子どもが人間関係を学ぶ場として、家庭はそのベースになるもの。その家庭がコミュニケーションが苦手だったり、家族の中のそれぞれの役割が出来てなかったりすると関係性が歪になり、コミュニケーションが歪となります。過保護・過干渉で育った私の人間関係のベースは支配と被支配の関係だったと思います。母は私の意見や感情を聞いてはくれるのですが、自分の都合の良いところの抽出が目立ったなぁ、と思います。そうなると、自分の感情を他者に聞いてもらう事や相談する事の重要性がわからなくなるのです。言っても、無視される結果となるから笑
そのような環境だったので、助けてくれた優しい人達は私の気持ちや意見をちゃんと聞いてくれました。大事にしてくれたのです。他人だから出来た事でもあると思います。しかし、他人だから弱味につけ込む人も中にはいましたが、私の事を大事にしてくれた人達は弱味につけ込む事もなく、共感し、自分が出来ることを私に与えてくれました。その人達は、今も引き続き仲良くしてくれています。
その8
共感してくれて力になってくれる人を見つけよう
仲良くしてくれている人達は、私の話にとても共感してくれました。何故かというと、その人達も家族で苦労してきたから。私が苦しんでいる事に身に覚えがあったのでしょうね。私のラッキーだった事は、話を聞いて助けてくれた人達が歳上で社会の中で自立している人達だった事。そして、異性だったので家族の役割として欠損していた「父」の役割をしてくれていたのだと思います。
話を聞いてくれて、見守ってくれ、私が失敗をしても態度を変えない。そういった一定した安心感を与え続けてくれました。さらに、友達も失敗ばかりしている私を見離さず、付かず離れずの距離で一緒にご飯を食べたり旅行したり、と誰かと楽しい事を共有する楽しみを教えてくれました。家族以外の他者とこんな風にグルーミングをさせてもらい、対等で楽しい人間関係を学び直しをさせてもらったのです。
その9.
本当の「自立」に向けて
身近な人に助けてもらいながら、人間関係を学び新たな自分を構築していましたが、自分の感情を全て整理出来たわけではありませんでした。整理するための方法などを探している中で、1人のカウンセラーの先生と出会い、その先生の心理学講座を受講する事にしました。この受講で出てくる宿題が、私の感情や状況把握に大いに役立ったと今では思います。また、コミュニケーションの方法も学べる講座だったのでコミュニケーションを学び人と以前より上手に関わりあえると、自分のしたい事もスムーズに事が運ぶのでストレスが減っていくのです。自分の主張が聞いてもらえる、こちらのコミュニケーション次第で、という事を実感する事が出来てきた時、母と対峙しました。長年、抱えてきた気持ちをちゃんと言語化し、以前に比べて母のイライラスイッチを押さないように
、また自分のイライラスイッチを母に押されて感情的にならないように話す事によって全て理解はしてくれませんでしたが、母の私への対応の中で良くなかった、負担をかけた部分があった、という事を母が理解し謝罪してくれたのです。
正直、その時は「そんだけかい」とも思いましたが、相互作用というか相互理解というか、初めて母と「会話」が出来た様に思います。
苦しんでいるきょうだい児のあなた。あなたが家庭で学んできたコミュニケーションは、世間で通用するものでしょうか?RPGでロクな装備をつけないまま、モンスターをやっつける事って無理ですよね?世間で通用するコミュニケーション術を持たないと、しんどくなるし悪い人に騙されるし、で自立どころではありません。
世間に通じるコミュニケーションを学ぶ、自分の育ってきた環境を振り返る、足りないところを補強する。そうすれば自立して、もっと楽しい人生を送れると思います。
その10
解放、そして一周まわって家族って?
人と上手く付き合えるコミュニケーションスキルを身に付け、人間関係の場数や様々な事を経験しレベルアップした私は自分に自信がつきました。紛れもなく、自分で選んで、自分が開拓した人間関係の中で助けてもらいながらこなしていった自負が出来たからです。さらに、一時はベッドから起きれなくて本当にしんどかった時期があったのに再び就活をして自分がしたいと思う職にありつけ頑張る事が出来ている。母の勧めでなんとなくの自己決定で生きて、なんとなくやって、という時と「自分の人生を歩んでいる」という実感が明らかに違うのです。心から、自分の事を信じれる。上手く行った時もいかなかった時も、自分で決めたんだから、と思える私になっていました。
そのような自分になれて、今思う事。姉は知的障害と診断をもらっていますが、自閉スペクトラム症(ASD)も注意欠如多動性障害(ADHD)もあるよな〜と思っています。その観点からみると、自分の家族の特性が強い事、強い事。そりゃあ、上手くコミュニケーションとれないよね。私が調節役になったのも、この家族の中でまだ特性が弱い方だったのか、と思います。母はADHD傾向が強いなぁ、と思っています。私自身も特性の傾向がある中で母が思っている事、他者が思っている事に想像をするという事はある意味、幼い頃から療育をしてきたようなものだようなぁ、と最近は思うのです。母が他者の感じている事を汲み取ってサポートが上手な人だったら、きっと私は人の気持ちを想像する、その人の立場になって考える、という事が出来ない人間になっていたでしょう。すごく辛くて恥ずかしい8年間と寂しかった幼少期から思春期はありましたが、この家族だったから人間としての深みや豊かさを学べたのだと思います。
現在は母とは和解し、初孫にデレデレな母です。母の発言や愚痴に対し腹が立つ事や嫌になる事もありますが、以前の様に感情が揺さぶられて、とはなりません。「まーたこの人は。からまわってんなぁ」と一歩ひいて母を観察できるようになり自分にとってちょうど良い距離を保つ事ができています。そんな余裕があるので、時には母に優しく労いの言葉をかける事が出来ています。そうすると、向こうの反応もやはり良いのです。最近になって、「私はおじいちゃんの代わりをさせられている」という直感を回収できているように思います。母も母で辛い幼少期と姉を産んでからの苦労を身内からもっと労ってもらいたかった、褒めて欲しかったのでしょう。本当はその言葉がけは、親とパートナーにしてもらいたかったのでしょうが、もう両者ともこの世にはいないので、満たされる事がなくても出来るだけ、労っていけれたらと思える自分に成長させてくれる存在。それが私にとって、私の家族です。

辛い8年間はありましたが、この家族だったから様々な事が学べ、人間としての深みや豊さを増し今とても充実した楽しい日々を過ごせています。
辛い渦中にいるきょうだい児の方。辛いと思います。だけど、あなたはもう何も出来ない子どもじゃない。自分の幸せは自分で掴む事ができるまでに成長した大人です。一歩を踏み出せたんです。まずそこに対して自分を褒めて、労り新たな自分を作っていきましょう。

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きょうだい児@糸世
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