一燈照隅 万燈照国 ―ぼくが『小学校教諭』を選んだ理由 ― 【令和2.05.15】
こんばんは。りたろです。
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。
今日は、
ぼくが『小学校教諭』という志事を選んだ理由について
ぼくの高校時代の体験と『一燈照隅 万燈照国』という言葉から考えたことをお話しさせてください。
【今日の内容】
ぼくが『小学校教諭』を選んだ理由~ぼくの一燈でしか照らせない「一隅」がある~
1)「(できるわけない。)やめときなよ。」のもつ言葉の力
2)『一燈照隅 万燈照国』
1)「(できるわけない。)やめときなよ。」のもつ言葉の力
もともと、ぼくは教員になる予定はありませんでした。
「父と同じ仕事をしたい」と考えていたからです。
父は、海上保安官でした。
小さいころから父の仕事に興味がありました。
「海の警察官」「海の安全を守る」「人の命を救う」
そんな仕事にあこがれをもっていたからです。
それから、どうしたら海上保安官になることができるのかを調べました。
中学の職場体験では、海上保安庁で勉強させていただきました。
高校生になってからは、
本を読んだり、イベントに行ったり、お話を聴いたり、
「自分も父と同じ仕事をするんだ!」と思っていました。
高校3年生になりました。
海上保安官になるためには、海上保安大学校に入る必要があります。
進路相談の時に、ぼくは担任の先生に相談しました。
「(できるわけない)やめときなよ。
今の時代、大学を出ていないと就職するのは難しいんだよ。
その学校の受験日はセンター試験よりも早いし、
今からがんばってもその偏差値じゃ難しいんじゃないかな。
厳しいことを言うけど、今の偏差値じゃ、その大学にはいけないよ。」
先生に言われました。
正直、悔しかったです。
ぼくの学校は地方の進学校でした。
ほとんどの人が大学に進学します。
「海上保安官になるための学校に行く。」
なんて人は
おそらく、ぼくだけだったのかもしれない。
たしかに偏差値も全然足りていなかったのかもしれない。
でも…
先生は応援してくれないの?
できそうなことしかやっちゃいけないの?
そもそも
できるか、できないかはだれが決めるの?
やってもいないのにどうして最初から
「できない」と決めるの?
やったこともない人がどうして最初から
「できない」と決めるの?
そう思いました。
……
試験は、結局ダメでした。
未来が真っ暗になりました。
「自分は何をしているんだろう。」
モヤモヤしていました。
たしかに、あの時に先生が言ってくれたことは
間違いなかったのかもしれない。
先生は、ぼくのためを思って言ってくれたのかもしれない。
でも
あのときのぼくには受け入れられなかった。
「(できるわけない)やめときなよ。」
これは、
「人の自信と可能性を奪ってしまう言葉」
です。
「何も挑戦して、
苦しい思いをすることがなくなる魔法の言葉」
です。
一度どん底まで落ちた自信は簡単には取り戻すことができません。
自分のやりたいことや、なりたいことを
一人でも認めて、応援してくれる人がいたら
「よし、がんばろう。」
「挑戦しよう。自分ならできる。」
と思えるんじゃないか。
って。
2)『一燈照隅 万燈照国』
「一燈照隅 万燈照国」
という言葉があります。
これは、もともと
天台宗の開祖 最澄の
「一燈を照らす 此れ則ち国宝なり」
という言葉からきています。
一本のロウソクでは、ほんの一隅しか照らすことができないが、
そのようなロウソクが一万本も集まれば
国全体を照らすことができる。
という意味です。
世の中には多くの問題があるが、
それらは個人の力ではなかなか解決できない。
だからといって、無力感にとらわれるのではなく、
一人一人が自分の周囲を照らし、
そういう人が万人と集まれば、
国全体を照らし出すことができる。
「自分はダメなんだ。」
「自分はどうせできないんだ。」
「何をしても無駄なんだ。」
最初からそう思う人はいません。
思い出してください。
赤ちゃんの時、
「がんばっても立てない。」
「どうせ歩けない。」
そんな人はいたでしょうか。
おそらくいません。
筋力がなくて、
何回も何回も転んで、痛い思いをして
何回も何回も挑戦して、失敗して、また挑戦して…
わたしたちは立てるようになりました。
最初から、
「できない。」
「どうせ無理。」
と思う人はいません。
大人になる間に
そんな「できない」という思い込みを
もつようになってしまったんです。
「学歴・偏差値=自分の価値」
そして
「やったこともないのにできないと決めつける大人の言葉」
では、
どうして赤ちゃんの時はあんなに頑張れたのでしょう。
それは、
近くに
「応援してくれる人(親)」
がいたからではないでしょうか。
何回も何回も失敗しても
「今、3秒立てたね!」
「昨日よりも、歩けるようになったね!」
「おしい!あと少しだね!」
近くに応援してくれる人が一人でもいたら
「もうちょっとがんばってみようかな。」
そんなふうに思うことができるんじゃないでしょうか。
そして、思ったんです。
ぼくと同じ思いをする子どもが
もしかしたらいるんじゃないかって。
「(できるわけない)やめときなよ。」
じゃなくて
「応援してるよ。できることがあったら言ってね!」
だったら
失敗したとしても、今の気持ちは少しは違ったんじゃないかって。
ぼくの一燈でしか照らせない「一隅」がある
ぼくの承認の言葉(一燈)で
「自分には無理だ。」
「どうせできない。」
そう思い込んで苦しんでいる子ども(一隅)を助けたい。
自分にもできることがある。
子どもを信じて、ありのままを認めてあげれば
ありのままを認めてくれる人
挑戦を応援してくれる人が一人でもいれば
子どもたちはおのずから最高に輝くはず。
そして、その承認の和(一燈)が
1本、2本、10本、100本、1000本と広がっていけば
万燈照国
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子どもが輝き
学校が輝き
地域が輝き
国が輝く
そんな日本になれば…
本気でそう思っています。
一緒に、そんな国を創りませんか?
長々となりましたが、
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
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