「満足しない人」の良さが見える時
どうも
わーさんです。
この記事では「満足感」をテーマに考えていきます。
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あなたが、満足するときはいつか?
「あなたが、満足するときはいつですか?」
どんな小さなことだったとしても、いいことがあれば、きっと満足すると思います。いい気持ちになると思います。
それはそれでいいことです。
自分の気持ちが明るくなることが、人生においてとても大切なことです。
しかし、そこで満足をしてしまうと、そこから成長がなく止まってしまうことも考えられます。
その成果、その結果に満足をしてしまい、その地点でやめてしまう。
これだと、もったいないのです。
そうならないためにも、周囲が賞賛をしていても、自分だけは「満足していないこと」を持つことが大切なのです。
周囲の歓声は、個人の喜びではない
例えば、あなたが何か大きな偉業を達成したとします。
そのことに対して、周囲からは賞賛の声が上がることでしょう。それは過去に例を見ないことですので、その発見、実績に対しての貢献を讃えると思います。
しかし、当の本人は、その功績自体の評価には感謝するかもしれませんが、もっとよくすることができる。改善することができると思っているかもしれません。
そのため、周囲の賞賛の声は、個人の喜びではない可能性があります。むしろ、そのように思える人でなければ、より高みを目指すことのできないし、満足しないで、より新しい発見を目指そうと思う人にもなれない。
それが、ある意味で理想的な姿なんだと考えています。
常に、改善できる点が存在すると思っている
自分の専門分野に関して、常に改善することができるところはないのかと極めることができる人ほど、その先の未来に対して真剣に考えている。
現状に満足しない。満足という言葉が存在しない。
もちろん、完璧主義ということではないです。何かを成し遂げるためには、完璧主義の部分を捨てて、失敗を数多く繰り返すこともあるはずです。
そのため、成功を静かに勝ち取る人は、誰よりも多くの失敗と経験をしている。
その支えになっているのが「満足しない」こと。
それが、モノゴゴロをついた時からの支えになっていると私は考えています。
そのことを考えて死ぬ時が、本当のゴール
では、満足しない人の最終的なゴールはどこにあるのか?
言ってしまえば、もしかするとないのかもしれません。
その人が、死を迎える時。
そのギリギリまで、改善する手段を考えているかもしれません。
もしかすると、死の最期の瞬間はふと我に還り、成果のことよりも、人としての人生を振り返るかもしれません。
それは、その人の生き様がそうさせるでしょう。
ただ、最後の最後まで考える。
そのことしかないと思っているから考える。
それが、できる心を持っていることがすごいことです。
イメージとしては、学者にしかできないような感じがありますが、そうではなく、どんな人にでもできると私は思っています。
周囲が納得をしても、自分だけは絶対に納得しない。満足しない。
それを、人生の柱にして生きる。
そうすることで、他の誰にもない、自分だけの強みを見せることができると私は思っています。
それを見つけて、実行してください。
人生が楽しくなってくるはずです。自分だけのこだわりを押し通すことができることですから。
人生の柱を持つのであれば、自分が楽しくできる時間にすることが大切です。
人生の最期まで、満足しないことを貫き通してください。