社会人を控えた息子から母へ
「母の日」。それは、思春期をこじらせて大学生になった今でも家族と話すことが恥ずかしいと感じてしまう僕のようなザコが、ネットに母への感謝を綴ることができる日。母の日を言い訳に、感謝を整理する日。
↑ こちら去年の母の日に書いた記事。
ボロボロ泣きながら書いたなぁ...と思い返しながら今も泣いています。
どうして僕はこうも不器用なのだろう。伝えたいことは直接伝えたほうが早いのに。母は隣の部屋にいるんだから、母の日くらい「いつもありがとう」と一言吐き捨てて自分の部屋に戻ってくるだけでいいのに。
それなのに今年も僕は、こうしてnoteで済まそうとしています。許して...。結婚式ではちゃんと直接感謝を伝えるから...。いつになるか分からんけど...。
僕は母と普段あまり会話をしません。喧嘩したとか、嫌いだとか、そういうネガティブな理由ではありません。ただただ恥ずかしい。
中学から高校にかけて反抗期を経験し、それがこじれて今に至ります。僕の反抗期は、分類するとすれば「無駄な会話はしない」タイプのやつ。家庭ではほとんど喋りませんでした。
大学生も終盤を迎えている今は、当時よりはだいぶマシにはなりました。それでも一言二言キャッチボールする程度で、積極的な会話はありません。
対照的に、僕の母に対する感謝の気持ちは大きくなるばかりです。理由は就活が始まったから。
僕の今までの人生において大きな転機、例えば大学までの進路は、両親は僕の意向を尊重するということで自由にやらせてもらえました。おかげで決断力はかなり養えている気がします。
それだけではありません。就活に関してもなお、両親はそばで見守ってくれています。僕の意見や気持ちを第一に尊重し、「両親」という最強のバックアップがあることを暗に僕に示しつつも静かに見守ってくれているのです(このように実際に言われたわけではありませんが、そう感じます)。これほどまでに心強いサポートがあるでしょうか。
このような環境にあるからこそ、最高に楽しんで就活を進めています。
就活での面接において、「尊敬する人は誰ですか?」と質問されることがあります。もちろん僕は両親を掲げて、こう言うのです。「父はおそらく煩悩がありません。常に仕事に一生懸命であり、朝早くから夜遅くまで働いています。それなのに家族との時間も大切してくれます。僕が幼い時の休日は父とキャッチボールをしに公園へ自転車を行くのが心から楽しみでした。また、母ほど人を気遣える人はいません。僕は恥ずかしさのあまり母とあまり会話を重ねることができていませんが、自分のことを一番理解しているのは母だと断言できます。僕がお風呂へ入るタイミングや今食べたいもの、僕がちょうど食べられる味噌汁の量まで。両親は自分にとってヒーローであり、やさしさの権化であり、憧れであり、理想です。」と。
家庭ではあまり会話ができない息子でごめんなさい。自分のことをあまり話さない息子でごめんなさい。心配や迷惑をかけてごめんなさい。恩返しや親孝行ができずごめんなさい。この前のマック代まだ返してなくてごめんなさい。
ここまで大きく育ててくれてありがとう。大学選びや就職という大きな決断を委ねてくれてありがとう。いつもご飯を作ってくれてありがとう。家族のために働き続けてくれてありがとう。なに不自由なく生活できる環境をありがとう。トイレの排水溝詰まりを直してくれてありがとう。あれ詰まらせたの僕です。嘘ついてごめんなさい。
いつも本当にありがとう。僕は幸せです。この返しきれない幸せを少しでも多く還元できるように、息子は頑張ります。
最後に脇汗と涙を拭いて、この記事の終わりとします。