【No.1391】二作目が駄作になる理由

今日は国語の問題です。

「人間万事 塞翁が馬」という言葉をご存知でしょうか。

故事成語(昔あったことや、昔の文章の中の言葉からできたことば)で

一応、概要は以下の通りです。

塞翁(さいおう)という老人に悪いこと(馬が逃げた)があったが、それがきっかけで良いこと(その馬が他の馬を連れて帰る)が起きる。しかし、その良いことがまた不運(息子が落馬して怪我をする)を招き、その不運が結果的に幸運(戦争が起きても息子が怪我をしていたため徴兵されなかった)をもたらす、という話です。

この話から、人間の幸不幸は予測できず、一見不運に見えることが実は幸運であることもある、という教訓が得られます。

この話を『数学オンチの諸君』という本の「平均」についての文を読んでいて思いました。

例えば、映画で2作目は駄作になると言われることがありますね。

平均の考え方をすれば、当然といえば当然だと書かれています。

「ヒットした映画」とは、すんごい数が作られている映画のなかで、異常に売れたものを指すわけですね。「ヒット」と一口にいっても、偏差値70くらいの大ヒットもあれば、偏差値55くらいの小ヒットもありますが、

つまり「ヒット」ということは、公開された映画全体の平均よりも高く売れたということです

ここではヒットや偏差値の基準を、単に「面白さ」くらいにしときましょう。売れたといっても売上なのか、観客数なのか分からないので。面白さにしても、個人によって異なりますが、とりあえず、そういう細かいのは端折らせてもらって続けます。

偏差値70くらいの大ヒット作品の続編が作られたら、そりゃ次は下がるでしょう。

仮に偏差値60くらいの面白さだったとしましょう。すると他の映画に比べたら面白いはずです。でも、偏差値70と比べたら、当然劣って見えます。

仮に1作目が、偏差値60くらいの小ヒットであったとしても、続編が偏差値61以上になるのは、それは大変でしょう。

そんなにヒットが続いたら、映画界全体の平均自体が上がってきますよ。

『数学オンチの諸君』では「平均に戻る」と表現されています。

平均という考え方からすれば、むしろ1作目のヒットが異常です。だから2作目はいかに優れていようと平均に近づくでしょう。

そして、上記のとおり、2作目がどれだけ平均より面白くても、1作目よりは劣ってみえるので、残念ながら「駄作」の烙印がおされてしまうのです。

逆に言えば、1作目が駄作(平均よりはるかに劣るの)であれば、2作目は(続編が作られればの話ですが)平均に近づいて面白くなる可能性が高いです

何の話をしているかというと、子供の成績もそうですよね、という話。

学習塾で生徒を教えていると、テストごとに保護者さんから連絡が入ります

前回は良かったのに、今回は前に戻ってしまいました…

当たり前です。

それが彼・彼女の平均であり、「前回は良かった」が異常値なのです。

もっと言えば、学習塾としては、通塾開始直後の初回の成績は出しやすいわけです。

その生徒自身の平均を下回って悪い成績が続いた時、学習塾に問い合わせられるわけで、

だから、初回は上がりますよ。「平均に戻る」のだから。

「塞翁が馬」の運不運も「平均に戻る」というだけのことですね。

とすると、我々ができることは何か?

結局【平均を高めていくこと】だけです。

運不運は、一般的な「運」という意味で言えば、平均を高める方法があるか微妙なところですが、

マンガ『ブルーロック』の定義における「運」なら高めていけます。

どんな定義かはぜひご自身でお読みいただければと思いますが

とにかく「平均に戻る」という言葉を意識し、

1つ1つの事柄に一喜一憂することは避け、
少しずつ、平均を高める行動をしていきましょう!

■■今日の質問■■

最近、いつもより良いことはあったでしょうか?

最近、いつもより悪いことはあったでしょうか?

それは「平均」に比べるとどれだけ異常なことでしたか?

■■以上■■

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