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ただの高校生が創作10年続けて商業作家になるまでの話

[2021年12月追記]
商業出版となった「ITエンジニアのための 偶然から始めるキャリアプラン ―好奇心が導く予想しない未来―」を脱稿しました。発売は2022年頃を予定しています。


10年前、高校2年生だった頃モバゲーが流行していた。

ゲームは怪盗ロワイヤルがメイン。休み時間にガラケーをせっせと開いてはお宝が盗まれていないか確認する日々。厨ニじみたハンドルネームが懐かしい。

徐々に勢いがなくなりゲームもしなくなった頃、暇つぶしにモバゲー小説を利用し始めた。

僕はその頃まで全く本を読まない人間だったが、ケータイ小説の横文字と、軽い文体と相性がよかったのか読み漁るようになった。

たくさんのアマチュア作家が小説と言えるかも怪しい作品を公開していた。
正直、面白いものと面白くない作品の落差が激しい。

面白くないものは本当に面白くない。どうやったらこんなものができるんだろうかと考え込んでしまうくらいには面白くない。そりゃアマチュアが書いてるので当たり前かと思い至る。

「この程度でいいなら俺にもできらぁ」と、本気で思った。

一方で、面白いものはプロ・アマに関わらず面白い。僕にとってこれがとても新鮮だった。

アマチュアでも面白い作品を書く人がいる

という事実だけでわくわくした。
気づくと僕は暇つぶし程度にガラケーに文字を打ち込むようになった。

『お前が誰かは知らんけど、面白いものは面白いよ』と認めてくれるインターネット。はまらないはずがない。

2010.5.5

そのときのノリで始めた日付が2010.5.5と記述されている。今日でちょうど10年経過で驚きを隠せない。

最初、『俺にもできらぁ』と息巻いて書き始めた作品は、半月くらいPV0だったのを覚えている。誰も読んでない。
文章は実際に書いてみると難しいとわかる。今読み返すと、稚拙すぎて読んでいられない。

ただ、とにかく毎日1ページ以上は絶対にアップロードし続けた。それだけはやめなかった。

下手くそなのは自覚していたけれど、それ以上に書いている事自体がとにかく楽しかった。

毎日更新すると、ある程度中身のあるものになっていて、PVもじわじわ増える。1ヶ月の経過で1000PVを超えることになった。

行動のハードルの低さと継続

人が何らかの行動を起こそうとするとき、心理的ハードルが邪魔をするときがある。
たとえば『自分の書く作品なんて誰が見るんだ』『面白いものなんて書ける気がしない』『ほらやっぱり見てくれない。やめちゃお』

当時の僕にはその心理的ハードルがなかった。なぜならはっきりと、『この程度でいいなら俺にもできらぁ』と思っていたから。
実際に書いてみるとしばらくは誰も見てくれなかったが、書くこと自体に面白さを見出してしまったので、読まれる読まれないは関係がなかった。

僕はそのまま自分勝手にアウトプットを続け、3年後には投稿サイトで自作の特集を組まれるまでになっていた。

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『セイチョウ・ジャーニー』という合同同人誌がある。

この本は5名がメインとなってそれぞれの思う『成長と充実』をテーマに、どうしたら『成長・充実』するのかが書かれている。

その章の中に、『行動のハードルを低くするジャーニー』という章がある。

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↓ちょっとだけ内容に触れいてるブログ

壮大な目標を掲げない、行動そのものを目標にする、という話はまさに当時の自分が無自覚にやっていたことだった。

結果を求めず淡々と毎日毎日アウトプットを繰り返しただけなのに、不思議なもので文章もマシになっていく。

こうして、高い結果を求めずに続けることで意図してない効果も返ってくるようになっていた。

フィードバックによる良サイクル

僕は相変わらず自分勝手に更新し続けた。
続きが思いつかず、手が止まりそうになる日もたくさんあった。

それでも「毎日更新が嬉しい」「こういうのが読みたかった」「もう4年も読んでる…自分もうxx歳になりましたよ」と嬉しいコメントがついてくる。

自分が書きたいものを、書きたいように好きなだけ書いて満足していたのだが、いつしかフィードバックを貰うようになっていた。

ただこれはインターネットに放流しないと絶対に成立しない。
僕がアップロードするという選択を取り続けたからこその結果だった。

ここまで来ると、応援してくれる人のためにも、絶対に完結まで書ききってやるという気持ちになる。

自分勝手な動機から、誰かのためにもやっていこうに変わっていく瞬間。

面白いことに、別の動機が加わると行動も変化し始める。
文章力も磨こうとか、他の作品を読んで勉強してみようとか、学生でも参加できる勉強会はないかとか。

無論、夢中なので心理的ハードルはない。

就職先はITエンジニア

大学も後半戦になると就活が始まって、僕も例外ではなかった。

そこまで趣味で書き続けていたものの、その仕事をするだけの自信は全く無かった。あくまでアマチュアである自覚がある。

文章を書く仕事がしたい、とずっと心にあったのに面接しに行く企業はどれも関係が全く無いところばかり。

学生時代打ち込んだことが『最速一ヶ月17万字の物書き』なんて、面接官にも刺さらないだろうと思い、誰にも話さなかった。

結局、趣味は趣味として諦め、僕は未経験歓迎のIT企業に就職した。

またしても、アマチュア作家に出会う

IT企業に就職し、社会人も2年経った頃。2010年に始めた最初の作品をまだ書いていた。

やっぱ書くのは楽しいな〜などと思っていると、Twitterに突如現れた『技術書典3』の文字。タイムラインなのかトレンドなのか覚えていないが、なんかそういうイベントがあるらしいのを知った。

いまやNHKに取り上げられたりする、巨大技術書同人即売会であるが、当時はそこまで広まっていなかった気がする。

僕はその次の技術書典4に、実際に参加した。
秋葉原に集まった同人作家。実はプロも紛れている。
同人イベントは、そこにいる人全員が参加者であり、全員で作り上げるイベント。お客様というスタンスはない。

「あ、これいつか見たやつだ」と思った。

またしても、僕は熱量を帯びたアマチュア作家に出会ってしまった。

『本をつくる』行動そのものが楽しい

インターネットに作品を投稿しはじめてから8年後、2018年の目標は『本出す』になっていた。

『本出す』= 出版社通す
という固定概念がぼんやりとあった僕からすると、技術書典ような場所は目からウロコが落ちた。

昔からコミックマーケットという巨大なイベントはあるけども、人混みがチョット苦手なので選択肢に入っておらず(技術書典も人混みヤヴァイけどね)。あと、耳に入ってくるのは大手サークルの話ばかりで、自分はとても参加できないだろうと思い込んでいたのもある。
結果的に同人即売会には参加したことがなかった。

技術書典は、自分で実際に参加して自分と同じような人も参加しているのを肌で知っていた。
2010年の『この程度でいいなら俺にもできらぁ』と同じだ。
未参加のコミックマーケットとの違いは、たったそれだけの心理的ハードルだと思う。

技術書典5の申し込み開始となってから、僕は所属しているサークルに声をかけた。そのまま、あっという間に応募申請をして、当選した。
僕の『本出す』という目標が実現することになった。

実際に製作してみると、企画・執筆・印刷(印刷所に行くためのあれこれと発注)・宣伝・頒布までを、すべて自分たちでやるので非常に大変だった。

自分ひとりで作品投稿サイトにアップロードするのとはわけが違う。
製作した頒布物に対して金銭が発生する。その体験自体が初めてだったこともあり、僕はこれまでにない喜びと楽しさを得た。

頒布物が売れていく瞬間はもちろん嬉しいし、感想を聞くのも嬉しい。書いた本によって人生が変わっていった人を見たときは、最高に嬉しかった。

それでも僕の根底にあるのは「本作ること自体が楽しい」という気持ちだった。ここでもまた、行動そのものに楽しさを見出した。

商業誌の話

多くの人が、技術書典で頒布した本が認められて商業誌になっていく例を見てきた。もともと僕は本を出すことが目標であり、同人か商業にこだわりはなかった。

ただ、そういう例があるのを知っている以上、自然と商業誌も楽しそうという感覚になった。
しかしこればかりは『この程度でいいなら俺にもできらぁ』とは思わなかった。
自分が何か行動を起こした瞬間に実現するものではない。行動に対して、それを後押ししてくれる存在が少なからずいなければ、実現しないものだと思う。

では、その後押ししてくれる人が現れるのを待つしかないのか?
というと僕はそうは思わなかった。

「どうしても商業誌を書きたい」と思ったなら営業活動すればいい。
もしかしたら、自分を見てくれている人がいないか?
そういう可能性を探らずに諦めるのは勿体ない。

「もしその機会が周辺に転がっていそうなら、躊躇なくコンタクトを取ってみる」と自分で決めていた。

そうやって意識して生きていると、何気ない会話にも望みを持つようになるらしい。

(↑僕の書く本は基本的に物語形式であり、創作に落とし込む。これまでのスキルが活きた形となった)

そしてここから約半年後、僕は佐々木さんきっかけで本当に商業誌を書くことになった。

技術書典で売れ筋のものが商業誌になっていくのとは全く違うルートであるが、僕は僕の方法で商業化を叶えることになった。

やってみたいという思いが具体的な意識や行動に現れていたことで、その機会を逃さなかった。
佐々木さんが後押ししていなかったら、きっといつまでも自信を持てないまま立ち止まっていたかもしれない。

後押ししてくれる存在は、僕がアウトプットしていなかったら現れることはなかった。

僕がアウトプットできていたのは、10年前に始めた全く関係ない趣味のおかげだった。

選択の積み重ね

ここにいるのは選択の積み重ねでしかない。
楽しそうだなーとか、これなら自分でもできるわとか、そういう何でもないことが今自分の仕事になっていると思うと侮れない。

10年前の自分にもし『商業作家になるから続けろよ』なんて言ったらたぶんやめてそうだ。そんな長い先のこと言われても萎える。今このときが楽しいのに邪魔すんなよ。

今やれることに全力をかけつつ、やっていきたいことを意識しているだけで自ずとそっちに向かって歩いていくことになるのだろう。

違うことしたくなったら方向転換してもいいし、やめたって良いと思う。
どちらにしろ、生きている間は何かを選択し続ける。選んだ先に、何らかの楽しいことがある。

僕は就職活動時に文章を書く仕事をするのを諦めたが、文章を書くこと自体はやめることができなかった。
その継続が違う形で叶っただけだった。どうしてもやめられない時点で、いつか日の目を見るときが来るようになっているのかもしれない。

どういう形であれ、積み重ねてきた選択の結果が人の目に留まったとき、状況は変わっていく。

ただの高校生でもどうにかなる時代

僕はほんとにただの高校生だった。帰宅部で、趣味はソシャゲくらい。
当時のクラスメートと連絡取れる人はほぼいない。よくある話だ。

ただ好きなことを続けることだけは得意だったかもしれない。むしろ、それくらいしか思いつかない。

なんでもいいのだけど『これだけはどうしてもやめられねえんだよなあ』を見つけるまでが大変なんだろう。小さい頃に見つけた人は、本当に運がいい。自身の好奇心と行動力、そして環境を褒めてほしい。

僕の好きなYoutuberのSUSURU TV. は毎日ラーメン動画をあげている(自粛期間中も工夫を凝らして、必ず毎日アップロードされる)。
彼もきっとラーメン大好きで毎日食べることも厭わないんだろう。なお僕も彼の動画を"毎日見続けている"。

芸人の松本人志も、『トレーニングをサボることができない』と言っていたことがあった。

こうしてみると、続けることが必ずしも得意である必要すらない。
どんな動機でも『続けられればよい』のだ。

僕は今もITエンジニアをしているけれど、今年で6年目。途切れることなく社会人生活が"続いている"。

なんらかの強制力(食べるためには今は働くしかないので)による継続でも、もはや良いと思う。

積み重ねがあれば、ただの高校生も"なりたかった何か"になることができる。そういう確率が高くなった時代になったんだなと思う。

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これからの話

出版社につないでくださった佐々木さん、そして快くGoを出してくださった㈱manGabito 平田さん、編集担当の浜田さんに心から感謝します。

もう書き上げたみたいな顔してますが、絶賛執筆中です。ほんと遅くてすみません。

一体どんな本を書いているのかというと、この記事にあるようなことをみなさんも体験できるようにする内容です。

誰もが商業作家になるということではなく、『ただのxxが、yyになる』という話です。
このような話には、ある一定の法則があることに気づかれたでしょうか?

今のキャリアを変えたい?なりたい何かがある?
現状を変えるためのTipsを本に詰め込んでいく予定です。

ぜひ気になった方は、こちらのnoteやTwitterをチェックいただければと思います。

これまで書いてきたもの

最後にお約束ですが、これまで書いてきたものを宣伝しておきます。
主催した本ではすべて物語形式で書いています。

【主催】

【寄稿】

【おまけ】

その他参考

Thumbnail Photo by Katrina Wright on Unsplash.


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