パリ以外も燃えているか?
イノベーションの99.9%は情熱だ。
尊敬してやまないイノベーター濱口秀司師匠の意見だ。
フレームワークという型によっていくつものイノベーションを起こしてきた師匠が言うことなので、型では教えることのできない情熱という結論は重い。ロジカルでクールに見える師匠だからこそ、なおさらだ。
私は情熱のある人が好きだ。情熱がないなら情熱を燃やそうとしてくれることを願っている。
じゃあ、情熱とは何か?
情熱とは
情熱(じょうねつ)は、激しく高まった気持ち。感情が熱している(熱されている)心理状態。
Wikipedia氏のお言葉です。
自分の解釈だとこう。
まだないものをあると信じて、行動するための燃料。
例えば、葛飾北斎。晩年、画狂老人卍 というペンネームに変更し、作品にはその名と「百」の印を残す。百は、絵の技術は高まっていき100歳まで生きたら神の領域までいくという想いからだそうな。
神の領域という未踏の地、まだないものをあると信じて、自分の技術を高めることに情熱を燃やしたと言える。例え到達できなくても、そこに行く過程で十分に生きがいのある生き方だろう。情熱を燃料として進んだと言える。
私は、そういう人が増えた社会を見てみたいんだ。どうすれば情熱を増やせるか。
情熱はどこからくるか?
情熱がない人がいる。
むしろほとんどの人が情熱を注げるものが見つかってないのではないかとすら感じる。
情熱は、報酬・名声など外部的要因ではなく、内側からこみあげてくる内因的要因だ。内的なので理由・原因はない。やる気は「給料アップするよ!」とか「モテるよ!」とか外部的要因で上げるだろう。
じゃあ、情熱はどうすれば外部的に点火できるか。
おそらく唯一の外部的要因は、「存在しない状態」という「空白の存在」が外部的要因になるのではなかと。思い込みの壁の向こうに「きみが知りたいことがあるんだよ」ということを教えること。
無ではない、無は空白に気付けていないから動くことすら考え付かない。あるだろうけどわかってない「空白」だ。
そんなこんな、情熱について調べてたら以下のような言葉を見つけた。
要は自分の常識を受け付けない、新しい切り口でバイアスという壁の先「空白」を知る必要がある、ってこと。
バイアスを壊すか、飛び越えるか、避けるか、通り抜けるか、なんでもいい。
情熱が注げるかは行動しないとわからない。無知の領域だ。わからないからこそ、わかっている知識を組み合わせ「やってみる」という試行錯誤をする必要がある。
無知の領域に、既知を組み合わせて挑んでいく。
それこそイノベーションの定義そのものじゃないか。
私は、人が情熱を点火した瞬間を増やしたい。理由のない情熱がある。だから、私は、人が思い込みを超え情熱を見つける「個人イノベーション」に情熱を燃やすと決めている。
情熱は伝播する
スタジアムで数人のアスリートが情熱を燃やしていることに、数万人の観客が盛り上がる。情熱の伝播に関する科学的な論文は見つけられなかった。きっとある。信じている。
個人イノベーションに燃やした情熱で、人の情熱の火をつけ燃え広がる。その情熱がさらに別の人に情熱を灯す。
最高じゃないか。そんなエネルギッシュで眩しい爆発を見たい。
「どうすればいいんだ!!?」
と、ただ試行錯誤を繰り返すしかない。
目指すはこれ。大好きな漫画「行け!稲中卓球部」のこのシーン。
これを現実にしたい。