ぽめ最強戦の意義
2022/12月追記
ぽめ無敵戦、開催します!将棋のイベントです!!
その開催趣旨については前回大会、「ぽめ最強戦」とほぼ同様ですので、あらためてnoteにて公開してみようと思います。
大会についての詳細
大会参加リンク
はじめに
開催します、ぽめ最強戦。参加者同士で将棋の腕を競い合おうという催しです。
大会リンク:https://t.co/tLdGNptQnj?amp=1
本稿ではなぜ開催しようと思ったのか(といっても99%は悪ふざけですが)について雑多ではありますが、書き連ねてみようと思います。
開催の意義
この大会の最大の特徴は、やはり参加者全員に称号を与える。ということでしょうか。本大会は参加賞として「ぽめ最強」のタイトルを僕の独断で認定しようと思っています。
そんなものに何の価値があるのか、と問われれば当然、何の価値もありません。では一体どんなタイトルになら価値があるのでしょうか。
将棋界でタイトルといえば最初に思いつくのは「名人」でしょう。元々名人の肩書は将軍様から与えられ、合わせて俸禄(お給料のようなもの)が与えられたといいます。
また現代では各タイトルにスポンサーが付き、賞金が与えられ、その制度の上にプロ、職業棋士が成り立っています。
僕は思うのですが、いわゆるタイトルというのは、お金が伴ってこそ成立するのではないでしょうか。「名誉がかかっている」という意見もあると思うので、名誉についても考えてみます。
名誉、とは
18世紀の文学者サミュエル・ジョンソンによれば名誉とは「魂の高潔さ、度量の大きさ、卑しさに対する軽蔑」だそうです。私は文学や哲学については全くの素人ですが、素人なりに順番に、なるべく将棋界に軸足を置きながら考えてみましょう。
魂の高潔さ。これは正義を貴ぶ、とかそういった意味でしょうか。確かに世の中に目を向けてみると、功績や実力だけでは名誉は得られないように思います。
度量の大きさ。器が小さく卑しいようでは名誉に相応しくない。ということでしょうか。どうやら特定の一芸に秀でているだけではなく、その人間性も名誉には伴わなければならないようです。
卑しさに対する軽蔑。名誉を護るためには時として、覚悟を持って戦うことが名誉の要件だそうです。「へたくそ!」と罵られておいて笑って誤魔化しているようでは名誉には相応しくないということでしょうか。
色々見てきましたが、さっぱりわかりませんでした。ただどうやら、僕の認識では名誉とは「多くの人に讃えられること」のように思っていましたが違うような気がしてきました。
すなわち、たとえ多くの人に讃えられずとも、ある人がその心に「高潔さを持ち、度量大きく、覚悟を持っている」ことこそが名誉なのではないでしょうか。確かになんだかかっこいい気がします。
愛好家達による相互認定的な「タイトル」
ここからが僕の疑問です。愛好家たちの趣味によって行われる、タイトルをかけた催しとは一体なにを得られるのでしょうか。
基本的には金銭が得られるわけではありませんし、名誉とは個人の心の持ちよう何ではないかという気がします。「参加者を(衆目の面前で)倒すことにより名誉を得られる」ということであれば、どこか下品さを感じずにはいられません。
自尊心の満足、でしょうか。結構なことです。ですがそうなのであればもっと素直になってもいいでしょう。「勝つところをみせびらかした!」全く悪いことだと思いませんが、男の子心にはもう少しカッコいい何かが欲しいところです。
僕としては、「プロごっこ」かなと思っています。こういった催しに参加するアマチュアは大抵日々の生活があります。大半の人は最早プロを目指すことなど不可能であり、憧れることしか叶いません。ですがその代わりとしてお互いに認め合う場を設定し、日々の張り合いのためにこのような催しに参加し、称賛を得ることがあれば、満たされるものもあるのかなと考えています。
まとめ
だらだらとした文章になりましたが、僕の考えは以下の通りです。
・愛好家同士があつまり開く大会形式の催しの意義とは「プロごっこ」であ
るということ。
・「プロごっこ」とは決してプロ足り得ない僕たちの、日々の生活の張合い
のためとして価値があること。
つまり「ぽめ最強戦」の意義とは「(まるで名人が自分を紹介するかの如く)どうも〇〇ぽめ最強です」と名乗ってみると少しは気分転換になるのか、という検証を行うということです。こんなことを言って、ふふふと少し笑って、明日の仕事を頑張れるのであれば、十分に価値があることでしょう。
おわりに
途中ご覧になっている方を不愉快にする表現もあったでしょうか、もしそうであれば僕に悪意などないことををご理解いただき、容赦して頂けないかと思います。
アマチュア同士の大会とはすばらしい物です。だれも物質的に得をすることなどありません。ですが参加することにより一種の清涼感や満足感を得られます。(無論、そうでない場合もあります)
ただ、僕が危ないと感じているのは、参加者の認識に差があるということです。認識自体の善悪を問おうなどとは考えていませんが、催しの価値を損なわせるようなことが起こらなければいいなと思っています。
あと、ぽめ最強戦、出てくれよな!!!!
https://t.co/tLdGNptQnj?amp=1