ポップカルチャーと「紙資料」に付きまとうジレンマ
映像制作現場で使われる「紙資料」について、これまでアニメ作品の制作現場や、台本の印刷を手がける会社の方々からお話を聞いてきました。
では、アーカイブした資料を「研究する」方にとって、「紙」はどのような存在なのでしょうか?
今回は、特撮/マンガ研究者で日本経済大学 経営学部経営学科 准教授の坂口将史さんに伺いました。
お話を聞く中で、ポップカルチャーに付きまとう様々な「ジレンマ」が見えてきました。
―坂口さんはどのような研究をされているのでしょうか?
坂口将史さん(以下:坂口) 私の研究対象の一つは「特撮」です。特撮という映像表現がどのような特徴を持っているのか、特撮を見るという視聴体験がどういうものなのか、という研究をしております。
もう一つの「マンガ」についての研究ですが、マンガ雑誌の扉絵に書かれた文字情報といったキャッチコピーを収集し、そこで使用される語彙の時代における変遷などについての分析を行いました。
―とてもユニークな視点ですね。
坂口 マンガの研究に関しては、作品そのものというよりも、作者や編集者と読者との間にいかなる「橋渡しがされているのか」という視点の研究ですし、特撮に関しても、制作者側が「映像に対してどのようなアプローチをしているのか」、視聴者がそれを「視聴体験としてどう受け取っているのか」という視点の研究なので、どちらも作り手と受け手の「相互作用」を研究対象にしていると言えるかもしれませんね。
―そういった、いわば「メディア芸術」を研究されている中で、「紙資料」はどのような存在なのでしょうか?
坂口 「メディア芸術」の「紙資料」というと、例えば「認定NPO法人 アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)」が収集しているような、「中間制作物」と呼ばれるものがそれに該当しますね。映像作品における台本や絵コンテなど、アニメであればそれらに加えてさらに原画や動画といったものも含まれます。これらは「完成品」として我々の目の前に現れる映像作品に対して、その完成に至るまでの「中間」の段階で使用されるものですので、基本的には受け手である視聴者が直接見ることはできません。しかし、「作品がいかにして作られているのか」という創造の原点やその制作過程を知るためには、「紙資料」は一級の証拠資料になりますね。
アニメのような集団制作であれば、「ここはこういう風にして」という指示が書き込まれていることもあったりします。
例えば新潟大学のキム・ジュニアン、石田美紀の研究によると、『SF西遊記スタージンガー』(1978~1979年)の絵コンテには「スターウォーズ トップシーンの感じ」(※)と、具体的な作品名でイメージの指示が書き込まれていたそうです。視聴者の立場から「あの作品に似ているな。近い時代に作られたものだから、影響されたのかな?」と類推することはできたとしても、実際の制作現場でイメージソースとして、具体的な作品名まで挙げられていたかどうかは、紙資料を参照しなければわかりません。ある類似した表現があったとして、それが「同時代の集団的な記憶」として意図せず似てしまったのか、それとも明確な意図のもとでリファレンスとして指示を受けていたのかでは、完成形が同じように見えたとしても、その意味合いは大きく異なります。それが、中間制作物に書かれた証拠を確認することで、どちらなのかを明らかにすることができるわけですね。
他にも、制作中に修正されていく過程や、逆に最初の企画ではどんな作品だったのかということは、関係者の証言である程度カバーすることが出来るとはいえ、証拠となる紙資料を見なければはっきりしたことはわかりません。
―研究する中で、そういった資料を見る機会は多いのでしょうか?
坂口 現状では難しいですね。特に私のメインの研究対象である特撮は、近年になってようやくアーカイブが整ってきたところなので、研究者の利活用に関しては、これから整備されていくのではないかと考えています。それ以前は、資料を所有している個人に見せてもらうとか、展覧会などで見たり、図録や書籍で確認したりするくらいしか手段がありませんでした。今後、公的な施設で申請すれば見ることができるという環境が徐々に整っていくことになると、嬉しいですね。研究で利用するにあたって著作権の問題が発生することもあるので、収蔵している施設がそのあたりのサポートをしていただけるようになれば、なお有難いです。
一方でアニメ関係は比較的アーカイブが進んでいるようで、先ほども例に挙げた『SF西遊記スタージンガー』の資料も含まれている新潟大学の渡部コレクション(※)では、原画やセル画、台本、タイムシートなどの中間制作物をデジタルデータ化して、研究に使っているそうですよ。
研究的価値と産業的価値のジレンマ
坂口 Production I.Gでは、制作から一年間は全ての資料を保存し、その後、利活用するものと処分するものを選別しているそうです。保存されたものは新人の教育や新作を作る時のリファレンスといった制作現場での利活用のほか、展覧会やグッズ、書籍などの二次利用にも供されているようですね。(※)
当然ながらどの会社の中間制作物でも、すべてをアーカイブとして残しておくことが理想です。とはいえ、やはりアニメ会社も営利企業ですから、アーカイブ化したものが利潤を生むのか、どう活用していくのかというところと、中間制作物が持つ資料価値とのバランスを取る必要が出てきてしまいますね。
―アニメの制作過程では、大量の紙資料が生成されますね。
坂口 練馬アニメーションサイトにおけるProduction I.Gの事例に関する記事(※1)によると、30分のテレビアニメ1話をすべて手描きで制作したとすると、その制作に使用したアニメーターが絵を描く紙の総量は段ボール5箱分くらいにもなるそうで、デジタルを併用しても段ボール2~3箱分は必要になるとのことです。新潟大学の記事でも(※2)、30分のテレビアニメ1話の制作に発生する中間制作物の総量は、高さにして約150センチになると紹介されています。いずれにしても、アニメの制作には毎回かなりの紙が使われているわけです。特にアニメはすべてが「絵」で作られているので、特撮も含めた実写作品に比べ、使用する紙の量は膨大になってしまいますね。
―その膨大な紙資料のすべてに、歴史的価値があると言えるのでしょうか?
坂口 手描きアニメ作品の原画や動画などは特にそうでしょうが、紙はクリエイターの手描きの痕跡が直接記録される「メディア」ですよね。その意味で、クリエイターの創造過程におけるすべての情報がそこにあると言っても過言ではない。我々のような研究者の視点からすると、すべての紙資料に歴史的価値があると言えます。
ですが、それらの紙資料が直接的な利益を企業に対して生まないのであれば、産業的な観点からすると、価値あるものではない。だからこそ、一部を除いて廃棄ということになってしまうのでしょう。研究者としては「捨てないでほしいな」と思いますけどね。
アニメではなく、特撮の話になってしまいますが、須賀川特撮アーカイブセンターに収蔵されているプロップの多くも、制作当時は撮影が終われば捨てられるものでした。しかし、たまたま現場にいらしていた原口智生さん(特殊メイクアーティスト・造型師)が、それら廃棄される筈だったプロップを譲り受けたりされていた。その集積が、今では貴重なアーカイブになっていますからね。特撮プロップの例からもわかるように、そのときは「ゴミ」とされていたものではあっても、そこには後世において見いだされる歴史的価値がありうるわけです。
アニメにしても、かつては廃棄されていた中間制作物が、今では原画展や原画集といった商業的なものに使われたり、教育・啓蒙に使われたり、学術的な研究に使われたりなど、さまざまに利活用されているわけですよね。そのような点においても、数十年前と現在とでは、我々がそれら中間制作物に向けている視点が違うわけです。このように「意味があるのか」、「価値があるのか」という問いかけに対する答えは、時代を経て大きく変わりうるのです。その可能性を踏まえれば、「価値のないものは無い」とさえ言えると思います。
―企業の情報セキュリティの観点からは、廃棄物から情報が漏洩するリスクはありますし、資料が転売されることもあると思います。
坂口 企業の視点からすると大きなリスクや損害ではあるのでしょうが、一方で後世への資料の継承という視点から見ると、かつてセル画や原画が中古ショップなどで流通していたことで、かえって処分を免れた資料があったりします。
そう考えると、ある意味で「功罪」ですよね。企業にとって好ましくない事態であったとしても、一概に「罪」と言い切れないというか。研究のための資料コレクションにしても、個人蔵のものに関しては悪い言い方をすれば「個人が勝手に持っているもの」であり、厳密にいえば権利的にグレーなものもあります。新潟大学の渡部コレクションにしても、「中間素材の返却を希望する」(※)と難色を示している権利元もいらっしゃるようです。なかなか難しいところですね。
保存と運用のジレンマ
―紙資料をデジタルデータにすると、価値が落ちるのでしょうか?
坂口 メディアが保有する情報量が変わりますよね。これに関しては「技術的な問題」と「運用的な問題」の二点があると思います。
まず、スキャナーの性能的な限界があり、どうしてもすべての情報を捉えきれていない可能性は残ります。最高の画質、画素数でスキャンすれば、視覚的な情報としては、現在の技術水準であればほぼデジタル化できているといえるかもしれません。しかし、「将来的に必要なのはその表面的な画像の情報だけなのか?」と考えると、何とも言えません。
先日、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトの記事で、ゆめ太カンパニーの山口会長がデジタルと紙の描き味の違いについてお話しされていましたが、デジタル化すると失われてしまう紙の質感などの情報が、将来的な研究で必要になるかもしれません。
と、もしかすると将来的には紙資料に対しても、どこのメーカーのものを使っているか、またその紙がなぜ使われているのか、その紙にどのようなメリットがあるのか、そのような視点からの研究がされる可能性もあると思います。
運用上の問題としては、解像度の高すぎるデータはファイルサイズが大きくなり、パソコンで動かすのが大変になることです。かといって解像度を落としすぎてしまえば、今後必要になるかもしれない紙ならではの情報――細かいペンタッチの具合など――が記録されていないということになりかねません。
理想は、運用するための軽いデータと保存用の高解像度のデータを両方残しておくということになるでしょう。
また、デジタルの問題として、フェイクが作りやすい、改ざんがされやすいというものがありますね。データの真正性を担保するためにも、疑問が出たら元の紙資料に立ち返れるようにしておくことも必要になるでしょう。例えばインターネット・アーカイブは、自身が保有するデジタル化された書籍データが将来にわたって依拠すべき真正で本物の版として、デジタル化した後の本もフィジカル・アーカイブとして保存する仕組みを採用しているそうです(※)が、これは非常に重要な視点だと思いますね。
また、デジタルデータ特有の脆弱性の問題もあります。保存している記憶媒体の耐久性や再生環境の維持は、デジタルにおいても必ず考えておかなければならない問題です。紛争や電磁波災害などで世界中のデータが消えてしまうようなリスクも、無いとは言い切れません。それに、デジタルデータの場合、データの一部が壊れるとすべて開けなくなってしまうこともあります。一方で紙であれば、仮に一部が燃えたり破れたりしてしまっても、残った部分を参照することはできますよね。逆に言えば、アナログならではの「強さ」もあるということです。
―一方で、紙は経年劣化しますよね。
坂口 そうですね。だからこそ、紙資料の劣化を極力押さえるためにも、デジタル化は必要です。研究や展示に際しては、画像で十分なものに関してはできる限りスキャンデータを使い、現物の保存はなるべく外に出さずに湿度などの安定した場所で、という保存と利活用を両輪とした体制の整備が必要でしょうね。
デジタルとアナログの両輪というと、マンガの分野では、京都精華大学国際マンガ研究センターの「原画´(ダッシュ)」というプロジェクトがあります(※1)。マンガの原画は紙資料ですから、展覧会などで利活用していけばいくほど、気温や湿度の変化に晒されて劣化していきますよね。そこで、原画の保存をしつつ利活用もしていくための方法の一つとして、原画と比べてほぼ遜色のない、展示に耐えられるレベルの複製原画を作成するというのが、この「原画´(ダッシュ)」プロジェクトです。実際、このプロジェクトのおかげで、従来では原画展が実施できないような環境の中でも、「原画´(ダッシュ)」を用いることで、展覧会を実施させることが出来た事例もあるようです。
しかしこの「原画´(ダッシュ)」も、複製原画とはいえ、無尽蔵に複製を作り出せるようなものではありません。細心の注意を払って“一点もの”のレベルのクオリティで作っているので、何年か後に同じ「原画´(ダッシュ)」を作ろうとしても、使用するPCやプリンターの環境の変化で全く同じものにはならず、「もう一度原画と照合したくなる」事例もあるのだとか(※2)。その意味でも「高精細なスキャンデータをただ出力すれば終わり」ではない。この「原画´(ダッシュ)」の事例から分かることは、精細なスキャンデータがあったとしても、そして非常にクオリティの高い複製を作れる技術があったとしても、参照元としての原画の重要性は変わらない、ということです。
―とはいえ、蓄積していく紙資料の保管場所を確保するのも大変そうです。
坂口 国立国会図書館などは、まさしくそのようなジレンマを抱えていますね。納本制度というものが法律(※)で決まっていて、原則として日本で発売された本が全て国会図書館に納められることになるわけですが、紙の書籍・雑誌が発行され続ける限り、無限に収蔵スペースが必要になります。
マンガミュージアムも90年代以降から整備が進んでいますが、手塚治虫記念館や石ノ森萬画館のような作家個人に焦点を当てたミュージアム以上に、京都精華大学の京都国際マンガミュージアムや明治大学の米沢嘉博記念図書館のような、マンガ文化に関わる資料を総合的に集めるタイプのマンガミュージアムは、国会図書館と同様の収蔵スペースに関する問題を抱えていると言えるでしょう。特にマンガ雑誌は月刊や週刊などのペースで刊行され、しかも一冊一冊にそれなりに厚みがありますから、膨大な量になります。しかし、それらすべてに歴史的な価値があることを考えると、残さないわけにはいかない。
アニメに関しても、深夜アニメの流行と共にその作品数は幾何級数的に増加しました。しかも前述のように、その無数のタイトルがそれぞれ1話を作る度に、段ボール2~3箱とか5箱とかになる程の量の紙を使うわけですからね。結局、「後世に資料を残すためにもすべてを保存したい」という理想がありつつも、現実問題として「収蔵スペースに限りがある」というのは、あらゆるポップカルチャーのアーカイブが直面するジレンマだと思います。
坂口 「ポップカルチャー」とは、ポピュラーカルチャー(Popular Culture)の略で、日本語に略すと「大衆文化」です。現代の大衆文化は、「大量生産・大量消費」によって支えられており、それら「大量生産」のためには大量の中間制作物が必要になる訳ですから、保存するための資料が増えていくのはある意味では当然ですね。
―台本印刷の三交社の方も、「我々は消費されるものを作っている」と仰っていました。
坂口 そうですね。台本などの中間制作物は、アーカイブされるようになって学術研究の価値や商品としての価値が見出されるようになってきたわけですが、もともとは「消費物」なんですよね。
それが大量生産・大量消費が生み出しているポップカルチャーのジレンマで、作られる数の少ない「芸術作品」との違いだと思いますね。
公共性と権利のジレンマ
坂口 美術館にも、「芸術作品」における中間制作物と呼べるようなものを収蔵している事例がありますよ。それは例えば完成作を作るために描かれたデッサンやエスキース(素案)といったものですね。展覧会で完成した作品と一緒に展示されることもあります。マンガやアニメ、あるいは特撮やゲーム、そういった日本のポップカルチャーにおける中間制作物も、資料としてはそれら「芸術作品」におけるデッサンやエスキースなどと同様の価値があると言えるでしょう。
ただ、それに関する権利(著作権や所有権など)の問題はどうしてもネックになってきますから、扱いは慎重にしなければなりません。新潟大学のアーカイブプロジェクトでは、アーカイブされたデジタルデータにアクセスするためには会員登録が必要で、誰でもが見られる形ではないシステムになっているようですね(※)。
やはりIP(知的財産)ですので、研究利用においても、権利者との折衝の中で落としどころを見つける必要はあるのだろうと思います。これらポップカルチャー作品の中間制作物は、本来はビジネスのために作っているものですから。逆に言うと、Production I.Gのように、自社のビジネスのためにアーカイブする方が、諸々の手続きがスムーズに進むという面もあるかと思いますね。
ポップカルチャーと環境負荷のジレンマ
―また、大量生産・大量消費の中で、多くの廃棄物が出てしまうというジレンマもあると思います。
坂口 研究者からすると、ゴミ(廃棄物)ではないんですけどね(笑)。
一方で大量に廃棄物が出るということは、環境負荷の話にもなってきますよね。
―娯楽として消費されるポップカルチャーが環境に与える影響についてはどのように思われますか?
坂口 実は、このあたりはまだあまり知られていない部分なのではないかと思います。
私も研究活動で資料を見ている中で、制作過程でたくさん紙を消費するだろうなというのは体感的には理解はできていました。ただ、それがアニメ1話で約150センチも積み上がるほど膨大だとまでは、多くの方には意識されていないと思います。むしろ今回のバリュープラス アーカイヴ プロジェクトの事業をきっかけに注目されていくかもしれませんね。
ただ、その環境負荷を気にするあまり、クリエイターの制作活動に制限がかかり、作品としてのクオリティが落ちてしまうと、今度は産業的に衰退してしまうかもしれない。これもまたジレンマですね。なかなか難しいところだと思います。
一方、デジタル化が進むと、その制作に使われる紙は当然少なくなるわけですが、ではデジタルにすれば解決かというと、そうではない。今度はデジタル端末を稼働させるために使用する電力の量が増えてしまいますよね。紙を削減すれば確かに木材という資源の負荷は軽減されるかもしれないけれども、今度はエネルギー資源にはどうしてもしわ寄せが行ってしまいます。化石燃料を消費する火力発電を増やすのか、原子力発電を増やすのか、再生可能エネルギーを増やすのか。エネルギーの安定供給に関しては、考え方も人によって様々ですし、簡単には答えが出ない問題です。
さらに加えて、労力や人件費の改善といったメリットもあり現在は主流になりつつある3DCGや、今後の制作活動でどんどん活用されていくことになるかもしれない生成系AIなどは、通常のデジタル作画以上に電力を消費します。たしかに労力は減るが、消費電力は増えてしまう、という…ここにも非常に難しいジレンマがありますね。
―今回、私たちは紙をアップサイクルする企画に取り組みますが、先々には電力にも目を向けなくてはなりませんね…
坂口 電力に関しては、エンターテインメント系の各ジャンルでは、ゲーム業界は比較的進んでいると思います。
例えばEUではゲーム機のエネルギー効率と資源効率を向上させることを目的とした「Games Console Voluntary Agreement(ゲーム機自主協定)」が制定されており、任天堂やソニー・インタラクティブエンタテインメント、マイクロソフトもこれに署名しています(※1)。具体的には消費電力を極力減すように、一定時間電源を入れたままにしておくと自動的にスリープになることを義務化したりとか、使うパーツをリサイクルするようにしたりなどですね(※2)。このように、ゲーム業界は環境問題に対して熱心に取り組んでいると言えるでしょう。
ただ、コンテンツ業界全体でいうと、そういった環境問題へのアプローチは「教育・啓蒙」に力点が集中しており、作品の中で「環境問題に意識を向けましょう」というメッセージを発するに留まっていることが大半かと思いますね。
現在STUDIO 4℃が環境問題をテーマにした映画を作りながら、制作現場での環境問題対策も進めるということをしているそうです(※3)が、これは新しい視点の取り組みだと思いますよ。
―アニメ業界でも一部、そのような取り組みをしているところもありますが、まだまだ業界全体での動きにはなっていない中で、私たちのプロジェクト「捨てたくない!でも残しておけない!アニメ制作で使われた紙をもう一度使いたい!」も、そういった問題に目を向けたいという想いから始めました。
坂口 これは一つのきっかけになるかもしれないと思います。アニメ制作というものが大量生産・大量消費、そして大量廃棄をしている業態の一つだということに人々の目線が行くようになるかなと。
そして「アップサイクル」という視点も非常に重要ですね。今回はノートという形にされるわけですが、他の形での利活用もどんどん増えていくことを期待したいです。
「再生紙を作る」というのは、環境問題に対するアプローチとしてはわりと古典的なものだと思いますが、それを新しい視点でこうしてアニメ業界に持ち込むというこちらの試みには、非常に驚きました。
今後はこの再生紙がそのまま、アニメの制作現場の道具としてもう一度使えるというサイクルができるようになると、最高ですよね。その意味でも、かなり可能性を感じるプロジェクトだと思います。
今日は様々な「ジレンマ」の話が出ましたが、そうした「ジレンマ」を解決する一つの「落としどころの提案」がようやく出て来たような気がしますね。唯一の正解ではないとは思いますが、問題提起をするという意味でも、非常に先進的な試みだと思います。
取材・構成:バリュープラス アーカイヴ プロジェクト
坂口将史
九州大学芸術工学府 博士後期課程 単位取得退学。「福岡特撮座談会」実行委員。メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)コアライター。主な仕事に、「『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に見られる「特撮表現」」(『『シン・エヴァンゲリオン』を読み解く』、2021年)、「円谷英二の特殊技術と映像ジャンルとしての「特撮」」(『ユリイカ 10月号 特集:円谷英二』、2021年)、「特撮を読んで、観て、体験する - 特撮受容史に関する試論 -」(『まぐまPB14 特撮の現在 研究と文化の隣接点』、2024年)など。
「捨てたくない! でも残しておけない! アニメ制作で使われた紙をもう一度使いたい!」
Makuakeにてプロジェクト実施!
運営:株式会社バリュープラス
実施期間:2024年8月21日(水)11:05 ~ 2024年11月17日(日)22:00
目標金額: 500,000円
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