映画『トレジャー・プラネット』感想

友人に薦められて視聴。いわゆるディズニーのアニメ映画。現在ディズニープラスで配信されている。本稿では以下「トレプラ」と略すことにする。

公開は’02年(日本’03年)。友人曰くディズニー暗黒時代の作品だそうだ。暗黒時代の割りにかなり面白かった。というか、商業的には成功しているであろう最近のディズニー映画よりもむしろ面白かった。原作はロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』で、これを宇宙を舞台とするSFアニメーションに変更したもののようだ。『宝島』は読んだことがない。

アニメは基本的に以下の10項目に対し各10点、合計100点で採点する。ちなみに今までの最高点は、同じくディズニーの『シュガーラッシュ』が80点をマークしている。数年の運用により、それなりに妥当な評価ができることは確認済み。採点の結果、トレプラは合計72点で相当な高得点。正直気に入ったので甘めの採点だと思うが、個人的には無茶苦茶おすすめ。

・スピリット
・物語(脚本)
・テンポ
・映像演出
・作画
・色彩
・音楽
・キャラクター
・フェチ
・ネタ

初回なので解説がてらコメントを付けていく。

・スピリット
魂がこもっている、という意味でスピリット。視聴していて制作陣のやる気を感じるかどうかや、作る人たち自身が作っていて楽しいと感じているか、それが画面から伝わってくるかどうかを評価する項目だ。
トレプラに関しては7点をつける。やる気は感じるものの、若干の「抜け」感がある。一世一代の入魂の作品というわけではない。良くも悪くも「いつものディズニー」であり、惰性は否めない。「いつものディズニー」なら6点をつける所だが、それにしては特筆すべき点が多々あるため1点加点した。
もし制作か企画の主だった人物が、子供の時分に『宝島』を読んでいて、その思い出をトレプラという形で表現した、今の時代の子供たちのために、という背景があるなら、さらに1点か2点加点したい。そのくらいのポテンシャルはある作品だと思う。インタビューして聞いてみたいくらいだ。

・物語(脚本)
話の自然さや整合性、テーマの選定やその掘り下げがどこまでできているかを評価する項目。もちろんそんな小難しいことはぶっちぎった作品も中にはあるが、それはそれとして(上手くいっていれば)評価する。
トレプラは6点。主人公が旅に出るモチベーションやトレジャー・プラネットの伝説への思い入れなどの描写ははっきり言って甘い。父親との関係がテーマになっているが、そこもそれほど掘り下げが上手くいっておらず底が浅い。ただ作品自体のテンションはシリアスなものではなく、深刻な事態への発展もないため、さほど気にならない。ストレスなく流せる点を加味した。
私は脚本の話になるとつい口を出してしまう悪い(悪いとは思っていない)癖があるのだが、その恒例となってしまった「俺ならこうするトレジャー・プラネット」も後述する。

・テンポ
場面展開の速さや演出上の緊張感の緩急のこと。テンポの良し悪しは非常に重要だ。観ていてダレてしまうとそもそも子供は飽きてしまい、視聴を継続できない。大人も退屈に感じる。テンポが良い映画はそれだけで良い映画だと言ってしまってもいいくらいだ。エンターテイメント性においては一番重要だと言える。
トレプラは9点。特に序盤のテンポの良さは素晴らしい。ポンポンとテンポよく画面が動き、子供でも飽きさせない。三歳児に見せても、2000年代を感じさせるポップミュージックをバックにシルバーと何やかやするシーンで少しダレたが、そこ以外は飽きずに視聴していた。さすがディズニーの面目躍如といったところか。敵役との絡みも無駄に引っ張ったりせず、引き算ができている。全体の構成としては英断の連続と言っていい。キャラクターの多さ(特に犬とロボット)によって若干無駄なシーンができてしまったため、1点を差し引いて9点。ほとんど文句の付け所がない。

・映像演出
キャラクターや話が動く時、それをどうアニメに落とし込むか。一目見て何が行われているかわかる、ということは重要だ。これが上手く出来ないと、キャラクターが自分が何をしているか口で説明する羽目になり、結果的にテンポが殺されてしまう。わかり易さはもちろんのこと、斬新だったり感情を揺さぶられたりと、見ていて楽しめるとなお良い。
トレプラは9点。映像が浮き出る絵本、空飛ぶボード、ベンボウ亭や宇宙港や宇宙船での宇宙人の様相、シルバーの機械の腕での料理、モーフの変身など、素晴らしい演出は枚挙に暇がない。特に冒頭の空飛ぶボードのシーンは神がかっていると言ってもいい。ディズニーの手書きアニメに独特の、伸び縮みする作画が非常にマッチしている。すごく久しぶりにアニメを見ていてワクワクした。ありがとうと感謝を伝えたいレベル。
一点気になったことがあり、宇宙船への潜入シーンでロボットの口を縛らないのは配慮が足りないと思った。あの矢鱈に五月蠅いロボットを黙らせないのは、敵から隠れなければいけない、バレてはいけないシーンでは心配になってしまいストレスを感じる。ドラえもんの旧劇場版などではこの点配慮がされている。例えば『雲の王国』では、ポンコツになったドラえもんを、のび太が口を塞ぎ黙らせるシーンがある。対策をしない登場人物がバカに見えてしまう演出は極力避けた方が良い。思い返せば、自分が子供の頃も気になったことが度々あった。
この点を加味して1点減点とした。

・作画
絵のクオリティ。単にいわゆる作画崩壊を起こしていないか、というだけでなく、多少乱れてもストレスにならなければ問題にしない。効果的に作画コストを削減できていたりすれば、そこも評価する。
トレプラは8点。さすがのディズニークオリティ。ほぼ乱れないし、ストレスはないと言っていい。モップの作画はミッキーマウスそのままでクスリとした。宇宙船を木造にしたのは作画コスト的にも作品の雰囲気上も英断だと思う。3DCGはさすがに時代を感じさせるので、それを加味して8点。

・色彩
色使い。作品全体の雰囲気に直結する意外と重要な要素だと考えている。パチンコ屋や歓楽街みたいな目の痛くなる色使いや、エロ関係(エロ本やAVのパッケージなど)に見られる下品な色使いは当然評点が下がる。しかし、一体全体なぜあんな下品な色使いをするのか不思議でならない。見た目で避けやすいのは助かるが。
トレプラは6点。前述の宇宙船やベンボウ亭が木造なせいもあり、全体的に茶色い印象。塗りものっぺりしていて、色自体も若干くすんでいる。作品の雰囲気には合っている。悪い部分はないが、特筆するような良い点もない。

・音楽
音楽も馬鹿に出来ない。以前旧ドラの銀河超特急を見直したのだが、「特に面白くもないし、ぬるい映画だな~」と思いながら観ていた。エンディングで海援隊の『わたしの中の銀河』が流れた途端、涙を流しながら「名作!」手のひら返しである。音楽が本当に良ければ、ぬるい映画も名作になってしまうのだ。いや、銀河超特急は冷静に考えれば良作どまりだけど。
トレプラは6点。’00年代を彷彿とさせるポップミュージックには懐かしさを感じる。良い曲だが、特に感動はない。BGMも「おっ」と思うようなものはなくスルー。効果音に古典的なものを使っていた点は、古典である原作や木造宇宙船と合わせて作品にマッチしており評価できる。1点加点して6点。

・キャラクター
見た目や人格などのデザインの良し悪し。見た目はもちろんのこと、人格として一貫した言動、行動を採るかどうか。これはキャラクターに違和感を感じるかどうかを左右する。見ている側に「キミ、そんなキャラじゃないでしょ」と思われたらダメ。
トレプラは8点。見た目のデザインがまず素晴らしい。特に主人公はやさぐれ感がよく出ていて、しかも完全なワルや不良ではないことまで一目で見て取れる。子供時代から現代への変化もよくできている。他にもモーフはディズニー的にはおいしいキャラクターで、なぜスピンオフしていないのか不思議になるくらい。作品自体に人気がないのが惜しい。見た目から話す言葉まで面白おかしいブーブー星人や、妙にフェティッシュな猫船長などもよくできている。船員や海賊連中など、主人公以外には過去の描写が一切ないが、それでもその背景を感じさせるデザインは秀逸の一言だろう。前述したモチベーションの部分とテーマ性の問題を加味し8点。見た目のデザインだけならほぼ完璧と言っていい。

・フェチ
フェティッシュ、コケティッシュな描写の有無や出来の良さ。作品の雰囲気に合わないものは良くない。キャラクターや作品自体の印象に影響するため評価対象としている。萌え(死語)と言ってもいいが、あくまで萌えを主眼としたものではなく、狙っていない部分に萌えるかどうかを評価する。露骨なフェチズムやエロを評価するかどうかは作品によるが、大抵は減点対象になる。
トレプラは6点。ひとえに猫船長のおかげ。女性が主人公を気に入るかどうかは判断しかねる。

・ネタ
コミカルな描写の有無や出来の良さ。ネタが面白さにつながるかどうかはもちろん作品による。今回のトレプラの場合を例にとると、ネタ元である原作『宝島』の改変を上手く仕上げるために必要な要素になる。内輪ネタやオタク知識がないと分からないようなネタは面白さにつながらず、大抵は無駄になるため減点対象。
トレプラは7点。原作『宝島』を読んでいないため仮の点数だが、前述の木造宇宙船やモップ、ブーブー語などは作品の雰囲気に逆らわず上手くハマっている。比較的上品にネタを消化していて、こういう作品は珍しい。爆発オチも大して面白くはないが、わかり易く印象は悪くない。原作次第で加点はありうる。山ちゃんロボットはマジでウザい。たかがアニメの、しかも脇役のロボットがここまで思わせるのは逆にすごい。ただ、完全に山ちゃんの演技力のおかげなので、評価には加えないことにする。

というわけで、トレプラは合計72点となった。視聴してきた歴代のアニメの中でも五指に入る高得点だ。ストーリーや主人公の動機に若干瑕疵があるものの、基本に忠実でシンプルな映画であることが功を奏したと思う。普段見るものに片っ端からぼこぼこに文句を言う私には珍しいべた褒めだ。

さて、ここからが本題(言いたいだけ)の「俺ならこうするトレジャー・プラネット」である。

青春映画の金字塔と言われる『ブレックファスト・クラブ』という映画がある。補修を喰らい学校に缶詰めにされた性質の違う男女5人が、教師や親からの抑圧という共通する悩みを軸に親交を交わすという筋の映画だ。正直あまり好きな映画ではないのだが、トレプラはいい意味でブレックファスト・クラブの「先を行っている」映画だと思う。
トレプラの主人公のジムは、物語の開始時点でそもそも学校に通っていない。しかしジムは不良というわけではない。学校へ行かず、空飛ぶボードでやんちゃな遊び(ガス抜き)をして迷惑はかけるものの、母親を尊重しており、店の手伝いもする。片親しかいない家は裕福ではもちろんなく、頭は悪くないが自分の好きな事は学校で評価されず、片田舎の星には大した働き口もないのだろう。将来の展望は明るいものではない。ジムが学校を辞めたのはこういった諸々の事情からであり、おそらく学校に通い母親へ経済的負担をかけるよりは、店の手伝いでもした方がマシだと判断したのだろう。それでも自分には何か他にやれること、やるべきことがあるはずだと思っていて、それが見つからず燻っている、という状況だ。何の説明もなしにここまで読み取れる描写がまず驚嘆に値する。もちろん、私の想像に過ぎないと言われればそれまでだが、そう大きく外したものではないと思う。
このような想定の下、状況的にも性格的にも、ジムが教師や親の抑圧を苦に学校を辞めたとは考えづらい。つまり、ブレックファスト・クラブの登場人物とはそもそも悩みのスタート地点が違うのである。そしてジムは宝の地図を手に入れ旅に出て、海賊と親交を交わすわけだ。海賊とはヤクザやマフィアの類いの犯罪組織であって、堅気のものではない。ブレックファストクラブでも不良が持ち込んだマリファナを吸うシーンがあるが、対するジムのシルバーとの交流は一見して微笑ましい船員見習いの様相を呈しているものの、その実犯罪者へ片足を突っ込んでいるのである。高々マリファナを吸う程度のおイタをしている生徒連中とは文字通り次元が違う。ジムの悩みは教師や親からの抑圧よりも先に行っているし、しかもただの海賊見習いでは飽き足らず、対等以上に渡り合う気概も見せている。自立心の差は歴然としていると言っていい。もちろん、『宝島』が書かれた時代とブレックファスト・クラブの時代では事情は異なっている。学校制度の拡充や、家を出る、旅に出ることのハードルを考えると、一概にブレックファスト・クラブの程度が低いとは言えない。単に放蕩のハードルが低く、犯罪組織へのアクセスが容易だから、結果的にそうなったと考えることはできるだろう。ただ、物語の世界では「将来どうしよう」と悩むヤクザや、マフィアから足を洗ったキャラクターなどいくらでもいる。中高生の抑圧というテーマは、学校に通った大抵の現代人が経験し共感しやすいがためにウケた、とは言えないだろうか。被害者意識を持って共感するのは比較的簡単で気持ちのいいことだ。それがウケるのも無理はない。それが面白いことだとは私は思わないが。

このような背景を考えた時、私が問題としていた旅に出るモチベーションの部分は変えた方がいい。ジムは幼い頃夢見ていたトレジャー・プラネットのことを現在ではバカにしており、「そんな夢物語があるわけない」と腐している方がリアリティがある。物語開始時点のジムには、能動的に宝探しに行くだけの動機がない。そして海賊に捕まり、有無を言わさず海賊見習いとしてトレジャー・プラネットの探索を手伝わされる。こうすることで、宝探しを諦めないシルバーとの対比が生きてくる。ジムはシルバーと交流することで、夢を諦めない姿勢をシルバーから学び成長するのだ。犬は正直いらないので、店の常連というだけの端役にして、削った分をこの辺りの描写に持って来ればいい。
次にオチの部分だが、シルバーがハッピーエンドにならないのは正直スッキリしないし、ディズニーらしくない(※)。シルバーにしてもジムにしても、たかが金銀財宝ごときに拘泥するのは頭が悪く見え頂けない。せっかくトレジャー・プラネットに銀河をまたがるワープポータルという素晴らしいギミックがあるのだから、「かつての大海賊ナサニエル・フリントは大馬鹿野郎だ。このトレジャー・プラネット自体が本当のトレジャーだ!」と、銀河の交流の起点となる交流惑星として開発すればよい。爆発するのは金銀財宝だけにしておいて。シルバーは成功をおさめ、ベンボウ亭も心機一転大都会の人気宿になりハッピーエンドだ。犬が居なくなった分、猫船長とのロマンスをシルバーにあてがえば言うことなし。猫船長×シルバーの方が犬よりも映える。
犬のついでにロボットも処分したいが……まあ爆発オチ要員としてはいいかもしれない。

「俺ならこうする○○」もこの程度の修正案で済むのは相当珍しい。大抵はここまで変えるならもう根本的に作り直して来いという話になるのだが。

以上、トレジャー・プラネットの感想である。本当に面白いので、是非見てほしい。

※ディズニーには実績がある。『アナと雪の女王』では、当初エルサはヴィランの役回りをする予定だったが、例の歌の出来があまりに良かったため、急遽役回りを変更し王子を悪役に変えた。序盤、王子が悪役であることを示唆する演出、伏線が全くないのはこのためである。おかげで悪役だとバラした時の違和感がものすごい。
王子は犠牲になったのだ……古くから続く因縁……その犠牲にな……

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