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ルーヴル美術館の目玉作品「モナ・リザ」が有名になったきっかけ

ルーヴル美術館の目玉作品、モナ・リザ。いつ行っても作品の周りには一目見ようと大勢の人たちで溢れています。

モナ・リザは、レオナルド・ダ・ヴィンチが1503年から1519年の間に描いたとされています。当時フランス王のフランソワ1世は芸術を愛し、特にイタリア・ルネサンスの影響を強く受けた王でして、ルネサンス期にイタリアから多くの芸術家をフランスに招きました。そのうちの一人が、レオナルド・ダ・ヴィンチです。彼は1516年にフランソワ1世のためにフランスを訪れています。

そんなモナ・リザは今でこそルーブル美術館の超人気作品として、モナ・リザセクションがあってガラスで守られていますが、当初はアート界では有名であったものの、そこまで注目されていなかったんです。他の作品と一緒に並べられていました。

他の作品と一緒に並べられているモナ・リザ*

それが注目されるようになったのには訳があります。有名になった出来事があるんです。「モナ・リザ窃盗事件」です。

モナ・リザが展示されていた場所、盗まれた後の様子**

この事件は当時のフランスのみならず、世界中で大きな話題となり、美術史に残る大きな出来事となりました。このことがきっかけで、「モナ・リザ」は一躍世界的な名声を得ることとなり、世界中から観光客が訪れる象徴的な存在となりました。今やルーヴル美術館の最も有名な展示物です。

さて、一体どのようにして盗難事件が起こったのでしょうか・・・・。


◼︎盗難の経緯

1911年8月21日、ルーヴル美術館の職員がモナ・リザが展示されていた場所から消えていることに気付きました。当初、美術館の関係者は絵が取り外されたのは写真撮影や修復のためではないかと考え、特に警戒することはありませんでした。しかし、時間が経つにつれて何の連絡もなく、絵が戻されないことから、盗難にあった可能性が浮上しました。

翌日、ルーヴル美術館は緊急閉館し、徹底的な捜索が行われましたが、モナ・リザは見つかりませんでした。この知らせは瞬く間に広まり、事件は大きなスキャンダルとなりました。フランス国内外で犯人捜しが行われ、有名な詩人や芸術家が容疑者として一時的に疑われるなど、騒ぎは大きくなっていきました。

◼︎犯人は誰だったのか

犯人は、イタリア人のヴィンチェンツォ・ペルージャという人物でした。ペルージャは以前、ルーヴル美術館のガラス職人として働いており、モナ・リザが展示されていたガラスケースの設置にも関わっていました。彼はこの経験を活かし、美術館に忍び込む計画を立てました。ペルージャは、前日の8月20日にルーヴル美術館に隠れ、翌朝の開館前に警備の目をかいくぐりながらモナ・リザを壁から外し、自らが持参したカバーに包んで持ち去ったのです。

ヴィンチェンツォ・ペルージャ写真***

彼の動機は、モナ・リザがイタリアの国宝であるべきであり、ナポレオンによってフランスに盗まれたと信じていたことでした。ペルージャは愛国心からモナ・リザをイタリアに返還し、英雄として称えられることを望んでいたとされています。しかし、この信念は事実と異なり、モナ・リザはフランス王フランソワ1世が16世紀に購入したもので、盗難ではありませんでした。

◼︎「モナ・リザ」の発見と返還

モナ・リザ返還の様子****

モナ・リザの行方は2年間にわたって不明でしたが、1913年、ペルージャがイタリアのフィレンツェで絵を売ろうとした際に、ついに彼の正体が明らかになりました。ペルージャは、フィレンツェの画商アルフレード・ジェーリにモナ・リザを持ちかけました。ジェーリはその絵が本物であると確認すると、イタリア当局に通報し、ペルージャは逮捕されました。

モナ・リザはイタリアのウフィツィ美術館で展示され、最終的にフランス政府に返還されました。1914年1月4日、ルーヴル美術館に無事戻され、その後も展示され続けています。この事件により、モナ・リザは一躍世界的な名声を得ることとなり、今日に至るまで、ルーヴル美術館の最も有名な作品として知られるようになりました。

◼︎ペルージャの裁判とその後

ペルージャは愛国心から犯行に及んだことを主張し、イタリアの裁判所も彼に対して比較的寛容な態度を取りました。彼は裁判で有罪となったものの、その動機がナショナリズムによるものであったことを考慮され、軽い刑罰で済みました。彼はわずか1年3ヶ月の懲役刑を宣告され、イタリアでは一部の人々から英雄視されることもありました。

◼︎事件の影響

この盗難事件は、ルーヴル美術館のセキュリティに対する大きな警鐘となりました。美術館の管理体制が見直され、より厳重な警備が敷かれるようになりました。また、モナ・リザの知名度もこの事件をきっかけに飛躍的に高まり、現在のように世界中から観光客が訪れる象徴的な存在となりました。

事件はまた、芸術作品の所有権や国の文化財保護に関する議論を引き起こしました。ペルージャのように、自国の文化財が国外に流出することに対する不満を抱く人々は少なくなく、各国で美術品の返還を求める動きが高まるきっかけにもなりました。

この「モナ・リザ」盗難事件は、美術史における一つの象徴的な出来事として、今でも語り継がれています。

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Asa

参照:
*By Louis Béroud - http://france.jeditoo.com/IleDeFrance/Paris/1er/Louvre.htm, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3739943
**By Unknown author - "The Two Mona Lisas" by Walter Littlefield, article from Century Magazine, Vol. 87, N° 4 (Feb 1914). Published by The Century CompanyDirect link to article, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2891529
***By Unknown author - http://www.yourbrushwiththelaw.com/_pictures/csac/perugia_mugshot.jpg, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2712263
****By Roger-Violett - https://www.gettyimages.com/detail/news-photo/people-gather-around-the-mona-lisa-painting-on-january-4-news-photo/80912841?adppopup=true, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98633027

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