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【パリ観光】ヴォージュ広場で歴史を感じる


ヴォージュ広場

ヴォージュ広場(Place des Vosges)は、パリのマレ地区にあるフランス最古の広場で、フランスにおける都市計画の先駆けとされています。

その歴史は17世紀初頭にさかのぼり、フランス国王アンリ4世の統治期に建設が始まりました。彼の治世は宗教戦争を終結させ、国の安定と復興に向けて数々の改革が行われた時代です。
そのため、ヴォージュ広場は、フランスの安定と栄華の象徴とも言える存在で、近代的な都市計画の先駆けとなりました。

この広場は、都市空間の中で一貫したデザインの建物が並ぶ最初の公共広場の一つでありルネサンス期からバロック期へ移行するフランス建築と都市計画の発展に大きな影響を与えました。

この記事では、その成立から現代に至るまでの歴史を紐解き、この広場の魅力と重要性をご紹介します。


1. ヴォージュ広場の起源:アンリ4世

ヴォージュ広場の建設は、フランス王アンリ4世(Henri IV)の命により始まりました。当時のフランス王国では、フランスは長らく続いた宗教戦争の影響で疲弊しており、国内の統一が急務でした。
アンリ4世はフランスの再建と、王権の強化を目指してさまざまな改革を進め、その一環として首都パリを再整備する計画を立てました。
その一環として、彼はパリ市内に新たな商業・社交の中心地となる広場を設けようと計画しました。また当時、パリは人口が急増しており、新たな住環境や商業空間が必要とされていました。

そこでアンリ4世は、国王の威信を示し、文化と経済の中心地を形成するために新たな広場の建設を決定しました。
ヴォージュ広場は、フランス初の計画的に設計された都市広場であり、都市計画のモデルとなりました。
この広場は、当時の王族や貴族が居住する区域としてだけでなく、一般市民の集まる場所としても活用されることが期待されました。

2. ヴォージュ広場の設計:統一された美しい空間

ヴォージュ広場

1605年に建設が始まり、1612年に完成したヴォージュ広場は、当時「王の広場(Place Royale)」と名付けられました。この広場のデザインは、当時のパリには見られなかった「正方形の形状を持つ広場」という革新的なものでした。また、統一された外観をもつ建物を並べる「ファサードの統一」も画期的なアイデアでした。これはフランス建築における都市計画の新しい概念であり、都市美観の重視や調和を目指した設計方針を表しています。

四方を囲む建物には、「ルイ13世様式」と呼ばれる特徴的なデザインが採用されました。建物の外壁は赤いレンガと白い石で構成され、建物の高さやデザインが統一されており、これにより秩序感と美しい調和が生まれています。この赤レンガの壁と石の装飾は、当時のフランス建築には珍しいものであり、イタリア・ルネサンスの影響を受けています。このような統一的なデザインは、それまでのフランスでは非常に珍しいものでした。

各建物の1階部分にはアーケード(柱廊)が配置され、どんな天候でも快適に移動できるよう設計されていました。これは、後のパリの広場や街区でも採用される形式であり、ヨーロッパ各地にも影響を与えました。

ヴォージュ広場ールイ13世騎馬像

また、この広場の中心にはルイ13世の騎馬像が設置されました。
しかしフランス革命期(1789年~1799年)には、王や貴族の権威を象徴する多くの像が撤去され、ヴォージュ広場のルイ13世像も例外ではなく、一度取り壊されています。現在広場に立っている像は1825年に再建されたもので、オリジナルを忠実に再現したものです。

3. ヴォージュ広場の名前の由来と変遷

もともと「王の広場(Place Royale)」として知られていたこの場所は、
フランス革命後の1792年、フランス東部のヴォージュ県にちなんで「ヴォージュ広場」と改名されました。これは、フランス革命戦争の資金援助をフランスで初めて申し出た県がヴォージュ県であったことを称えたものです。

この改名は、広場が「民衆のもの」として再定義された象徴的な出来事であり、広場自体が貴族や王室だけでなく、パリ市民や国全体に向けて開かれた空間としての役割を担うようになりました。

その後、王政復古時代には一時的に「王の広場」という名称が戻されましたが、再び「ヴォージュ広場」と呼ばれるようになり、現在に至っています。

4. ヴォージュ広場の影響

ヴォージュ広場は、その整然とした建築美から、貴族や文化人の社交の場として栄えました。特に17世紀から18世紀にかけて、上流階級の人々が集まり、ダンスや音楽、詩の朗読などが行われる場となりました。宮廷を離れて暮らす貴族たちは、パリの中心にこのような社交の場を求めたため、ヴォージュ広場はそのニーズに応える形で発展しました。

ヴォージュ広場

ヴォージュ広場は、単なる広場としてだけでなく、フランスの都市計画と建築史における重要な転換点を示す存在です。王の威光を示す象徴的な場所であり、同時に一般市民が利用できる公共空間として設計されたことで、フランスの都市文化に大きな影響を及ぼしました。

それまでの広場は市場や集会のための場所であったのに対し、
ヴォージュ広場は美観や人々の居住空間としても設計されていたため、
居住者と訪問者の両方が楽しめる空間として計画されたことが画期的でした。このような設計思想は、「居住と商業の両立」という近代都市の概念につながり、後の都市計画にも影響を与えました。例えば、パリのヴァンドーム広場やサン=ルイ島の設計にもヴォージュ広場の影響が見られます。

その設計思想はフランス国内のみならず、他のヨーロッパ諸国の都市開発にも影響を与え、広場という空間の在り方に新しい価値観をもたらしました。

ヴォージュ広場の成功は、パリがヨーロッパの文化・芸術・建築の中心地として発展する上で基盤となり、その後のルーヴル宮殿やヴェルサイユ宮殿などの壮大なプロジェクトに連なるフランス建築の象徴的な発展をもたらしました。

5.ヴォージュ広場の文学的意義

ヴォージュ広場はフランスの文学・芸術にも深い関わりを持っています。
9世紀には、フランスの偉大な作家であるヴィクトル・ユーゴーが広場に面したアパートに居住していました。彼はここで『レ・ミゼラブル』の執筆を行い、この時代のフランス社会や人々の生活に触れることで創作のインスピレーションを得ました。

現在、この建物は「ヴィクトル・ユーゴー博物館」として一般公開されており、彼の生涯や作品に触れることができます。ユーゴーの存在により、ヴォージュ広場はフランス文学と文化の象徴的な場所となりました。彼が描いた革命や社会問題への関心は、この広場がフランスの歴史的・文化的な変遷を象徴する場所であることを強調しています。

6. 現在のヴォージュ広場:文化遺産と観光地

アーケード

現在、ヴォージュ広場はパリ市民や観光客にとっても人気のスポットです。パリの最古の広場であり、フランスの文化遺産として保護されています。歴史を感じさせると同時に現代のパリの雰囲気も楽しめる場所です。
周囲のアーケードには美術ギャラリー、カフェ、レストランが立ち並び、広場は市民が憩う空間として利用されています。春には花が咲き、夏には観光客が集い、秋や冬には散策する人々で賑わうなど、季節ごとに異なる魅力を楽しむことができるのもヴォージュ広場の特徴です。

おわりに

ヴォージュ広場は、フランスの歴史と文化、都市計画の発展において重要な役割を果たしてきました。アンリ4世が目指した「国家の安定と栄華の象徴」としての役割を超え、広場はその後のフランス革命や社会の変動を反映した象徴的な場所として位置付けられました。

また、都市空間における美と機能の融合を追求したヴォージュ広場は、パリがヨーロッパの文化・建築の中心地として発展する上で重要な基盤を築きました。

ヴォージュ広場は時を超えて愛されており、現代のパリにおいても市民生活と観光の両方で大切な存在です。
この記事を読んだ後にこの広場に立つことで、アンリ4世の時代から続くパリの歴史と文化を感じることができるでしょう。

アクセス

Place des Vosges
住所:Pl. des Vosges, 75004 Paris [4ème arrondissement]
最寄駅:Saint-Paul [1番線]、 Bréguet-Sabin [5番線]、Chemin Vert [8番線]

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それでは、ごきげんよう :)
Asa

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