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夢の原点


子どもの頃からの夢

先生になりたい!

大好きだった先生のような先生になりたい!

子どもたちに社会科を教えることで、世の中を知り、自身で課題を見つけ、自分の人生を切り拓く力を身につけてほしいと。

ただ、私は先生にならない道を選んだ。

今の学校では、確実に先生は務まらないし、自分も教えられるほどのスキルがない。
(当時教えていただいた先生の中には心身を病んで、辞められた方もいます。)

でも、この夢はまだ終わっていない。
まだ、この先もずっと続いているって思っている。


5年前、私が1社目の会社を23歳でやめて、先生になろうとした時の話。

自分の「今まで」と「これから」に向き合っていた時、「自身のルーツを辿ることが、自分の将来を見直すきっかけになるのでは?」と思い、
夢のきっかけを作った、中学の先生に直接電話しました(笑)

はい、普通に迷惑です。

▲▲中学校

「8年前に〇〇中学校で教わっていた橋本です、F先生、いませんか?」

F先生「お前の行動力まじですごいなw  2回も学校異動してんのに。
あなたのことは本当によく覚えていますよ。
社会科が大好きで、俺の授業、かじりついて聴いていたよねw」

当時、私は12歳、先生は24歳。

私の淡い初恋だったなぁ。
(先生も結婚してるし、もう時効ということで)

「私ね、教師になろうかなって思っているんだ。実は〇〇市で社会科の講師の枠があって、もう自分が受けるかどうかの段階まできてる。」

この時もう限界だった。
社会人1年目でたくさんの苦労と挫折を味わい、本当に心身ともにボロボロだった。

そしてずっと抱えていた「教育に携わりたい」という想いが断ち切れず、教師になることを考えていた。

大学時代の恩師に紹介していただき、田舎ではあるけど、教員免許があるなら講師としてぜひ来てほしいと紹介も受けていた。

先生と8年ぶりに会話。
泣きながら話をする私に、電話越しに真夜中までずっと話を聞いてくれた。

当時、学校の中で一番若い先生だった。
私の担任でも、学年担当でもない先生。
ただ、いつも社会科を教えに来てくれていた。

若さゆえに私の担任の先生ともよくバトルしてたなw
(そんな先生ももう40歳なんだよねー)

先生の授業は、当時としては結構革新的で、今でいう「アクティブラーニング」を使った導入や授業をしていた。

一番大好きだったのは歴史の授業

「過去を知るからこそ、今を見つめ、ありたい未来を創ることができること」
「時間や空間の違いを把握して、さまざまな地域や時代を比較できること」

先生の授業は本当に楽しかったし、大学でも歴史を専攻したのは、紛れもなくF先生の影響です。


後日、喫茶店で話しをすることになった時。

F先生
今まで頑張ってきたのはよく伝わったよ。

あとな、お前は、良い先生になると思う。
挫折いっぱい知ってるし。だいたい、優等生がいい先生になるとは限らない。

俺さ、23からずっと教師してるじゃん。

今、35になって気づいたことがあるんだよね。

世の中にはな、2種類の教師がいるんだよ。

一つは、教師になりたくて、教師になった教師
  もう一つは、教師にしかなれなかった教師

by F先生

少なくとも俺が知っている教師は
圧倒的に後者が多い。

橋本は、どんな先生になりたい?

俺は、学校しか知らないから、どうしても教えられることの限界を33で知ったんだよ。

だからできれば遠回りをして、いろんな景色をみてほしい。
そしていつも考えてほしい。

子どもたちに何を伝えたいですか?

一個でいいから「やりきったわー、もう何もやることないわー」って思ってからでも遅くない。


そして、いつか必ず、一緒に仕事しよう。
あなたは僕にとって大切な教え子だから。


それから、自身で色々な思いと葛藤しながら、
私は教師にならない道を選びました。

「教育」や「学校」を中からではなく外から見たい。
もっと大きく捉えると、日本の教育にはどんな問題があるんだろう。

そもそも、教育現場=学校ではなく、社会全体が子どもを育てることが必要じゃないのか。

これをきっかけに私の上京物語が進みます。

先生といつか仕事ができるその日まで。
先生、ずっと先生でいてください。

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