<ライブレポート>GEZANたちは「戦争反対」と叫ばなければならない時代に無数の種を蒔いた。次に繋げるのは私とあなた。(後編)
中盤に差し掛かったところでマヒトが再び登場。「ずっと立ちっぱなしで音楽聴いていると疲れてきたと思うので、あちらにピザとカレーパンがあるんです」とNEWoMANビルの1階を指し、「食べてください、お願いします。……理解してますか? お願いします」「感染症の方も気をつけて」と重ねる。
イベントは周囲の協力なくして成立しない。ここまで規模が大きくなれば尚更で、ましてコロナ禍なのだから。
発起人として想像し得ないほどの重圧と責任を背負っているのであろう、それだけ口にすると足速に姿を消した。
マヒトからバトンを受け取ったのは、日本在住ロシア人の会社員アンナ。このイベントでは、数万人を集客するフェスのトリを務めるミュージシャンも、一般人も同じステージの上に立つ、国籍も人種も関係なく。「プーチンは、彼を支持している人々は、ソ連の時代の遺物。私たちの国の過去です」「今、私たちの国の若者の未来が、プーチンに破壊されています」「これは私の国の責任だと理解しなければならないことが悍ましくてなりません」「今諦めたら、私たちの国も、ウクライナも、世界も、戻る場所がなくなる。ウクライナに平和を」。
共通しているのは「戦争反対」という意志だけ。戦地に赴かねばならないロシア軍にも同じ思いをしている人は少なくないはずだ。途中で声を詰まらせて「すみません」と謝るアンナに、声援の代わりに拍手を送る参加者たちが印象的だった。
先述の件もあって七尾旅人のライブはカレー屋の中で聴いていたのだが、店の壁もガラスも意味をなさなかった。「ちょっとした日常のささやかな願いみたいなものが、全部途方もない願いになってしまった」という「途方もないこと」の爪弾かれるギターの柔らかな一音一音、祈りが織り込まれた歌の一節一節が肌を弾くほどの近さにあって、「殺すなよ もう誰も」と繰り返す新曲「同じ空の下」のか細い声が段々と怒りを巻き取って叫びと化す様に神経が毛羽立ち、視線を外すことができなかった。ラストの「きみはうつくしい」はまるで真っ白い光の柱が聳え立っているようだった。「世界よ やがて おしみなき ひかりを Great little changes きみはうつくしい」と歌い上げた彼が、「人間の力を信じてます。一緒に頑張りましょう」と笑顔で去るまで、そう信じていた。
長めの転換の時間を経て登場した大友良英は、「ウクライナは10年前、ちょうど福島で原発事故があった時に、チェルノブイリがどうなってるか見たいと思って行ったきりでした」と言い、「戦争の反対側にあるのは音楽のような気がしています。反対だけどとても似ているような気がしていて。それは割と近代的な技術、色んな機械を使い、取り分け20世紀の場合だと男が集まってゴチャゴチャやる、他のバンドと勢力争いするっていうところもよく似てて。だけど音楽の場合はそれで済むけど、これが本物の武器を持って国と国との間になると、全然洒落になんないなと思っていて。でも『反対にあるのは音楽だ』って言いたいってずっと思ってました。で、その音楽の根っこにあるのはノイズだと思っていて、ノイズから音楽が生まれると思っていて、ノイズから戦争が生まれるのかも知れないなって」と告白した。
そして「街頭で大きな音を出すのは比較的反対な方で静かに暮らしたい方なんですけど、やらせてください。これをやりに来ました」と前を見据えた後、エレキギターを抱えてノイズを奏でた。五線譜から逸脱した”音楽”になる前の純粋な”音”の粒がざらつきを残したまま弾け飛ぶ様、美しく悲しい原石の先端で指先を傷つけたような感覚に、呼吸すら忘れそうになった数分間だった。
通訳を伴って現れたのは、東京在住ウクライナ人モデルのHanna Frolova。「皆さん、直接の当事者じゃないかも知れないけれど、ここに来てくれて、自分のことのように戦争について一緒に考えてくれている。みんな、1つの惑星に住んでいる仲間としての気持ちを強く感じています」「私たちウクライナの国民は、自分たちの文化、言語、一番大事な自由というものを守ろうとしています。それを絶対諦めないです」「私の母と最後に話したのは3日前でした」「私の弟は兵隊として街を守ろうと頑張っています」。
張り詰めた表情の通訳にアイコンタクトを送りながら、平易な英語で冷静に明かす実情の生々しさと残酷さが心を締め付けた。
確かに戦争は起きている。電気も通らない場所で恐怖に怯えている人がいる。ただ私たちの目の前にはいないというだけで。
「私の日本でのベストフレンドはロシア人で、戦争が始まってから一緒に辛い時期を支えあって乗り越えています」。
通訳はその後、“ベストフレンドのロシア人”からの手紙を代読した。
「私の願いは、全員が私たちの世界で起きている時勢に注意を払うこと。そして良心に従って何が正しいか選択していくことです」「今あなたが作っているこの道が何処へ続いていくのか。あなた自身が将来を放棄しないことを祈っています」「私は暴力に反対です。私は戦争に反対です」。
転換中に注意事項を繰り返し丁寧にアナウンスするスタッフと入れ替わって登場したテニスコーツのライブは、旋回するミドルテンポのループフレーズの中央で、さやのそよ風に似たナチュラルな“歌”と“言葉”の狭間にある柔らかでまっさらな表現と、それを受け取った植野隆司のリズムを確かめながら血の通った詰問を叩きつけるラリーの連鎖から始まった。「ニュークリアシェアリング? 核武装? 今そんなこと言い出す奴が、いざっていう時何するか知ってる? 俺らは全てを奪われ、痛めつけられ、皮を剥がされ、血の一滴も残らない。自分だけ助かると思ってる? 自分だけ助かりたいと思ってる?」と植野が問い、さやがリアルタイムの秒刻みの感情とも頭の中に描いた他の誰ともつかない「君の声 聴いてたい ここにいて 幸せ?」という問いかけを、絵本や手遊びを想起する素朴さ、あたたかさを保ったまま目の前で転がす。やがて2人の声は交差し、重なり合って溶け合い、さやの大きな「ありがとー!」という感謝の叫びと共に終わった。
矢継ぎ早に現れた辻愛沙子は、ここ1週間は仕事が手につかず、うまく眠ることさえできなかった、自身の無力さを呪いさえしたと明かし、“連帯”の重要性を訴えた。
「戦争は、暴力は、多くの絶望を生みます。命を奪って暮らしを壊して、絶望で人々を踏み潰そうとしてきます。そして暴力の果てに、誰も手を差し伸べてくれない、共に声をあげてくれない、そういう孤独みたいなものを感じた時に本当の絶望が訪れるのではないか。ウクライナのゼレンスキー大統領が世界に連帯を呼びかけている動画を見た時にそんなことを思いました」
「しかしそれと同時に、暴力が絶望を生むのであれば、私たちは希望を生み出すことだってできるのではないか。そんな風に感じたんです。孤独が絶望を生むのであれば、世界がウクライナを孤立させない、断固として戦争反対、そんな声をあげ続けることがほんの少しでも苦しむ人々の希望になれるのではないかと」
「今確かに私たちにできることは、今この瞬間も傷つき苦しむ人々に、『あなたは1人じゃない』という希望を届け続けることではないでしょうか」
実際の持ち時間の短さに驚愕するほど豊かなスピーチは、ボブ・ディラン「風に吹かれて」の歌詞の引用で終わった。
「私たちはどれだけ歩かなければいけないのだろう 1人の人として認めてもらうまでに」
「白い鳩はいくつの海を渡らなければならないのだろう 砂浜で穏やかに眠れるまでに」
「砲弾をどれほど飛ばし合わなくてはならないのだろう それらが永遠になくなるまでに」
「友よ 答えは風に吹かれているのだ そう 答えは風に吹かれている」
最後の空の青さの下、丹念なセッティングを終えた折坂悠太は、ゆったりと「私たちも皆さんと同じく、戦争反対、暴力反対であります」と述べ、直前の辻の演説を受けたかのような「さびしさ」を演奏した。
「風よ このあたりはまだか 産み落とされたさびしさについて 何も語ることなく 歩き始めた この道に吹いてくれ」
“あなたと私”の内省的でごくパーソナルな詩情が国と国との諍いに呼応し、裏淋しいメロディーと文字と化す前の純度の高い“声”の滑らかで柔らかなスキャットとハミングが風に混じって通り過ぎていく。
「(このイベントは)【NO WAR】と掲げています。そこに至るまでには、色んな思いがあると思うけれど、あまりにそれは様々だと思うので、なんとなく居心地が悪い方もいるかも知れません。でもその居心地の悪さっていうのは、私は、それこそが自分というものと、他者というものと、同時にここにいることを感じられるバロメーターみたいなものだと思っています。他者を冷笑せず、揶揄せず、そして無いものしてしまわない。そういう気持ちの表れだと思うから。だから、みんなモヤモヤすればいいと思います。私もモヤモヤしています」
「無い答えを考え続けましょう。この、世界をちょっと、マシなものにしましょう」
自身の葛藤と迷いを言葉を選びながら露わにした折坂の贅沢なライブは「炎」で締められた。追いつけない影のようにゆるりと伸びていくファルセット、硬質さと解放感を纏ったギターの音色が数多の参加者を包み込む。
「この雨は続く この雨は続く この雨は続く わけも言わないで」
長い長い転換の時間、段々と傾き出した陽が4人の頬に影を作る。
昔からずっと変わらない、“GEZAN”が”下山”だった時から。いつの日もヒーローのように、太陽のように、あるいは月や星、互いに向かい合っているはずなのに、兎に角とんでもなく途方もなく遠いものとよく似ている、真っ赤に輝くマヒトゥ・ザ・ピーポーがマイクを握る。
「こんにちはGEZANです」
夕暮れに差し掛かる寸前、待ち焦がれた4人の登場に拍手が送られる。
マヒトはまず坂本龍一から預かったメッセージを代読した。
「こんな理不尽なことが許されていいはずがない。世界中で何億人という人間が注視しているのに止められないもどかしさ。多くの人が何かできることは無いかともがいている。僕もその1人だ」
腰まで届く長髪、獣をイメージさせる潤った大きな瞳を光らせ、MCは続く。
「すごく難しい時代だと思うんですけど、自分の感覚で選んで、この場所に来てくれて本当に感謝しています」
「こうやって自分の好きなことを喋って、それを聴いてくれて、音楽に乗せて体を揺らしたりとか。季節が変わってく、太陽が落ちてく、そういうものを感じたりとか。そういう当たり前のことが当たり前に感じられる今ってものに感謝してから始めようと思います。そしてそんな当たり前のことが、ウクライナとかロシアとか、どんどん情勢が悪くなって当たり前じゃなくなっていく。そのことを引き起こした戦争ってものの悪に対して抗議しようと思ってます」
イーグル・タカ(Gt)が担いだバグパイプを奏でる。日光を求める蔦のように広がる高音が上へ、上へ。
「戦争なんかいらねえだろ! これはマジで言いたい1個くらいは。これからの20分は、戦争に対しての憎しみと、それでも人間がちゃんと前に進めるんだっていう信じる気持ちの20分にしたいと思っています。よろしくお願いします。GEZAN!」
異国情緒のかぐわしいメロディーとコーラスの連なりがダンサブルなムードに引き込む直前、怒号で染まったラップが意識と耳をつんざく「誅犬」。数えきれないほどの絶望と失望を踏みつけるようにライブハウスで踊り狂った夜を思い出す。
「はっきり言って踊らなきゃ無理 飼い慣らされたワンちゃんじゃない」
あの時代はこんな隔たりもマスクも必要がなかった。見ず知らずの誰かの呼気や汗が飛び交うフロア、ただ音楽を感じる体と心があればよかった。属性も肩書きも全て脱ぎ下ろせた、あの。
「No War」のコーラス、マヒトの「お前らに歌ってんだよ!」と睨み付ける目、叫びと共になだれ込んだ2曲目は「東京」。
「東京 今から歌うのはそう 政治の歌じゃない 皮膚の下 35度体温の 流れる人 左も右もない 一億総迷子の一人称」
「新しい差別が人を殺した朝 正しさってなんだろう」
マヒトは何度も「お前に歌ってんだよ、お前だよ!」と繰り返す。
傍らに佇むイーグル・タカのギターが火花のように駆け抜け、光虫のように鳴り、石原ロスカル(Dr)のシンバルの音が粒立ち、巨大な閃光の嵐に飲み込まれたような気分だった。
最後の曲「DNA」に入る前、マヒトは再びMCで自身の思いを語った。
「プラカードとかあげ方がわからない、やり方がわからない人たちがたくさん来てるっていうのは、1個の希望やと思ってて。ただ、今日達成感とか何かを持ち帰るっていうのは、『楽しかったな』『色々見れてよかった』とかじゃなくて、次の場所に種を蒔くっていうことだと思ってて」
「今日という日が本当に始まりになればいいなと思っています」
ギターのカッティングとヤクモア(Ba)のベースが同期し、それ以上に細やかに刻まれた石原ロスカルのリズムが、自分の心音や脈拍とまるで同じ、一体となっていくようだった。
終演後、マヒト、折坂、急きょ登場した津田大介の3人が登壇した。
津田にライブを終えた心境を訊かれた折坂は、「家にいて画面を見ているよりは、こうやって誰かが見ているところにいて、息遣いを感じたりとか……なんかモヤモヤした……ステージの上で行なわれることと、自分との違いを考えることによって、じゃあ次自分はどういう風にしようかっていうことを考えられそうだなって。そういう居心地の悪さも含めて、持って帰れたらいいのかなと思います」と答えた。
「今すぐ寝そうですね」と苦笑するほど疲労困憊のマヒトは、
「(私も)“居心地の悪さ”っていうのはずっと思っていて」
「本当は歌とかって何の役にも立たなくていいし、何かの目的のために本来あるものじゃなくて、もっと日常にあるものだといつも思っていて。でも今日やってみて、やっぱり命とか生きてるっていうことの描写、色んな側面に触れる歌がたくさんあって。それは『No War』っていうテーマと何も合わなくないなと思って」と語った。
最後に折坂は
「多分教訓はいっぱいあって、これから大きなうねりになっていくと思うけれど、そういったうねりの中でも1つ立ち止まって自分の感覚に問いかけるっていうことをしなきゃいけないんだと痛感しています。バラバラでいいので、答えの無い問いを誰かに、大きいものに任せず、1人1人考えていけたらいいんじゃないかと思いました」と伝えた。
マヒトは
「バラバラだけど……答えはないっていうのは本当にそうなんですけど……今日1日やっても答えは出ないんですけど。自分は最近『それでいいや』と思えなくて。……そういう中でも絶対的な悪とかあると思っていて」「ウクライナがとか、ロシアがとか、それぞれのレイヤーによって色んな見方ができるんですけど、それを苦しめている戦争っていうのは圧倒的な悪だと思っていて。これはわからない中でもはっきりと言い切ろうと、ここに立つ上で自分に決めていたこと。それはちょっと変化したところかもしれないですね」「5日間でこのステージが組み上がって、このアートワークが生まれて、これだけ人が集まって。もちろん出演者の人たちが集まることもそうですけど。やっぱりそれってすごい力、可能性って言えるんだろうな、それはやっぱり希望だなと思ってます」と逡巡しながら述べた。
私の父方の祖父母は長崎在住で、どれほど暗くなっても灯りをつけず、湿気が首にまとわりつくような日でも決して家のカーテンを開けることはなかった。第二次世界大戦が発生した幼少時、敵に気取られないための自衛の癖が抜けなかったのだという。
『バトル・ロワイアル』の実写映画が公開された20年ほど前、レイティングから観に行けないことに不満を漏らす小学生だった私に、母方の祖父は「例えフィクションでも子供たちが殺し合いをするところなんて観たくない」と苦しげに呟いた。
彼らはもうこの世にいない。
このイベントは、それほど時を重ねても「戦争反対」と声をあげなければならない現実をどう直視すべきか戸惑っていた自分の手首を掴んで引っ張り上げてくれた。
余談だが、ワッペンを付けたバッグを提げて街中を歩いていた翌日、「昨日行ったんですか!?」と声をかけてくれた人がいた。その人は区長選への投票を呼びかけるチラシを配っていた。「お互い余裕がなくなっても、声をあげることだけは諦めないでいましょう」と励ましあって別れた。
※これは<ライブレポート>ではない。
※だからこれで終わりでなはない。
※次は私とあなたの番。