映画#2『ロスト・イン・トランスレーション』/異国の地TOKYOと出会う
楽しすぎた旅の終わり。もう一度同じ場所を訪れた時にもしそれが楽しくなかったら、美しい思い出たちがその輝きを失ってしまうような気がして、その場所には二度と戻れなくなる。そのくらい意味のある時間を東京で過ごした2人のアメリカ人の物語。
正直、海外からの視点で見る日本はわたしたちが見るそれとは全く異なっていて、むず痒さを感じることが多い。本作でも、全力で言い訳したくなるシーンが多々ある一方で、東京で生まれ育ったわたしに異国の地TOKYOというこの街の違う表情を見せてくれるのも事実。
たまにはStrangerの目で東京を覗いてみてはどうだろう?
< voodoo girl’s 偏愛ポイント >
・ボブとシャーロットの不思議なバランス
・ソフィア・コッポラ監督が切り取るTOKYOという街
①ボブとシャーロットの不思議なバランス
それぞれの事情で東京を訪れた男女は滞在先のホテルで出会うことになる。初老のハリウッド俳優ボブと、まだ二十歳くらいの既婚女性シャーロット。これは男女が恋に落ちる話ではない。ライフステージも境遇も異なる2人が、”孤独”に共感し”逃避”によって心を通わせていく物語だ。
ボブとシャーロットには”孤独”以外の共通点はほとんどない。年齢差も身長差も大きな凸凹コンビなのに、どうしてだろう、ものすごく調和の取れた組み合わせに思える。近すぎない距離感と会話の抜け感、ヘンテコな逃避行がしっくりくる。おとぼけ加減と困り顔が最高なビル・マーレイと、あどけなさと嫌味のない色気の両方を纏ったスカーレット・ヨハンソン、という演者の相性もあるかもしれない。
2人が一緒にいる画で1番のお気に入りは、カラオケの廊下のシーン。Tシャツを裏返しに着たボブに、ピンクのウィッグをつけたシャーロットが少しだけ寄りかかる。言葉は交わさない。この変な街で、2人が小さな居場所を見つけた瞬間。
②ソフィア・コッポラ監督が切り取るTOKYOという街
新宿や渋谷の飽きるほど見慣れた街並みも、それを全く異質のものと捉える“誰かの視点”を借りるとこんなにも違って見えるものらしい。タクシーの窓から見上げるネオンサインも、スクランブル交差点の巨大な電子広告も、山手線が頭上を通る音や駅のアナウンスまで。普段当たり前すぎて見逃していたものが突然スポットライトを浴びると、その新鮮な煌めきに心奪われる。
監督のソフィア・コッポラも東京で過ごした時期があるようで、実体験が反映されているからなのか、切り取る部分がリアルだ。しゃぶしゃぶのお店に行った後、客に自分で料理させるひどいランチだったと冗談混じりに話すシーンなんて、全然考えたことなくてハッとさせられてしまった。
初めてこの映画を観た時から、わたしの東京の見方は変わったと思う。あるいはただ、新宿の雑踏さえロマンチックなエンディングに変えてしまった彼らの残像を探して、この街にほんの少しだけ夢を見ているのかもしれない。
余談ですが
映画の主な舞台となったPark Hyatt Tokyo。本作初見の1週間前に人と会う約束で訪れており、その偶然にご縁を感じざるを得なかったという個人的な思い入れもあったり。来年から改修工事に入ってしまうとのことで、映画の雰囲気を味わえるのもあと少し。ぜひ、映画を観てからホテルのバーでウィスキーを嗜んでみてはいかがでしょう。