トランボ ハリウッドに最も嫌われた男を観て
映画を見終わりました。
ハリウッドにこんな暗黒時代があったのですね。
1947年に回聴聞会に召喚されるも証言を拒否して1950年に連邦刑務所送られてしまう。
刑務所から出た後はメキシコに滞在して偽名を使って脚本を書いた。
「ローマの休日」は他の脚本家の名義で発表。
1953年カデミー原案賞を受賞した。
ロバート・リッチの偽名で参加した「黒い雄牛」がアカデミー原案賞を受賞した。
カーク・ダグラスが自らの製作総指揮・主演で映画化した「スパルタカス」この作品に擬名で泣くトランボの本名でくれじっとされる。
反対派が作品の公開中止の為にデモが起きるがこの作品をケネディ大統領が鑑賞。好意的な感想を発言。
興行的に大成功を収め、その後、他のハリウッド・テンのメンバーも実名で仕事できる機会が増えてた。
1970年、全米脚本家組合から功労賞を送られた。これは「ブラックリスト」に載せられたトランボへの「和解」を意味することになる。
1976年9月10日、ハリウッドの自宅で心臓発作により死去。70歳。
壮絶な人生でした。
彼が映画の中で何回も言っていた合衆国第1条は、信教、言論、および出版の自由、平穏に集会する権利、そして苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を保障しているでした。
当事のアメリカは言論の自由さえ弾圧されてしまう空気があったのでしよう。
トランボは仕事を失うが偽名で安い金額で脚本を量産する。
世間やハリウッドがトランボの才能を無視する事ができなくなる事を本人も家族も信じていたのだと思う。
彼の脚本は偽名や他人名儀でカデミー原案賞を2回受賞。
世間は彼の最能を無視する事はできなかったという事。
当時、ブラックリスとに乗ってしまった人が仕事や家族を失ったり自殺者もでたという。
こんな時代が二度と来ないよう願うばかりだ。
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