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お地蔵さん

先日、ドライブをしていてお地蔵さんが道路の脇に佇んでいた。
考えてみるとお地蔵さんは何時も身近にあるのですがその言われや作られた年代など全く知識が無い事に気がついた。
そもそもお地蔵さんは何故六体並んでいるのか。
考えると疑問だらけで。
調べてみた。

お地蔵様はおそらく平安時代に作られた物らしい。
正式な名前は地蔵菩薩。
地蔵の「地」は大地、「蔵」は蓄える。「菩薩」は「悟りを求めて修行する人」という意味だそうだ。
地蔵信仰が日本に伝来したのは8世紀頃で、初期の信仰を記録した奈良時代の書物『十輪経』(じゅうりんきょう)に、民衆に寄り添うことを釈迦から委ねられた者―それが地蔵菩薩と記されていたそうだ。
平安時代は摂関政治の全盛期で、摂政・関白を歴任した藤原氏が栄華を極める一方、下級貴族たちの身分は低く、冷遇されていた。
現世に絶望した彼らの中で「六道思想」という考えが芽生えた。
六道思想とは、人は天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの世界を輪廻転生するという考え方。
地獄でもがき、現世に転生しても、また苦しむ。そこで、地獄から人間道に戻った時、救ってくれる存在が必要と考え、その願いを地蔵菩薩に託したそうだ。
地方の集落の入り口などで、お地蔵さまが六体並んでいるのは、六道思想に基づくもの。
没落貴族の中には聖(ひじり)といった仏教僧になった者が多くいた。そうした聖たちが、民衆に地蔵信仰を布教し、その過程で、信仰はさまざまな形に拡大していったらしい。
江戸時代には、子どもを守護する仏さまとして信仰が広がる。現代に比べて、乳幼児死亡率がはるかに高かった時代。幼くして死んだ子どもは、三途の川の手前にある賽(さい)の河原で石積みの塔を造り、親よりも先に死んで親を苦しめた罪を償わなければならないと考えられていた。石を積んでいると、鬼が容赦なく壊す。子どもは泣きながら、また石を積む。その子たちの苦行を、地蔵菩薩が救ってくれるという信仰が芽生えた
長年に風雨にさらされた路傍のお地蔵さまに、近隣の住民が前掛けを掛けたり、頭巾をかぶせたりするのは、子どもを守護する仏である地蔵尊に、子どもの姿を重ねたことから発していると言われている。

ちょっとした疑問から始まりお地蔵さんを調べた訳ですがいろいろな歴史的背景がわかって興味深い事を知る事が出来た。
路傍で朽ち果てそうになっているお地蔵さんを見る事もあるがそういう歴史的背景を知った上で皆んなにで守って行かなければならない物だなと強く感じた。

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