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社会科学系アラフォー社会人院生の欧州PhD出願記録

海外移住後のキャリア構築の第一ステップとして、2022年秋にスウェーデンの大学院修士課程に進学しました(入学までの経緯は以前noteに書いたので良ければご覧ください)。2024年夏の修了を見越して、修了後の進路は進学時から大きな懸案事項でした。

修了を2ヶ月後に控え、一旦結論が出たので、その過程を記しておこうと思います。結論を先取りすると、博士課程の進学を目指しましたが、残念ながら全て不合格で、行き先未定。一旦予定通り修了し、拠点のベルリンに戻り、進学に合わせて止めていたフリーランス仕事を再開しつつ引き続き進学のチャンスを探るつもりです。

この記事では特に欧州の博士課程(社会科学系)への出願プロセス、その過程で直面したアラフォー留学生ならではの課題について書いておこうと思います。専攻によって異なる部分も多々あるかと思いますが、もし同じように考えている人がいたら、何か少しでも参考になることを願って。


進路としての博士課程

本題に入る前に進路選択の考え方について。
修了後は大きく分けて進学前同様フリーで仕事を続けるか、就活をするか、博士課程に進むという3つの選択肢がありました。その中で博士課程に進みたいと考えるまでにはそんなに時間はかからなかったし、迷いもありませんでした。英語で高等教育を受けるのが初めての私にとって、修士の二年間(最後のセメスターは修論だけなので実質1年半)は短すぎたからです。

授業で習うこと自体は、現場にずっといた私からしてみれば、最先端の研究でも内容自体が目新しいという感覚は実はあまりありませんでした。それよりも現実を鮮やかに整理してくれる物差しや研究者の知性に刮目するような感覚が強かった。似たようなことに気付いていても、方や私はつまみ食いの理論と現場感覚(大量の事例とそこから帰納的に習得した知見)を組み合わせたもの。方や体系だった知識や方法論に基づいたシャープな分析。論文を読めば納得するけれど、自分に同じものが書けるかというと、書けない。問いの立て方、問いに答えるのに適切な手法の選び方、それを論文という形にする作業、そして全体を大きな議論の中に位置付けていく作業を含めて、研究という営みに関する知識と能力や、物事を切り取るために必要な英語の基礎文献の読書量の蓄積も圧倒的に足りなかった。

入学前は在学中に自分自身も論文を仕上げて査読付きの雑誌に投稿するようなことも夢見ていたけれど、そんなに甘くはなかったし、私自身が本当に研究したいと思う領域やレベルに行き着くには、私の実力では2年では足りなかったです。

このまま修了しても目指しているレベルには至っていない。どうせ既に他で修士は持っているし、このまま就活しても私の実力はほとんど変わらず、勿体無い。というわけで、M1の終わる頃には博士課程への進学を決意していました。

大陸欧州の社会科学系PhD事情(英語)

さて本題。国によって違いはあるものの、大陸欧州で社会科学系でPhDを考える場合、概ね次の3つの入り口がある。大陸欧州と書いたのは、イギリスは私は見なかったため。北欧、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイスあたりを検討しての結果であることにご注意ください。

(1)公募ポストに応募
(2)博士課程にプログラム単位で応募する(Structured program)
(3)これはと思う指導教官に受けいれてもらう徒弟制(Individual track)

大陸欧州であれば学生側が授業料を払うことはまずないかわりに、研究者の卵として扱われる。

(1)は基本的には研究PJに所属し、雇用契約があり、給与が支払われる。TAを含め学務への貢献も期待され、job descriptionがある。研究PJの内容を活用して学位を取得することが前提。STEM領域と近いのではないか。プレドクと呼ばれることもある。
(2)は①大学側から資金提供を受ける場合と、②外部資金(奨学金等)を持参する場合がある。(1)との違いは研究テーマの縛り。研究科の重点テーマの中で多少は自分のテーマの自由度がある場合が多く、出願時に詳細な研究計画書を出してそれを元にマッチングを見られる。TAの有無は千差万別。研究手法などについてある程度コースワークがあるケースが多い。大体定められた出願期間中に研究計画など応募書類を提出してフォーマルな選考のプロセスに乗る必要があり、①の人数枠は予め決まっているケースが多い。②外部資金の場合は出願時に申告する。
(3)は千差万別。先生に研究資金があれば雇用してくれることもあるが、ドイツの社会科学系の場合は基本的には外部資金を持参することが前提だった。なお外部資金は基本的に奨学金を指し、自己資金は認めてくれないケースが多い。

全部の大学院が3パターン用意しているわけではなく、大学院によって異なる。スウェーデンの私が今在籍している研究科は(2)プログラム単位の応募、雇用前提のみ、外部資金での所属は不可。なので予算や先生方のキャパに応じて毎年募集をかけているわけではなく、ここ2年間博士課程を受け容れていない。一度住んでいる寮のランドリールームで、卒業したもののPhDの募集を待って今は他の修士課程に在籍している、という人に会ったことがあるぐらい。ドイツは(3)が圧倒的に多い。

私個人はリモートの可能性も積極的に探った。結論から言うと、大学と雇用契約を結ぶパターンは、研究や学務への貢献という観点だけでなく、特に国境をまたぐリモートは労働法の関係で不可能であった(国内リモートであればまだ可能性はあるかもしれない)。リモートをしたければ、雇用されない場合に限られると思われるので注意。

また、フルタイムで働いている場合、日本では社会人博士という考え方があるけれど、少なくとも欧州の私のいる社会科学系では、(3)徒弟制で、先生の合意が得られる場合のみに限られると思われる。その他は雇用契約との関係で在学中も継続してフルタイム勤務することは基本不可、シナジーがあるテーマでも所属大学への勤務以外はNGの場合が多かった。片手間で研究できるようなレベルでは博士は取れない、ということでもある。勤務の傍ら学位取得を目指す場合には、おのずと選択肢が限られるので注意しておきたい。

出願プロセスと留意点

私がまず行ったのは、PhDやポスドクの人に話を聞くことだった。PhDで違う大学院に行くのであれば、何としても同じ領域の人に聞いた方が良い。加えて、年配だったり大御所の先生の話はあまりアテにしてはいけない。当時と競争率が全く異なるようで、率直に言って既に居場所が確立している先生と、若手の先生、さらにはポスドク・PhDで危機感が全く違った。私はドイツ人ポスドクにまず話を聞いたのだけれど、反応は「あーーーーー…。本当にドイツに戻らないといけないの?」だった。何しろそのポスドク自身がドイツでポジションがなくスウェーデンに流れてきている。それくらいネイティブでも狭き門で、今スウェーデンには流れてきたドイツ人の若手が山程いるのだ。それに対して指導教官は「あそこの大学は良い環境だと思うよ」と、とても楽観的だった。

PhDで取り組みたいテーマを決める

先生方にはやっぱりテーマの相場観があるようで、複数テーマを検討する際、"This has a potential for PhD Thesis."と言われたり言われなかったりした。なので、出来れば修論の段階から何らかの形で、potentially、繋げられるテーマに戦略的に取り組むのが良い。

私の分野では博論は査読論文3本に序論と終論を加えて5章構成にするのが基本構成で、独立論文3本+αで大きな問いに答えられるように問いのピラミッドとそれぞれの問いに答える研究手法を選定し、全体を設計して研究計画書に落とす。大体簡単なLiterature Reviewを含めて5000-8000 words程度の研究計画書を求められることが多い。また、大体の出願先で修論(ないしサンプル論文)の提出が求められるので、在学中から戦略的に書き溜めておくと良い。

大学と先生のリストアップ

ところで、リモートが難しいとわかってから、私の場合修了後は夫のいるベルリンに戻りたかったので、テーマ選定と同時に、ベルリンから通える範囲の大学と先生のリストも作成した。先生のテーマと自分の関心事の接点を探す作業だ。大まかにスクリーニングをかけ、その先生の論文を確認。

テーマだけでなく、その先生が主に用いている手法も確認しておいた方が良い。特に質的研究か量的研究か、手法のフィットは指導ができるかどうかに直結するのでテーマと同等かそれ以上にとても重要。この点、私は実際に修論を書き始めるまであまりピンときていなかった。

コネづくりと先生へのコンタクト

修士とは違う先生に師事したい場合、アカデミアのインナーサークルに既に入り込んでおりコネがある人には釈迦に説法だが、ないのであればとにかくコネを作るしかない。とにかく、コネがないとどうにもならない。

学術交流機関の留学フェアなどがあればこのタイミングで積極的に参加することをお勧めする。その大学が力を入れていることや、出願の相談などができる。一般的な参加でなく、1on1の相談に積極的に参加し、テーマを投げてみて、可能性を探る。例えばとある学際的プログラムでは、私の専攻を見た瞬間に「そこは力点を置いていない」とにべもなかった。先生はいるのに。こういうのは大学院のHPを見ているだけではわからなかったりする。

また、学会に参加できるチャンスがあるならば、発表せずともこのタイミングで参加するのもおすすめ。私はM1の10月に所属大学で開催された学会に学生ホストとして参加できたので、そこでレセプションにも参加し様々な先生とお話をすることができた。このときの会話で、良いなと思う先生が今は修了間際の博士を複数抱えていて手一杯とか、テーマは合うけどどうも人間的に合わなさそうだとか、色々と判明した。社会人生活が長いと多少ウマが合わなくても何とかなると自惚れがちだが、やはり長期間にわたって1対1の指導なので、指導の質やアカデミックハラスメントの観点からも人間的な相性は大事。

並行して受け容れを希望する先生へのコンタクトを開始する。コンタクト方法は大体大学や個人のHPに記載があるのでそれに従う。社会人経験が長い人はここで所謂マナー的な意味で躓くことはあまりないとは思うので、とにかく存分に熱意をアピールするしかない。一番大事なのは何故その先生の指導を受けたいか、必然性だ。

私は残念ながらこのプロセスで受け入れに合意してくれる先生を見つけることができず、また結局強いコネも構築できずに終わってしまった。

外部資金(奨学金)のリストアップ

奨学金の具体的な話については様々な情報がすでに存在するので割愛するが、私の場合はここが大きなネックになった。私はドイツに既に生活拠点があるので特に生活資金は不要でも、それでは大学側の出願規定を満たせなかった。先述の通り、自己資金は認められず、基本外部資金の獲得が求められる。

日本の奨学金は、私は日本の大学との関係が切れており、日本に帰る予定もないこと、また年齢制限でほとんど対象外だった。指導教官の受け入れが決まっていなかったので、その段階で出願できないものも多かった。このあたりはニワトリとタマゴで、受入れの先生は奨学金が先で、奨学金支給元は先生が先だという。早い段階から指導教官の同意を得られる場合は別として、そうでない場合は苦労するので要件を確認してスケジュールを立てる必要がある。

各国それぞれ独自の奨学金もあり、ドイツはDAADが著名だが、ここは年齢制限こそなかったものの、私はドイツの既住歴が長すぎて全て対象外だった。日本や他国から留学する大半の方は対象だと思われるので、あまり心配しすぎる必要はないと思うが、制度の隙間に落ち込むケースがある人はあらかじめ調べておくと良い。

この点に関して言えば、試験に受かって、受入教授がいれば自己資金のみでもとりあえず進学でき、入ってから純粋に研究資金の獲得を考えられる日本のほうがありがたい。こちらのシステムは、早い段階から研究者として生計を立てられる分、研究者としての将来性が期待できる人をしっかり入口で選ぶシステムになっている。それだけ専門人材としての博士に対する期待が高い、ということの裏返しではあるが。

出願

大体11月頃から早い公募や出願が始まる。ピークは大体2月上旬まで。

私は結果的に(1)公募3件、(2)プログラム単位のうち大学の資金付きのもの2件、(3)徒弟制1件(入学後に奨学金を応募できるもの)に正式に応募した。

(1)公募は通う範囲にこだわらず、オランダや、ドイツ国内の他都市にも応募した。ベルリンに戻りたかったものの、とにかく自分の客観的な位置づけも見たかったので、面接に呼ばれるショートリストに残るか見たかったのだ。結論から言えば全てショートリスト入りもできなかった。今の所属先の先生に「まあプレドクでの公募は大体データ整理とか細かい作業をしてくれる若い学生を想定して募集するから」と言われたので、私のような人間はやはり使いづらいのだろう。

そして冒頭に書いた通り、残念ながらどれも結果が伴わず、今年度の博士課程進学は絶望的である。

研究者としてのキャリア像にフィットするか

振り返って私の課題を考えるに、敗因は次の3点に集約されるように思う。

・地理的要件にこだわった(結果的に指導を希望する先生とのマッチングが甘かった)
・外部資金が取れていない
・研究者としての将来性が不透明(博士を取ってどうしたいのか)

通常は修士から博士で生え抜きとして同じ先生に師事するか、移動するならより内容のマッチした先生のところを目指すのが基本。また、PhD-ポスドク-若手は、とにかく落ち着けるポストを目指して移動する時期にあたるというのがキャリア初期の不文律で、私の分野は今はテニュアが取れるのもどんどん遅くなっているので、流浪の民期間が長くなる傾向にある。そこにそもそも移動したくない、なのに修士と博士で指導教官が違う、というのは相当ビハインドなのだ。ただ、私は約2年間の別居婚生活を経て、このままPhD期間も別居婚を続けるのは難しく、やっぱり戻ろう、という決意をした(夫は別居婚を続けても良いと言ってくれたが、それならそもそも私が日本を離れる必要はなかったのだ)。

地理的要件を優先したので、マッチングはやはり甘かったと思う。寄せたつもりでも文献リストを見れば容易に見抜けてしまい、先生の目はごまかせない。特に徒弟制で指導する場合、指導教官個人にかかる負担は大きく、自身のメリットにならない限り取ってくれない。研究科単位の募集であればマッチングは若干甘くて済むが、その分競争率も高い。今回受けたとある大学院は、採用2枠に対して約350人応募があったとのことだった。

また、典型的な職業研究者としてのキャリア像に当てはまらない場合、何故わざわざ博士号が必要なのか、という点を説得する必要がある。私はここも甘かったんだろうと思う。仕事に博士が必須なわけではないし、アカデミアで生計を立てたいわけでもない(正確には、家庭事情的にアカデミアで生計を立てるようなキャリア設計は出来ないし、私自身も職業研究者タイプではないというのは改めて実感した。私は現場と理論を行き来する方が性に合っている)。

結果的に、研究はしたいけれども、求める博士課程の学生像にはフィットせず、茨の道を進み、結果が伴わなかった、という結果になった。

今後の話

とりあえず一旦応募期間は終わったので、今は修論に集中し、予定通り修了してベルリンに戻る予定です。語学学校でB1も危ういのではというレベルに忘却したドイツ語に喝を入れ、フリーランス仕事を再開する傍ら、野良研究者見習いとしては、投稿できる水準の論文を蓄積していこう、というところ。加えて、専門分野の文献の邦訳があまりにも少ないのも分野として日本で知名度か低い遠因だと思っているので、翻訳出版の可能性を探りたいと思っています。所属先がなくなるので社会的信頼が落ちることと、文献へのアクセスがなくなるのが残念ですが、まあ何とかやり方を考えるしかない。

ということで、進学時に思い描いた非連続の変化をするほどの実力は残念ながらなかったけれど、着実に前には進んだので、引き続き細々と頑張っていこうかと思います。

思ったより淡々としている?

性別を間違え、姓と名すら取り違えたお祈りメールが来たときにはイラつきもしたし(何が多様な性自認の尊重だ、わざわざ聞くなら履歴書に書かせられた性別ぐらいしっかり見てくれ)、アラフォーにまでなってこんな扱いを受けるのかと悔し涙が止まらない夜もあったけれど、もう乾きました。凡人は凡人なりに、歩き続けるしかないのだ。約1年半強学んで、自分の掲げている研究テーマの社会的・学問的意義は疑うどころか、ますます重要だと思うようになったし、アカデミアの言葉で言語化も出来つつあります。この修士課程に来ていなければ、それすらできなかったので、学ぶ機会を得られて本当に良かった。ただ研究として評価してもらえるレベルにはまだ至っていないので、当面はその土俵を目指そうと思います。

同じような状況にある方を心から応援しています。

なお大学院生活の様子を綴ったblogはこちら👇


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