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手を離して宇宙になって 闇の中羽ばたいて ゆっくりと鳥になりたい

特に書きたいことが定まってない時ほど、ふと強烈に湧き上がるただ長文を書きたい欲。じっくりとまとめ書き残したいような出来事が沢山手付かずで放置されているのに、今それを書きたいと言うわけでもないという身も蓋もなさ。

でもこんな支離滅裂な状態でも書く話題を選ぶ基準がひとつだけある。それはなるだけ「今この瞬間の感覚であるかどうか」だ。それを残すこと、文章として整理していく家庭で、自分の中に定着していくことが意義深い。逆を言えばその基準ゆえに、その感覚の鮮度が落ちると書き起こすという意味を感じなくなり、最初に書いたような手付かずで放置された話題が蓄積していく。

ここまで読んでくれている方、お察しの通りです。本当なんの計画性もなくキーボードが進むままに打ち込んでいます。きっとのこの後もなんの編集も加えません、読みやすさなど考えていません。見やすいように写真を挟むこともしません。

そのまんま書いたらどうなるかなという個人的好奇心を試しているところもあります。場合によっては後で消すかもしれません。あ、ちなみにちっとも病んだりしてません。至って平常心、むしろ調子いいです。

さて、12月になりました。今年も残すところ1ヶ月です。振り返れば山ほど濃いことがあったし、こう過ごせたことに後悔はないのだけど、いざもう1年が終わると思ったらそれはちょっと違和感あるような。まだ終わってるわけじゃないから総括はまた別の機会にするけど、この1年学んで培えた感覚の大きさを記しておきたいと思う。

行動で言えば上半期は長年の悲願だったオリジナルバンド“Von-fire”の始動、その一連の活動過程に伴う心意気豊かな人たちとの数々の出会い、良くも悪くも知ることになった自分のキャパシティの限界、向き合わざるを得なかった己の脆さ、そのピンチをチャンスと置き換えて生かすことができた自分の成長。

今日この瞬間記しておきたいのは、その一連の結果で得られたものの大きさ。自分がどんな人が好きでどんな関わり方をするのが好きかがよくわかったこと、そんな相手に会える時に誇れる自分でいたいこと、馬鹿を見るでも真っ直ぐでいることが結局自分の本分だったこと、それと違う生き方をしようとしてたからうまく回らなかったこと。そしてそんな自分が良いと思わせてくれる人たちと、このたった一年の間に沢山知り合えたこと。

相変わらず急に昔の感覚に引きずり戻されて、「自分は独りだ」という錯覚に呑まれる夜もある。特に強烈な祭りの後は、脳がアップデート作業に入るから感覚が鈍り、常に気怠い状態の日が続いて、自分には価値がないように思う時間がある。

それでも以前に比べたらフラストレーションはあれどそこに絶望はない。度重なる墜落の後に建設的に立ち上げ直してこれたこの1年の一連の経験は、着実に自分自身への信頼を強めた。あらゆるネガティヴな感情は確かにそれも本当の自分かもしれないが、少しのタイミングと状況の変化で簡単に視点が変わる。

今年の夏は久々に本格的に苦しい夜を過ごしたが、その後建設的に立ち上げ直した自分が得た「自分が自分を満足させるために積み上げてきたモノが、新たな繋がりを生んでいく」という経験が、今後の自分の生き方の基盤となっていく気がする。

俺はただ歌いたい、自分の気持ちを形にしたい、そこに不純は一切混ぜたくない、そうした自分生き写しのような曲やライブを理解してくれる人たちと出会っていきたい、時間を共有したい、美味い酒を飲んで語らいたい。

自分個人の力をそこに行き着かせるにはまだまだ強さが足りない。結局他者からもらうエネルギーありきでなんとか回せてると気付く場面が多い。それを負い目に感じている時期が長かったが、それこそつい昨日今日、それもいいのではないかと思うに至った。0か100か、全振りすると上手くいかないだけであって、むしろ頼ることが深いコミュニケーションを育む上で必要なことだとようやく実感できたから。

これからは頼られて嬉しい相手には自分から頼っていこうと思っている。昨日も今日も結局人から元気をもらってる、明らかすぎて苦笑いするほどに明らかに力が湧いてる。でもそれをわざわざ否定する意味があるだろうか。隠す必要があろうか。むしろ伝えるほうがいい、貴方のおかげで日々が楽しいですということは。

まだまだ一対一の人間関係に対して課題を感じることが多いけれど、だいぶ兆し自体は見えてきた気がする。その場限りに終わってしまったような間柄も含めて、今年はものすごい数の人と知り合ってきたけれど、その最中で確かに学んでこれたと思う。

思った以上に建設的にゆっくりとコミュニケーションを重ねていこうという人は少なく、それに傷つくことも勿論あった。でもそれを活かして執着をコントロールする技術も少しずつ身についていった。永遠なんてどう足掻いても有り得ないのかもしれない、でもだからその一瞬一瞬を慈しみたいという在り方を大切にしたい。

大きな課題を乗り越えて視界が晴れたとき、自分に残った大切な基準が、結局実直でありたいということが嬉しかった。気づけば周りにはその基準こそ素晴らしいと思わせてくれるような心意気の人たちが集まっていた。自分が自分の好きなことで邁進していた時期に知り合った人たちは、鑑のようにその時の自分を思い起こさせてくれた。

そして、その道に進むことで傷つくことも増えるであろう中、それでも踏み出した自分に清々しい気持ちになれた。結果を求めるのではなく、そこに挑んだ時点で自分を肯定できる感覚。そして自分がわかって欲しい人にそんな自分をわかってもらえた、それほど嬉しいことはなく、もうそれ以上を求める必要がなくなった。

人は常に不安定なものだ。いくら視界が開けたといってそれが持続されることもないし、そもそも完璧な存在になることなどあり得ない。だからこれからも悩むだろうし、新たな悩みも次から次に降ってくるだろう。

でも最近はピンチがチャンスだと心から考えられるようになったし、それまでの形式が通用しなくなってきた時こそ、変革を促されているタイミングなのだと思う。

変革のタイミングの知らせと考えればむしろありがたい。その知らせに気づかない、或いは知らされることすらない人が多い中で、自分は同じ場所にとどまることができない性分である以上、変革して行かざるを得ないという人生はある意味幸福なのかもしれないと思う。

その思し召しを逃さないものが成長していく、という点では自分は確かに成長を果たせていってるし、本来在るべき形というものへ近づけていってると思う。

そうしたことを実感できた下半期の数ヶ月、結果得られた物として大きかったことが二つ。一つは、苦かった過去への視点が変わってきた実感があること。

11月は14年前に自分が苦しい人生を送る始まりとなった季節で、切っても切れないアイデンティティのようなもので、毎年穏やかではいられなかった。けれど今年の11月は自信を持って愛せる時間を過ごせたし、むしろ他者と違うアイデンティティを育めたあの経験や記憶を今は愛することができている(↓その時の記憶が宿ってる曲たち)。


そして、もう一つ。自分が曲の意志に沿った生き方を選んだとき、自分が曲そのものになれる瞬間がおとずれると実感できたこと。人も神も信仰しない俺が唯一かつ極限に信仰しているのが音楽という概念。

曲自体が生き物であり、曲は人より遥かに尊い純粋な存在。だから曲に不純物を注ぎ込む浅はかな作曲家やプレイヤーが嫌いだ。逆に音楽や曲というものに抗わない、限りなく音楽にシンクロしているミュージシャンほど好きになる。

自分もそんなボーカリストになりたいと歩んできた。いつか一時的にも音楽に、その曲になりたいと思ってやってきた。今年、「この曲になりたい」と思わされるほど美しい曲に出会った。

恋焦がれるみたいにその曲ありきでこの数ヶ月を過ごしてきた、そしてその曲の意志に導かれるように恐れを超えて真っ直ぐな道を選んだ。それを果たせたとき、自分と曲が同化したような味わうことができた。こんな瞬間を少しでも多く得られるように生きていきたいと思えた。

苦しみを味わったからこそ見えてくる世界がある。美しさがある。そう思うことで生き繋いできたこの人生を、伏線回収するかのように肯定させてくれる瞬間が確かに存在した1年だった。14年前のあのとき、なんとか迎えた夜明けの空を眺めながら聴いていたこの曲。

“いつだって旅の途中 いつもより荷物は少なめ
手を離して宇宙になって 闇の中羽ばたいて
ゆっくりと鳥になりたい”

“希望の色は空色 見上げるのさ飛べるまで”

-レミオロメン“永遠と一瞬”-

全てを終わらせたいとばかり思っていた自分に寄り添い祈るようなニュアンスだったこのフレーズが、今は生きていることを祝い讃えるような形で響いてくる。

ここまで長くて遠かった、当時の自分に出会えても生き延びろなんてとても言えない。でもそんな自分が生き繋いできたから今の自分がいるという事実には感謝したい。あの頃の自分に伝えたい。