2022.12.25.Radio Crazy②くるり
12月25日に参加したRadio Crazyの振り返り、くるり編。到着後FM802弾き語り部、Lステージのスガシカオのライブを目撃した後、フェス飯で腹拵えしたのちRステージへ。
(FM802弾き語り部・スガシカオ・THE BACK HORNのライブ感想は前回の記事にて)
今年30歳となった自分にとって、くるりは自分たちの青春時代を彩ったバンドの代表格であり、京都出身の代表格ということもあり、周りには熱狂的なファンが多かった。
自分とはシンクロするタイミングが合わずちゃんと聴き出したのは“THE PIEPER”期から(丁寧で生真面目なバンドのイメージがあったなか、このアルバムの良い意味でのブッ壊れ具合にノックアウトされた笑)で、ずっと見てみたかったライブをようやく見る機会に恵まれたのが今回という流れ。
・リハーサルから贅沢な時間
サウンドチェックの時点で、“潮風のアリア”をフルコーラス演奏しているというサービスぶり。昨年の大傑作“天才の愛”からのリード曲。アルバム全体があらゆる音楽的変遷を経てきた&岸田繁氏の描いてきた“日常の中の非日常”なロマン溢れる詞世界の集大成的な内容だったため、この日もこのアルバムからの曲を聴きたいと思っていた(潮風のアリアは本編では演奏しなかったため、非常にお得な気持ち)。
元々穏やかなイメージといい、ほのかに切ない感触といい、岸田氏のノスタルジックな声質といい、年の瀬の空気が異様にマッチするバンドだと、この時点で既に感じていた。人生の厳しさも知りながら、「まあ、なるようになるやろ、そう思うんが大事や。」と言われている感覚。音源聴くだけでもずっと思っていたけれど、本当なんなんだろう、この形容し難い安心感は。
・1曲目“How To Go”に見る石若駿という稀代の名ドラマーぶり
今や日本一忙しいドラマーなのではないかというぐらいどこにでも名を連ねている印象の、現世代のドラムヒーロー石若駿による豪快なフォーカウントの掛け声から、力強い“How To Go”による幕開け。
もう最初の“ダダダッ”だけでどれだけ今のくるりが強固なグルーヴをしているか、そしてその源である石若氏のドラムが圧巻かが伝わる。一発K.O.とはこのことだ(というかサウンドチェックの時点で、ドラム音が一々粒が綺麗すぎて笑ってしまってた)。
“How To Go”が収録されたアルバム“アンテナ”の頃といえば、岸田繁が「彼のアルバム」というほど、そのドラム演奏の圧巻のクオリティが際立つクリストファー・マグワイアという海外ドラマーが大きな役割を果たしていた。
くるりはよくメンバーが入れ替わることで有名だが、それだけ岸田繁という男が持つ音楽への追求心は凄まじいことの表れでもあり、ドラマーへ要求されるレベルの高さも想像に難しくない。そんな岸田にして“ドラムのアルバム”と言わしめたクリストファーの演奏。やはり他の楽器に比べフィジカルが大きくモノを言うドラムという楽器は、日本人と欧米人で大きな違いがあることは否定できない。
吉井和哉もTHE YELLOW MONKEY時代にフジロックでRed Hot Chili PeppersとRage Against The Machineに挟まれて、アメリカのロックにまるで太刀打ちできないことに悩み、ソロではジョシュフリーズ(Nine Inch Nails, A Perfect Circle, Paramoreなどをサポート)という名ドラマーを頼りに楽曲制作を行なっていた。
(-ジョシュフリーズがツアー参加した吉井和哉のライブ盤- )
しかしそうした海外ドラマーという、ある種“チート”な手段を用いてまで音楽を追求していた岸田繁の、その半ば無謀なレベルの要求に渡り合うレベルの存在として石若駿が現れたのは必然だと、このHow To Goのイントロだけで知らしめられた。実際のライブを体感したことがないけれど、仮にLed Zeppelinのライブを見ることができたなら、きっとボンゾのドラムに対してこういう興奮を覚えるだろうという感覚。
石若駿は東京藝大出身、近年では今をときめくKing Gnu/Millennium Paradeの常田大希と二人三脚でお互いを支え合った中として邦楽シーンなら知らない人はいないであろう存在。ジャズを中心に培った幅広い素養と高い対応力で数々のアーティストをサポート、多分今の主要フェスで一番の数ステージ出演してるミュージシャンではなかろうか。
自分個人は彼がまだ世間的には有名でない頃、2015年頃に心斎橋Compassという小箱にて、Taylor Macferrinの来日公演で即興セッション的ライブのパートナーとして出演していたのが初めて見た彼の演奏で、当時ドラムのことを少しもわかっていなかった自分からしても衝撃的なレベルに感じた。そしてその後、インディで台頭してきていたKing Gnuにハマった自分は、彼と常田大希の繋がりを知って伏線回収された感覚があった(その後Millennium Paradeにて再びライブ演奏を目撃する)。
くるりのサポートドラマーが石若駿になったと知った時は「いや、もうそうなるよねぇ〜」と笑。岸田繁が放っておくはずないもの。「ドラムがいいバンドは、大体いいバンドだから」とか言っちゃう人だもん笑。これまでBOBOや福田洋子といった名ドラマーを従えてきたくるり、これはまたひとつ強烈な時代に突入するとワクワクした。
実際、石若氏のドラムで製作された“天才の愛”は先述の通り充実の大傑作となっているし、彼がサポートドラマーに任命されてから既にそれなりの年月が経っているが、グルーヴが固まってきているのだろう、各所から最近のくるりのライブがまた一段と良いという評判を聴いていた。
まず、(ドラム以外もそうだけど)出音の良さがすごい。フェスの大会場でのライブはまず音の不明瞭さをどうクリアするかが、元のファン以外の初見客の心を掴む上で重要だと思う。その点においてくるりは元のアレンジの引算の巧さも手伝いつつ、石若駿の絶妙な音量コントロール・一音一音の丁寧な粒の良さが際立ち、何をやっているかがきっちり伝わる。
しかもジャズマンが本業である彼がロック然としたこの曲をプレイする上で、視覚的にもタイトなパフォーマンスを見せていて、何もかもが完璧すぎた。個人的には初めてのくるりのライブ、“How To Go”の威風堂々とした時間は、もうただ石若駿のドラムの凄さに渇いた笑みしか出てこないほど圧倒されるに終始した。しかもそのエネルギーに乗せて、この一年の終わりというシチュエーションに届けられる言葉がこれだってんだから、もうなんかずるいよね。笑
・個人的思い出にシンクロする選曲の嵐
続け様に始まったのは“琥珀色の街、上海蟹の朝”!完全にヒップホップトラックの組み方で構成され、岸田繁の気だるいながらにロマンが炸裂したリリックによるラップが印象的。昨今のシティポップブームになる前からいち早くこのスタイルに取り組んでいたくるりのアンテナの豊かさを物語る曲でもある。佐藤氏を中心としたコーラスワークも早速冴え渡っていく。
個人的な思い出を語れば、自分が福岡の拠点として生活するいいかねPaletteの同居者たちの間ではこの曲はちょっとしたテーマソングというか、くるりは詳しくないけどこの曲だけは知ってるみたいな人が多くて、みんなで「上海蟹食べたい〜」と合唱した思い出があり、ここ一年ぐらいの楽しい生活が思い出される感覚だった。
3曲目は森の音楽隊的アンサンブルで童謡のように穏やかながらに真理に気づかせてくれるような“ふたつの世界”を軽やかに聴かせる。序盤3曲どれも全く曲調が違うのに器用に演奏を切り替えていくバンドメンバーの素養の高さ、統一感をもたせてしまう岸田繁節に既にノックアウトされていたが、更にここからの3タテが圧巻だった。
“ワンダーフォーゲル”がはじまった。これまた何か引き寄せてるとしか思えない選曲。くるりはフェスの場においても早々安直にシングル曲をサービス的に演奏するバンドではない印象なのに、数ある代表曲のなかでもこの曲を今日この場で聴くことになるとは思っていなかった。そしてそれだけに思し召しを感じずにはいられない。
というのも自分のバンド・Von-fireのファーストライブでもベースを弾いてくれた方が、東京で活動する別バンドのサポートライブで一曲だけカバーしていたのが、このワンダーフォーゲル。夏の終わりの新宿のライブハウスの、あの景色が鮮明に蘇った。
あの時うっすら本当にそうなるかもしれないな、などと思いながら眺めていた。ライブハウスの照明は眩しかった。でもこの先何回も見られたら良いなと思ってたその景色が、当たり前ではないことを意識していたこの今というタイミングで繰り返されるこのフレーズ。ご機嫌なヴァイヴのサウンドなのにサラッと物寂しいことを言う。
けれどその後に続いたのが“everybody feel the same”と言うのがもうニクくてニクくて。疾走するロックンロールに乗せて、あらゆる都市の名前を散々羅列した後に“Everybody feels the same(みんな同じ気持ちさ)”と連呼する。自分だけが独り取り残されたように思う夜もあるけど、きっとこんな風な悲しみや痛みを(誰もがみんなとまではいかないかもしれないけど)同じように感じてる人がいるのだよと。
後半は怒涛のコード順次進行でこのフレーズが飛んでくるのだからずるい。もう背中を押されるというレベルの話じゃない。佐藤氏のベース、順次進行のルート弾きのエモさは随一だから尚更。というか00年代の邦楽ロックに多いこの順次進行のエモな良さは、くるりが広めたのではないかと思えるほど極まっててパイオニア感があるなと思った。
everybody feels the sameの時点で既に刺激されていた涙腺は、淡々と始まったわりに容赦なく追い討ちをかけるかのような“ばらの花”だったからもれなく崩壊した。言わずと知れた名曲だけど、長年愛される理由はこの温度感・寂しいのにあったかいというリアリティに尽きるのではないのだろうか。
拭いきれない不安・寂しさがあることは隠し切ることができない。でもそれ以上にこれだけ感情が動くほど人を想ってるという裏返しでもあって、そんな風に感じられる自分を嬉しくも思った。きっと大丈夫だから、感情をこの曲で歌われるように渡し合っていたい。
・既に満足していた自分を更に唸らせた新曲“愛の太陽”
もう完全に水分で視界に映る光は歪んでいたのに、トドメを刺してきたのが「新曲をやります」と始まった“愛の太陽”というリリース前の曲だったのがもう完全な予想外。当然一回も聞いたことない曲だったのに、この曲がとにかく突き抜けて良すぎた。
そもそも“天才の愛”というアルバムタイトルも大きく出たなぁとは思っていたけど、その次に出るシングルで更に大きく出た。もうそういうモードということは明らかだが、岸田繁が最早俺に私信を送ってきてるのではと勘違いしたくなるくらいだ(以下、使用される映画の予告編で少し先行して聴ける)。
竹原ピストルの“よーそこの若いの!”の曲調を思わせる快活かつ穏やかにエネルギーを感じるサウンド。太陽といってもジリジリと攻め立てるような熱さではなく、冬場もそばにいてくれるようなのどかな太陽。そして次から次に飛んでくる言葉が全てその時の自分が欲しい、そして今後自分が言えるようになりたいものばかりだった。
正直に言えば岸田繁は、ボーカリストとして特別表面的技術において優れてたり特徴がある人ではないと思う。素朴で、近所の兄さんのような安心感。良くも悪くも飛び抜けたカリスマ性のある声でもパフォーマーでもない。でもそんなものよりよっぽどボーカリストとして大切なものを持っていて、その強さがモノを言ってくる時間だった。
初めて聴くこの曲で何を歌っているか一語一句が丁寧に届いてくるのだ。このほうがよっぽど高い声出すとか変わった声出すとかより大変で、熟練した人にしか辿り着けない境地に思う。初めて曲を聴く客に、その曲が今日一番良かったと思わせるってどれだけの境地なことか。
そしてそれはバンド全体も同じで、このデカくて音響が不明瞭になりそうな会場で、各々の演奏は何をやっているか、どんなタイプの曲調をやっても、コーラスが幾重に重なってもきっちり認識できる。あまりに鉄壁の演奏。
・音楽は魔法だと知らしめてくれた圧巻のライブ
そうして万感の状態になってしまったところに、最早そこまで計算していたのではないかと、敢えてなほどスケールの小さな感覚の曲である(生活感と評したら良いか)“言葉はさんかく、こころは四角”が最後を彩る。
メンバーはハーモニカやマンドリンなどに楽器を持ち替え、“ふたつの世界”の時以上にこじんまりと、バンドというより小さな音楽隊という様相で演奏していく。年末の、こたつに入ってまったりするときのあの感覚にそっくりで、いかにもくるりらしいバランス感でライブを締めた。
約40分足らず8曲のライブにして、ワンマンライブばりのあまりに見事なストーリーを描いてみせたくるり。始まる前と後でまるで気持ちが違う。あの不安がない。なんだったらこのまま運命とか世界とか変えられるんじゃなかとさえ思うほどに晴れ晴れとしている。
自分に嘘がない道を歩き始めたら、面白いぐらいその今の自分に必要な曲が飛んでくるのはきっと偶然なんかじゃない。これだ、音楽のもたらす魔法はこれだ。と見せつけられた気がした。これまでライブ見てきてない自分を恥じるほどに良かった、今後くるりは沢山ライブ見ていきたい。
しかしこんな圧巻なものを昼下がりの段階で見せつけられてしまって、残りの時間大丈夫だろうかと心配が起きてしまうほどだった笑。くるりが良すぎてこの後見るバンドたち大丈夫かなって。でもそれは要らぬ心配で、9mmもテナーも予想を遥かに超えくるりに並ぶライブを展開してくれて滾った。特に9mmは本当に嬉しい誤算と言える内容だった、その点はまた次回に。
(しかし、初めて生で見た岸田繁のMC、京都弁イントネーションが同じ京都府民枯らしても「普段からそんな訛ります?」ってくらい極端で、京都キャラのために誇張してない?て可笑しくなっちゃったんだけど、それこそ年越しシーズンのこたつみたいにそれがあったかくて落ち着くんだよなぁ笑)