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ことばのちから

言葉って、人類最大の発明なのではないかと思うことがあります。

自分と感性が違う相手に対しても、事実はもちろんのこと、適切に表現すればある程度感情を伝えることもできる。

それって当たり前のようで、すげーことなんじゃないかと。


そんな妄想を文章に残そうと思ったのは、本日見た以下の映画がきっかけでした。

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映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を鑑賞してきました。


「うわ、なんかヤバそう!」と直感的に思ったそこのアナタ。

第六感が冴え渡っています。むちゃくちゃヤバい映画です。


とはいえ用法用量を守れば、世の構造を学べる素敵な映画でもあります。

以下、ネタバレは書きませんのでご安心ください。


何がヤバイのか?

皆さんが直感的に思った「ヤバい」という感覚を言葉にすると、

「思想が絡んできそうなヤバそうな映画だ。これを見るような輩もヤバいやつに違いない!」

みたいな感覚かと。


この映画の本当のヤバさは「ヤバそうだけど、実は全然ヤバくない、むしろ真っ当である」という部分なのかなと考えています。

だがしかし「だから、この映画を見ろよ(洗脳済み)」

ということが言いたいわけではないのです笑


前提として、僕は出てくる思想の概念をかなり抽象的にしか知りません。

登場人物の思想に共感して映画をみているわけではないということです。

実際のところ僕はゴリゴリの「ゆとり世代」なので、当時の人々とは経験を共有しておらず、想像力の範囲でしか共感できないんですよねえ。

(違う時代も生きてみたいなあ、ドラえもーん)


じゃあ真っ当ってどういうこと?

言葉を使うことで、思想の異なる者同士でも建設的な議論ができ得る、ということをノンフィクションで見せつけたことに対して「真っ当だなあ」という感想を持ちました。

正直、思想云々の話は正直どうでも良いと思っています。(よく分からんし)

思想の異なる2者が、異なることを理解して、お互いが目指すべき同じ未来へ対して、共に歩めるかどうかを議論できる。

この状態、とても好きです。

言葉ってすげーなあ。あらゆるものに客観性を与えてしまうんだな。


じゃあ、その2者は何がどう異なっていたのか?


など論点はつきませんが、シンプルに眠すぎるので寝ることにします。

そして恐らく、その辺は直接的に書くこともないと思います。


言葉ってすごいけど、扱うのムズイな。

おやすみなさい。


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