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傲慢と自己認識は別なのよ

皆様、本日も1日お疲れ様です。

今日も世間的には様々なニュースがあり、日常生活で感じる以上の見えない精神的ストレスを抱えている人もいらっしゃるかもしれません。

そんな中文章を読むのってなかなかキツイものはあります。

とはいえ僕は書きます。
書きたいから書く!くらいの勢いで書いてやるんだい。


タイトルの言葉の意味

僕が愛してやまない映画「007 カジノ・ロワイヤル」の中で、主人公であるジェームスボンドに対して、彼の上司的存在であるMが放った一言です。

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ボンドの仕事は端的にいうと「殺しのプロ」です。

国や諜報機関のミッションを達成するためには、どんな手段を使ってでも(そこには殺しも含まれる)それを遂行することを許可されている人間ということです。

まだプロになりたての荒々しいボンドは、ミッションを達成するために不必要な殺しまで遂行してしまい、その上事故の行動を正当化するような言い訳をしたため、上記の言葉を上司に投げかけられるわけです。


今僕は安易に「不必要」と「正当化」という言葉を使いました。

何を持って必要性、正当性を計るかどうか?それが肝になります。

ボンドは行った行為を分解すると以下になります。

・ミッション達成のために不必要な行為
・自分の価値観に沿って遂行した行為

ミッション達成のために不必要な行為である時点で、既に上司からすればたまったもんではないですよね。

ただ、「傲慢と自己認識は違うのよ」という言葉はそれを指摘したものではないと僕は考えます。


前半部分で、やったことがなぜいけないのか、という部分は別で叱っていました。

上記の言葉はその後に諭すようにかけられた言葉であるからです。

自分の価値観に沿って行動した

ここの矛盾を指摘した、優しい言葉だったのでしょう。


普遍的な価値観を見極められていれば、どうすれば行動が改善されるのかMにも判断できます。


そして、どうしても価値観とは合わない仕事であれば「辞めさせる」という判断を下すことだって可能になります。

しかし、可変的な感情にしたがって行動されては、信頼してミッションを任せることができません。かつ、本来のポテンシャルを引き出してあげることも難しくなります。

ボンドは合理性にも価値観にも基づかない自分の行為を「俺はこう考えているからこうした」と説明したため「傲慢だ」と言われてしまったのです。


常に自分に問いかけるべき言葉でもある

昨今インターネットが普及し、様々な情報が簡単に取得可能になりました。

かくいう自分もインターネット事業者であるため、様々な情報を意図を持ってプロダクトを創り、またこうして文章を書いております。


自分も人間ですし、こんな文章を書いているくらいですから感情が有り余っているということも自覚はしています。

ただ、どこかの誰かに対して価値を届けたい、そんな瞬間だけは自分の感情が判断を鈍らせていないか、常に自問自答をしようと心に決めています。

そして、情報を受け取る時も、客観的な判断と価値観による取捨選択ができているか、問い続けようと思います。


自分もまだまだ道半ば。

正しく、そして楽しく生きてやりましょう。




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