人々の "仲介者" としての珈琲
皆さんこんにちは。
本日はとても気温が高いですね、正直暑いくらいです。
今朝コーヒーを淹れようとしたら、残り100gくらいしか残っていないことに気づきました。
珈琲豆の枯渇は、すなわち僕の生命の泉の枯渇を意味します(真顔)
3密を避けて資源の調達に向かうべく、自転車を走らせることにしました。
そんな本日の日記にのせて、自分が珈琲という飲み物が好きな理由を、ほんの少しだけ小出しにしてお届けしよう思います。
■ 代々木という気取らない街
自分は東急目黒線不動前駅の近くに住んでいます。
駅の近くで自転車をレンタルし、山手通りを一直線に駆け抜けて代々木にある「FUGLEN TOKYO」さんに向かうことにしました。
いやー、それにしても本日は本当に暑いですね!
自転車を漕いでいる最中は風を切って気持ちいですが、ふと赤信号で停止すると身体中から汗が吹き出してきます。
30分ほど漕ぎ続けて、目的地に到着いたしました。
代々木という街は、何だかホッとするような空気が流れていますね。
代々木公園という巨大なオアシスがあるのも一つの理由かもしれませんが、街を歩く人が日々の暮らしを肩肘はらずに営んでいる、そんな印象を受けます。
犬を散歩したり、ランニングをしたり、友達と散歩をしたり。
お洒落な若い人もいますが、それを誇示することはなく、とても絵になる方が多い印象です。
そんな中を歩いていると、週5のおうちワークの疲れが浄化されていきます。健康を維持するために散歩が推奨されている理由もよく分かります。
■ 本格的な浅煎りの珈琲
FUGLENさんも、コロナ対策として店内での飲食は現在できません。
なのでテイクアウトして外で珈琲を楽しむ流れです。
本日はネルソン・ラミレズ(ホンジュラス)の豆の購入と、最近リリースされたというカンゴチョ(ケニア)のコールドブリューを頂きました。
カンゴチョ、非常に好みでした。
コーヒーチェリー本来の酸味と、にやけるくらいトロッとした甘みが調和しており、とっても上質な一杯でした。
珈琲豆も無事買えましたし、これでしばらくは安泰です。
■ 人と暮らしと珈琲
お店の周りの景色を眺めながら珈琲を頂いたのですが、改めて珈琲の魅力に気づいてしまいました。
学生時代はカフェで働いたり、自分はもう7年ほど珈琲オタクをやっていますがまだまだ気づいていない珈琲の魅力が沢山あるなと思っています。
まず、バリスタとお客さんの関わり方が素敵だなと思いました。
暮らしの中に憩いを求めてやってくるお客さんに、コミュニケーションと丁寧な一杯で憩いを提供するバリスタ。
一連の自然な流れにグッとくるものがあります。
バリスタも、働きながらもお客さんと共に、暮らしの楽しみを共有している。そんな仕事と暮らしの境界線が滑らかな "珈琲屋" という仕事にとても魅力を感じます。
また、FUGLENさんの一杯の珈琲は、遥か遠くオスロの暮らしと我々日本人の暮らしをつなぐものでもあります。
ノルウェーは日本と同じくらいの面積を誇る北欧の国です。
自分もまだ勉強不足ですが、ノルウェーの文化を知っていく中で、何となくノルウェーで暮らす人々にシンパシーを感じています。
そんな人たちと、間接的な文化のつながりをもたらしてくれるのが一杯の珈琲だと僕は捉えています。
■ 憧れの中に共感を発見する
自分が憧れる文化に自分の似ているものを発見すると、ちょっと嬉しくなってしまう、そんな気持ちありますよね。
まあ実際の政治体制や経済活動を分析してみると、実際ノルウェーの暮らしが日本より豊かかどうかは分かりませんが、そんな現実も含めて様々な国の文化を知っていきたいなーと思いました。
珈琲はそんなロマンに思いを馳せるきっかけになっちゃいますね。
やっぱり珈琲は最高だぜ。