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エデルソン――“無鉄砲”と”冷静”が共存する革新的ゴールキーパー

マンチェスター・シティに所属する個々の選手の生い立ちやそのキャリアを紹介する連載記事City Stories。第11回は、エデルソン。ペップ・グアルディオラのマンチェスター・シティにとって最高のGKに上り詰めた彼の栄光の裏に隠された物語とは。


貧しき少年時代とサッカーとの出会い

エデルソン・モラエスは1993年8月17日、ブラジルのサンパウロ州オザスコに生まれた。この街は決して裕福な地域ではなく、犯罪や貧困の問題を抱えていた。そんな環境の中で育った彼にとって、サッカーは単なる遊びではなく、生きるための手段でもあった。

彼がサッカーを始めたのはごく自然な流れだった。近所の子どもたちと裸足でストリートサッカーに明け暮れる日々。最初はフィールドプレーヤーとしてプレーしていたが、彼の強烈なシュート力とキック精度に目をつけた友人が「お前はゴールキーパーに向いている」と勧めたことが、GKとしてのキャリアの始まりだった。

エデルソンの才能は徐々に周囲の大人たちにも認められ、彼はブラジル屈指の名門クラブ、サンパウロFCのユースアカデミーに入団する。サンパウロFCは名GKロジェリオ・セニを輩出したクラブであり、GKの育成に定評があった。しかし、当時のエデルソンはまだ身体的に未熟であり、14歳のときに戦力外通告を受けてしまう。

ブラジルの多くの少年にとって、サンパウロのユースをクビになることは夢を断たれるのと同じだった。しかし、彼は決して諦めなかった。地元に戻りトレーニングを続けていたエデルソンだったが、元コーチの紹介でポルトガルのベンフィカに加入するチャンスを得た。これが彼のヨーロッパでのキャリアの始まりとなった。

クラブキャリア――唯一無二のGK“エデルソン”誕生の原点

リオ・アヴェ――無名からのスタート

ベンフィカのユースチームで経験を積んだ後、エデルソンは2011年にポルトガル3部リーグのリベイロンに移籍した。

リオ・アヴェでの最初の数年間は厳しいものだった。異国での生活に適応しながら、当初は控えGKとして過ごす日々。だが、徐々にそのキック力と鋭い反応速度が評価され、2013-14シーズンにはリーグ戦でレギュラーの座を掴んだ。

特に注目されたのは、ゴールキックやパントキックで直接アシストを記録するほどのロングフィード。これにより、彼は単なるショットストッパーではなく、攻撃の起点となれるGKとして認識され始めた。

ベンフィカ――王者のゴールを守る”新時代の守護神”

2015年、リオ・アヴェでの活躍を認められ、エデルソンはポルトガルの名門ベンフィカへ復帰する。当初は元ブラジル代表GKジュリオ・セザールの控えという立場だったが、彼の才能はすぐに頭角を現す。

特に2016-17シーズン、負傷したジュリオ・セザールに代わって正GKに定着すると、リーグ戦ではほぼ無敗の活躍を見せ、ベンフィカのプリメイラ・リーガ優勝に貢献。さらにUEFAチャンピオンズリーグでも強豪ドルトムントを相手に印象的なパフォーマンスを披露し、世界的な注目を浴びることとなった。

マンチェスター・シティ――“革命”をもたらした究極のGK

2017年夏、マンチェスター・シティはエデルソンをGK史上最高額(当時)の3500万ポンドで獲得。これは単なるGKの補強ではなく、“ペップ・グアルディオラのサッカーを完成させるためのピース”としての意味合いが強かった。

シティ加入後、エデルソンはすぐにその能力を発揮。特に彼のロングフィードは驚異的で、時には相手DFの頭上を超える90mのパスで一気にカウンターを仕掛けることもあった。

また、彼の最大の特徴は“冷静さ”と“大胆さ”の両立だった。相手の強烈なプレスを受けても動じることなくパスを繋ぎ、時には自らドリブルで持ち上がることすらあった。

エデルソン加入後、シティはプレミアリーグを6回制覇し、2022-23シーズンには悲願のUEFAチャンピオンズリーグ優勝も達成。ペップ・グアルディオラのサッカーにおいて、エデルソンの存在はまさに”革命”だった。

代表キャリア――唯一無二のライバルとの"切磋琢磨"

エデルソンがブラジル代表に初めて招集されたのは2017年。その当時、ブラジル代表のゴールマウスを守っていたのはローマに所属していたアリソンだった。

エデルソンはマンチェスター・シティに加入した直後から驚異的な成長を遂げ、ヨーロッパの舞台で名を轟かせていたが、ブラジル代表にはすでに”不動の守護神”がいた。つまり、彼の代表キャリアは常にアリソンとの競争の歴史でもあった。

しかし、アリソンとは単なるライバルという関係ではない。2人は同じ1993年生まれであり、プライベートでは良好な関係を築いている。互いをリスペクトし合いながら、世界最高のGKの座を競い続けているのだ。

2018年ワールドカップ――控えGKとしての立場

ロシアW杯では、アリソンが絶対的な正GKとして出場。当時のブラジル代表はチッチ監督のもとで安定した戦いを見せており、エデルソンにとっては控えGKとしての大会となった。

チームはグループステージを突破し、ラウンド16ではメキシコを撃破。しかし、準々決勝でベルギーに1-2で敗れ、W杯制覇の夢は潰えた。

エデルソンに出場機会はほとんどなかったが、大会後に「アリソンの存在があったからこそ、自分はもっと成長しなければならないと感じた」と語っている。

2019年コパ・アメリカ――優勝メンバーの一員として

エデルソンにとって、ブラジル代表での最初の大きな成功は2019年のコパ・アメリカだった。この大会でも正GKはアリソンだったが、エデルソンはグループステージ第3戦のペルー戦でスタメン出場し、完封勝利を収める。

決勝ではアリソンがスタメンに戻ったが、エデルソンはベンチからチームの戦いを見守り、ブラジルは3-1でペルーを下して優勝。

大会を通じて出場機会は限られたものの、初めての国際タイトルを手にし、彼にとって大きな自信となった。

2021年コパ・アメリカ――アリソンを抑えての正GK抜擢

エデルソンがブラジル代表で最も輝いた大会は、2021年のコパ・アメリカだ。

この大会ではチッチ監督がGKのローテーションを採用し、エデルソンが準々決勝、準決勝、決勝という大舞台でスタメンを任された。

特に準決勝のペルー戦(1-0)では、決定的なシュートを何度もセーブし、ブラジルの決勝進出に大きく貢献。大会全体を通して、安定したプレーを見せた。

しかし、決勝の相手はアルゼンチン。この一戦は南米の歴史に残る”スーペルクラシコ”として注目されたが、ブラジルは0-1で敗北。エデルソンはディ・マリアのゴールを止められず、悔しい準優勝となった。

試合後、エデルソンは「とても悔しいが、これは次の大会へのモチベーションになる」と語り、さらに代表での正守護神の座を狙う決意を新たにした。

2022年ワールドカップ――再び控えに甘んじた大会

エデルソンにとって、2022年のカタールW杯は2018年と似た立場の大会となった。

シティでの活躍により「今度こそ正GKの座を掴めるのでは?」との期待もあったが、チッチ監督は再びアリソンを優先。エデルソンの出場機会はグループステージ第3戦のカメルーン戦(0-1敗戦)のみだった。

ブラジルは準々決勝でクロアチアにPK戦の末に敗れ、またしてもエデルソンは大舞台での正GKとしてのチャンスを得られなかった。

しかし、この大会でブラジルの若手世代が台頭してきたこともあり、エデルソンは次の2026年W杯に向けて「まだチャンスはある」と語っている。

家族への深い愛

エデルソンはピッチ上では冷静沈着な最後の砦だが、ピッチ外では家族を何よりも大切にする人物として知られている。妻と子供たちとの時間を最優先し、常に彼らの存在を誇りに思っている。彼の体に刻まれた無数のタトゥーの中には、家族への愛情を象徴するものも多く、特に娘の名前を入れたタトゥーは彼の深い家族愛を表している。

また、彼の明るくユーモアにあふれた性格は、チーム内でもムードメーカー的な存在となっている。試合前やトレーニング中に冗談を飛ばしてチームメイトを和ませる一方で、試合では一瞬でスイッチを切り替え、冷静な判断を下す。そのギャップこそがエデルソンの魅力の一つだ。

彼の人間性はピッチ外でも発揮されており、慈善活動にも積極的に取り組んでいる。地元のコミュニティ支援やチャリティーイベントへの参加を通じて、社会貢献にも力を入れている。自身が幼少期に貧しい環境で育ったこともあり、恵まれない子供たちへの支援には特に力を入れているという。

エデルソンのこうした人間性は、シティの守護神としての冷静さや安定感にもつながっている。家族の存在が彼にとって最大の支えであり、それが彼のプレーにも落ち着きをもたらしているのかもしれない。

未来へ――エデルソンはどこまで進化するのか

30歳を迎えたエデルソン。次なる目標は、2度目のチャンピオンズリーグ制覇と2026年W杯での正GKの座だ。

彼の物語は、まだまだ終わらない。

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