優しすぎる


タイトルは私が何か我慢するような出来事があって、
それを誰かに話したときによく言われる言葉です。

個人的にね、この「優しすぎる」って言葉は良く頑張ってきたよなぁと解放される言葉でもあり、
自分を否定されているような気分になる言葉です。

厳密にはこの言葉を発してくれた人にそういう意図はなくて、優しいねって褒め言葉の延長なんだろうけど、
優しすぎるが故に自分のことを守れず、傷つけるダメな奴って自分が解釈しているのだと思う。

このことに気づけたのは、
Pocheさんの著書「がんばりすぎて疲れたあなたが 自分の幸せをつくる本」
を読んだから。

あなたは今まで良く頑張ったね、誰かのために生きて来たよね。
すぐにはできなくてもいいから、少しずつそれを自分にも向けてみてねってそういう本でした。

前回の「あなたはもう、自分のために生きていい」より文字数も多く、考えさせられる場面もあって、結構時間をかけて読みました。

で、色々当てはまるなぁってところはあったんだけど、
今回は私がこの本を読んで自身の「優しすぎる」について感じたことを書きます。

優しいのはね、決して悪いことではないと思うの。
で、ダメだなって自分自身が思ってしまうところって
「自己犠牲してしまい、結果苦しくなること」についてなのよね。

自己犠牲して苦しくなって自分だし、
その自分をさらに否定して二重苦の状態になっているのね。

自分を大切に、自分に優しくするその上でそんな自分は変えたいから、
じゃあそもそもどうしたら自己犠牲しないかなって考えてみた。

誰かに向けたその自己犠牲してまでの優しさ、
相手はどう感じるんだろう?

相手の気持ちを考えられる自分だからこそ、相手の立場になって考えてみることにした。

私が仮に誰かに、優しくされたとする。
それは大変ありがたかったり、嬉しかったりする。

でも、それがその人が自分を犠牲にしてまでの行動だったらどうだろう?

正直、申し訳なくて受け取れないよね。
仮に受け取った後にそのこと知ったら、罪悪感生まれるよね。

つまり、自己犠牲してまでの優しさってさ、
相手からしたら単純に受け取りにくいのよね笑

ありがたいけど、なんか申し訳ないなって思うから、逆に気を遣わせちゃうんよ!笑

相手がいい人ならきっとこういう風に思うし、
自己犠牲してまで相手に尽くしたり優しくしたりするのはむしろ優しさとは言い難い部分もあるのかもしれない。

相手が悪い人だったらそれを利用して自分だけが得するようにするかもしれないし。

どの道あんまいいことない😂

それと、相手が受け取りにくいだけじゃなくて、
私は誰かに自分を犠牲にしてほしくなって思うので
これからは自分にも自分を犠牲にするようなことはしてほしくないなって
声をかけていこうと思う!


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