Voices Vol.18 ~来年度から教員になるわたしが今思うこと~
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プロフィール
*来年度から大阪市で小学校教員予定の現役大学生です。
大学生活5年間で子どもたちと関わる機会は多くありました。フリースクールでのボランティアや塾でのアルバイト、教育実習を通して様々な子どもたちに出会いました。
そこで素直に感じたことを大学生の視点で述べていけたらと思います。
*毎日学校に通っている子どもたち、学校に行きづらくフリースクールに通っている子どもたち、受験合格を目指し塾に通っている子どもたち、どの子どもを見ていても共通して感じたことは、
「自分を大切に活き活きと生きていけるようになっていってほしい」
ということでした。
それぞれの境遇や家庭環境や立場があり、目指している姿はそれぞれ異なりますが、その子自身の基準でその子自身が自分のことを大切にできるようになってほしいと考えます。
そのために教師としてどのようなサポートをすることができるのか少し考えてみました。
自分を好きでいることの難しさ
ここでは、自分のことを大切にすることとは『どんな自分も好きでいられること』と定義してみましょう。
どんなに最悪最低な自分でもこれが自分であると認められることが大切です。
しかし、学校などの集団生活において、子どもたちが自分のことを大切に考えるというのは非常に難しいことです。
なぜなら、比較対象が多すぎるからです。学校には、自分より勉強ができる人も自分より運動ができる人もたくさんいます。その中でも、ありのままの自分を受け入れ、好きでいるというのは難しいです。
これは大学生でも難しいことです。実家暮らしの人は自由で気楽な一人暮らしの人を羨み、一人暮らしの人は家事や生活費の負担が少ない実家暮らしの人を羨みます。子どもも大人も自分にないものほど欲しくなってしまうものです。欲しいものが手に入らない自分に苛立ち、さらにはそれを得ている人を妬み、僻むことだってあるでしょう。今の自分に満足するということは本当に難しいことです。
他者の評価
また、人は他者からどのように思われているのかを過剰に気にします。授業でこれは簡単だと言われた質問に答えられなかったら恥ずかしいし、笑われるかもしれません。単位を落としたら恥ずかしいし、留年ともなれば世間の目が気になります。就職先だってその人の価値に大きく関わります。
先生だって上司や教育委員会、親御さんから怒られたくないし、悪い評価を受けたくありません。このように、学校や社会などの組織で人目を全く気にしないことは不可能かもしれません。
しかし、根本に自分を大切にする心をもっていてほしいのです。
なぜ現代では、少しでも人と違う人を非難し、その人を追い込むことを平気でできる人がこんなにも溢れているのでしょうか。ただの暇つぶしなのでしょうか。ゲーム感覚なのでしょうか。
他者を非難し蔑み、他者の評価を落として自分の評価を高く見せることでしか自分を評価する方法を知らない人が増えているからだとわたしは思います。そんなことをしなくても、自分が好きな自分であってほしいものです。
順位づけられる人生
競争社会のデメリットと言えるかもしれません。
幼い頃から常に順位をつけられ競争させられてきたのだから、誰もが上位にたつことがよいことだと信じ、疑いもしません。
さらに、まだ自我が同一化していない子どもたちやその機会を失ってしまった大人たちは、他者からの評価でしか自分の存在意義を図ることはできません。他者との比較や評価を気にしてしまったりするのは自然なことと言えます。
だからこそ評価する立場にある大人がいかに上手に評価するかがその人の人生を大きく左右することになります。
人と比較するような褒め方、叱り方をされてきた子どもは大人になっても常に自分と他者とを比較して生きていくことになるでしょう。他者と比較して生きていくということは、死ぬまで自分の人生に納得できないということでもあると思います。
他者との比較や結果のみでなく、努力の過程やその子の存在を認めてあげることが大切だと思います。極論を言えば、勉強ができない子も努力すらできない子でも生きているだけで偉いと思うのです。
わたし自身は幼い頃、勉強もスポーツもそれなりにできて学校でも問題を起こさない、いわゆる育てやすい子であったと思いますが、そんな迷惑をかけない自分でなくなった時に先生や親から見放されることをどこかで恐れていたのかもしれません。人に勝つことで存在意義を確かめ、人より劣れば世間から必要のない人間扱いされると感じるしまう。
この考え方が完全な悪だとは思いませんが、他者からの評価ばかりにとらわれるのは非常に危険だと思います。もちろん、他者と比較することでやる気が出たり、他者からの評価を気にすることで向上心を持てたりすることもあるでしょう。
しかし、それだけにならないようにしなければいけないと考えます。能力や特技などはあくまで飾りだと思うので、ありのままのその子を大切にしてあげたいと思います。
何気ない一声に意味を持つ
少し話が逸れてしまいますが、教師からの言葉かけというのは非常に大きな影響を及ぼすものだと常々感じます。これはわたしが実際に経験したことなのですが、問題を解くのが早い子に対して「早いね」と褒めたところ、その子は早さにとらわれてしまい、字が乱雑になり、正しい理解よりも早く解くことを重視するようになってしまいました。
どんな理由であれ、やる気をもってやり遂げてくれたことには意味があったと思いますが、最終目標としては、早く解くことはそれほど重要ではなかったはずです。これはわたしにとって大きな反省ではありますが、こんなにも教師の言葉かけは子どもたちに影響を及ぼし、また、子どもたちの行動を変えることができるのだと気づいた経験でもありました。
子どもたちの行動を良い方向に変えられる教師でありたいと思います。そのためにそれぞれの子どもたちを認める言葉かけを行いたいと思います。その際に、その子の能力を褒めるばかりにならないよう留意しなければなりません。存在しているだけで価値があるのだという前提を忘れないようにしたいと思います。
私は、それぞれの子どもらしさを認め、大切にできる教師になりたいと考えます。特に学力の低い大阪市では、子どもたちの学力を向上させなければならないという教師としてのプレッシャーが大きいですが、できるようになってほしいことばかりにとらわれずに、
「今」の子どもたちと向き合っていきたいと思います。
自分のことを大切にできない人が他者を大切にできるとはとても思えないので、まずは子どもたち自身が自分のことを好きだと思えるようになってほしいです。その上で、周りの人たちをも大切にできるような子を育みたいと思います。
そのために忙しい教員生活の中でも、何よりもまずわたし自身が自分のことを大切にするということを忘れないようにしたいと思います。
*拙い文章をお読みいただきありがとうございました。まだまだ勉強中のため、曖昧な表現もあったと存じます。わたし自身も今後多くの経験を重ね考え方が変わるかもしれませんが、これをもって現時点での来年度からの決意表明とさせていただきます。
大阪市の教育関連の方々からのアドバイスなどぜひお待ちしております。
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