追悼企画~ブラジル音楽の伝道師、セルジオ・メンデスってどんな人!?その功績に迫る!

TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後2時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。
 
このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。

■セルジオ・メンデスの音楽的役割とは?

ブラジル出身のピアニスト、作編曲家、プロデューサーのセルジオ・メンデスが亡くなったというニュース(2024/9/5)が入って来ました。
日本でも大変人気のあった人ですので、ネットニュースなんかでもかなり大きい扱いになっていましたね。もし名前を知らない人でも「マシュ・ケ・ナダ」という曲はどこかで一度で耳にしたことはあると思います。
 
この曲、セルジオ・メンデスの代表曲で、世界で最も知られたブラジルの音楽の一つだと思いますが、実はセルジオ・メンデスが書いた訳ではないんです。ジョルジュ・ベンというブラジル人シンガーソングライターの曲のカバーです。で、歌っているのがセルジオ・メンデスかっていうと、そういうわけでもないんです。歌ってるのは、セルジオ・メンデス率いるBrazil 66’sというバンドの女性ボーカリストなんです。
 
じゃあ一体セルジオ・メンデスは何をやってる人なのか?という話になるわけですけど、この人はこれほど世界的にビッグネームなわりに、その音楽的な役割とか功績なんかを正確に評価するのが難しい人というか、意外とその実像が世間に正しく伝わっていないんじゃないかっていう気がします。
 
この番組ではこれまでとりたててセルジオ・メンデスの音楽を積極的にかけてきたわけではなく、訃報のときだけ扱うっていうのもちょっと気が引ける気もしますが、いまいちセルジオ・メンデスってつかみどころのない実像が見えないアーティストだったりするので、そのあたり出来る限りわかりやすく解説していければなと思っています。
 

■ブラジル国内での評価とアメリカでの成功

そもそもブラジルを代表するアーティストとして紹介されることも多いんですが、実はブラジル本国では彼の音楽はそれほど聴かれていないようです。

もちろん有名人で名前は広く知られているはずですけど、サンパウロ在住の音楽ジャーナリストの沢田太陽さんと言う方のブログによると、今回亡くなられたというニュースもブラジル国内ではそれほど大きくは扱われてはいないようです。国葬級の扱いだったアントニオ・カルロス・ジョビンのときと比べるとだいぶ寂しいですよね。これだけ世界的なスターで、ブラジルの音楽を象徴しているようなイメージがあるのに、ブラジル本国で広く愛されているご当地のアーティストというわけではない。
 
というのも、セルジオ・メンデスは、プロとしての音楽活動を初めてわりとすぐにアメリカに移住してしまって、アメリカでずっと音楽を作ってた人なんですよ。
ブラジルの音楽を、巧みにアメリカのマーケット向けのポップミュージックに昇華させて大ヒットした人なので、アメリカとか日本での人気と本国の人気に結構差があるわけです。

だいぶお歳を召してからブラジルの音楽番組に出演したときの映像をYouTubeで見てみたらね、司会の人が、セルジオ・メンデスのことを「Brazil’s Most Famous Export」といって紹介するんですね。
つまり「ブラジルで最も有名な輸出品だ」と。もちろんちょっとしたユーモアですけど、やはりブラジル人にとっては、自分たちが聴く音楽っていうよりは、他の国で聴かれた音楽っていう印象が強いんだろうなっていうのがちょっと伝わって来た感じがして、なんだか切ない気持ちにもなりました。

■ボサノバを代表するミュージシャンなのか?

そして、今回の訃報記事、色々なメディアから出ているものをチェックしますと、NHKなんかではボサノバの代表的なミュージシャンと紹介されてますが、彼の音楽をボサノバに括ってしまって良いのか、という点についてはかなり微妙なところなんです。このあたり難しいんですよ。
ボサノバの代表選手っていうと、やっぱりアントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、エリス・レジーナあたりが圧倒的で。
あとは数々のボサノバスタンダード曲の作詞を担当したヴィニシウス・ジ・モライスですかね。このあたりがやっぱりボサノバを象徴するアーティストたちだと思うんで。セルジオ・メンデスっていう人は、もちろん彼らとともにボサノバ黎明期に活躍したミュージシャンであることは間違いないんだけども、むしろジャンルの垣根を壊していった人なんですよね。

ボサノバが流行っていた60年代はボサノバ要素が強いこともやっていたというだけのことで、そのときそのときの音楽の流行りに非常に敏感にスタイルを変えていった人で、音楽的にはもっともっと幅広く色々なことにチャレンジしていた人です。80年代なんかはほとんどブラジル要素のないAOR的なことをやっていましたしね。
 
それとね、彼は歌手ではないんで、自分で歌うわけではない。
その上、じゃあピアニストとしてバリバリに自分のピアノプレイをフィーチャーした曲が多いかというと、そういうわけでもないんですよ。で、彼は作曲しないこともないんですけど、ヒット曲はほぼ全てカバー曲なんです。

さっき冒頭でかけたマシュケナダもそうだし、ビートルズのカバーとか、バカラックとか、大ヒットした曲はほとんど自分で書いていない。このあたりが彼のアーティストとしての正体を見えにくくしている一つの要因だと思っていて・・・。 

■プロデューサーとしてのすごさ

じゃあ彼がどういう音楽家だったか、一体何をやっていた人だったのかっていうと、プロデューサーだった、というのが一番わかりやすい。他の歌手を使って、自分の音楽をバンドリーダーとしてトータルでプロデュースしていた人物。例えていうなら、クインシー・ジョーンズとか、あるいは日本で言うところの小室哲哉とか、そういう役割ですよね。ポール・モーリアとかもポジションとしては近いかもしれません。歌声でもなく、作曲でもなく、彼が生み出すそのサウンドでもって一斉を風靡したわけです。
今まで人々が聞いたことのないような真新しい独自のサウンドを、プロデューサー・編曲家として生み出した。それが彼の凄いとこだったんです。
 
特に、ボサノバという音楽がブラジルからアメリカに渡って、流行り始めたときに、冒頭でかけたマシュケナダが爆発的にヒットしたわけですけど、
この曲も、いわゆる正統派のボサノバのサウンドか、というと決してそういうわけではなくて、かなりビートの効いた荒々しいロックな聴き心地で、普通ブラジルの音楽こんなにキックドラムの音出さないですから。
アメリカのマーケットをはっきりと意識した音作りだなぁと思います。
 
つまり、ブラジルの音楽を世界中のリスナーに聴いてもらうために、ものすごくキャッチーにデフォルメして、さらにその時々でアメリカで流行っている音楽とミックスしてローカライズしていった、その結果としてワンアンドオンリーなサウンドを生み出した人、という見方がしっくりきます。

例えて言うなら、カリフォルニアロールみたいな感じ。あれも本来の正統派のお寿司じゃないかもしれないけど、現地で受け入れてもらうために生み出された非常にポップでキャッチーな料理ですよね。僕もロスに住んでた頃大好きでしょっちゅう食べてたんだけど、日本のお寿司屋さんで食べるよりも、やっぱりロスで食べるカリフォルニアロールが美味しい。
なんかその土地の食材とか空気感に合うんでしょうね、不思議なもので。 

■ブラジルの音楽なのかアメリカの音楽なのか?

音楽もそれと同じで、セルジオ・メンデスの音楽は、ブラジルの音楽のアイコニックな例として世間では捉えられがちだけど、僕はあくまでも、やっぱりなんだかんだアメリカの空気感で作られたアメリカの音楽だなぁって心の中では勝手に思っています。
 
その点に関しては、A&Mっていう彼が在籍していたレコード会社の独特の音作りによる部分もあるのかもしれない。カーペンターズを輩出して一斉を風靡したレーベルでこの音楽コラムでも過去に特集したことがありますけど、僕もA&Mからリリースされた作品大好きなんで、やっぱりそういうアメリカのレーベルカラーというか空気感を確かに纏っています。
そういう意味で言えば、アメリカを中心としたレコード産業の非常に植民地主義的な側面が現れているとも言えるかもしれない。
 
いずれにせよ、セルジオ・メンデスという人は、ブラジルの音楽をどうやってアメリカンポップスに取り入れて音楽を作るか、そのお手本を半世紀以上にわたって示し続けた人物と言えます。
こんなにも聴きやすいキャッチーな形で誰にでも受け入れてもらえる形でブラジルの音楽をポップスに仕立てられた人は他に誰もいなかったわけです。
 
日本のそれこそCity Pop的な音楽とか、歌謡曲とか、セルジオメンデスの影響下にないものを探す方が難しいんじゃないか、というくらい、その後の音楽シーンに凄まじい影響力を持っていた人ですね。
 
そんな偉大な音楽家がまた一人いなくなってしまったわけですが、彼が二十歳でまだブラジルに住んでいた頃に実はジャズピアニストとしてレコードデビューしていまして、せっかくなんで今日はそのデビューアルバムから1曲聴いていただきたいと思います。まぁヒット曲はあちこちで散々かかるでしょうから、ここでは彼がジャズピアニストとして如何に優れていたかがよくわかる、貴重な初期の音源をお聴きいただきましょう。二十歳でこれですからね。天才です。
 

【Sergio Mendes - Oba-là-là】

荒々しい無骨なタッチはこのときから全く変わらないんだけど、非常にブルージーなビバップスタイルのラテンジャズ。この人本当にアメリカンミュージックが心の底から好きだったんだな、というのがよくわかる演奏で、このあとアメリカに移住して大成功したのもなんとなく腑に落ちます。

金曜ボイスログは毎週金曜日8時30分~午後2時にて放送。
AM954/FM90.5/radikoから是非お聞きください。