「Jazzのあのリズムはどこで生まれたのか?Jazz誕生の起源について」

TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。

このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。

本日のテーマは…

「Jazzのあのリズムはどこで生まれたのか?Jazz誕生の起源について」


どの書籍にも文献にものっていないピアニストだけが知る起源について。

  • ニューオリンズという街

ニューオリンズはアメリカ南部の港町。メキシコ湾に面しているので、中南米との貿易の拠点として古くから栄えた港町ですが、他にもメキシコ湾に面している街はいくらでもある中で何故このニューオリンズという街がアメリカの玄関口として栄えたかというとミシシッピ川の河口に位置しているからなんです。

ミシシッピ川というのはアメリカで2番目に長い川で、北はカナダとの国境付近から南はメキシコ湾までアメリカを縦断している大河です。
この川が両脇に抱える大農業地帯の収穫物を船に乗せ、川を降って河口の
ニューオリンズまで運びそこから外国に輸出するということで、ニューオリンズが玄関口になりました。
貿易港ということは、もちろん中南米から輸入される様々なモノ・文化がまずこの地に上陸するということにもなりますから、ニューオリンズは北米の文化と中南米の文化が交わる場所になったんです。

  • Jazz誕生の鍵はイギリスではなくフランス・スペインの領土だったこと

アメリカが独立するまでの植民地時代、ニューオリンズを含むルイジアナ州はフランス領だったので、文化的にフランスの影響をかなり強く受けているエリアです。一時期スペイン領になった時期もありました。

実はこの地がイギリスの領土ではなくてフランスとスペインの領土だった  ことがJazz誕生を語る上では非常に重要な鍵になります。

というのも、フランスやスペインは、実はアフリカ系の奴隷に対して文化面では多少寛容だったんです。どう寛容だったかというと、奴隷の人々が日曜日に集まって音楽を奏でたり踊ったりすることを許していたんです。
それに対してイギリスは、奴隷たちが集会を開いたり楽器を演奏することを厳しく禁じていた。ある意味では人権を100%奪っていたんですね。
フランスはその時々の国王によってだいぶ奴隷への扱いが違ったりしていたようですが、基本がカトリックなんで日曜は奴隷もお休みにしましょう。
という考えもあって、イギリスに比べれば多少は寛容だった。
ちなみに一番寛容だったのはスペイン・ポルトガルです。

そんな奴隷の人々の権利が厳しく制限されていた時代に、たまたまこの貿易の街がフランスやスペインの支配下だったおかげで、中南米の文化とアフリカ大陸の文化と、ヨーロッパの文化、そしてネイティヴアメリカンの文化が白昼堂々合法的に混ざり合った。
だからこそ、ニューオリンズでは芳醇な音楽文化を生み出したんですね。

  • リズムのルーツは中南米にアリ

ジャズやブルースはアフリカ系の人々がアメリカの南部で生み出した文化なんですが、実はリズムのルーツを探ると、意外なことにその源流は、むしろ中南米にあります。

スペインを舞台にしたカルメンというオペラで歌われるハバネラというアリアを聴いたことはありますか?
そもそもハバネラというのは、2拍目の表拍がなくて、裏拍が強調されるリズムの総称です。(※youtube版では臼井ミトンが実際に実演しています)

このリズム、中南米に連れて来られたアフリカ出身の人々が、ヨーロッパの舞曲に自分たちのリズム感覚を組み合わせたことによって生まれたリズムなんです。
キューバの首都ハバナにちなんでハバネラと名付けられたんですが、
キューバで収穫されたサトウキビとともに本国スペインに逆輸入されて、
いつの間にかスペイン歌曲を象徴するリズムになりました。

ちなみにこれがアルゼンチンまで伝わって生まれたのがタンゴ。
2拍目を裏拍にした上で3拍目をお休みするとラテンミュージックの土台となるルンバのリズムです。

2拍目を裏拍にズラすだけでこんなにも雰囲気が変わるんですね。
拍を表から裏にズラすことを音楽用語でシンコペーションと言うんですが、アフリカ系の人々がヨーロッパの音楽でより楽しく踊るためにアフリカ大陸のリズムを加えてアレンジしていったというわけです。

しかも彼らはどんどん複雑にズラし始めます。
ルンバに右手でさらにシンコペートを加えるとだいぶラテンっぽくなり、
さらに16分音符というもっと細かい単位で右も左も複雑にズラしていくと、ラテンと聴いて真っ先に想像するような雰囲気になります。

この中南米で育まれたシンコペーション、つまり頭拍を裏拍にいちいちズラす文化が中南米との貿易の玄関口であるニューオリンズにも上陸します。

「ズズンチャッ」の起源はJerry Roll Mortonの左手

北米大陸でも、ヨーロッパの音楽文化と、アフリカの文化が合わさって、
既に独自の文化が色々と生まれていました。例えばラグタイム。
これってリズムを口で言うと「ズンチャッ、ズンチャッ」で一番原始的で
シンプルなリズムです。
左手でリズムをキープしながら右手だけシンコペーションすることによって右手左手の間に時間差〝ラグ〟が生まれる。だからラグタイムと言います。なのでラグタイムでは左手でこのズンチャのリズムをキープすることが何よりも大切なんです。

ニューオリンズに住む「とある1人の凄腕ラグタイムピアニスト」が中南米で流行っているシンコペーション、つまり表拍を裏拍にズラす手法をこのラグタイムの左手の「ズンチャッ」に組み合わせることを思いつきます。
その人の名がJerry Roll Morton。

Jerry Roll Mortonが中南米の拍をズラすテクニックを取り入れ、これを口で言うと「ズンチャッ、ズンチャッ」だったものが「ズンチャッ、ズズンチャッ」となるわけです。
このリズム…繰り返していると、どこかで聴いたことあるリズムだと思いませんか?「ツーツッツ・ツーツッツ」
そう「ジャズ」ですよね。ジャズのいわゆるフォービート、スウィングのリズムです。この「ツーツッツ」というジャズという音楽を定義づけるようなアイコニックなリズムは実はJerry Roll Mortonのラグタイムの左手のパターンが起源なんです。

この「ツーツッツ・ツーツッツ」のリズム。ジャズのリズムってどんな音楽関連書籍を読んでも、どんなジャズの教則本を読んでも、このリズムが一体いつ始まったのか、一体何を起源としているのか、どこにも書かれていないんです。
せいぜい「スウィングとは3連符でハネているリズムのことである」とか、
「シンコペーションが多用されるアフリカ大陸が起源のリズムである」とか、すごくフワっとした解説しか書かれていないんですね。

  • 過去にJazzのリズムをはっきりと説明した人はいない

これらの説明も間違いではないですけど、例えば、3連符でハネるリズムっていうのは口で言うなら「ツッツ・ツッツ」となりますが、これはジャズが生まれるはるか昔からブルースのリズムとして存在しており、ジャズをジャズたらしめるリズムではないんです。
そしてシンコーペションが多用されるっていう説明もだいぶ見当外れで、
シンコペーションを多用するのはジャズではなくて中南米の音楽なんです。ズラし過ぎて全ての頭拍が消えちゃうくらいシンコペートする。
むしろジャズというのはシンコペートしながらも「頭拍がちゃんと消えずに残っている」ということこそが最大の特徴なんです。

ジャズのあの特徴的な「ツーツッツ・ツーツッツ」というリズムは、
一体全体どこから来たのか?これをはっきりと説明出来た人が過去に一人もいないんです。

それは何故か?歴史学者や評論家は誰一人としてJerry Roll Mortonの左手のパターンを自分では弾いてみなかったからです。

彼がラグタイムの左手のオクターブを崩した「ズンチャッ」を「ズズンチャッ」に崩したのがジャズのリズム誕生の瞬間である!と弾いてみたらすぐにわかるのに、評論家や学者は決して自分で弾いてみようとしない。
だから、気づかないんです。その点アメリカの名ピアニストたちはみんなJerry Roll Mortonを研究しますから、彼こそがジャズのビートの開祖であることはみんなよく知っている。Dr.JohnもAllan ToussaintもJohn Clearyも
彼らのライヴでは必ずJerry Roll Mortonについてリスペクトを込めて語る場面があります。

残念なことにJerry Roll Mortonという人は生涯にわたって自分こそがジャズとスウィングの創始者であると自ら主張し続けた人であまりにしつこく主張し続けたせいでウザがられまして、大ホラ吹きのビッグマウスというキャラがすっかり定着してしまった。
だから多くの評論家や歴史家がそのホラ吹きキャラに惑わされて彼の本当の功績を軽視しがちなんです。日本の評論家でJerry Rollの肩を持つのは
油井正一さんくらいでしょうか。そしてジャズという音楽がシンコペーションを多く用いながらも本質的には実は表拍の文化であると見抜いていたのは僕の知る限りでは中村とうようさんだけです。
でも、そんな超一流の音楽評論家である彼らをもってしても
ジャズをジャズたらしめる〝あの〟リズムがJerry Rollの左手から始まった
ことには残念ながら気付かなかった。

このリズムの面でのジャズ誕生の瞬間というのは、Jerry Roll Mortonの左手を真剣にコピーしたごく一部のピアニストだけが知ることのできる事実で、はっきりと言語化してメディアで説明したのは僕が初めてだと思います。
本来であればラジオで喋る前に論文を書いて然るべき場所で発表すべきだったかもしれません(笑)

  • なぜ北米では表迫の「ズン」が残ったのか?

それにしても、アメリカでは何故ラテンのリズムがそのままの形では根付かなかったのか?つまり、あくまでもラグタイムの「ズンチャッズンチャッ」のリズムの骨組みを残した上で中南米のシンコペーションが非常に中途半端な形で混ざった。
中南米ではほとんど残らずに消え去ってしまった表拍の「ズン」の部分が何故北米では残ったのか。

「スコッツ・アイリッシュ、ケルト系の音楽文化がアメリカでは根強かったんじゃないか」と中村とうようさんは結論づけているんですが、
考えてみれば頭拍の太鼓のリズムは軍隊が隊列を整えて行進するために使われたリズムでもあります。
ジャズという音楽が南北戦争が終わった後、数十年の間に生まれたという
時代背景を考えると、激しい南北戦争の戦場で太鼓に合わせて組織的に戦ったことによって身体に染み付いたこの頭拍のリズムを北米の人々は完全に捨てきることが出来なかったからじゃないか?
これは僕の仮説というか妄想なんですけど…

実はニューオリンズでジャズが生まれた要因の一つとして【南北戦争で負けた南軍が戦場で使った楽器を売り払ったために所得が低いアフリカ系の人たちが楽器を安く手に入れることができたから】とも言われているんですね。

ですので、僕のこの「南北戦争のせいで頭拍が残りジャズが生まれた」
という妄想もあながち大きく間違ってはいないかもしれません。

youtube版では動画で同様の内容をご覧いただけます。

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