見出し画像

えはら校長について


プロフィール

えはら校長

誕生日:1989年11月17日
血液型:A型
趣 味:歌、読書、散歩
楽 器:ギター

性格は、僕のレッスンを受けてくれた生徒さん達の紹介が一番わかりやすいかなと思います。簡単にいうと、めちゃくちゃ優しくて人柄が良いそうです。僕が自分で言ってる訳じゃないんだからね!!

エピソード①音楽との出会い〜高校卒業

僕が音楽を始めるきっかけになったのは、高校の一番仲のよかった同級生の家に遊びに行った時に、部屋に置いてあったギターをなんとなくイジったことです。その友人がギターの基礎を教えてくれた日から、「楽器って面白い!」と感じ、毎日5時間近くギターを弾きまくることが日常になりました。

それなりにギターが弾けるようになってきた頃、友人と一緒に「バンドやろうぜ!」というノリなり、そこでギターボーカルを担当することになったのが、”人前で歌う道”の始まりでした。そこからはのめり込むようにバンドの練習をして、週末のスタジオ練習が生きがいの日々を送りました。

人生初のステージは、高校の文化祭。BUMP OF CHICKENの「天体観測」、GOING STEADYの「BABY BABY」、Dragon Ashの「ICE MAN」という曲を演奏し、その日は百歩譲っても、自分で言っちゃっても、学校イチのヒーロー!になれた日だったと思います。

そこから今度は「ライブハウスに出てみたい!」と感じ、もうめちゃくちゃ怖い(と感じていた)お兄さん達に紛れて、唯一の高校生バンドとしてACIDMANのコピバンを披露しました。もちろん一番下手くそな演奏で、大人の方達が優しく見守ってくださったデビューとなりましたが、僕の歌はもっと下手くそでした(3曲目くらいで喉潰して全く声が出なかった)。

エピソード②高校卒業〜バンド漬けの日々


高校を卒業してからは、もっと本格的にバンド活動をやりたいと思っていたので、初めてギターを教えてくれた友人をバンドメンバーに誘い(最初一緒にやってたけど、途中離れ離れになり、また誘った形)、彼にはベースを弾いてもらって、高校の仲良しチームで4人組バンドを結成しました(「shabby」というバンドで、のちのち宇都宮に名を轟かすことになったとか、ならなかったとか…。)

僕の役割は、自動的にボーカル&ギター&作詞&作曲となり、クリエイティブなことにもどんどん挑戦していきました。4年間という短い期間でしたが、作った曲をスタジオで固めて、毎月ライブハウスに出て披露して、レコーディングもして、CDも作って、全国ツアーも回るくらいの活動は経験することができました。活動休止ライブはお店の入り口まで人がパンパン状態のステージで、僕が作った大切な歌をみんなが大合唱してくれたのがいちばんの思い出です。

♩-Amazon Musicで「shabby 絆創膏」で検索してみてね!

Amazon Mus

バンド活動自体は本当に僕の青春そのもので、人生で1,2位を争う素晴らしい期間だったのでした。しかし、当時僕には中々解決できない問題がありました。

それは、

"30分のステージを、ただの一度もまともに歌い切れたことがない"

ことでした。

緊張すると、喉が締まるんですよ。
でもしまった喉はどうにもできない。
何なら「締まるな!」と思うほど、締まる。

負のスパイラルです。

締まるから裏声に逃げるしか選択肢はなくなる。

そして結局ラスサビは裏声のオンパレードでめちゃくちゃダサい。

っていうのが、毎回のライブの顛末です。

挙げ句の果てに、ライブ後は決まって声ガラガラだし。

もうほんとにね、声出なかった日って◯ぬほど自己肯定感下がりますよね。

「穴があったら入りたい」とはまさにこのことだなと。

僕の悩みを細分化すると、

①高い声が出ない
②力みがひどい(喉が締まる)
③最後まで歌いきれない
④声が枯れてしまう

という、
その後も10年近くに亘って
向き合い続けることになる
とても根深い根深い問題でした。

エピソード③ソロ活動〜ボイトレの日々

バンド休止後、歌うことはやめたくなかったので弾き語りという形でソロ活動を開始しました。そして、そこで初めてボイストレーニングに挑戦してみることにしました。19歳のことでした。

きっかけは、ふと入った楽器屋さんで見つけた「ハリウッドスタイル」と書かれたボイトレ本でした(今や「ロジャー本」という愛称で、日本に「ミドルボイス」という概念を広めた名著となっている)。

本に付いていた20分ほどの英語のトレーニング音源と一緒にボイトレをする、というものだったのですが、これをほぼ毎日やってみることに。

「確かに、いつもより高音が出る!」

と感じました。

特に"mum"という発音では、高音が出しやすく、"いつもの地声とはちょっと違った"感覚でした。

「これがミドルボイスか!」

ロジャー本は、「ミドルボイス」と呼ばれる、"地声と裏声の中間の声"を習得するための本で、確かに、軽い感じの地声?的な実感を得る瞬間がありました。

「きっとこれを沢山やったらめちゃくちゃ楽に高音が出せるようになるに違いない!!」

僕は、周りのボーカルを"スッパ抜き"出来るかもしれない期待に胸が躍りまくっていました。

エピソード④ボイトレ迷路に迷い込む

ロジャー本を手に入れてから、1年ほど、ほぼ毎日トレーニングの日々を過ごしていました。

しかし、"ボイトレでは楽に出るようになったけど、歌では使えない"という問題に、新たに直面していました。実際の歌は色んな母音子音が混在し、メロディの移行もスピードも複雑で、"ボイトレでやったことを、どうやって歌に取り入れれば良いのか?"が分からなかったんです。

そこで、初めて独学の限界を感じ、プロに習ってみようと考え、(今は無くなってしまった)全国チェーンのボイトレスクールに入会しました。レッスン内容詳細については割愛しますが、最初に腹式呼吸を学び、あとはスケール練習をしたり、課題曲に基づいて上手く歌うためのコツを学ぶという感じです。

そこに半年くらい通いましたが、僕の体に染み付いた"悪い癖"は相当厄介だったらしく、結局明らかな変化は感じられず退会してしまいました。

自分より年下の子や、後から始めた後輩が上手に歌ってるのを見て、

「発声も才能なのかもしれない。」

という言葉が脳裏をよぎり始めていました。

たいして練習してない後輩はあんなに気持ちよさそうに歌ってるのに
こんなに頑張ってる自分はなんで全然良くならないんだろう

って。

マジ卑屈ですね。

エピソード⑤偶然の発見

ボイトレスクールを辞めてから4年、初めてボイトレを始めてからは5年ほどの年月が経ち、半ば諦めながらもロジャー本の音源練習だけは愚直に続けていたある日の話です。

軽いノリで、運動不足を解消するために「プールで泳ごう!」と考え、家から15分ほどの健康ランドに行きました。1時間くらい泳いで、帰りの車で歌を歌い始めた時、自分の中では超びっくりなことが起きました。

無理なくスッと声が出たんです。

あれ?と思っていつもよく歌ってる歌をフルで歌ってみたのですが、いつもより全然楽に歌い切れる。

(これってもしかして、プールで泳いだことと何か関係がある??)

と僕は思いました。よく考えてみたら、今まで自分は発声をよくするために「喉」についてしか考えてこなかったな、と気づいたんです。

その日を境に、“声と身体には密接な関係があるのかもしれない”という仮説をもとに、関連しそうな情報をたくさん探してみると、次から次へとそれらしきものが出てきます。

何か確信めいたものを発見した自分は、それについての専門知識を持っている人達を探す旅に出ることにしました。

エピソード⑥声は「科学」だった

「声」というのは目に見えません。

だから、あまりにも掴みどころがなさすぎて、
・意図して操れないもの
・変えることができないもの
・偶像(これは言い過ぎだけど)
と感じてしまうものです。

が、僕が懸命に探して直接会いに行った優秀なボイストレーナーたちは、口を揃えてこう言いました。

「声は科学。単なる物理現象だから、誰でも、何歳からでも良くできる。」

ああ、なるほど。と思いました。

今まで僕は雲を掴むようなこと(=感覚だけに頼った訓練)しかしてこなかったから、上手くならなかったのかもしれないな、と。

そこからはのめり込むようにボイトレスクールに通いまくりました(2年間で14名の師匠に師事。ハリウッド式の発声に関する先生、声楽式の発声に関する先生、歌うための身体づくりについて教えてくれる先生、ジャズボーカルの先生などなど、めちゃくちゃ多角的に学びました)。

中でも大きかった発見は、
・筋トレ、ストレッチだけで音域が拡がる
・地声の音域を伸ばす一番の秘訣は”裏声”の練習
・ボイトレ動画を見ても上手くならないのは「覚醒」のフェーズを知らないから
などなど…今までの僕や世間の方の”一般的な常識を覆すような練習”こそが、自分の発声の問題解決にとって最も重要だったことです。

だって、
・高い地声を出したかったら、普通は地声の練習しますよね?
・「まず筋トレしましょう!」って言われて「どゆこと!?」ってなりますよね?
って話です。

やはり有識者の指導は一味違いました。もう、普通のトレーナーとは全然違う”常識”と”基準”を持ってたんですよね。度肝を抜かれる、とはまさにこのことだなと。

言うまでもなく、僕の音域は短期間でメキメキと拡がり、

「これがいわゆるミドルボイスやミックスボイスと呼ばれる声の感覚か!」

というものを明確に手にすることが出来ました。当然、実際の歌唱における音域に関しても思いっきり拡がりまして、元々F#4(中央のドの6つ上の音)で裏返りまくってた僕が、男性の「鬼門」とも呼ばれるhiCまで”歌で使える”ようになったんです。

いやもう車の移動中も、カラオケも歌いまくりましたね。

だって、声が気持ちよく出るって、めちゃくちゃ楽しいですもん。

もちろん1人で何時間歌っても、何年も声は枯れてません。

友人からの評価も、自己肯定感も上がりまくりで、本当に諦めないで頑張ってよかったなと思いました。

歌えなくて悩んで、初めてボイトレをした日から、実に10年近くの年月が経っていました。

エピソード⑦昔の自分を救いたい

僕にとって、ボイトレは「練習」ではありません。もはや「日常」です。

そのくらい「ボイトレ」そのものに強く惹かれてしまい、今も”呼吸するように”ボイトレしてます。要は生存活動と同じくらい無意識的にやってしまうってことです。やりたくてね。

そして、これは僕の生徒さんたちも例外ではありません。

こんな状態だから僕も生徒さん達も毎日どんどん上手くなってて、実践者としても教育者としても、とっても満足度は高いのだけど、一つだけ後悔もあります。

それは、「もし、自分が悩んでる時に、今の自分のような人がいたら、人生はもっと変わったかもしれない。」ということです。あ〜もっと早く上手くなって、がっつり音楽活動してる時に、ステージで気持ちよく歌える自分になりたかったなと。

でも過去は変えられません。だから、あの時の自分のように悩んでいる人を助けられる人になろうって思いました。それでトレーナーになったというわけです。

始めた当時は、「上手く教えられるかな…」と恐怖しながらレッスンしてた僕も、”自称”ボイストレーナーをで名乗り始めてから6年が経ちました。正確には数えてませんが、個別指導した生徒だけでも間違いなく100名を超え、レッスン数も5000回くらいはやってきて、"自称"の文字もかなり薄くなったんじゃないかな〜と感じてたりもします。

とにかく沢山の人の声を聞き、トレーニングを施し、改善するというステップを「栃木県で一番やってきた」自負があります。おかげさまで、今は”声を聞けばその人の筋肉の動きを聞き分けられる”ようになりました。だから、初回カウンセリングでは皆さんに今の「喉」と「身体」の状態をお伝えし、「ここから何をやっていけば良くなるのか?」まで事細かに説明させていただいています。生徒さんも言ってくれていますが、

僕はおそらく”声を聴いて診断する”ことにおいては、相当特殊な訓練を積んで来てるので、他のスクールでは体験できないちょっと面白い診断を受けられると思います。

「現状がわからない」以上の悪はありませんから、特に今まで沢山練習してきたのに思ったように成長を実感できていない方、そしてこれから本格的に練習をスタートする方も、必ず現在地を確認してからトレーニングを開始することを強くお勧めしています(じゃないと僕みたいに10年間路頭に迷うから気をつけてください)。

〜最後に〜今度は君の番

さて、長い長い自己紹介を読んでいただいた皆さんありがとうございました。

トレーナーの中には「最初から上手かった」人も存在します。でもその人に歌えない側の人の気持ちが本当にわかるのか?というと甚だ懐疑的です。

僕は今でこそ人よりちょっとは歌も発声もうまいですが、天才ではありません。10年もかけて誰よりも悩み、誰よりも諦めずに声に向き合ってきた自負があります。

そして、その中でたくさん悩み、葛藤し、落ち込み、最後には自分のなりたい姿にかなり近づくことができました。(もちろんまだまだ上を目指すよ!)

だからこそ、声で悩むほとんどの人の気持ちがわかります。カウンセリングでは毎回のように「あ〜!わかるううううう!」「そうだよねええええ!しんどいよねえええ!」って共感のオンパレードです。

でも、大丈夫。あなたの声は必ず良くなります。

何歳からでもね。

だって声は「科学」で、単なる「物理現象」ですから。

変わらない理由を説明する方が圧倒的に難しいんです。

1人で悩まず、是非気軽に頼ってくださいね。

初回カウンセリングのお申し込みはこちらから
(※24本のボイトレマスター動画も無料プレゼント中)

クリックで各ページに飛べます↓
①えはら校長はどんな人間なのか?(本ページ)
②ボイスリードでは何を学べるのか?
③スクールの具体的な情報(申込方法含む)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?