小説『ひなたぼっこ/かぞくごっこ』
西側の小さな小窓から風が入ってくる。少し冷たいその風を感じながら、庭に面した大きな南窓に背中を持たれながら街の音を聞く。
毎日朝8時に目の前の横断歩道には小学生が溢れている。次から次へと、「右、左、前、後ろ、よし」と横断確認の声が聞こえてくる。ローテーションで組まれた見守りの保護者の声は高くなったり低くなったり、時には父親だと思われる声もする。
10時を過ぎると、次はおばちゃんたちの井戸端会議が始まる。楽しい話も悪口や噂話も何でも入ってくる。暗い話の時は声が小さくなるから私は目をつぶって耳を澄ませなければ聞こえない。その会話を聞いて勝手に胸が痛くなっては床に倒れこむ。今日は機嫌がよかったのか、商店街の先の新しいお店やスーパーのイケメン店員の話、野菜の育ち具合など平和な話ばかりで胸が苦しくなることはなかった。ありがたい。
15時。子どもたちが帰ってきて友達の家や公園とかで遊び始める。またにぎやかな声が聞こえ始める。騒がしいと文句を言う人もいるみたいだけれど、私にとっては子守歌だ。お昼寝の時間。心地いい太陽の温かさとひんやりとした風と子供たちの声で私は眠りにつく。時間は15分だけ。でもこの15分がとてもとても幸せな気持ちになれるのです。
17時になるとこの街では帰りの時間を知らせるチャイムが鳴る。引っ越してきた当初は17時になる度に驚いていたけれど、時計を見なくても時間が分かる便利な音時計になっていた。陽が傾いたこの時間になると南窓の特等席は寒くなってしまう。少しだけ部屋の中心へと動いて小さなヒーターをつけて暖を取る。
19時に大好きな人が私の隣に帰ってくる。暖かいね。と言いながら、今日のお仕事の話、笑った話、悲しい話、色んな世界を持ってきてくれる。暖かいスープを飲みながら、大好きな人の話を聞き続ける。そのうちに眠くなって、私の記憶は途切れた。
***
仕事中、突然妻の携帯から電話がかかってきた。珍しいと思って、上司に断りを入れて電話に出ると、知らない人の声が耳に飛び込んできた。
「奥様が交通事故に合われて○○病院に運ばれました。」
それ以上の言葉は聞き取れなかった。嘘だろ。
全ての仕事を放棄して病院へ直行する。お願い、何事もなく笑っていてくれ。
そんな願いもむなしく、病院に着いた時には妻の頭には白い布がかぶせられていた。
もう会えない。幸せな日々が終わってしまった。
妻を轢いた人からの謝罪も、会社の上司や同僚からの心配の声も何も入らなかった。ただ、ぽっかりと胸に穴が空いたまま、流れに身を任せて生活していた。
そんなある日、ポストに1枚のチラシが入っていた。
”死んだあの人にもう一度逢いたくないですか?”
縋りつくしかないと思った。思うがまま書かれている連絡先に連絡を入れる。妻に、もう一度会わせてくれ。会いたいんだ。電話越しに何度も叫んだと思う。泣きながら、自分が大人であることも忘れ、子どものようにただ必死に泣き叫んだ。
そして、その1か月後、妻とともに知り合いのいない土地へと引っ越してきた。新しい職場はすぐ見つかり、日中は妻を一人にして仕事へ行く。帰ってきてからはその日に会った出来事を沢山聞かせてやる。妻が寝るまでそばにいる。
家から出してあげれなくてごめんね。でも愛してる。
今日も静かに妻は眠った。