人生を啓蒙するドラマ、岸辺露伴は動かない
先日放送されたドラマ『岸辺露伴は動かない』を見て、自分が妖怪にとりつかれていたことに気づいた。
きっかけは、Facebookのそれほど親しくない男性の投稿を見たことだった。
空港のラウンジで撮った写真が一枚載っている。パナソニックのノートパソコン『レッツノート』がテーブルに開かれ、わきにグラスの七分目まで注がれたスパークリングワインと生ハムのようなものが写っている。
「これから福岡へ出張」という出だしで始まり、以下のような文章が続いていた。
「毎日、全くおもしろくない。仕事も順調で刺激がない。一体、自分はどうすればいいのでしょうか?」
投稿者は、どこかの会社の取締役であることはなんとなく知っていたが、あかの他人とは言え、こういう投稿が目に入ると無意味に嫉妬を感じてしまう。
にもかかわらず、私は「イイネ」を押した。
実際に何を感じようとも見た投稿にはマナーとしてすべて「イイネ」を押すことを習慣としているのだ。
こうすることで「私は、あなたをうらやましいと思う気持ちはありません。だって心に余裕がありますから」というアピールにつながると思うからだ。
私と同じように考える人は意外と大勢いるのだろう。すでに100近い「イイネ」がついていて、コメント欄にもいろいろと書き込みがあった。
「うらやましい」という内容が大半だったが、なかには、「初日の出のクルーズ、一緒に行きますか?」とか「スキーはどうですか。今年のニセコの雪質は最高らしいですよ」という提案型のものもあった。
私は、思わず
「そうなんですね。それほど刺激がほしいなら四辻に寝転がってはどうですか?」
という提案を書きそうになった。
先日見た、ドラマ『岸辺露伴は動かない』のエピソードによると、二本の道路が交差する四辻は、異界に通じており、向こう側に住む妖怪がこの世との間を行き来する出入口になっている。
そこで、人間が転んだり、立ち止まったりすると妖怪がとりついて悪さをするのだという。
岸辺露伴とは、マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する大人気マンガ家だ。二枚目だが、ファッションと髪型がとにかくエキセントリック。
露伴が描くマンガは、リアリティが最大の魅力だ。
「ヘブンズドア」という能力を持っていて、人間を本にしてその人の記憶を文字で読むことができる。この才能をマンガに生かしているのだ。
さらに行動力がすごくて、リアルなネタ探しのため、読者を喜ばせるためなら、破産もするし、借金もするし、さまざまな危険もいとわない。
そんな特異なキャラクターに人気が集まり、『ジョジョ』からスピオンオフ版として独立し、ドラマになったという経緯である。
私は、Facebookで「マンガだ~い好き」というグループに入っている。そこで『岸辺露伴』のドラマ化の話を聞いたとき、耳を疑った。実写化は難しいと思ったからだ。
『岸辺露伴は動かない』のテーマは、「あたりまえの裏にひそむ何かの存在」である。
それは何か?
日本全国に古くから存在している妖怪のことだ。
妖怪? それって作り話でしょう。
そう思った方も多いだろう。
しかし、思い出してほしい。
真夏に一瞬ヒヤッとした風が首筋にあたったり
入道雲が怖いものに見えたり
沼の底で何かが動いたような気がしたことはないだろうか。
人間が五感で感じることができるが、形をもたないもの。
この感覚が日本各地の妖怪伝説のもとになったのだろうと思う。
これが『岸辺露伴は動かない』の世界観であり、人類の原始にさかのぼり、タブーにふれるような感覚がある内容なのだ。
心配しつつ放送日を迎えた。すると主演の高橋一生さんは、露伴そのものだし、脇役の配役もピッタリだった。露伴の仕事場やカフェなどのロケーションも「よく探せたなあ」というくらい見事に再現されて何一つとして違和感がない。
実写版を見ながら、はっと気づいた。
誰かのFacebookの投稿を見て嫉妬にかられたのは、妖怪が自分にとりついて悪さをしているからではないだろうか。
あの時、自分はこんなにがんばっているのに、なぜ報われないのかという感情が自然に湧きあがった。
読んでいなければ、大事が起きない平穏な日常に感謝する気持ちを持っていたはずなのに、そのことを忘れていた。
あの記事こそが妖怪が生まれる場所だったのかもしれない。
私は、Facebookで記事を投稿した男性のページへ行って「この人と距離を置く」というボタンをそっと押した。これで彼の投稿は目につかなくなるはずだ。
ドラマ『岸辺露伴は動かない』を見ていなかったら、ずっと嫉妬にかられていたことだろう。自分を嫌いになっていたかもしれない。
嫉妬や怒りというダークサイドの感情を人間から切り離すことはできない。だから、全力でポジティブとネガティブな感情の割合のバランスをとらなければならない。
それでも何かのきっかけで「陰」の考えで心が100%占められてしまうことがしばしばある。そのとき、今の私には妖怪がとりついているに違いないと気づき、その妖怪を消滅させることが大切だ。
このようにドラマ『岸辺露伴は動かない』に救われた。私のようにネガティブな感情に苦しむ人がいたら、エンターテインメントな啓蒙ドラマとして鑑賞をおすすめしたい。
《終わり》
執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
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