最も強い希望は、絶望から生まれる
「馬鹿者! 今すぐ切符を買い直してこい!」
イギリス北部のハロゲイトという町で、25歳の私は社長に怒鳴られて涙を流していた。日本から数人の顧客を連れてファッション展示会を視察するための出張中の出来事。お客様の一人が急いでロンドンへ行きたいということで、代わりに私が列車の切符を駅へ買いに行った。しかし、行き先が違う切符を買ってしまったのだ。英語が苦手な私はそれに気づかなかった。
「どうして、外国でこんなに辛い目に逢うの?」
私の役目は、この視察ツアーで社長をアシストすること。だが、そもそも海外旅行へ行ったことがなかった。その上、英語もできないのだ。それにも関わらずなぜ、アシスタントに選ばれたのだろうか。
私が働いていた会社は、社員6人のファッション系雑誌の編集プロダクションだった。社長は、30代後半。野心家でアパレル系企業のコンサルタントもしながら事業拡大のチャンスを狙っていた。夢は、東京にインポートブランドを扱う店舗を持ち、最終的にフランチャイズ化して、コンサルタントしているクライアントたちに経営してもらうことだった。だから自分の理想を語る場として彼らを海外の展示会へ連れていくことは、目標への第一歩。やっと念願のチャンスがやってきたというかたちだった。
視察ツアー開催が決まり、現地で社長のアシスタントが一人必要だという話になった。しかし、人を雇う余裕はない。「あの短気な社長と海外出張なんて……」と他の社員は嫌がった。その結果、一番下の私に白羽の矢が立ったのだ。
とは言え、会社はリスクを回避するプランを組んでくれた。私は一人で先にハロゲイトへ飛び、社長が引率してきた顧客たちと合流し、展示会場のマップを渡すだけでよかったのだ。なのに……。
怒鳴られた私は、お客様の前で泣いた恥ずかしさより、とにかく社長が怖くてタクシーに飛び乗ってまた駅を目指した。
駅までは15分くらいの距離。さっき見たばかりの眺めが目に入ってくる。ハロゲイトは、有名な紅茶の町だ。通りには、洒落たティーハウスが数軒あってわざわざロンドンから訪ねてくる観光客もいるほどだ。
そんな風景を楽しむ余裕は私にはない。アドレナリンが全身から放出され、焦りがピークに達しているのを感じた。それもそのはずで、飛行機の中でも、ハロゲイトに来てからも緊張で眠れなかった。すでに出発前から顧客とのやりとりでミスを連発して何度も社長に怒鳴られて落ち込んでいたせいだ。しかし、今日の怒鳴られ方に比べれば、それらは軽いジャブのようなものだった。
勢いでタクシーに乗ったものの、果たして私に正しい切符を買うことができるのだろうか。全く自信がない。青い顔で「この車が事故に逢えばいいのに。だったら駅に行かなくてすむ」と後部座席で願うばかりだった。
無情にもタクシーが駅に着いた。天気予報では、晴れだったが、空は一面圧迫するような低い雲におおわれている。
「ああ、これが有名なイギリスの鉛色の空か。私は、はるかかなたのこの地で失敗を悔いて死ぬのだ。国際電話をとった家族は驚くだろうな。『仁子が抜擢された!』って親戚に電話をかけていたのに。お父さんとお母さんは無言の私を引き取りに来るのだろう。あの二人も英語話せないのに、遠くまで来させてごめんね……」
懸命に止めていた熱い何かが、じわっと、次の瞬間どっと流れ出した。しばらくの間、涙があふれるのにまかせて駅の上に広がる空を見上げて立っていた。
「……仕方ない。とにかく切符を買い替えなければ」
ハロゲイトの主要交通は、列車だ。だから駅は混雑するが、切符の自動販売機はない。一つしかない有人窓口で買うしかないのだ。
私が失敗した一番の理由は、英語力不足だが、二番目の理由があったことに思い当たった。最初に切符を買ったとき、「早くしなければ。後ろの人を待たせたらいけない」という日本人ならではの焦りがあった。だから、係員が渡してくれたものを見ずにすぐにバッグにしまって窓口を離れたのだ。
列が短くなったタイミングを図って並んだ。すぐに私の順番が来た。「ハロー」とガラス越しに切符売り場のおじさんに声をかける。「また、あんたか」という顔で見られる。さっき下手な英語で話したものだから何度も聞き返された。それで顔を覚えられたに違いない。
私は紙に『ロンドン、片道、特急』と英語で書いて窓口から差し出し、最初に買った切符を見せて「チェンジ、チェンジ」と繰り返した。おじさんは、何か英語で言っているが、私には全くわからない。おそらく「返金できない」と言っているのだろう。それでもいい。返金できなかったからとてぶらで帰って怒られるより、出費は倍になっても新しく買って怒られたほうがましだ。
腰にまいたポシェットに多めにお金を用意していたのでそれで払った。カウンターで渡された切符を何度も指さし確認する。『ロンドン、片道、特急、ロンドン…』、いつのまにか私の後ろには長い列ができていた。「ごめん、皆さん、私の用事が終わるまで待って」と心のなかで叫んだ。間違って切符を買ったら、またここに来て並んで同じことを繰り返すことになる。いや、三度目はないだろう。「お前は、クビだ!」と怒鳴られて終わりだ。
それからは、記憶がはっきりしない。とにかく大急ぎでタクシーを拾って社長に切符を手渡した。「どうか間違っていませんように…」、祈りのような強い気持ちだけが、今もはっきりと心に残っている。お客様は、切符を手に「おつかれさま」と私に言って駅に向かい、その姿を社長と見送った。きっと心の中の何かの糸が切れたのだろう。覚えているのは、それだけだ。
日本に帰ってからわかったのだが、海外視察ツアーは良い評価を得たようだ。以後、毎年繰り返されることになった。
そして、翌年のアシスタント役として社長から私に再び声がかかった。
驚くことではない。私は、英語の能力不足による失敗を二度と起こしたくない一心で毎日英語の勉強を続けた。その結果、TOEICのスコアは、当初の500点から800を超えた。TOEICとは、英語の能力を測る共通テストのことで、800を超えると「平均より英語ができる」という認定を得られる。それで英語アレルギーに終止符を打ち、自信を持って役目を引き受けることになった。
なぜ、全く英語ができなかった私の英語力がアップしたのか考えてみると、答えはテキストの選び方でも勉強法でもない。「二度と絶望したくない」という一念が私の背を押したのだ。
あれから数十年がたつ。英語は、転職や人脈づくりなど人生の転機でなにかと役立ってくれている。
「最も強い希望は、絶望から生まれる」
イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルの言葉だ。絶望を乗り越えると、得られる希望は大きい。ただし、それが手に入るかどうかは自分次第なのだとこの名言に付け加えたい。そして、私はこれからもこの教訓を忘れることはないだろう。
《終わり》
執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
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