私だけのカリスマ、アートディーラーMr.K
美術館へ行ったとき、一周見てまわるのにどのぐらいの時間がかかるだろうか?
絵画を鑑賞して解説を読んでいると1、2時間かかるという人もいるかもしれない。
ところが、15分で入って出てくる人がいるのである。
その名は、アートディーラーMr.K。
私が、カリスマとして尊敬するビジネスパーソンだ。
彼の仕事は、絵画を売買すること。といっても想像がつかない人のほうが多いだろう。
美術館にある絵画を思い浮かべてみてほしい。絵は画家の手を離れたあと、教会や貴族、裕福な商人などによって買われ、数百年の間に所有者の変遷を経て最終的に美術館に購入されて飾られている。そのなかで重要な役割を果たしたのがアートディーラーの存在だ。
映画で、絵がオークションで落札されるシーンを見たことがあるのではないだろうか。アートディーラーは、そのような組織化された売買ではなく、絵画を買いたいお客さんと売りたいお客さんを仲介して絵画を取引する。
Mr.Kは、70代。現役のアートディーラーだ。
絵画の本場であるヨーロッパでは、アートディーリングは貴族階級の仕事である。
生粋の日本人であるMr.Kが、そのような職業についている理由は、イギリス貴族出身のアートディーラーをビジネスパートナーに持っているからだ。
40年近く前、彼はパートナーにその審美眼と人柄を見込まれてアートビジネスの世界に足を踏み入れた。
扱うのは、レンブラントやモネ、ルノワールなど美術館クラスの作品。顧客となるのは、国内外の富裕層、美術館である。
有名な絵画は、非常に高額で債権の代わりとして扱われることも多い。例えば、モネやルノワールの絵画であれば、軽々と億の単位を超える。
一例として東京・新宿のSOMPO美術館に所蔵されているゴッホの『ひまわり』は、1987年に安田火災海上(現・SOMPOホールディングス)が4000万ドル(当時のレートで50億円超)で購入した。今なら数倍の高値がつくと予想されている。
このように巨額の金額が動くのが絵画取引の業界であるため、ここではご本人を守る目的で本名ではなくMr.Kと呼ばせていただきたい。
「あなたのような平凡な人が、なぜそんなすごい人と会えたの?」
Mr.Kのことを話すと誰もが口を揃えて言う。
自分でも不思議なのだが、彼と私は導かれたような縁でつながっていた。
出会いは、2016年8月だったと記憶している。友人が早世し、お弔いの会がレストランであった。私の隣に座ったのが、Mr.Kだった。
熱い夜だった。パリッとした白いポロシャツにネイビーの麻のジャケット。それをこなれた感じで着こなした、長身の品のよい紳士が隣で安心した。それが第一印象だ。
私は、人見知りで自分から声をかけるタイプではない。しかし、Mr.Kが話しかけてくれたのだ。それが自然な流れで優しい声だったので、私は初対面の人に対してめずらしく心が開いた。
会社員だった私は40代後半でそれなりに経験を重ねていたつもりだった。Mr.Kはどこか異質に思えた。
「お仕事はなんですか?」
グラスの白ワインが空いたタイミングを見計らって聞くと、彼は答えた。
「アートディーラーです」
ポカンとしている私に、自分の仕事について教えてくれた。
アメリカの財閥との絵画取引、ゴッホの絵を売買しようとした時の裏話、イタリアの武器商人の邸宅を訪ねた時の様子、贋作を買って大損害を受けたお金持ち……。
私は親の趣味の影響を受けて絵画を見るのが好きだったが、美術館が世界のすべての絵を網羅しているのだと思いこんでいたし、この世に偽物の有名絵画が存在するなどよぎったこともなかった。
実は美術館で見ることができる絵は一部なのだ。個人の絵画コレクターが所有している名画も多く、不幸な火災、戦争などで失われた貴重な絵もたくさんあることがわかった。一枚一枚の絵の背景にはそれぞれのストーリーが存在している。
そんな世界にかかわっているのが、目の前でおだやかに笑うMr.Kなのだ。
自分が立っている地続きの陸の上で、見上げている同じ空の下でこんなエキサイティングなことが起きているなんて信じられない!
身体中の血が熱くなって血管という血管を循環しはじめた。
息が荒くなり、心臓がドクンドクンと波打ち、瞳孔が開いた気がした。
誰かの話を聞いて、こんなに興奮したのは初めてだ!
私は一生をこのまま何事もなく終えていくのだと思っていた。しかし、自分が自分に問いかける声が聞こえた。
「世界は想像以上に広く、私はほんの一部しか知らない。このままでいいのか?」
そのあと、Mr.Kとどんなふうに別れて、家に帰ったのか記憶がない。
しかし、クラウドのドキュメントに彼から聞いた話がアップされていた。帰りの電車で一言一句も漏れがないようにiPadで必死に打ち込んだらしい。
彼の名刺は大切にA4のクリアファイルに入れた。白い書棚に入っていた数十冊の本を全部出し、空いた一段に名刺が入ったファイルを正面に向けて飾った。
「この人のことをもっと知りたい。どうすればいい? 神様、お願い、教えて!」
私は、毎晩この名刺に向かって祈った。Mr.Kから聞いた財閥のオーナーや武器商人の顔写真、話に出た絵画をインターネットで探し出して印刷したものを名刺の周囲に貼り付けた。その空間はもはやオリジナルの神棚と化していた。
そんなとき、会社で人材トレーニングを受ける機会があった。外部の講師が会場で話をするのを聞くというスタイルだった。
「そうか。Mr.Kが講師になって講演会を開けばいいんだ」と思いつき、電話をしようと決めた。
すでに出会いから2年がたっていたが、胸のなかでは鮮やかにMr.Kの話を再生させることができた。
「私を忘れているに違いない」
そう思ったが、私は神棚から名刺を取り、スマホで11桁の数字を一つ一つ慎重に押した。
自分の心臓の鼓動に押しつぶされそうだった。
もう切ってしまおうか。いやワンコールだけがんばろう。
「はい」
懐かしい声だった。何度も何度も心のなかでよみがえらせた声。
「あ、杉村です。〇〇さんのお弔いの会でお会いした……」
「ああ、こんにちは」
私は、ノートに事前に話す内容として書いておいた「講師をお願いしたい」という主旨の文章をできるだけ棒読みにならないように読んだ。
Mr.Kは無言になった。
オロオロして頭が真っ白になった。それもそうだ。2年ぶりに電話があったかと思えば、講師を依頼したいと突然言うのだから。
いや、ここで引き下がるわけにはいかない。
昔、国内のリゾートホテルで見たポリネシアンダンスのステージが思い浮かんだ。燃えあがる炎の輪っかの中をダンサーが見事にくぐり抜けるのだ。
Mr.Kを説得するという行為は、心のなかではその炎の輪くぐりに似ていた。念じればできるかもしれない。
とにかく自分の想いを伝えきらなければという必死さでいっぱいだった。
頭のなかをひっかきまわして、ありったけの単語を集めてきて口から次々と出した。おそらく文章にはなってなかったはずだ。
Mr.Kは言った。
「〇〇(早世した友人の名前)のひきあわせかもね。来週、新宿のホテルのカフェで会うのはどう?」
「はい! 私はいつでもいいです。時間をご指定ください!」
再会の日までMr.Kのことを考えるにつれ、私の考え方は変わっていった。当初、電話をしたのは自分の好奇心を満たすためだった。
しかし、もっと多くの人に彼の話を聞いてもらいたいと思うようになった。
特に「アート」という分野は、難しいという印象を持たれている。興味があってもなぜか中に入りにくいのだ。Mr.Kの話は、一般の人たちにアートの扉を開くきっかけを与えるような気がした。
何より彼の話によって私自身が見えている世界は、真実の世界のごく一部であることに気づけたのが重要だった。知らず知らずのうちにガラスの壁で目の前をふさぎ、「限界はここまでだから」と自分の可能性にフタをしている人は多いのではないか。
世界のほんとうの広さに気づきさえすれば、世の中はいろいろな可能性に満ちている。そういったことを伝え、心を奮い立たせるようなきっかけ作りができるのではないか。
当日、カフェで私はそのような考えを伝えた。
Mr.Kは、静かに聞いていて「主旨はわかりました。いいですよ」と言ってくれた。
そのあと「Mr.Kの絵画取引シリーズ」と題してレンブラント、モネ、ルノワール、ゴッホの取引の裏話、真贋鑑定、世界経済と絵画取引など計7回の講演会を行った。
対面講座はいつも満席で「こんな非日常の世界があるのか」とたくさんの反響を頂いた。
Mr.Kが早世した友人との縁をたてて、私の依頼を受け入れたのは自明の理であった。アートディーラーにとっては仮称であろうと自分のビジネスについて語ることはリスクを伴う。実際に現役のアートディーラーが自らの取引について話す講演会は世界的にもめずらしい。
ついに私はアートの仕事をしていこうと決め、退職届を会社に提出して、正社員から週4日のアルバイトの仕事へと転職した。
恵まれたポジションを捨てるなんてもったいないと言う人もたくさんいた。
確かにそういう見方もできる。しかし、当時も今も自分にとって最も重要なのは時間だった。少しでもMr.Kの講演のために時間をとりたいと願うようになったのだ。
講演会が成功しても、Mr.Kは変わらなかった。尊大さは一切なく、いつも私と対等に接し、約束の時間に正確に現れた。彼の人柄を知るにつれて、この人を信頼しようと確信を深めた。
その後、コロナの緊急事態宣言が発動され、講演をオンラインに切り替えなければならなかったが自分が未熟であったことにより、思った通りに仕事は進まなかった。
さらに痛感したのは勉強不足だ。私は、美術を専門的に学んだわけではない。そのコンプレックスにも押しつぶされそうだった。
打合せでそれをMr.Kに話すと「この近くに行きつけの中華屋があるから」と連れていってくれた。
「餃子食べる?」
「ここの鶏のから揚げ、美味しいんだよね」
あっという間にテーブルの上は、Mr.Kが注文した料理の皿でいっぱいになった。
このときに気づいた。Mr.Kも美術を専門に勉強してきたわけではないことを。
Mr.Kは、イギリス貴族出身のビジネスパートナーに本物の絵を見るために世界中の美術館や個人コレクターの家に連れていってもらったのだ。師匠の横で絵を見ることができたのが最高に良い勉強になったと言っていたのを思い出した。
「あの、私と美術館を一緒にまわって絵の見方を教えてもらえませんか? Mr.Kがどんなふうに絵を見ているのか知りたいんです。もちろん授業料を支払います」
「何度も言っているけどあなたの活動の主旨に賛同しているから協力しているのであってお金がめあてじゃないから。食事代でいいよ」
コロナで取引がストップしていたタイミングだったこともあり、Mr.Kは美術館へ同行してくれることになった。
ちょうど国立西洋美術館で開催していた、ナショナルギャラリー・ロンドン展で会う約束をした。
ゴッホのひまわりをはじめエル・グレコ、ベラスケス、ムリーリョなど本国では国宝級の扱いを受けている画家たちの名作が揃って来日したことで話題の美術展だった。
Mr.Kは時間通りに現れ、ロッカーにバッグを入れた。
私は、ハンドバッグを肩にかけ、ノートを片手に持ち、出品リストと鉛筆を受付でもらった。美術展の会場では、自分のボールペンは使用不可で受付で用意された鉛筆しか使えないのだ。
会場は思ったより空いていた。
「もっと混んでるかと思い……」
話しかけようとして、Mr.Kが隣にいないことに気づいた。もう2~3作品目まで移動している。
なぜそんなに早いのかと言うと、ほとんどの作品をチラッと見ては通り過ぎているからだ。ところどころ10秒くらい立ち止まって、また移動。30秒くらい立ち止まることもまれにある。
それで15分くらいで鑑賞が終了してしまったのだ。
私はMr.Kの背中を追いかけるので必死だったが、Mr.Kがどの絵の前で何秒立ち止まったのかを出品リストに記録することは辛うじてできた。
「申し訳ない。これがプロの見方なんだよ。悪いから君だけもう一回見てきていいよ。ここで待ってるから」と謝られたが、私はそれ以上にMr.Kがあのスピードで何を見ていたのかが気になって仕方がなかった。
Mr.Kに先にコーヒーショップに入っていただき、私は売店で展覧会のすべての作品が写真で載っている図録を買って合流した。
テーブルの上に図録を広げるやいなやMr.Kを質問攻めにした。
「この絵は、とても有名なのになぜ素通りしたんですか?」
「この絵の前で10秒立ち止まったのはなぜですか?」
「ここで30秒立ち止まったのはなぜですか?」
Mr.Kは一つ一つの質問にていねいに答えてくれた。
ナショナルギャラリー・ロンドンには何度も行っているので名作は覚えるくらい見ていること。
10秒止まった作品は、昔この画家の絵の売買に携わったことがあるから懐かしいと思ったこと。
30秒立ち止まったのは、古い絵にかかわらず新しく見えたので修復の具合を確認していたこと。
私は、やはりとんでもない人と一緒に仕事をさせていただいているのだと言葉を失った。しかしそれは徐々に喜びに変わっていった。これほどカリスマ的なアートディーラーに直接指導を受けることができるなんて、私のような普通の人には通常は与えられることがない貴重な機会だと気づいたのだ。
Mr.Kは、その後もいろいろな美術館に同行してくださった。国立新美術館、東京都美術館、上野の森美術館、三菱一号館美術館、富士美術館、ポーラ美術館、ホキ美術館などだ。私のために鑑賞スピードを落とすことはなかったので、どこでもだいたい15分で終了した。
私は効率よく動くため、事前にロッカーにバッグを預けるのはもちろん、花屋さんのスタッフ用のポケットがたくさんあるウエストポーチを買って腰から下げた。スマホ2台(1台はMr.Kの動きを測るタイマーとして使い、もう1台は撮影可能エリアで写真を撮るためのもの)、付箋、3色ボールペン、クレジットカードを納めた。
鑑賞後は美術館のカフェに直行し、席を確保して、Mr.Kには先に休んでもらう。私はその間に売店に行って図録を買い、カフェに戻り、注文する。と同時に図録を開いてMr.Kに質問して答えや感想を聞く。それを付箋に書き込んでページに貼っていくという流れがルーティンになった。
私は、Mr.Kの話を文章で残そうと考え、その第一弾としてMr.Kの講演会をKindle化したことがあった。しかし、本になると講演会で大反響を得たときのおもしろさとは雲泥の差が生まれた。
なぜ感動が半減してしまうのだろう。不思議だったが、理由がだんだん分かってきた。
最大の問題点は、私の文章力の低さにあった。
Mr.Kは、Mr.Kという仮称であっても講演会で自身の取引について語ることはリスクであった。しかし、彼は、Kindle化にあたっては読者の信頼性を得るために本名で登場すると言ってくれたのだ。
私は、彼の気持ちに応えなければならない。そのために天狼院書店のライティング・ゼミで勉強をはじめ、現在はその上級クラスで学んでいる。実は毎週の課題提出が辛くて仕方がない。しかし、課題を出さないという選択も存在しているし、学びをやめようと思えばいつでもやめられる。すべては自分次第なのだ。
これは、Mr.Kというカリスマとともにあるがゆえの自分に課せられた運命だ。私が彼のためにできること、それはMr.Kが話してくれたことを多くの人に楽しく読んでもらえる高質な絵画取引のドキュメンタリーとして残していくために努めることだ。
Mr.Kと初めて出会ったとき、その存在は夜空のかなたで輝く星のように遠かった。今は身近な師匠のように感じる。
しかし、もっと変わったのは私のほうだ。カリスマとの出会いによって自分の目の前のガラスの壁を壊すことができた。そして、数年前は予想もしなかった新しい生き方を見つけつつあるのだから。
あなたにも明日、そんな出会いが訪れるかもしれない。
《終わり》
執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
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