日本語教師になるまでの道のり
今日は、私が日本語教師になるまでの道のりについて書きます。実は、私、日本語教育能力検定試験に2回も落ちています。そして、日本語教師としてデビューする前に4年間もボランティアの日本語教室で経験を積んでいました。今、振り返ってみると、よく諦めなかったなと思います。
日本語教師養成講座
前回の記事では、日本語教師を目指したきっかけについて書きました。
日本語教師養成講座の受講は、下の子供が幼稚園に入園し、上の子供が小学2年生になったタイミングで始めました。
子育てに重点を置いた専業主婦から、学びの世界に足を踏み入れ、毎日が新鮮でした。自分自身のために使える時間ができたことはとても嬉しかったです。
受講生は年齢もバックグラウンドもさまざまで、お互いに刺激しあうことができ、一緒に学ぶ時間はとても充実していました。どの授業も楽しく、学びが豊かで、次回の講座がいつも楽しみでした。
模擬授業での大失敗
しかし、楽しいことばかりではありません。
私は、忘れられない大失敗をしました。
それは、模擬授業でのことです。
私の模擬授業が終盤に差し掛かった頃、
学生役の受講生から一つの質問が出ました。
「勉強」と「学習」は何が違いますか。
えっ。
私は、頭の中が真っ白になってしまいました。
しばらく何も言えず、思考が停止・・・。
その後、授業をどのようにまとめたのか、正直なところ覚えていません。
とても不甲斐ない終わり方をしたと思います。
その日は、大いに落ち込みました。
その後、少し時間はかかりましたが、仲間からの励ましもあって、頭を切り替えることができました。なぜなら、日本語教師としてデビューする前に、この頭が真っ白になる経験をすることができて本当に良かったと前向きに受け止めることができたからです。
失敗からの学び
質問に即座に答えられない場合、講座の先生は、次の授業までの自分の宿題にするとおっしゃっていました。「ただ、毎回このように言っていると信用度が下がりますから注意してくださいね。」とも念押しされました。
受講生の仲間からもヒントをもらいました。
具体的には、質問内容を板書して、クラス全体に共有し、学生たちにも考えさせるというものでした。
この方法は、板書している時間を使って自分自身を落ち着かせることができるだけでなく、クラス全体へ投げかけることで、学生たちから回答のヒントを引き出すこともできるため、非常に有効だと感じました。
そうして、養成講座も半分が終わり、試験の日が近づきます。
日本語教育能力検定試験(1回目)
1回目の受験は、まだ養成講座の途中でした。全然勉強していないに等しい状況での受験でした。
まさに、記念受験。
受験会場は、当時札幌に住んでいたので、北大でした。方向音痴で、地図を見るのも苦手なくせに試験会場についてよく調べもせず学部の名前だけ頭に入れて、北大キャンパスへ向かいました。
広大なキャンパス。
どこだ、試験会場。
あ、受験生らしき人がたくさん会場へ
向かっている。
私もあの流れについて行こう!
着いた先は、なんと、TOEICの受験会場でした。時間に余裕を持って行ったから間に合ったものの、心臓に悪い受験の臨み方でした。
結果は当然不合格。
ボランティア日本語教室
札幌で日本語教師養成講座の受講が終了した後、夫の転勤で名古屋へ引っ越しました。
名古屋での住まいは、少々不便な環境でした。子供が幼稚園と小学校に行っている間だけ仕事ができないものかと探しましたが、通勤がネックとなり、日本語学校で働くのは見送ろうと決断しました。
それでも、養成講座で学んだことを忘れないためにも何かしたいと思い、ボランティアの日本語教室に参加しました。途中掛け持ちで2つの教室に参加したりもしましたが、最後まで続けた教室の方はトータルで4年間、通いました。
週に1回90分の授業。毎回教案を作って5~6人の学習者の方と勉強しました。
4年間は長かったですが、よい経験を積むことができました。
日本語教育能力検定試験(2回目)
2回目の受験は、1回目に比べれば勉強していましたが、それでもまだまだ勉強量は足りていませんでした。こちらも不合格。
安くはない受験料を無駄にしてしまい、落ち込み、自分に喝を入れたくなりました。そして、私は、焦り始めました。
次の転勤で、試験会場が無い場所に行くことになったらどうしよう。
場所によっては、前泊が必要になるかもしれない。受験にかかる費用が爆上がりになってしまう、と。
急に、ギアが入りました。
苦手分野に向き合い、隙間時間もケータイのアプリを活用して勉強しました。とにかく必死でした。
しかし、過去問を何度解いてもなかなかアップしない点に、無理かも・・・と弱い自分が何度も出てきました。
でも、養成講座に通うために協力してくれた母や家族のことを思うと、途中で諦めるなんて、そんなことできません。
それに、やっぱり日本語教師になりたい!
教壇に立つ自分の姿を頭に浮かべることで、自分を鼓舞しました。
日本語教育能力検定試験(3回目)
心配していた転勤もなく無事に名古屋で3回目の試験を受けることができました。試験が終わったあと、少し手ごたえを感じました。
もしかしたら、合格できるかもしれない。
でも絶対の自信はありません。
合格発表までの日々は長かったですが、ついに努力が報われました!
合格証の入った大きな封筒が家のポストに入っていた時の喜びといったら!!
涙をうかべながら、何度もガッツポーズを決め、スポーツ選手が優勝を決めた瞬間のように、一人で雄叫びをあげて家のリビングを走り回りました。
転勤で関東へ
試験合格後、早く働きたいと思っていたところへ、チャンスが巡ってきました。
次なる夫の勤務地は東京!
日本語学校もたくさんあります。はやる気持ちを抑え、まずは住環境を整え、子どもたちが学校に慣れたころ、私の就活を開始しました。
履歴書を送った学校から書類審査が通ったと連絡が入り、採用試験(模擬授業と面接)を受けることになりました。模擬授業では、ものすごく緊張して声が上ずり、ホワイトボードのペンを持つ手の震えが止まりませんでした。
面接では、4年間続けていたボランティア活動のことを「子育ての傍ら、日本語教育にかかわり続けたいという思いで、ずっと頑張られたのですね」と言ってもらえ、とても救われた気持ちになったのを覚えています。
採用通知
面接を受けた学校から採用通知を受け取り、とうとう日本語教師としてデビューを果たすことができました。
初日の授業内容は、今となっては覚えていませんが、4コマの授業が終わった後、まだ昼間だというのに、夜8時くらいの疲労感を感じたのを鮮明に覚えています。
長い道のりでしたが、諦めなくて本当に良かったと思います。
学生の皆さんの成長を支える仕事は、私にとって大変やりがいのあるものです。彼らの自信を持って進む姿や成果を見ることは、私自身にも勇気やモチベーションを与えてくれます。
さらに、異なる文化や考え方に触れることで、自分自身の視野を広げ、自分の考え方やアプローチを常に見直す機会を与えてくれます。
この環境に身を置けることに感謝して、この記事の終わりとします。
長文を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
また、次のnoteでお会いしましょう。