なぜ生きるのか?波乱万丈人生その先へ①

はじめまして。
見ていただきありがとうございます。ここるなです。

私の経歴はプロフィールに書いた通りなんですが、せっかく自己紹介タグがあったので、波に乗っけてもらおうという魂胆で書いてます(笑)

そんなことはおいといて、さっそくですが自己紹介をしていきたいとおもいます。

幼少期~小中はいじめ三昧

現在アラサーな私ですが、昔は本当にひどい目に合っていました。

詳しくはタイトルの通りなんですが、いじめにもいろいろな種類があると思います。

直接型裏方型、と私は認識しています。

直接型とは、その名の通り昭和ないじめ方ですね。
ペンで刺したり、荷物を隠したり、くつを隠したりと直接的な行動をすることです。

裏方型とは、裏で陰口をいうタイプです。
本人がその場を通るときにはあえて言わないで、立ち去った後にいう人が多いように感じます。

当時この2パターンが主流でしたが、いまはインターネットの時代。
LINEや掲示板を使った悪口なども多いそうですね。コワヒ…。

ちなみに私は全て受けたことがあります。
自慢じゃないけど、ネットに晒されたこともあります。

なんならFF14のキャラクターも、すべてですね。
所属しているFCからツイッターまで幅広く晒されてます。

まったくうれしくないと思いますよね?普通。

でも、私は嬉しかったです。

なぜだと思いますか?

好きの反対は嫌いじゃないんです。

無関心

自分自身で最大につらい思い出は、これです。

小学校3年生までは、嫌いとして行為でいじめを受けました。
でも、それからは無関心に変わっていったのです。

なぜ無関心へと変わっていったのか?

当時小学校3年生だった私は、まるでドラマのようないじめを受けていました。

くつや荷物を隠されることは日常で、なんならクラス全員が敵だったので、私が席に座ると一斉に机を離されたこともあります(笑)

その中に一人だけ、味方というか、話してくれる唯一のお友達がいたんです。

当時のクラブ活動は、自分たちで作ることも可能だったので、私はその子とクラブ活動を立ち上げました。

その名も…折り紙部。

ひたすら折り紙を折るというクラブです。

放課後残って、ふたりで折っていた事もありました。

ある時、いじめの筆頭である子が、私たちの折り紙をばらばらにし始めました。

そして私の唯一の心の支えであった友達に、こういったのです。

「お前もいじめられたくないなら、そいつとは遊ぶな」

こうして、その子は私の元から離れていきました。
なんということでしょうか(笑)

いまだから笑い話にできることですが、当時はショックでしたね。

それから、私は親に頼んで先生宛に手紙を書いてもらいました。
「子供がいじめられて悩んでいます。助けてあげてください」

その手紙を、休み時間に先生のもとへもっていきました。

そしてついでに直接型でいじめ筆頭にいじめられた私。

先生は、どう対処したか?

しらんぷり。

その時、私は悟りました。
あぁ、これが一番人間関係でつらいことなんだな。と…

いじめ、その後…

いじめは徐々になくなっていきました。
何故か?理由は簡単です。

私が無関心を覚えたからです。

なににも興味を示さなくなりました。

そうしたら面白くなくなったのでしょうね、いじめは自然となくなっていきました。

そんな感じで中学までを過ごしていきました。

高校、そしてひきこもりへ…

ぶっちゃけると3か月で高校を辞めました。

では3か月何していたか?というと、無関心という名のいじめにまたもや出会ってしまいました。

人間は違っても私は一緒だから、仕方ないのかな…

あえて近くの高校を選ばずに遠くの高校を選んだ私。
人見知りなのが仇となり、またもや無関心の波に呑まれるのです。

それを克服するため、テニス部に入りました。
ガチで跳び箱3段飛べない私が、まさかの運動部です。

運動部ってイメージは女の子同士がきゃっきゃして、リア充が多いイメージが勝手にあったので、当時任天堂64のマリオテニスが流行っていた関係もあり…

「そうだ、テニスをやろう!」

と、がんばってチャレンジをしてみることに。

結果は力尽きました。
無理です。万年運動音痴にはテニスなんて敷居が高いことを思い知らされたのと、運動部って上下関係が激しくてひたすら球拾い。

マリオの痛快な「ヤッホーウ!」の声が響くサーブができるはずもありません。

友達は一人できましたが、結局その子ともあまり仲良くなれずに終了。

3か月後からは、自宅でひきこもるようになりました。

私が引きこもりを脱出した理由

現代では中高年のひきこもりが話題になっていますね。
学生時代からの引きこもりで外に出られなかった人たちです。

私はその気持ちもよく理解できます。
何故なら自分がそうだったから。

ではなぜ私は引きこもりから脱出できたのか?理由は2つあります。

1.中国に連れて行ってもらった
2.新聞が目に入った

なぜ突然中国!?と思う方も多いでしょう。
いや、私も何故なのかいまだによくわかりません(笑)

当時FF11というネットゲームにはまっていた私。
あぁ、ひきこもり量産型ですね。。

1.中国に連れて行ってもらった

そのネットゲームをリアルフレンドがやっていて、そのフレンドが行っている高校での催し物があったのです。その名も

「日本と中国をつなごう!」

それに参加しないか?と突然誘われたのです。

ひきこもりしてから3か月が経過していました。
私もそろそろゲーム自体に飽きてきた時期でもありましたので、おっけーしました。

内容はホームステイです。
あとはホテルに泊まりながら観光して、現地の人と交流して…

そんな内容だったとおもいます。

当時の私にはすべてが新鮮でした。
中国なんてほとんど興味がなかったし(ゲーム以外)、中国語なぞ全く習ったこともありません。

その身そのままで、現地でバスにのり、ステイ先に到着するや否や、バスの中にいるみんなから「がんばってねー」の声援を受けブロロロ~…と去るバス。

ぽつん…

アッどうしよう…

となった体験は今でも忘れられません。

そんな体験をして帰ってきた私。

世界は広いなって、いまでもそのフレンドには感謝しかありません。

2.新聞が目に入った

いやこれも偶然ですよね。たまたまリビングにおいてあった新聞に、こんな広告がありました。

「声優を目指しながら高校卒業資格がとれます!!」

昔から親には「高校卒業の資格だけはとったほうがいい」と再三言われていたので、模索していた時期でした。

なんてことだ…これは画期的なのではないか!?

と、体に衝撃が走ったのを今でも覚えています。

昔からちょいちょいゲームネタを挟むくらいゲーム好きな私でしたので、いつかゲームの声優さんになりたいな~なんて夢をみていた時期でした。

それが、何?
高校卒業資格とともに勉強できるだと…!?

私は早速、親に土下座しながら頼みました。
ここに行きたい、と。

親は泣いていたのを今でも覚えています。

そうして私はひきこもりから脱出することができたのです。

そして上京することになった「が」厳しいよね…

ひきこもり期間が長かったおかげで体はなまりまくっていましたが、3年間というリハビリ期間(高校行きながらの役者)を経て、無事に卒業できた私でしたが、その後直面するのは就職問題。

先生にも、北海道には声優の求人は少ないしゲームの声優になりたいならなおさら東京に行ったほうがいい、と言われていました。

じゃあ行こうか、とアッサリ決めた私。

ネットゲームのFF11はその時にすっぱり辞めようと、上京がきっかけで辞めることができました。

それからがまあひどい。

長くなりそうなのでその②へ続きます。





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