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衰退が止まらない青森市のコンパクトシティ構想の"失敗"から学ぶこと(後編)㊵

前回の投稿から時間が空きましたが、青森市の「コンパクトシティ構想」に足りなかったものについてまとめに入っていきたいと考えています。

何か書き忘れたことがあった場合には本記事が「後編1」と「後編2」にしれっと分割されされているかもしれませんが、一応「完結編」のつもりです。
通常の3~5倍ほどの長さになってしまいましたがご了承ください。

繰り返しますが、これは学術的なものではなく青森出身の私個人の主観であって、青森が嫌いなわけではありません。

私は都市計画や政策の専門家ではありません。建築家と都市設計に学生の頃に興味があっただけで、大学は国際文化学部(比較文化専攻)に1年だけ所属していましたが、1年生なんて教養科目ばかりで…。

本業はFP・IFA(証券)と生命保険・損害保険の代理店勤務の募集人・外交員です。(ご相談はオンラインでも対面でも有料/無料で承っております)


イチ市民(元居住者)としての視点から掘り下げたらこの結論に至ったというだけで、いわばこれは地元愛なのです…。


コンパクトシティとは何だったのか

コンパクトシティ」という言葉が独り歩きしてしまいがちですが、国(国土交通省)が現在推進しているのは、正確には「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」です。

ここでいうネットワークとは、移動手段を包括した言葉です。
地方都市の交通手段の要である自家用車だけでなくバスやタクシー、鉄道であればローカル鉄道から新幹線やモノレール・地下鉄・LRT・BRT。

フェリーに乗るための港、飛行機に乗るための空港までのアクセスといった様々な乗り物も含まれます。

つまり「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」(CPN)とは、都市形成において発生しがちなドーナツ化現象による過度な一極集中を、都市計画(規制) によってどんどん郊外に広がっていくのを制限し、分散型の持続可能な都市づくりを目指す考え方と言えます。

ご承知の通り、日本では東京一極集中と呼ばれる状態が慢性的に続き、東京の発展は日本の経済面で喜ばしい面もなくはないのですが、負の面を見ると東京は地方都市から若い世代の人口を吸い上げるブラックホール型都市となってしまいました。

「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」とは、経済合理性などから人口が集約されている都市部(大都市圏)への過密化が止められなかった結果(反省・反動・後悔・教訓)でもあるわけです。

そして地方においては県庁所在地などに一極集中化が始まっており、たとえば秋田県秋田市に至っては他の市町村が人口急減の一方で秋田市へ人口が集中しています。

そしてその秋田市でさえ2015年比で2025年に人口減という大変苦しい状況です。

青森県の場合には下図は2045年の推計ですが、県庁所在地である青森市、津軽地方の中心地である弘前市、県内の最大の工業・港湾を持つ八戸市、下北地方のむつ市に集約化がされています。

八戸市のベッドタウンおいらせ町には八戸市が断ったイオンモール下田(TOHOシネマズ含)が
1995年に進出し、八戸市はおいらせ町よりも大きな人口減少へ

これを一極集中でないから分散と呼ぶのか、県全体における衰退ととらえるのかは論をまたぎますが、それ以外の市町村が減っていくという意味では広義のドーナツ化現象と呼んで差し支えないでしょう。

東京や札幌・仙台などの都市部(大都市圏)のように利便性の高い場所での生活は仕事があり、所得が地方よりも高い一方で、家賃をはじめとした生活物価も需要と供給の関係から高くなりがちで、共働きでも子供一人がやっとという家庭も少なくありません。

都市部は娯楽にも恵まれていることもあり晩婚化や結婚をしない特に若い世代の独身貴族、同棲しているが籍を入れない事実婚(内縁関係)、結婚をしてもDINKS*やパワーカップル**のような世帯も増える傾向にあり、2023年に東京都の合計特殊出生率は0.99と全国最低を記録。

*DINKS(Dual Income No Kids)…子どものいない共働き世帯
(子供を望むと望まないの区別はない)

**パワーカップル…夫婦合計所得が1500万円以上

夫婦二人から子供1.0人未満という状況は、1世代で人口が半分以下になるという状況。生む人、生まない人、また生めない人も含めると合計特殊出生率は2.06程度ないと人口横ばいを維持できないとされています。

1.00未満の現状は半分以下の人口水準に向かうものと考えることができる危険な兆候であると同時に、出産については個人の価値観・人生観に基づくもので国や行政(都道府県や市区町村)が関与するべき問題であるのかは意見が分かれるところです。

また地方が更に貧しくなれば、大学進学や就職を機に大都市圏に流入してくる流れが高速道路や新幹線などの交通の発展によって一層加速していく、いわゆるストロー現象が進んでいきます。

世界的に見ても都市部への一極集中は進んでいますが、アメリカなどは日本の約2.5~3倍の人口。

一人当たり所得も約3倍と巨大な国ですが各都市圏の人口を調べるとNYやLAなど一部の都市が都市圏人口1000万人超のメガロポリス化しているだけで州都や州最大の都市でも日本の県庁所在地の方が大きなところも少なくありません。

インドネシアは免許はお金で買うため、運転技術もルールも未成熟。
交通ルールが周知されていないため赤信号になってから数台が交差点を通過、
それに釣られて我先にと続く車が後を絶たず、青信号に変わった車線が流れず。

またインドネシアのように人口増加で、慢性的な渋滞等の発生で支障をきたしているケースもあります。
そこで現在ジャカルタから2024年8月から2045年を目途とした段階的に首都機能の移転という新たな分散も始まっています。

日本でも1990年にバブルによる地価高騰などをきっかけに東京からの首都移転や、一部の首都機能移転(省庁などの地方移転)が議論されました。

文化庁が2023年3月から京都府に移転され明治以来の中央省庁の地方移転と話題になりましたが、今後は庁でなく省の移転も進められることが検討されています。

本記事の主題ですが、青森市が全国に先駆けて掲げた「コンパクトシティ」に足りなかったもの…

それは結論だけを先に言ってしまうと何かと齟齬が生まれるのですが、
「コンパクトシティの本来の目的
多くの人のゴールへの誤認が招いたものといえます。

(言ってやる…みんなが思っていることを言葉にして言ってやる…)

これは国も表向きは未だ明言してはいないことですが、事実として多くの人が気付いていることでもあるでしょう。

コンパクトシティの本来の目的は、戦後復興・高度経済成長・バブル経済における発展・都市化してきた"地方自治体の終活"です。

消滅可能性都市の地図
青が濃い部分ほど人口減。半分以下となる自治体は存続が危ぶまれている。


より正確には高齢者が多く、若年人口が少ない人口ピラミッドがツボ型に自然回帰する2060年代までの耐久策の一つです。

その後、再び人口増の人口ボーナス期が来るかはわからないが、一応国連の予測では自然減より自然増に回帰することになっている
(上記動画のグレー部分は予測部分)

国土交通省の「コンパクトシティの形成について平成27年3月」(2015)には地方と都市それぞれの現状と課題が端的にまとめられています。

人口減少というと、地方の衰退・消滅危機と考えがちですが、都市(ここでは東京)というのは元々地方から人口を吸い上げることで労働力を確保する性質があり、それが戦後復興・高度経済成長の大きな原動力として機能した側面があるため、地方衰退・消滅危機は同時に都市衰退の危機でもあることは忘れがちです。

映画『ALWAYS三丁目の夕日』などに描かれる集団上京(就職)
上京する子供たちは「金の卵」と呼ばれた

つまり「コンパクトシティは何故…」は、前回最後にご紹介したこの作品(4コマ)に、描かれていることが大部分の答えだと私は思います。

そして総人口が減っていく国そのものも、コンパクトシティならぬコンパクトカントリーへと移行していくことが求められています。
こちらは「地方創生」という言葉で表現されます。

何も人口減少や少子高齢化などの問題を解決し、地方を都市化や活性化することを目指しているのではないと言う点は、国は頑なに認めないでしょうけど、この認識の齟齬が繰り返しコンパクトシティ構想に期待をした地方自治体が相次いで失敗をした遠因でもあります。


つまり、よく語られる青森市のコンパクトシティ構想の”失敗”は、考え方そのものの問題だけでなく①国策の停滞、②適切な交通ネットワーク構築の挫折に③青森市に主たる都市産業が育てられなかったという3つの要因が重なった不運な結果と私は考えます。


今回はそれについての掘り下げと政策面におけるできること(打開策)を検証するというものです。

①の部分は既に過去記事で触れた通り、高度経済成長期末における「列島改造計画」のとん挫に上げられます。

一言でまとめれば、日本海側の中核都市における第二次高度経済成長や、太平洋ベルト地帯への過密を避けるため発展余地が大きく残されていた工業地帯の北海道・東北地方(太平洋側)への移設の失敗です。

オイルショックなどの外的な要因も少なくなく、一方的に国の政策だけを批判することはできません。しかしその後のバブル経済期には、それを挽回すべき段階だったにも関わらず先送り。

これが今日に至る東京一極集中を招いた引き金だったとすれば、それは政治・政策の責任であり、ひいてはその方向転換を決断できない政治家を選び続けた国民・市民(有権者)の責任に帰結することになります。

政治家の責任だけに追及すれば楽ですが、市民にもできること、声を挙げることはできた、まだできることがあるという立場で記事を書いています。

適切な交通ネットワーク構築の挫折

マイカー代替のバス・タクシーだが…

適切な交通ネットワーク構築の挫折も、景気動向に大きく振り回された事になります。

青森市は他の地方都市同様に車社会で、運転免許が取得できる年代以上の生活者がほぼ一人一台所有。

青森市街地を車で走ったことのある人は分かりますが、所得を反映して軽自動車の割合が東北の他の都市よりも顕著に目立ちます。

軽乗用車比率
雪国のためタイヤの大きく馬力のある普通車が普及
但し、経済的に軽自動車のなんちゃって四駆を選ぶ人も多い

そんな青森市において、高齢化に伴う運転免許証の返納は大きな課題であり、観光客などの交通手段もかねてバスやタクシーが主な移動手段となっています。

ねぶた祭などの観光もあり、また県庁などを様々な人が訪ねる関係からタクシー業者は人口26万人都市としては、12社(個人タクシー組合含む)と多めの印象。(秋田市・盛岡市・函館市も多いが…稼働台数での比較も本来するべきだが今回は割愛)

タクシーは経済的に余裕がなければそんな通勤・通学、通院や日常の買い物の足としては使えません。

結果、一般市民で車を所有できない人たち(高齢者や学生など)は自家用車で家族に連れて行ってもらったり、バスを使うことになります。

自転車またLuupなどに代表される電動キックボードは高齢者だと危険度が上がるうえに冬季に利用が制限されるため今回は検証を省略。

青森市は特に冬季の積雪によって、車線が狭くなることで慢性的な渋滞が各所で頻発し、通勤・通学時間帯のバスは1時間遅れも珍しくありません。

私の体験では夏場なら自宅(浜田)から自転車で15〜20分ほどの高校(青森南)までの通学路、徒歩で1時間ほどの距離ですが、冬場はおよそ徒歩で1.5時間。

高校前までのスクールバスも冬季は走っていますが、私の実家の最寄の停留所で待つ時間が1時間以上はザラ。

そこからバスに乗って更に1時間は乗って行くことになり、渋滞に巻き込まれると1.5時間…学校に着く頃には午前中の授業が殆ど終わっていることも珍しくありません。

だから結局、バスが予定通りに来なければ、早々に見切りをつけて歩いていくことになります。遅刻しないためには徒歩を考慮して早く出るしかないのです。

青森市内でもっとも暮らしやすいとされている浜田地区でありながら、何故このような問題が起きているのでしょうか?

青森駅周辺整備基本計画(平成22年度事業終了)より


冬季は道幅が狭くなり渋滞が発生しやすいだけでなく、青森市のバス路線が"人の導線"ではなく"青森駅周辺のバスロータリー/古川バスターミナル"を中心に構築されているためです。

平成22(2010)年度にリニューアルし、青森駅前広場に整備されたバス乗り場
高速バスの発着や市営バスの密集するハブの一つ


これは駅前ロータリーが2010年に新しく整備された現在も変わりません。

過去記事でも繰り返し触れてきた通り、青森駅は青森市と共に青函連絡船への人々の乗り場として栄え、青函トンネル開通や新幹線(新青森駅)の開業によって、本来であればその役割を終えるはずでした。

駅のホームの奥には青函連絡船へと接続するタラップがあり、
連絡船の後部から貨物列車を積み込む北海道-本州の輸送の大動脈は
青函連絡船は青函トンネル開業によって鉄道輸送に切り替えられた(1988)

しかし青森市と青森市商工会は、青森市の経済を長年けん引してきたと自負する駅前商店街(新町)の、強い要望を切り捨てられずに新駅舎と新駅ビル(&LOVINA)を多額の予算をかけて2024年4月に完成。

既にこの場所は1986年に完成した観光物産館アスパム、1990年には青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の補修・係留、1994年には西部と東部を結ぶ青森ベイブリッジ、2001年の商業施設アウガ、2009年には海沿いにはねぶた観光施設ワラッセ、2010年にはりんごのシードル工房A-FACTORY、2015年にはあおもり駅前ビーチなどの青森駅とその周辺であるウォーターフロント開発に多額の予算をかけてきました。

青森駅周辺を訪ねた他の地方出身者は皆一様に驚きます。

人口26万人の街とは思えない…と。

青森市ウォーターフロントの夜景

海沿いではないとしても、盛岡市の人口は28.4万人、
同じ海沿いの街という点では青森市と姉妹都市である函館市は23.9万人…

夜景で有名な函館でさえ、港周辺の夜景は実に質素です。

函館のレンガ倉庫の夜景
この素朴な景色が素晴らしいんだよ

青森市は限られたリソース(予算)を開業15年が経つサバンナのような新幹線駅である新青森駅の駅前

または青森駅前に代わって発展を遂げた郊外(南部)のサンロード青森(イオン青森)・シーナシーナ(旧イトーヨーカドー)、複合型ショッピングセンター
ALiイオンタウン青森浜田の集積する浜田地区ではなく、青森駅周辺(新町商店街)につぎ込み続けました。

緑の中の新町商店街を中心に都市形成がされたのが戦後~昭和中期。
新幹線誘致で西バイパス周辺の開発が制限されたことで、
昭和後期~郊外だった浜田地区と東部の郊外に市街地が発達。
図央の筒井駅隣の赤い都市機能誘導区域が青い森セントラルパーク(旧国鉄操車場跡地)
その左下の生活拠点区域(青)がサンロード青森・シーナシーナ青森などの集積地(浜田地区)
新青森駅周辺?何もないですよ?

新駅ビルの&LOVINA開業は、確かに青森駅周辺の賑わいを生み出しました。新しいお店に物珍しさで人は最初のうちはやってきます

グランドオープンで賑わっていなかったらダメだろ…( ;一一)
         元家電量販店の新店立ち上げ部門勤務↑

これを鬼の首を取ったかのごとく、騒ぎ立てていますが
これはまるでアウガ開業の時と同じです。(+o+)

継続して来客があるか、きちんと事業計画に見合った売上(利益)が上がっているかは数年経ってみないと評価できないでしょう。

青森駅にほど近い場所に設けた多くの観光施設も周辺にある市のランドマーク、観光物産館アスパム(三角形の建物)との相乗効果も期待されています。

A-FACTORYとあおもりビーチ

しかしこれらは厳しい言い方をすれば、まるで北朝鮮が平壌を訪ねる外国人が通る道だけを整備して、建物の裏はハリボテのような様と似ています。

青森になかったお店が進出!東京や仙台、札幌まで行かなくても買える…
市民がそんないつもいつも買い物をするでしょうか?

その癖に青森駅ホーム(海側)から連絡船につながるタラップは閉鎖されたままで、観光資源として考えるのであればこのタラップを上り下りしてメモリアルシップ八甲田丸まで行き来できるように整備した方が良いのです。
(北口改札等を設ける必要があるだろうけど。) 

また駅周辺の街づくりを本当に考えると立体的に新町商店街の、特に駅周辺を屋根で囲んでしまう方法もあるでしょう。

青森駅周辺は観光客向けに開発をしてきたはずなのに、地元の人向けの商業施設をアウガに続き駅前にひたすら作り続けるチグハグさというか中途半端さ…偉い人たちにはそれがわからんのです。

いくら箱モノを作っても街が一時的にはにぎわっても、消費者が継続的に買い物をしたいと思えなければ、同じような失敗を繰り返すでしょう。

東京五輪とか、大阪万博とか、札幌五輪誘致(辞退)とか…この国は一体いつまで過去の成功体験の焼き直しに捕らわれているのでしょうか。


東京・大阪などのような大都市圏ではありませんが、青森市のコンパクトシティ構想で進められてきたことは、青森駅前商店街(中心地)の活性化・誘導であり、「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」のネットワーク部分が十分に構築されなかったことはコンパクトシティの一応の成功例とされる富山市など大きく異なる要因の一つであったと言えます。

では何故、このようなことが起きてしまったのでしょう?


東西が分断したバス路線

一人一台の車社会…地方では決して珍しくないこの状況は、高齢化と共に免許証の返納や高齢者の移動手段確保という生活にかかわる大きな問題をはらんでいます。

その解決策の一つが公共交通機関網の整備です。

青森市には民間のJRバス弘南バス(弘南鉄道系)、「市営バス」とそれを補完する「市バス」(マイクロバス)、新青森・フェリーふ頭・青森駅とその周辺の観光地を中心に回っている「ねぶたん号」の主に5つがあります。

ここでは最も路線・便数の多い市営バスを中心に解説していきます。

市民の足として便数もそれなりにあるのですが、バスの発着は大部分が青森駅とそこから国道沿いに出た場所にある古川バス停(バスターミナル)を中心に、市営バスの営業所である西部営業所と東部営業所を行き来しています。

50西部営業所、10東部営業所

JRバスは路線図が図化されていないためリンクのみ。
青森市内は青森空港線と公立大(横内線)のみ運用。

つまり人によって居住地・勤務先は異なりますが、仮に私が実家(サンロード青森周辺の浜田地区)から高校(青森南)に路線バスで通う場合、駅周辺(古川)まで一度出て、そこで金沢小学校方面行きに乗り換える必要があります。

市営バス(スクールバス含む)の路線を活用するとこういうルートになる

サンロード青森(イオン青森)やイトーヨーカドー(現シーナシーナ)などが集まる青森市の中で最も生活しやすいとされる浜田地区に住んでいても、こうなのです。

夏場などは自転車でこういうルートで通学する
この運行ルートがないため冬場は歩いた方が待ち時間を含め結果的に早い

それは言い換えると、青森市の西部や東部からも、新たな中心市街地である浜田地区への買い物等でのアクセスの悪さであることも意味しています。
行きがバスで、帰りがヘリコプターということはないのですから。

東西のバスが行き交う古川はバスターミナルとして整備されておらず、
国道7号と4号が交差している県庁付近の路肩に屋根付きのバス停があるだけ
市内一の乗降数の場所でさえ寒さをしのぐためのものがない…

これは私の高校時代(1996-1999)に限らず、市民の移動の随所に影響を与えており、この迂回・乗り継ぎをしているだけで、徒歩で目的地に直接行く所要時間の約2倍はかかります。

これでは生活の範囲が徒歩や、路線で直接行き来の出来る青森駅周辺に限られ、結果的に人の移動に足枷をはめている事になります。

サンロード青森やシーナシーナを目指し、西部(沖舘)や東部に住む人が
バスで来ようとした場合も青森駅近くのハブになっている古川で乗り換えが必要
こういう場合にマイカーがないとタクシーを利用することになり経済性が悪い

乗り継ぎが面倒くさい、雪の吹雪く中で停留所で待つのが辛い…という感情を除いても、市内の交通アクセスがあまりに不便なのです。

というよりも、青森駅前の商店街(新町)に人を昔と同じように誘致しようという意識が強すぎるあまり、街の構造変化を放置しているように思えます。

多くのバス停は寒さをしのぐ待合室もなく
ただ道路沿いに停留所(時刻表)が設置されているだけ

バス路線によるネットワークは、既存インフラを活用しつつ、人件費等はかかるものの最も低コストで運用できる手段です。

しかし財政が限られる地方のコンパクトシティ・プラス・ネットワークの要諦であるバス路線ネットワークが、昔の青森駅前(新町・古川)の起点から刷新されないまま、人間の身体でいえば血栓が詰まって心筋梗塞を起こしたまま動かし続けてきたと言えるのではないでしょうか。


LRTとBRT

「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」の中で、度々注目を集めるのがLRT(エル・アール・ティー/ライトレールトレイン)などの車に代わる輸送システムです。

過去記事でも富山市を例に触れていますが、近年は栃木県宇都宮市などがLRTの新規導入を行ったことはコンパクトシティ・プラス・ネットワークの象徴的な事例です。

宇都宮市は北関東に位置する人口51.36万人の地方都市ですが、ベッドタウンを含む都市圏人口は112万人の車社会です。

そしてこれまでであればマイカーなどで駅周辺や勤務先まで移動していた渋滞をLRTによる混雑解消を目指しています。

LRTは車両連結により通常のバスよりも一度にたくさんの人を乗せて移動できること、また専用軌道を走ることで定時運行が可能。
かつ省電力・低騒音などの環境負荷も考慮されています。

専用軌道と専用車両というコストがかかるため、ある程度の人口または観光客が通年を通して多い地域(札幌・函館・京都など)であれば可能かもしれませんが、人口が少ない地域ではなかなか現実的でない可能性も否定できません。

そこでLRTよりも低コストでこれに近いことを実現するのが「バス高速輸送システム」BRT(ビー・アール・ティー/Bus Rapid Transit)です。

BRTは地域によって定義が異なるのですが、1974年にブラジルで始まった統合輸送ネットワークとされています。

たとえば東京五輪における選手村と東京駅周辺などを結ぶ東京BRTは以下のようにバスが2台連結されている専用車両だったりすることも。

東京BRT

また混雑しやすい都市部や駅周辺などではバス専用レーンが整備されていて、LRTほどでないまでも定時運行が確保されているケースもあります。

ある程度の都市であれば地方でも、時間帯によるバス専用レーンってあったりしますよね。

青森市のような豪雪地帯であれば、冬季は1車線が完全に埋もれてしまうことも常態化しますし、雪で車線がわからなくなることもあるわけで、BRTは一年のうち3か月くらいは稼働せず効率的ではないことがわかります。

しかも電柱などからレーダーでラインを示す必要があったりとかするかもしれませんが、積雪のない期間や他の地方都市では一つの輸送アイディアと言えるかもしれません。

一方でこういった輸送システムに今から多額の予算をかけても、完成する頃にレベル4~5の自動運転が普及していたら、公共交通としてのバスの運転手不足も解消し、LRTやBRTよりも低コストで近い事が出来てしまうというのは悩みどころです。
(つまりかなり早い時期の決断が重要だったという話)

東京五輪ではトヨタの自動運転バスが接触事故(人的ミス)を起こしてしまいましたが、既に地方などで実証実験が行われており、2035年以降には更に進歩していることが期待されています。


青森空港と幻の新交通システム

県外・海外からの観光客の誘致を考える上では飛行機と空港という交通手段も重要です。

特に空港は騒音問題や離発着のための広さが求められるため、郊外に設置されることが一般的です。

そして青森空港と青森市街地のアクセスは、大きな深刻な課題を抱えています。

青森空港について触れようとこの記事を書いている途中で、ちょうど辛坊治郎さんが飛行機で青森空港を降りた時の話をラジオ(Podcast)で聞きました。

「ホテルは夜寝るだけだから安い場所ならどこでもいい」と適当に駅前のホテルを予約したそうで、青森空港に降り立ち宿泊先を確認すると新青森駅前のホテルだったそう…。

青森空港から新青森駅までのシャトルバスは日に数本しか走っておらず、結果、本数の多い青森空港-青森駅までのバス路線で奥羽本線で新青森駅へ…。

(控えめに言って本当にひどい整備状況)

青森空港から青森駅経由で新青森駅に向かうと約18km、車で36分。
(羽田-青森空港は75分)

青森駅-新青森駅間は車で10分、電車で5分ほどの距離とはいえ、あまりにも不親切な路線整備ではないでしょうか。

しかも新青森駅周辺に食事場所が見当たらず、家系ラーメンを食べたという的を得た指摘まで。新青森駅の中に食事処も少ないし…ラーメン王国なのだから味噌カレー牛乳ラーメンとか煮干しラーメンとかを食べてほしかったけど

さて、こんな八甲田山系の山奥にある青森空港は標高約200mに位置する、青森市が運営する市営空港(地方管理空港)です。

何故こんな辺鄙な場所に建てられているのかといえば、津軽選挙による癒着でこの山奥の土地を持っていた人が当時の知事の友人だったとかで誘致されたためです。

知っていますか?「津軽選挙」…Wikipediaでページが作られて解説されるくらい有名な、津軽地方で良く起こっている金権政治です(苦笑)

青森市郊外というか、豪雪と遭難で有名な八甲田山系の山の中です。

もっとも他の市町村を含めた利便性を考え、当初の予定地である鶴田町と弘前市の間に設置しても、あまりアクセスが良い場所だったかはなんとも言えませんが津軽地方(青森県の西部・日本海側)全体の広域からのアクセスという面ではこっちの方がよかったかもしれません。

この周辺にはローカル鉄道である「弘南鉄道」が走り、JRを補完する形で地域経済のポンプ役を担っています。

現在の青森空港は、そんな辺鄙な場所ながら国際線は2017年に青森-中国・天津線に加え、大韓航空の青森-ソウル(仁川)線が定期運航しており、コロナ明けからはエバー航空*による青森-台北(桃園)線の定期便も再開。年間利用者数は100万人超

第二次安倍政権で掲げられた「地方創生」の一環として、外国人旅行客による観光需要インバウンドにいち早く取り組みました。

青森県の人口は約118万人、青森市の人口は約26万人ですから、大きな利用者数といえます。

青森県の延べ観光客数は年間3119万人、青森市はその内の580万人

青森空港は国内111空港の中で旅客数で27位
出雲空港(島根県*)よりもやや利用者が多い空港です。

*鳥取県(53万人)と並ぶ観光地としては知名度が低い県(人口64万人)。
スタバやセブンイレブンが最後に進出するのはどこかでライバル心がある。


今でこそ青森空港除雪隊「ホワイトインパルス」(2013年度~)などで知られていますが、かつては雪深い八甲田山にすぐ近いこともあり濃霧や、冬季は降雪などの天候次第で離陸・着陸できないことが頻発していました。

三沢基地に降りられればまだラッキーで、出発した空港に引き返すことも珍しくない脆弱な使いづらい空港でした。

学生時代にスカイメイトだった私は、羽田空港から帰省する際も天候不良で引き返すかもしれないとアナウスされました。

いわゆる学割が使えた
JASはJALに統合されました(2004)

しかし飛行機はなんとか吹雪の中で着陸…すると着陸の瞬間に機内で拍手喝采となったことがある程です。(不時着に成功したときの現象並みの扱い)

青森空港は2007(平成19)年に視界不良時でも滑走路への進入・着陸を可能とする誘導電波による計器着陸システムILSカテゴリーIIIaが導入され、導入前の2006年度に89便の欠航がありましたが、2007年度にゼロに

Instrument Landing System/ILS CAT Ⅲa(アイ・エル・エス・カテゴリー・スリー・エー)

運航を適切にこなす必要性が求められる新千歳や成田・羽田・中部国際空港など国内でも有数の空港などに限られており、青森空港はこのシステムの導入によって汚名返上を果たしました。

青森市のコンパクトシティ構想が国の後押しを得て本格的に整備されようとしていた1990年代初頭ーー新幹線誘致と並行して青森市の中心地(青森駅・新町)と郊外の新興商業地(浜田地区)、車で片道30分(約13km)離れた山の中にある青森空港へのアクセスをどうするかの構想が練られました。

バブル崩壊によって幻となり、実現しませんでしたが…新交通システムの構想が練られたこともあります。

詳しくは下記動画を参照ください。


実現していれば…という思いがないわけではありません。

まぁ、新幹線が開業した現在になっても青森市の都市計画の中心は青森駅であり続け、青森空港から中心市街地までのバス路線は市営バスでの運営が継続できず、JRバスに移管されました。

結果、辛坊治郎さんがラジオで指摘された通り、青森空港から新幹線駅である新青森駅までのバス路線は一日に数本…新幹線駅周辺の開発失敗に加え、青森空港との接続の悪さも重なります。


高度経済成長期からのむつ小河原開発などにしてもそうですが、ぶっちゃけると、国(現:国交省)の計画に対するはしご外しが酷すぎます。

そして国に十分な補償をしてもらっているのかと思うほどに青森県全体が見放されているように思えます。その癖、青森市議会も青森県議会も、都市が発展するためのまともな政治がまるで出来ていません。
結果、このザマです。

たとえば共に1980年に30万人に到達した人口は秋田市がその後も2000年まで伸び続けた一方で、青森市はバブル崩壊など1990年に一度減少。2000年までにまた回復という動きをしています。

DID(人口集中地区)

秋田市は2000年に人口33.6万人をピークにゆるやかな人口減少が続いていて、2024年現在30万人を堅持。この間の減少率は10%です。

他方、青森市は2024年時点で26.5万人台まで減少、この間の減少率は16.7%と大きく減少しています。

青森市は青函連絡船による物流のハブだったことを原動力に北東北3県でかつて最大の都市だった歴史があり、ポテンシャルは十分にありました。

いえ、今でもまだ「ねぶた祭」や「三内丸山遺跡」など世界的に注目を集めている観光資源があり、難しくても、今ならまだなんとかなるかもしれません。

しかしその足をことごとく挫いてきたのは、青森駅周辺が活性化すれば再び発展するという過去の成功体験と、グランドデザインを市民を交えて議論して描かず、固定資産税の高い一部の地権者に忖度しつづけた政策を打ち続けてきた結果が現状なのです。

そして明らかな失敗…と分かっていても、自らの失敗を認めることができないために市議会も過去の焼き直しの政策を繰り返し続けた結果が、現状のあり様とも言えます。

2023年4月には地元百貨店「中三」跡地にTHREE、2023年6月に角弘ビル
2024年2月に発表された青森駅前のアウガとTHREEの間の青森国際ホテル跡地の再開発が発表され、2024年4月には青森駅の新駅ビル&LOVINAが開業。

あくまでも青森駅前商店街の再開発と活性化にこだわり続ける青森市…

そして青森国際ホテル跡地の再開発計画の発表からわずか1年…建築費高騰を理由に完成時期未定へと追いやられ…完成までの数年先も見通せない青森市に、20年30年先のことを想定した街づくりができるはずがありません。

青森市民病院と県立中央病院の統合新病院建設場所でも、青森市の西市長(前職:青森商工会副会頭)を中心とした商工会派の市議たちが元々は市民病院単独での移設場所計画のあったセントラルパークへ頑なに誘致しようとしたり…。

県議会に至っては統合新病院の設置場所をスケート場周辺(浜田地区)に決めたと宮下知事が西青森市長と合同記者会見をしてしばらくしてからちゃぶ台をひっくり返してワーワーと騒ぎ、足を引っ張ろうとする始末です。

弘前市議(3期)を経て、県議3期目の自民党会派
地方の公共事業=保守=青森県=自民党
衆院選2024小選挙区
自民大敗にも関わらず青森県は自民党2/3議席獲得


一事が万事、こんなあり様なのに、誰も責任を取ろうとしないのが津軽選挙…この地方の特有の政治の在り方なのです。


空想するなら楽しく

もしシムシティ並みにゼロから街づくりができるなら、私だったら、新幹線駅はセントラルパークに誘致します。

もし本当にどうしても現在の新青森駅を持ってくるのであれば、上野駅のように地下化して、静岡空港構想のようにその上に青森空港を持ってきます。

新青森駅青森駅は電車で約10分、車で5分ほどの距離と離れています。

福岡のように空港が中心地に近い街は遠方からやってくる旅行客にとっても相当魅力的です。

JR博多駅と福岡空港は車で約6分、2.5km
博多港国際ターミナル(マリンメッセ隣)までと近い所要時間(車で8分、3.2km)

また新青森駅はフェリーふ頭もほど近いので、新幹線駅をフェリーふ頭寄りの場所に持ってきて新幹線(地下)・空港(地上)・フェリーターミナル(隣接)というドリームプランを何でもありならやってみたいと思います。

あとは県庁を移転させますね。
上層階を削って耐震補強をしたとはいえ、1960年12月竣工の築65年…

この補強で2060年まで使いたいらしい…

現在の県立中央病院が移転した跡地(旧青森商業高校跡地)に作ってもよいかもしれません。
開発がいつまでも進まないなら新青森駅前でもいいと思います。

新幹線で他県から来る方たちのお出迎えも楽ですね。
送迎車とかいりません。

ほら、これで新町にほど近い場所にかなり大きな敷地が確保でき、新青森駅前が埋まります(笑)

まぁ、耐えられるならあと35年ギリギリまで使ってもいいと思うけど、別に用途は県庁でなくても良いわけで。

本当は青森市役所・市議会議場も県庁と一緒に移動させたいんだけどね…。アウガ(青森市役所駅前庁舎)と近くて、市役所(本庁舎)の意味が薄いし。
しかし建てたばかりなのでここは放置するのだ現状は良いでしょう。

もし将来の移設をするなら市役所と市議会はそうですね。

市内であと適当な広さの土地は…統合新病院が完成した後の市民病院跡地とかどうでしょう?

たくさんの幽霊が出て、青森市らしいホラースポットとして新たな観光資源になるかもしれません。

ジョークですよ

また喫緊の課題として考えられるのは南部の生活拠点の一つとなっているサンロード青森(イオン青森)の老朽化も深刻化してきています。

サンロード青森を上図のオレンジの部分に新館として移設し、跡地の1・2階部分をバスターミナル、3~4階にサンロード青森本館(仮称)を建てる。

5階に医療モールがあるとこれからの時代は助かるかもしれませんね。
最後に新館と本館を空中渡り廊下で二か所くらいつなぐ。

何なら道路を挟んだ場所にあるDCM(旧サンワドー)青森中央店1号館とも空中渡り廊下で接続しても良いかも。
(こっちも老朽化が近い程度には進んでいるはず)

ここをハブに青森のバス路線を東部・西部・南部につなぎなおせば、西部・東部の人も乗り継ぎなくこの一帯まで買い物ができ、青森駅・古川周辺を経由する路線も継続すれば…。

ぼくのかんがえたさいつよのあおもりしじゅんかんばすろせんず
こういうろせんがほしかった!
一周回ってくると青は緑に、緑は青になってぐるぐる循環するよ

セントラルパーク新駅(アリーナ)前から停留所1つでサンロード青森バスターミナル、そこから統合新病院へ観光通り周りで県立図書館・三内丸山遺跡・新青森駅を回って、古川・青森駅・新町を経由し、観光通りを通ってまたサンロード青森本館1階のバスターミナルに戻ってくる系統。

シーナシーナ経由の中央大橋通り周りで外環道を通って統合新病院を経由、か~らの造道(県病)方面経由で国道4号経由で観光通りに戻ってくる二系統の循環バスが出ていたら完璧か。

別にバスターミナルがなくても敷ける路線ですが…
弘前・八戸並みの人口減少率に留める方法としてはアリ

ちなみに循環バスとして参考になりそうなのは、神戸市の海側を循環する「ポートループ」、山手(市街地)を循環する「シティーループ」などがあります。

青森駅前に主だったものは集約されていますが、文化的に多くの観光地が郊外にもあり、そこまでのアクセスルートは分断されています。

マイカーでなければレンタカーまたは観光タクシーを使わないと回り歩くのもかなり不便です。

文化的に異なるが、降雪もほぼない沖縄も地方都市として車社会(電車がない)だが、どうやって高齢者の生活を都市計画として考えているのか、比較検証の余地があると思う。


青森市の観光シャトルバス「ねぶたん号」は観光客向けに設計されており、市民が日常的に利用する交通手段としての視点はほとんど持っていません。
(併用でないからコストが別に計上されているともいえる、縦割り行政の独立採算制なのかも…)

奈良美智作の「あおもり犬」などの展示がされている青森県立美術館

何を目的に観光するのかは人によりますが、一般的な観光客が見たい三内丸山遺跡や青森県立美術館などばかりでない青森の魅力の開拓と普及には市民が日常でも使えるこうした交通網の整備が欠かせないと思います。

観光客にあまり知られていないスポット

太宰治、寺山修司など青森県を代表する作家・文学者を扱った常設展示の青森県近代文学館は県立図書館の二階にあります。

しかし青森県近代文学館は外環道外側(荒川地区)にあり、冬場は本当にアクセスが悪いのです。

青森市民図書館は駅前のアウガの6~9階に移設されましたが、県立図書館はアクセスのそれほどよくない郊外のため車のある人や周辺の住民などに利用者が限られ、利用者数が伸び悩んでいます。

平成30年(2018)度/令和元年(2019)~
コロナ禍による外出自粛の影響が利用者数減少に

県立図書館は、県民の生涯学習を考えるうえでも非常に重要な施設ですがこんな郊外にあっては利用者が延びるものも伸びません。
(特に冬季は交通手段がないと青森市民でさえ利用できない)

青森市には市民図書館・県立図書館があるが、図書館と小中学校などとの連携はかなり弱く司書の力が問われている

青森市の中心地から少し離れた東部にあるのが「合浦公園」。
野辺地~大湊~大畑を実際に走っていたSLのC11機関車が展示されていたり、日本プロ野球初の完全試合が達成された市営球場(1950年建築・2000年改修)とその記念碑もあります。

青森の桜とえいば弘前城が有名ですが、合浦公園も春は600本を超える桜が咲き誇るさくら祭りが行われ、夏は市民の海水浴場としても親しまれています。

また桜つながりでは青森市の川沿いの桜川周辺は地名のとおり、桜のアーチが広がる一帯があります。全国的な知名度はありませんが、地元民に愛されている名所です。

青森県立郷土館」は、新町商店街の隣の本町(飲み屋街)にあり、文字通り青森県の郷土の歴史を知ることができる県内唯一の総合博物館。

私が小学生のころ、青森市内で最も好きな文化施設
年数回は父に連れられて通っていた

昭和6(1931)年に国立第五十九銀行(後の青森銀行、現青森みちのく銀行)本館建物を寄贈されて昭和48(1973)年に開業。

平成26(2014)年にホール天井の補強を行いましたが、建物そのものの耐震性確保と海に近い場所という災害時のリスク、利用者数の低迷(年6~7万人)から大幅なリニューアルが求められて休館中。

再開の時期は未定とされており、分散する県営(県立)文化施設との位置づけや建物の歴史的価値について文化庁の助言を受けたながら新設でなく補修を中心に検討が進められています。

平成18(2006)年に開業した青森県立美術館、平成31(2019)年に開業した三内丸山遺跡センターなどとの役割の重複もあり、その機能の分散など今後の役割をどう考えるかも課題となっています。


東部にある「昭和大仏」は、太平洋戦争戦没者を供養する目的で建造された大仏です。

鎌倉大仏や奈良の大仏よりも大きく、青銅座像として日本一の大きさ(高さ21.35m)を誇ります。

高野山青森別院 青龍寺

境内には青森ヒバで建立された五重塔(39m、日本第四位)があり、もっと知られても良い場所ですが宗教法人という性格上、青森県としてもPRしづらいという点であまり知られていません。


青森市の奥座敷:浅虫温泉駅(青い森鉄道)のある浅虫。

棟方志功が愛した温泉旅館:「椿館」が現在も営業をしており、館内には彼の作品が展示されています。

その他にも温泉施設・旅館・ホテルが浅虫温泉駅周辺に集まっていて、青森市街地と比べて静かな地域。青森市街地は8月7日の海上運航でねぶた祭りのフィナーレに花火大会が行われますが、浅虫温泉は7月後半に行います。

また浅虫ねぶた祭も7月13、14日と8月14日と冬(1月17日~2月16日)に開催され、巨大化する以前の青森ねぶたの昔の姿(地域ねぶた)に近い名残を見つけることができます。

浅虫温泉駅の北側には、約1万点の頭数を誇る「青森県営浅虫水族館」(1983)もあります。

2015年、仙台に水族館が開館するまで東北地方唯一のイルカショーを開催していた水族館で、2014年に通算入館数1000万人を突破。(年間来館者数約30万人)

東北帝国大学(現:東北大学)の臨海実験場を前身とする歴史ある本州最北の水族館。ラッコ・アシカ・アザラシ・ペンギンなども一通りそろえ、目玉は長さ約15mのトンネル水槽は迫力があります。

東北大学大学院生命科学研究科附属浅虫海洋生物学研究センターを併設
国内水族館で初の完全養殖クロマグロの稚魚の飼育に挑戦したが…。

かつては水族館の海側に「あさむしキディランド」(2000~2005年、ワンダーランドASAMUSHI)という遊園地もあったのですが、現在は門だけが残っています。

青森市内には決して全国的な知名度が高くないけれど多くの見どころがあり、歴史や文化を掘り下げるとより楽しめる場所があると思います。

(つまりステレオタイプな楽しみ方を好む人向けより、ローカル感を楽しめるディープな旅行客にとって見どころの多い土地)

マツコ・デラックスが何かの拍子(月曜から夜ふかし?)に話していたのは、青森の魅力は駅前ではなく、ちょっと駅から外れた場所の、昭和感の残っている古い家やビルの雰囲気だと話していました。
(青森市だけではなく青森県や地方都市全体にいえることだと思うが)

私も同意見で、旅行客が足を運んだ際に、駅周辺や有名な観光スポットだけでなくぜひ街を散策して楽しんでほしいと思います。

たとえば青森駅から徒歩5分ほど線路沿いに南に歩くと「第三新興街」という東北最後の秘境と呼ばれる、もはややっているのかではなく、ママが生きているのかを確認したくなる昭和の懐かしさが今でも漂うスナック街があります。(主に客層は60代・70代以上の方向け)

また青森駅前(新町商店街)ではなく、40~50代の若い(?)青森市民が飲むために足を運ぶのはそこから通りを一本東側に越えた場所にある本町です。

新町商店街を突っ切った先にあります。
ここは県庁・市役所・警察署・裁判所・オフィスビル…青森市中心街から徒歩10~15分の場所にある飲み屋街で、ほぼ地元客向けのお店が多く立ち並んでいます。

(青森市民は全く自覚がないが、地元の人の言葉はなまっていて本当に何を言っているのか1/3も伝わっていないためポケトークの持参をお勧めします)

ポケトークは津軽弁にまだ対応していません

「行くたび、あたらしい青森」も悪くないけど、個人的には「ノスタルジー」を訴求する方がよいと思います。

YouTubeには駅周辺のハイカラな、「映え」を意識した今風の食事処が度々紹介されますが、青森市の本当の魅力は東京や大都市にありそうなお店ではないのです。

「初めてなのに、なつかしい」
「寒いけど、温かい」
「昭和にタイムトラベルしたみたい」

これくらい自虐的でもよいくらいです。青森の人は自分たちが田舎だと言われると怒る人がいますが、いい加減に田舎だって認めて開き直りましょう。
青森に新しさを求めるなんて、東京観光に縄文時代の文化を探すくらい矛盾していることだと思います。

人口減少の要因を考える

では、ここからは青森市における人口減少の要因と、現状から何ができるのかということを私なりにまとめていきたいと思います。

4つの人口減少要因

まず親しみのある故郷の、地方都市から人がいなくなるという現象には、どういう原因が考えられるでしょう。

Ⅰ死亡
Ⅱ仕事や就学による転勤などの転出
Ⅲ.娯楽などを求めての転出
Ⅳこの街が嫌いだから。

Ⅰ「死亡」は誰にでも、いつかやってくるもので、高齢社会においての人口減少の大きな要因の一つであり、社会の大きな変化(人口動態)は政策や都市計画では殆どどうにもならない"受動的"な要因になります。

医療の進歩に伴う救命・延命が必ずしも本人や家族にとって幸せであるかは個人的な価値観のため一概には言えませんが、「人生100年時代」と呼ばれるご時世において平均的に考えても男性81歳、女性87歳まで生きることができます。

しかし青森県そのものが全国的に「短命県」と呼ばれているように平均寿命が短い傾向にあり、他県より更に早く少子高齢化の波が押し寄せていることになります。

2023年における日本の高齢化率は29.1%ですが、青森県は35.2%
同じ北東北の秋田県や岩手県と並んで高齢化率が非常に高く、2050年予測との差を観ても他県より圧倒的に悪化していくことがわかります。

まだ冷蔵庫がなかった時代に冬季の保存食として塩漬けにしたものを食べ物、体を温めようとラーメンなどはスープまで味わってしまう習慣、大人たちの移動はもっぱら車で歩くことは極端に少なく慢性的な運動不足。

冬場の買い物の負担から長期保存が効くインスタントラーメンを好み、酒・煙草という古くからの飲みにケーションが地域で助け合って生きていく上でのマナーであった時代から抜けきらない文化。

そうした生活習慣の蓄積によって三大疾病(がん・心疾患・脳血管疾患)に罹患する人が多く、また県の医療レベルは健康保険という国民皆保険制度のおかげで均質化されているとはいえ、救命率が決して高くないこともあります。

過去のnote記事をご覧の方の中にはここまでである程度、私の言いたいことが伝わっていると思いますが、県立中央病院と市民病院の統合など青森県と青森市が取り組んできた街づくりにおいて地域拠点病院が重要視されている理由がわかるでしょう。

「生きたい」と思っているという前提として、全国どこでも同じ治療費で同じ治療が受けられるのだとしたら、他県の方が救命率・生存率が高いとすれば、その街がどんなに好きでも暮らしていくことはできません。

更に医師や看護師、医療関係者が絶対的に足りない…そして増える見込みも予定もない。

しかもⅣ「この街が嫌いだから」の原因と一部重複しますが、北海道など目でないほど平均降雪量では世界屈指の豪雪地帯。
雪かきの負担が高齢者には重く、冬季の日常の買い物や通院の足が限られてしまうという問題もあります。

また全国的に寒い時期に人はヒートショックなどをきっかけに倒れたりすることもあり、高齢者は寒さに弱い傾向にあります。

元も子もない言い方ですが、青森市という街は長生きしたければ、不適当な環境といえます。

そんな中で少しでも県民が安心して住み続けられるようにするためにも、アクセスできる医療環境を必死に整備しようとしているのです。


そして能動的な理由として、Ⅱ「仕事や就学による転勤などの転出」とⅢ「娯楽などを求めての転出」は若い世代ほど重なる傾向にあるでしょう。

特に高校卒業時に専門学校や大学などへ進学で一度、青森市から少しでも大きな都市(たとえば札幌・仙台または東京など)へ出てしまったら、よほどの理由がなければ青森市にはもう帰ってきません。

進学等による県外転出者でも青森市に戻ってくるケースもありますが、それは青森市(人口26万人)よりも小さな都市へ転出した場合のケースなどです。

特に20~30代という時期に、娯楽がない青森市に戻ってくる理由が普通はありません。

何故なら吉幾三の歌ではありませんが、「仕事もねぇ、娯楽もねぇ、冬は灯油代で貯金もねぇ」の状態になるからです。

※冬季は戸建てだと1か月3~5万円かかるうえに、所得が別に高くもない。

青森に恋人がいるとか、親が倒れて付き添う必要がある、親の仕事を継ぐとか、よほどの事情があれば別ですが、そうでない限りはかなり難しいでしょう。


人は何故そこに住むのか

さて、ここで考えなければいけないのは人は何故そこに住むのか?という基本的なことです。

その街が好き、その街で生まれたから、住み慣れているから、
祖父母や親戚、両親、友人がいるから…
人によって様々な理由があるでしょうけれど、働く世代にとって平日は仕事が生活の中心になります。

収入が得られなければ生きていけないわけですから、仕事が得られる土地で暮らし、働き、生活をして、余暇を楽しみ、家族が増えたり、減ったりします。

青森市の場合はどうでしょうか?
仕事がありません。以上です。

一応、続けましょう。
仕事を選ばなければ、青森市にも仕事があります。
職業に貴賎はないとは言いますが、コンビニやスーパーのバイトとかで働くなど手段がないわけではありません。

しかも、そうした仕事をして得られるのは最低賃金ギリギリの水準のお給料です。

その仕事をするためにわざわざ高校を卒業したわけでも、専門学校や大学で勉強をして社会に出たわけでもありません。

エンゼルバンク#12

その受け皿がないのは大学定員数(学部・学科)と就職口のミスマッチです。
文科省がきちんと企業の新卒者受入れ予想を立てずに、大学の認可を与えてしまったもんだから、4年間も勉強・研究した学部・学科の学歴が意味を殆ど持たなくなりました。これは国策ミスです。

一部の研究・開発者など専門分野はともかく、殆ど初心者で働き始めます。

アルバイトだから低賃金なのではなく、青森市全体の平均所得が著しく全国平均より低いのです。(正社員でも)

しかも青森市は車社会で駐車場込みというのもありますが家賃相場が全体的に高く、暖房などの光熱費が冬場など都市部より余計にかかります。
スーパーで買う野菜や魚などは安くて新鮮ですが、そのほかの食品全般の価格は東京などと比べても決して安くありません。つまり物価が高めの傾向にあります。

せめて給与が全国平均より高いとかなら、まだ地元に留まる人も増えるでしょうけど、これでは…。


若者が故郷を去る理由

刺激がない

加えて、青森市には若い人が求めるチャンスがありません。
娯楽もありません。酒か、煙草か、カラオケか、ボウリングか、温泉か、ドライブくらいしかありません。

あとはセッ〇スか…そんなこと10~20代でもなければ、四六時中できるものではありません。

※ラブホテルの休憩ではなく、宿泊料金です。
駅周辺でも6~7千円くらい…

一時期は映画館さえ消滅寸前になったのですから、県庁所在地として本当にどうかと思います。

テレビ不毛の地

さて、今はやや様子が変わりつつあると思いますが、リビングの王様と言えばテレビです。

青森に朝日放送が開局したのは1990年…それまでテレビ局は青森放送(RAB)と青森テレビ(ATV)とNHKしかありませんでした。

フジテレビ系列の放送局がないため青森県民は『笑っていいとも!』の「お昼休みはウキウキウォッチ♪」という歌を夕方に聞いていました。

しかも1週間ほど遅れての再放送で。

このため夏休みなどにフジテレビのある地域(仙台や東京)へ家族旅行をして見た番組内容が、翌週などになって青森県内で放送されるのです。

この後こうなるよと、青森の人に話すと予言者や未来人だと驚かれます(笑)

また『ちびまる子ちゃん』は青森放送がフジテレビから番組を買って放送していましたが、第二期の途中(2000年頃)で番組が打ち切られ、以降放送されていません。

その一方で、青森県民にとってはみちのく銀行のキャラクターとして長年親しまれてきた『トム&ジェリー』の放送はちゃっかりされてきました。

青森銀行と2025年1月に合併し、キャラクターも独自のものに…

アニメオタクの辛い記憶

アニメがらみで個人的な恨みを伝えると『新世紀エヴァンゲリオン』(TV版)が社会現象になっていた1990年代後半…青森県では全く放送されませんでした。

1997年3月の『シト新生(DEATH/REBIRTH)』(旧劇:春エヴァ)や7月の『Air/まごころを、君に(The End of Evangelion)』(旧劇:夏エヴァ)が上映された時、VHS版も第20話までしかリリースされていなかったためにシンジ君がサルベージされた先の話を知らないままに物語の完結を見届けることになりました。

なんで助かったの?
どうしてアスカは廃人になったの?
レイと加持さんはなんでいないの?

VHS版で第21話以降がリリースされたのは1998年2月になってから。
TVでエヴァが青森県で放送されたのは2018年になってからです。

ネットで動画が十分に見られるようになったのはYouTubeが登場した2005年以降です。

エヴァの話はまぁいいですよ、過去の記事でも触れたし…VHSで観る人は遅れながらも観たし…。
(VHS化が遅れたのは諸般の事情による)

問題は青森県ではこうした事が度々起きているということです。

たとえば私が高校生の頃に東幹久が司会をしていたTBS系番組『ワンダフル』という情報番組がありました。ちょっとだけエッチなのがあるかもしれない…という期待を中高生に抱かせるあの深夜番組です。

番組の後半にショートアニメのコーナーがあり、漫画が超人気作品ではないけれどちょっとマイナーな作品だけれどアニメ化されるという貴重な枠がありました。

『逮捕しちゃうぞ』『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』、『行け!稲中卓球部』『夢で逢えたら』『イケてる2人』などなど…

アニメ1話はOP/EDと本編を合わせて約22分で放送されますが、ワンダフル内でのアニメはOP/EDと本編合わせて6分弱ずつ小刻みに放送されます。

その枠で『ペットショップ・オブ・ホラーズ』という不思議な生き物ばかりを扱うペットショップの話が放送されていました。

一応ペットショップのオーナーカウントDが主人公ですが、各話ペットショップを訪ねてくる客がストーリーの中心になります。

あれは1999年の3月も中旬に差し掛かった頃、平日の日課のように見ていました。


((アニメ作品のネタバレを含みます))



”麒麟”を使役した者はどんな願いでもかなえられ、
その国を支配する王になることもできるーー

アメリカ大統領を輩出した名門の落ちこぼれ議員のロジャーは、麒麟を何とかして手に入れて大統領となり、一族の面汚しというレッテルを貼った連中を見返したいと思っていました。

ロジャーとケリー

彼には幼馴染の秘書ケリーと、婚約者ナンシーがいました。
(ケリーとナンシーは相思相愛でしたが、政略結婚のためにロジャーと婚約)

ケリーはベトナム戦争帰りの父親が、戦争のトラウマでアルコール依存になり貧しい家で育ちましたが、ロジャーに見いだされ奨学金を得て学校を卒業。ロジャーのカリスマ性と家柄があれば戦争や貧困のない世界が作れると、彼の秘書に。

カウントDのペットショップを訪ねて帰宅する途中、ブレーキが壊れた子供たちが乗っているスクールバスと遭遇し、車をぶつけてなんとか止めようとして自分たちの車が崖に落下…

車から投げだされて岩に激突し、血だらけで横たわるロジャー。
そして瀕死の状態のケリー。

絶命しかけたケリーの目の前に、麒麟が現れ男の意識は光に包まれます…

ここからどうなるのか…最終話の後半6分だけを残して、翌週に続く形でアニメは終わります。

そしてワンダフルもエンディングトークが始まります。

そこでテロップが青森県の視聴者を襲いました。

”この番組の放送は来週以降ありません。”


春の番組編成で『ワンダフル』が打ち切られたのです!!!!


なんでだよぉぉぉぉ!!!!!!

せめて、せめて最終回までは放送してくれ…


そして、多くの青森県民(高校生)は知りませんでした。

『ワンダフル』も『笑っていいとも!』と同じく一週間遅れの再放送だったのです。


『ペットショップ・オブ・ホラーズ』は短編のため、VHS化されることもなく、ネットの普及が本格化するまで最終回を見届けることができませんでした。

私は当時、高校2年生。エヴァの時も思いましたが、改めて決意しました…。こんなアニメ好きにとって地獄のような土地から出て行ってやると。

今でこそAbemaやPrimeVideo、Netflixなどストリーミングやオンデマンドで観ることができますが、テレビがメインの媒体だった時代に放送を観れないことはそれだけでアニメ好きとしては呼吸をやめろと言われるようなものだったのです。


そして単なる視聴だけであればネットの普及によってある程度解消されたとしても、コラボカフェ(期間限定)…

原画展…

グッズ購入…


アニメに限らず、ミュージカルや音楽のライブ、美術館や博物館の催しなど…人によっても趣味嗜好は異なるでしょうけれど、地方で良いことは殆どないのです。

(都市部で売り切れたグッズが、たまたま地方で残っているなどとレジャーハンターを除けば)



ここからは少し(?)シビアな話をしていきます。

青森は経済が回っていないのですから、収入が増えるはずがありません。

県外に出荷して稼ぐ以上に、県外から買ってくるものが多くて、それを加工して県内で作って県内で消費して…国で言えば貿易赤字状態なのです。

しかも国ではないため地域通貨の発行権もないので、地方交付税交付金で補填してもらわないとほとんど何もできない状態です。

多くの人が自分自身が日々生きることに必死で、未来のことなど殆ど考えられません。目先、1年くらいの先しか見えていません。


産学連携と公立大学

専門学校や大学で人が進む専攻は皆バラバラです。
別に研究をしたいもの、興味があるものがあるのであれば何を専攻しても良いのですが、殆どの大学で学んだことを活かせる働き口が青森市にはほぼありません。

というよりも、青森市は県庁所在地なのに県内唯一の国立大学は弘前市(約40km)の弘前大学です。

これは青森県と青森市の成り立ちに起因しており、過去記事(序章)を参照してください。県庁所在地にキャンパスを含めてないのは青森県と沖縄県(琉球大学)くらいです。

そこで青森市は青森公立大学という大学を、八甲田山の麓に1993年に設立しました。(青森山田高校系列の青森大学は私立大学)

学部は経営経済学部のみです。

公立なので授業料は年額55万円程度、入学金は青森市とその周辺市町村に1年以上在住だと少し安くなります。

これで県外市外に進学してしまう人たちを少しでも受け止めようという狙いでしょうか。定員は一般・特別選抜合わせて300名(県内高校からの学校推薦115名)です。

しかし、大学受験時の科目は経済学部なのに共通テスト数ⅠA(1)、数ⅡBC…
日本では珍しくない文系の経済学部です。

日本では殆どこのタイプなので日本で高度な経済学は大学で学べない

何しろ偏差値42.5、共通テスト得点率53~70%(スタディサプリによる)

卒業生は国家公務員から民間上場企業などに幅広く就職しています。
本人の在学中の努力もあるでしょう。それを否定するつもりはありません。

中には地域社員枠などで県内配属で就職できた人もいるでしょう。
県庁所在地である青森市が運営しているわけですから、卒業生の働き口を頼まれたら通常なら書類審査とエントリーシートで弾く会社でも、一応面接くらいはどこもしてくれるでしょう。そこから先は本人の努力と運と縁です。


教授や卒業生たちを責めるつもりはありませんが、現在の所、青森公立大学は設立から32年かかって具体的に何の成果も得られていません

県庁所在地としてのプライドなんでしょうか。私が市長または県知事なら国立弘前大学に統合してもらい、青森市内にサテライトキャンパスを開いてもらう方を選びますけどね。これからも独自に運営し続けるつもりなんでしょうか。

青森公立大学だけに責任を押し付けるつもりはありませんが、産学連携という言葉があるように大学で学び研究したことを、産業(企業)が活かせる場という循環が青森市の場合には殆ど機能していません。

それもそのはず、青森公立大学は文系の経営経済学部しか持っていないからです。

国際的に経済学はScience
神が創り出したもの=Science(理系)
人間が創り出したもの=Art(文系)

理屈(理論)は必要ですが、理屈だけで経営は成り立ちません。

そもそも青森市に産業が根付いていないのですから、ああすればいい、こうすればいい…口先だけの理屈を言われても経営者が聞くはずがありません。

仮にもしどうしても公立大学を運営しようというのであれば、文系学部が無用であるというつもりはありませんが、よほど強力な教授陣を備えて文化的な研究を行う必要があります。


青森市というリソースを活用するなら、たとえばですが考古学を専門とする第一人者を教授に据えて、ユネスコ世界文化遺産に登録された三内丸山遺跡をはじめとする北海道・北東北の縄文遺跡群の研究を行うとかです。

⑤亀ヶ岡石器時代遺跡

青森県には各地に遺跡があり、その研究価値は観光資源としてだけでなく、考古学の研究においても重要な意味を持っています。

三内丸山遺跡などの調査は、旧制弘前高等学校時代の1934(昭和9)年から亀ヶ岡石器時代遺跡の発掘調査で実績のある国立弘前大学人文学部(北日本考古学研究センター)が東北大学や立命館大学などと連携して行っています。

青森市がもし本気で公立大学というものを考えるのであれば、三内丸山遺跡の発掘調査・研究を行う学部を経営・経済学部と連携して行い、研究成果を青森市の観光とどう結び付ければ観光客誘致ができるのかを行う方がよほど実用的です。

優秀な学生は卒業後に青森市の市職員または県職員として三内丸山遺跡の発掘・研究員として引き続き研究に専念させてあげれば、産学連携を継続的に行っていくことができます。


また同様に青森市の観光資源である「ねぶた祭」の文化的、学術的研究をする「ねぶた学部」があっても良いかもしれません。
青森公立大学のURLが”https://www.nebuta.ac.jp/”ですし。

弘前大学などと連携し、青森県内には様々なねぶたの変化形が各地に点在しており、それがどういう経緯から現在の形になったのかを専門的、学術的にまとめることは大いに価値があるでしょう。


海運と工業団地

しかし文系学科だけでは青森市の産業を根本的に活性化させることは困難です。そこでもし本気で取り組むのであれば、予算をかけてでも理系学科を青森市は設立または誘致する必要があると考えます。(難しいのはわかっています)

以下は「青森県新広域道路交通ビジョン及び計画」に記された青森県内の主要港湾と高速道路や国道と工業団地の位置を示しています。

むつ市の港湾部よりも工業団地が存在しない青森市

八戸市周辺には工業団地が無数に存在しますが、
青森市内には工業団地が2か所
ほどしかありません…

西部工業団地は昔からの工業団地で、新青森駅にほど近いですが三内丸山遺跡を道路一つだけ挟んだ地区です。つまり拡張には制限が懸念される場所です。

青森市南部工業団地は新幹線の沿線南側というほぼ山の中、ちなみに青森公立大学もほとんど同じくらい山の中です。

どちらも高速道路のインターチェンジまでほど近い立地であることから、船での輸送ではなく陸運が中心。つまり産業として船便を使うほど大量に製品が作られているわけでもなく、県内や北東北周辺で消費されるものが中心ということが想像できます。


下記のように八戸港からはかなり広域の海運が行われていますが、日本海側の津軽港や陸奥湾の中にある青森港は殆どコンテナ等の輸送には活用されていません。

八戸港は東北有数、全国でも近年はトップ10入りを果たすなど水揚げ量の多い漁港ですが、貨物コンテナの取扱量でも東北で仙台塩竃港(全国12位)、秋田港(全国29位)に次ぐ第3位(全国32位)。※令和4年度

但し八戸市内には空港がなく、八戸港から最寄りの三沢空港までは約30km…しかも米軍基地との共用のため、様々な検査体制等の厳重さや発着が米軍機の離発着などによっても左右されがちなどであまり勝手がよくありません。

海運は空輸よりもコストが安く、一度に大量のものを運搬することができます。この点を考えると本州最北端の県である青森が何故、青函連絡船の歴史と共に発展し、衰退したのかが分かります。

青函連絡船の廃止(青函トンネル完成)によって、物流の流れが船から鉄道に切り替わり、青森市をハブにしなくてもよくなってしまったからです。
しかし元々が北海道との輸送で栄えた町ですから、ポテンシャルはあるはずです。

東京の下町(千住)にも工場があった(こちら葛飾区亀有公園前派出所)

また忘れがちですが、かつて工場というのは全国のあちこちにありました。
東京の下町もそうですし、NYにも多くの町工場がありました。
舶来品のぬいぐるみやブリキの玩具などはNY土産の代名詞だったそうです。
現在のNYからは想像もできないでしょう。

しかし都市化するたびに地価が高くなり、郊外などに移転するようになったのです。


輸送という利便性、経済の相乗シナジー効果を求めて港湾や空港、高速道路が整備された近い場所に工場が次々に集積してくるようになり、やがてその一帯が工業地帯となっていきました。

四日市コンビナート(三重県)
水島コンビナート(岡山県倉敷市)

その代表格が日本ではシリコンアイランドと呼ばれる九州や、シリコンバレーと呼ばれるアメリカの西海岸カリフォルニア州だったりします。

一つの企業が単発的に工場を造り、そこで生産をするのではなく、工場の近くに別な企業が工場を建て、A社が作った部品を、近くのB社の工場で組み立て出荷する…

工場が近いと輸送コストと時間が節約でき、お互いに連携をした製品づくりができます。

更に自社の得意なものを量産することで歩留まりが改善され、大量に安く商品を供給することができるようになれば、消費者に安く品質の良い商品を届けることができます。

企業レベルから、市町村レベル、都道府県レベル、国レベル、そして地域や国際分業というスケールを拡大すると、産業が根付かなかった地方都市における課題が見えてこないでしょうか。

産業を地域に根付かせるというのは一朝一夕にできるものではありません。
何か一つこれから流行しそうなものに特化してやろうとしてもクリスタルバレー構想の時のような失敗を繰り返すだけです。

大学教育という研究と教育の両方を兼ねる社会の公器を、どう地元経済に活かせるのか。

形だけでなく、結果は大切ですが、地域の特性を考えて他の地域にはない青森市であれば青森市だからこその文化や資源、特化させていくべきことは何か。

この考えの深化がないところに、都市計画の成功はあり得ません。
今の青森市がやっていることは、相変わらず箱モノを作ればなんとかなるという発想です。

いい加減、「コンパクトシティの失敗例」と言われている根本的な理由に向き合うべきなのです。

県庁所在地だから持ち回りでやってくる他の都市の人たちに「どだ?オラの町の駅前、うぉーたーふろんと開発すげーべ?おまえんとこ、こんなのあるか?」と自慢したいだけのハリボテを作るのに予算をかけて、生活をする人、消費者の視点に立った都市計画がこれまで本当にできていましたか?


そして、市区町村単位レベルや県単位でも実現できないことは、国単位でそれを支援しなければいけません。
一度承認した、計画のはしごを簡単に外してはいけないのです。

もし外すならそれ相応の補償をしなければ、地方財政などあっという間に破綻します。

青森市のコンパクトシティの失敗という手痛い経験は、青函連絡船廃止(青函トンネルへの移行)、新幹線誘致の遅延という①国策の停滞

街づくりを青森駅前に固執し続けて、郊外に中心地が映っていたにもかかわらず、ヒトの導線を無視し②適切なネットワークの構築の挫折

これは①②どちらにもハシゴ外しの影響もありますが、最終的にはそうした政治家(市長・市議)を選び続けた市民の政治・投票への関心の低さが招いた帰結でもあります。

そして街づくりの根幹であるゴールを、市民(消費者)を巻き込んで議論が尽くされないまま走り出し、ヒトと産業を育てるということを30年にも渡って放置してきた結果が、③青森市に主たる都市産業が育たなかったということなのだと思います。


コンパクトシティはなぜ失敗を繰り返すのか

そして恐るべきは、全国から「コンパクトシティの先駆者」という国の後押しを受けた青森市の駅前アウガ等の視察をした全国の市町村の中からいち早く「オラの町もこれからはコンパクトシティだ」と同じ誤解をしたままにそれを参考に、十分な検証と地域適合を考慮しないままに青森市の駅前再開発の事例を模倣とした昔からの中心市街地の活性化のための箱物作りが濫造されました。


アウガの開業は2001年、赤字累積が判明したのが2008年、2015年に経営破綻…この間に青森市を成功例と信じて追随したコンパクトシティ構想に突き進んだためです。

ここに2005年を節目とする「平成の大合併」による隣町:浪岡町と青森市の合併により新たな青森市(現在の青森市)が誕生。
これを境に青森市の総人口は減少を辿り始め、青森市式のコンパクトシティのハリボテの計画が剥がれ始めます。

そして、青森市を模倣した地方都市が相次いで失敗を遅れて連発し続ける事になりました。

いくら箱物を作っても、周囲の町から人を吸い寄せているだけで少子高齢化が根本的に解消している訳でもなく、町全体が持続可能性と再現性を持って活気に沸く訳でもない事に国(国交省)も気づき、大慌てで青森市の失敗事例の原因を分析し始めます。

そして富山市の取り組みとの違いが明確に浮き上がってきました。
地方の交通手段の要である自動車からの代替…交通ネットワークの構築が重要だと。

こうして「コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」に装いも新たに計画はリニューアルされ、まるで様々な社会問題を解決する策のようにしてまた誤認されていきます。

しかしそのネットワーク構築で成功例として持ち上げられた富山市でさえ、人口減に飲み込まれ、近年は新たな課題が浮き彫りになりつつあることは決して忘れてはいけません。

青森市や富山市と共に、財政破綻で知られる夕張市がここで挙げられるというのは趣深い…。


失敗から学ぶ哲学

成功へ至るためには、できるだけたくさんのトライ・アンド・エラーを繰り返す必要があります。

挫折には痛みが伴います。
もし痛みが感じられないとしたら、また同じような失敗を繰り返すかもしれません。そのたびに傷つくでしょう。


一つの自治体が何度も成功するまで失敗を繰り返すと、財政破綻をしてしまう可能性があります。


しかしそれぞれの自治体がそれぞれの地域特性や目的・目標を住民たちと話し合い合意形成をし、そして取り組んでいくとそこに多様性イノベーションが生み出されていきます。

それは時に新たな課題が見えてくるかもしれませんが、それは好転反応(成長痛)と言えるでしょう。


イノベーションには2つあり、ゼロからイチを生み出すプロダクトイノベーションとイチを100や1000に拡大していくプロセスイノベーションです。

前者はMac/iPhone/iPadなどを世に送り出したアップルに代表されるイノベーションで米国系のベンチャー企業が近年、得意とするジャンルです。

後者は海外で発明されたものを輸入し、内製化し、そして生産効率プロセルを高める…種子島にやってきた火縄銃を二丁買って複製してしまうような、近現代ではトヨタに代表される「カイゼン」と呼ばれ、日本が古くから得意とするジャンルです。


こうしてリスクを分散しながら何が足りなかったのかが少しずつ見えてくるのです。

そしてこれは本記事の中でも触れた、地方では若い人にチャンスがないという問題にも繋がる話なのです。

チャンスがなければ失敗のしようもありません。

成功の確率が高いから、挑戦しようとするのでしょうか?

挑戦とは常に失敗の確率の方が高いものです。

挑戦をしていない自分の人生が格好悪い失敗作だと自分で気づかないために、発言をしない、投票に行かない、宣言コミットをしない…

そうした無責任さ(他責)が、会社の、街の、この国の空気を
「どうせ今からあがいても無駄」とあきらめさせるのです。

人が人と関わらないことには、意見をぶつけたり、古臭いと言われるかもしれませんが時には飲みニケーションを含めて交わらなければ、人は磨かれないのです。

ダイヤモンドを磨けるのはダイヤモンドだけ

私は「人間を磨けるのは、人間だけ」だと思います。

人が沢山集まる所にはそれだけ、危険もあれば様々なチャンスもあるのです。

改めて問いましょう。
青森市のコンパクトシティ構想は失敗でしたか?

それはアウガという駅前商業施設の経営失敗の話ですか?

郊外に間延びする都市インフラを生活拠点に集約していき、離れた拠点と拠点をつなぐネットワーク構築の重要性という地方における重要な問題を教えてくれてくれたのではないでしょうか。

少子高齢化が加速する中で、社会が復興・高度成長期に築いた長大なインフラを持続可能にするための都市づくりの見直しという難しさと、それに取り組まなければいけないという社会的課題とその解決策を考える一つのアプローチ方法ではなかったでしょうか。

またそれは政治の失敗、政策の失敗、市民の政治への無関心や広く開かれた場で、市民の意見を交えた都市計画づくりがされていましたか?

一部の人の声を市民の声として拡大解釈して取り組まれていませんでしたか?

それは産学連携という産業を育てる取り組みが、研究している内容が、青森市には活かせなかった…国立大学のない県庁所在地の悲哀だったのではないでしょうか。


エジソンは日本の竹で作ったフィラメントによる白熱灯の発明に、1万回の失敗をしたそうです。

世紀の発明に、記者がインタビューをしました。
「1万回も失敗をしてあきらめようと思わなかったんですか?」

私は失敗したのではない。ただ1万通りの『上手くいかない方法』を発見するのに成功しただけなのだ。

これは失敗を認めないことではなく、失敗を受け止めてうまくいく方法を見出そうとする先にある発想です。

失敗は受け止め、反省し、そして同じミスを繰り返さずに、挑戦し続けている限りいつか成功します。

しかし青森市の場合は、失敗を受け止められずに、今もまだ同じことを繰り返しているのです。

未だに駅前の新町商店街にこだわり続ける青森市

バスターミナルのハブを新たな中心地である南部に移設しただけで全ての問題が解決する訳ではないが、欠けている部分を補うためには早急に取り組む必要がある

これでは成功にたどり着くことは運任せになってしまいます。

宮下県政で青森市にも変化

三村県政20年と積み残した課題

郷土愛に溢れ津軽弁訛りで「知事つづ」と呼ばれ、個性的で青森県民にも長く親しまれ、身体を張ったパフォーマンスで県産品を全国にPRして回った三村前知事。

振り返ると三村前知事が県知事に当選したのは2003年でした。

百石町長になったのは36歳、国政に進出しようとして選挙で敗れ、4年後に衆議院議員になったのは44歳、青森県知事になったのは47歳

当時の県政は県債1兆2500億円超え、財政再建団体へ転落寸前の危機に陥っていました。

原因はバブル崩壊後に景気浮揚を目指し、補助金と組み合わせ公共事業が立て続けに失敗に終わったことでした。

むつ小川原港整備(1980-1983)、石油備蓄基地(1985)の着工も失敗。
リカバリーとして原子力関連施設の受け入れ(1984-1995)

この一帯の工業地帯化が実現した際の電力消費需要にこたえるため天然ガス発電所の誘致を試みるも、提携した米国最大のエネルギーコングロマリット企業エンロン*が破綻(2000)。

*日本で言えば東京電力と東京ガスが一緒になった巨大企業が不正会計で破綻。ドットコムバブルと重なり、世界中に波及。これをきっかけに国際会計ルールであるSOX法が確立される。

新幹線の新青森駅への延伸は延期を重ね、2000年代に地上デジタル放送への移行による液晶テレビ需要に応えようとして起死回生のクリスタルバレイ構想も失敗(2010)

青森県の経済は一向に回復せず、雇用を生み出す企業の誘致も殆ど巧く行かず、これに合わせてかかった人件費も積み重なった結果は散々なものでした。

2023年時点で当時の青森県の規模の地方債残高は市でいえば横浜市・大阪市・名古屋市だけ。

3位の名古屋市の名目GDPは13兆9363億円、青森県のGDP4兆3221億円(3倍)
当時の青森県の財政状況の厳しさが想像できる…


就任するや三村知事は県産の農林水産品の出荷に特に力を入れ、全国に青森県産品を売り込みました。県産米の新種「まっしぐら」「青天の霹靂」などの開発も陣頭指揮を執りました。

青森空港へ中国・天津からの国際定期便の就航、新幹線開業(2010年)を契機とした北海道・函館との立体観光(エリア周遊観光)を促進し、県債残高を8800億円まで20年で圧縮。

しかし2020年に始まったコロナ禍での県民への注意喚起などの発信力不足とリーダーシップ、機動力、人口減少・少子高齢化、三村知事自身の高齢化(67歳)と急変していく社会情勢への対応力などで課題も残しました。

三村知事の前の木村守男知事(自民党→新自由クラブ→新生党→新進党→無所属)は57歳で知事になり、65歳で引退。無所属の三村知事に引き継がれた際は、当時も自民党政治(津軽選挙)からの脱却と「大幅な若返りへの期待がされての交代でした。

宮下知事も35歳でむつ市長となり、43歳で県知事。
三村氏とは県知事とむつ市長の関係から引き継ぎをする関係となりました。

退庁時には県庁職員だけでなく県民も玄関でお別れ
個性的で幅広い県民に愛された知事だった


青森県知事選2023~宮下県政の2年

2023年6月に県政最長となる5期20年を務めた三村知事の引退に伴い県知事選挙が行われ、青森市長を辞して県知事を目指した小野寺氏と、むつ市長を辞して臨んだ宮下氏の事実上の一騎打ちとなりました。

小野寺元青森市長は元総務省財務部(宮崎市・愛知県担当)出身。宮下氏より3歳年上で同じく青森高校卒(東京大学経済学部卒)。青森駅前再開発ビル(アウガ)経営破綻の責任を取って鹿内博前市長が辞任した事により青森市長選へ出馬。

アウガを青森市役所駅前庁舎としてリニューアルし、10階建て構想のあった青森市役所を建て替え前と同じ4階建てに抑えるなど、出身である総務省での経験を活かし、財政を意識した堅実な市政を行ってきました。

青森県庁と青森市役所は目と鼻の先であり、県庁所在地:青森市の改革を進めるうえでも県政を引き継ぐのは自分という自負もあったでしょう。
(三村前知事は百石町出身で無所属だが、小野寺氏を支持した)

対する宮下氏は青森高校・東北大法学部卒、元国土交通省出身。
経歴的には都市計画土木(道路・上下水)などの主に法案・予算案・立案を担当してきた人物です。

むつ市長だった父親の急逝を機に、35歳でむつ市長選挙へ出馬。
2014年から2023年まで同市の市長を務めました。

20年ぶりとなる投票率50%台となった事からも、県民の関心の高さ、期待をうかがい知ることができるでしょう。

結果は全ての市町村で宮下氏の圧勝となり、県政における青森市のハンドリングはリセットされ、青森県議会においても宮下知事による改革が始まりました。

実は年齢的にはどちらも40代と全国の知事の中でも若かったが…

宮下氏に期待されているのは知事の年齢的な若返りだけでなく、どの自治体でも苦心している合計特殊出生率2.0を目指す青森モデルと医療の偏在を解消する取り組みなど三村県政で達成できなかった積み残しの解消を含め多岐にわたります。

小野寺氏も宮下氏も無所属で臨み、青森県で大きな影響力を持つ自民党県連の津島淳会長は「(主要候補者の誰もが政党公認を受けない意味で)異例の選挙だったともいえるが、本当の選挙というのは県民による県民が選ぶ、そういう選挙だった」と振り返り、同じ国土交通省出身の宮下氏にエールを送りました。

祖父は太宰治(本名:津島修治)、父は津島雄二(元厚生大臣・自民党税調会長)
淳氏自身も衆議院議員(元法務副大臣・元国土交通政務官)を務め青森県政に大きな影響力を持つ


暮している県民にとっての感じ方は異なるかもしれませんが、青森市の外からやって来た知事ということで、私は県外から見ている分には青森県議会への風通しがとても良くなったように感じています。

特に青森市(市長・市議会)との足並みが、これまではどちらかといえば青森市商工会などの影響力を大きく受けていたものが、かなり弱まった印象を受けます。

商工会派の人たちからすれば自分たちの縄張りである市政に飄々と口出しをされているようにも思え、それでいて過干渉にならないようにうまく躱されているからやりにくく感じているかもしれませんが…。

そしてむつ市だけでなく、県内の市町村長や市町村議会とのコミュニケーションも既に始まっているように思えます。

これは八戸市を中心とする南部地方(三八上北)と、津軽地方に対する縄張り争いのような意識が未だシコリとしてあるのかもしれません。

県下No1の高偏差値である県立青森高校卒とはいえ、むつ出身の宮下知事は青森市内では外様に近い扱い。青森市民26万人を特別視せず、県民118万人の大部分からの指示を受けている視野の広い県政が担えているのでは。
(しかも青森市民も宮下氏に多くの人が投じている)

またこれが宮下知事の特徴の一つでもあると思うのですが、若い世代の県民への発信が巧いという印象を受けます。

それは端的な言葉で、そして適度な間を使い、的確な早さわかりやすく情報を発信するというものです。

またこれは小野寺氏だったらというたらればではなく、三村前知事との違いになるのですが三村知事はどちらかといえばオールドメディア(TV・新聞・ラジオ)を通じた発信でした。

世代的なものもあるのでしょうけれど、このために支持者や政治に関心を持つのは三村知事に近い世代または上の世代向けが中心でした。

よほど政治に興味・関心を持っている人でないと、わざわざ日常の生活の中で県政の動きなどを把握することは難しかったでしょう。

一方で宮下知事になってから青森県知事のYouTubeチャンネル「A-Tube」を通じて自分の言葉で直接、県民にメッセージを発するように意識しています。

A-Tubeはチャンネル登録者数1.13万人と決して118万人の県民人口の中で多くの人が登録しているわけではありません。

しかし地域スポーツやイベント、頻発した地震や豪雪被害、統合新病院についての青森市長などの合同記者会見などかなり積極的に発信をしており、それもショート動画なども意識的に取り組んでいます。

そんなの見せ方が今風で巧みなだけじゃないか…と言われるかもしれませんが、これまで県庁の中で、または県知事が何をしているのか。

テレビなどのメディアを通じて切り取ってでしか知れなかった活動が、可視化され、知事の発信したい方向で発信され、メディアを通じてこれまで通り政治に関心を向けている高齢者だけでなく、YouTubeを通じて若い世代も目を向けるようになったことは大きな変化だと私は考えています。

興味があるヒトが見ればいい、調べればいい…ではなく、いかに人を巻き込むのか、見てもらえるように工夫をするのかは、多くの政治家が持っていなかった視点と言えます。

また県政に限らずですが、県知事や首長(市町村長)がどんなに優秀でも政治(議会)というのは良い方向に進むわけではありません。

知事はスーパーマンでもなければ、アインシュタインでも、ニュートンでも、イーロン・マスクでもありません。

一人の人間です。一人の人間ができることには限界があり、一人の人間が持つ視野だけではどうしても行き届かない取りこぼしが発生します。

政治とは、多くの人の代表者として選挙という託された権限によって活動をしていくものですから、多くの人の目が向くというのはそれだけで民意を反映しやすく、またおかしな動きに対してはけん制にもなるのです。

そしてそれは宮下知事の考える政治ということなのでしょう。

また青森県民のインターネット利用状況の全国的な低さを考慮すれば、かなり驚異的な20年遅れの大改革かもしれません。

これまでは青森県政の行っていることが形式的で、その一つ一つの計画なども書かれてはいるけれどその内容がどのように話し合われて進められているものなのかを理解することは難しい概要ばかりのものでした。

宮下知事就任前の「よくわかる青森県2023年版」個別計画

しかし宮下県政になってから、これが知事による指示なのかはわかりませんが、それぞれの計画ごとにリンクが張られ、その資料にアクセスができる情報開示が就任わずか半年ちょっとのタイミングで行われました。

更に全てが完全移行したわけではありませんが、これまでの縦位置での印刷した紙で読むことを念頭に置いた資料からプロジェクター投影やPCでの閲覧を念頭に置かれた横位置での表記のものが目立つようになりました。

色づかい・レイアウトを含めて資料の見易さも格段に意識されて、読み手に伝えようとする工夫が感じられるようになりました。

これによりどの部署でどんな計画や話し合いが行われているのか、そんな課題について県で物事を進めていこうとしているのかの情報に県民がアクセス可能になりました。

2025年2月時点で全国で40代の知事はわずか7人しかいません。50代と合わせてもこの国の地方政治を動かしているのは60代(23人)という20~30年後には生きていないかもしれない高齢者です。

宮下知事に私が期待したいのは、政治家を志したきっかけに書かれている「幼少期を過ごした商店街が消滅した。地域住民が自己決定の中で未来を決められる日本社会を目指したい。」を貫くことです。

勉強のできる人に陥りがちな高い理想のリベラルにより過ぎず…つまり自分の考えが正解だと思い込まず、できるだけ多くの人を巻き込んで、その落としどころを相互の責任において法案化していくという青森県政で長らくリーダーに任せきりだった政治というものを、県民が取り戻す礎になってくれたらと思います。

やや客観的というか、どこかあなたたちが決めたことですよねと言い出しそうな節が若干ある点がこれまでの青森県知事にはいなかったタイプなので不安がないわけでもありませんが。

鹿内元市長がややそのタイプに近かったが、自責が強いタイプだった。
宮下知事はもっと客観的というか、議会の場ではあまり我を出さずにファシリテーターに徹している感があり、やや他責的な印象が節々に感じることがある。その分、人に仕事を任せるタイプだろうか?

大きなトラブルや変な野心に突き動かされなければ、三村前知事に匹敵するかそれを超える長期の安定した県政を担えるかもしれないという期待をしています。

(宮下知事は私の1学年上の世代なので、年代も近く県民ではないが故郷の知事として応援している)


おまけ

これはいつか続きを書くかもしれない…時のための予告というか、下書きのようなものです。

ご存じのとおり日本は戦後、太平洋側を中心とした開発・発展を遂げており、この影響は東京発の東北新幹線などが福島・宮城・岩手・青森と東北の太平洋側の県だけを貫いています。

しかし江戸時代や明治~太平洋戦争以前まで、日本の中心は日本海側でした。

将来的には奥羽新幹線羽越新幹線が2200年くらいには開業して、東京一極集中が解消されているのかもしれませんが、実現はしてほしいもののあまりに遅すぎたと言わざるを得ません。

現在、東京一極集中を是正し、地方創生の一環として令和の日本列島改造計画が国策として動き始めようとしています。

高度経済成長期に計画だけ立ち上げたけれど達成できなかった、日本海側の新幹線(羽越・北陸・新幹線)をつなぎ、中規模都市に分散していこうという発想です。

つまりコンパクトシティならぬ、いわばコンパクトカントリー構想です。

この場合に重要になってくるのは、日本海の向こう側にある貿易相手国で、ロシア・韓国・中国や東南アジア諸国ということになります。

その時に国が絶対にやってはいけないのは、途中ではしごを外してはいけないということ。慎重に慎重を重ねて議論を地域の声を聴き、計画を練り、もしどうしてもはしごを外したい場合には、責任をもってその代償をすることです。

このまま放置すると青森市はおろか、青森県は存続が困難な時期がやがてやってくるでしょう。


その時、青森市を含む津軽地方は十和田湖の境界論争をしている秋田県と一緒になり、むつ・八戸市を含む太平洋側はかつて南部藩だった文化的に近い岩手県に吸収されるのでしょうか。

それとも北東北三県でみちのく県として再スタートを切ることになるのでしょうか。


その前哨戦として第一地銀同士の青森銀行とみちのく銀行の合併が2025年1月1日に行われました。

人口減少、少子高齢化・産業の空洞化…銀行融資は地方において目の前に迫った危機で、合併によって誕生した「青森みちのく銀行」(親会社はプロクレア・ホールディングス)は全国で初となる独占禁止法の特例法が適用されました。

北東北では青森県と秋田県は単独では1行でも事業存続不能とされ、生き残りをかけて合併と他県(宮城県)や大都市圏、海外への進出が急務となっています。

今、青森市だけでなく青森県も運命の分かれ道に立っている…そんな大切な時期を迎えています。

長々と書いてきましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

青森県、青森市…いえ、皆様の愛する地方都市が生き残るために考えなければならないことのヒントが少しでもあれば嬉しいです。

感想やコメント、寄付をいただけると今後の励みになります。
ではでは。

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