ⅹスティーブ・ジョブズの誕生からアップル復活まで⑥
2011年10月5日15時…アップルの共同創業者スティーブ・ジョブズが旅立ってから本日は10年になります。
本記事はカラフルな新型iMacの発売開始から全10回に渡って投稿してきた『没後10年~スティーブ・ジョブズの誕生からアップル復活まで』、完結編になります。
本日、アップルのWebページには『Steveを称えて』のスペシャルムービーと家族からの言葉が公開されています。
マンガ①「当時のコンピュータWindows編」
マンガ②ジョブズの結婚と家族、アップル復帰
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スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータへ戻ってきた頃、アップル社内ではチラホラともう辞めたいという人たちの声がありました。それほど従業員の士気も下がっていたのでした。
ジョブズはアップルを乗っ取りに来た敵のように思われることが嫌で肩書を非常勤アドバイザーとして、報酬も無報酬でアップルの再建にスタッフを結束させようと呼びかけました。
3,000人の従業員の解雇、数々のプロジェクトの中止…そして従業員モチベーションアップのためのストックオプション要件の引き下げ。
反発や反感を覚えるスタッフもいました。ジョブズはこれまでのアップルコンピュータと決別し、会社の再生のためにあらゆる手を模索しました。
取締役を降りたマイク・マークラの元を訪ねて、和解とアップルのこれまでのこと、これからのことも相談しました。
そして複雑に絡み合った糸を解くように打開策を一つ一つ、紡いでいきます。
Mac World Expo(BOSTON)
1997年8月6日、ボストンで開かれたMacworld Expoでジョブズは登壇をして驚くべきことを発表しました。
ジョブズは観客に、ファンに呼び掛けます。
アップルの製品が魅力的でなくなってしまった、売り上げが大きく落ちてしまった。優秀な人たちが作っているのにもかかわらず、何故だろう。
それは計画に誤りがあったのではないか。
優れた戦略があればそこに参加したいと思う人はたくさんいる。しかしそういう戦略が今まで一つもなかった。
アップルコンピュータの製品を買おうという人はちょっと変わっていると思う。
パブリッシング(印刷出版)やデザインをしている人など、世界のクリエイティブな側面を担う人、世界を変えようとしている人たちがアップルコンピュータを支持してくれている。これは実にアメイジングなことだ。
我々はそんな人たちのためにツールを作っている。
我々も常識とは違うことを考え、アップル製品をずっと買い続けてくれる人々のために仕事をしたい。
ふとした時、「自分はおかしいのではないか」と思う瞬間が人にはある。
「でもその異常さこそが…天賦の才の現れでもある。」
聴衆の歓声の中で、ジョブズは宣言をしました。
「アップルは生態系の中で生きている。だから他のパートナーから支援を受けることも必要な時がある。」
「まず最初に紹介したい提携企業はこれだ。」
観客たちはどよめきました。
ジョブズはプレゼンテーションを続けます。
「和平協定の一環としてマックの初期設定で使うデフォルト・ブラウザをMicrosoftのInternetExploreを採用することにした」
会場ではブーイングが起こります。
ジョブズは観客をなだめ、ユーザーが任意にブラウザを変えてもいいと添えます。
そして続けました。
マイクロソフトから友好的な関係を築いていくために1億5000万㌦分のアップルの議決権のない株式(ClassC)への出資をしてもらうことを発表します。
更に特別ゲストと衛星中継がつながっていると話し、壇上のスクリーンにある男の姿が大きく映し出されました。
業界をかつては二分したほどの対立。あのGUI盗作事件を含めて、これまで長年のライバルとして、犬猿の仲だったアップルコンピュータとマイクロソフトの和解は株式市場にも好感を与え、今や圧倒的シェアを誇るマイクロソフトからすれば独占禁止法に抵触しないようにするための対策の一つでもありました。
新スローガン「Think Different.」
ジョブズは士気が下がり、クリエイティブな仕事が出来なくなっていたアップルコンピュータのメンバーに今こそ一丸となって自分たちのやろうとしていることを、目標を、何のためにここで働いているのかを問いました。
そしてアップルコンピュータ再生の象徴としてMacWorldExpoに向けて新しい企業スローガンを模索していました。
そしてあのマッキントッシュ誕生の際に放映した伝説的CM『1984』の製作プロデューサーだったリー・クロウへ連絡をして、アップルコンピュータの新しい企業スローガンを世に発表することを相談。
制作に難色を示していたリー・クロウでしたが、ジョブズと再会してアップルコンピュータとその製品が他の企業や商品とどう違うのかを打ちあわせをして二人は一つの解にたどり着きます。
その結果、新しい企業スローガンがジョブズの肉声と世界の歴史を変えた人々の映像と共に発信されることになりました。
広告を公開する直前、ジョン・レノンの写真を使うことを連絡すると、NYの日本食レストランで食事中のジョブズをオノ・ヨーコが訪ねて秘蔵の写真を届けてくれるなどのサプライズもありました。
そして、このブランドイメージの発信は後のアップルコンピュータが他のコンピュータ企業と大きく異なるブランド力を持つきっかけにもつながっていきます。
若くまだ無名のデザイナーとアップルコンピュータのアイデンティティ
社内でジョブズのやり方に離反や反発する声も少なくありませんでした。
ジョブズはその声に耳を傾け、そしてその中から一人の若いデザイナーを発掘します。
ジョブズと同じくらいモノづくりにこだわりと情熱をもって仕事をしようとする青年は、しかし今の環境では会社も上司も思うような仕事をさせてくれないと嘆いていました。
ジョブズが彼を訪ねていくと彼は驚き、戸惑いました。しかし話をしてみるとジョブズと彼はとてもよく似ていました。
ジョブズ曰く「アップルで一人だけ精神的なパートナー」と彼のことを評し、彼の深い洞察力とマーケティングへの理解、デザイナーとしての才能を認めます。
そしてそのまだ無名のデザイナーだったジョナサン・アイブ(当時31歳)を軸とした秘密チームが結成されて、アップル社内でも殆どの人が知らないままにある機種が開発され、1998年5月6日にジョブズによるプレゼンテーションで突如として発表をされます。
何しろアップルのスタッフさえほんの一部しか知らされていなかった新製品。しかもそれはアップルコンピュータの原点とも呼べるオールインワンのコンピュータでした。
発表をされるや否や、会場は歓声に包まれました。そしてジョブズの指示でカメラはその機種の周囲を回り始めます。
ライトアップされたそのコンピュータは…
電源コード、キーボード、マウス…乗せたテーブルの上に最低限しかケーブルが出ないすっきりとしたデザイン。光学ドライブ(CDドライブ)は本体正面に内蔵。
デジタルカメラなどと画像のやり取りをするための赤外線ポートや高速で周辺機器と接続するためのUSBポートが搭載され、キーボードにもUSBと接続ができるポートが備えられていました。
マウスは右利きの人だけでなく、左利きの人も使いやすいように左右対称のデザインが採用されました。
そして本体の半透明なボディーと鮮やかなカラーリングはこれまでの白黒やアイボリーなどばかりだった世界中のコンピュータ市場を驚かせました。
ボディーが透けて見えることや、丸みを帯びたフォルム、背中にハンドルが付いていることはなんだかとっつきにくそうなイメージを持っていた消費者のコンピュータへの意識が変わり始めました。
ラジカセやどこの家にでもありそうな家電製品のようにハンドルがついているだけでなんだか使える気がする…
コンピュータは怖い物じゃないみたいだ…
技術的にはほんのちょっとした変化だったこと。
しかしそれまで誰も見向きもしなかったこと。
南国の海(オーストラリアのボンダイビーチをイメージ)のような半透明(トランスルーセント)な色を再現するために光の透過や反射などを工夫して何十時間もかけて研究をしました。
このiMacG3は1998年8月15日(日本では8月29日)に発売されると6週間で27万8,000台、4か月の間に80万台が世界で販売されアップルコンピュータ史上最高の売れ行きとなり、生産が追い付かない状態ほどの人気となりました。
1999年1月、手早い2度目のマイナーチェンジモデルとして5色の新しいカラーリングのラインナップで再登場するとあっという間に世界中の家電量販店やパソコン専門店だけでなくテレビドラマや映画、様々なシーンでも使われるようになりコンピュータに関心のなかった人たちでさえそれを目にするようになります。
市場の90%近くを独占していたWindowsからもユーザーがその外見や使いやすそうなイメージやオシャレなデザインに惹かれて乗り換え始めました。
ある調査によるとこの年、既存のWindowsユーザーの12%がiMacへの乗り換えをしたとされています。
家族みんなで共有して使うホームコンピュータから、一人一台、私(i)のためのMacintosh。
iMacはその後のアップル復活の象徴となり、インターネット(i)時代の本格的な到来と高速化されていく世界の中で新しい幕開けを飾ると共に世界と人々の暮らしを大きく変え始め、そして次のideaとidentityも生み出される契機となりました。
初代iMac発表のプレゼンテーションとCM
アップル復活のその後
後にプロダクトではiPod、iPhone、iPad、そしてMacBookAir…
サービスではNeXTをベースとしたMacOS X、iTunes、iCloudを世に送り出したスティーブ・ジョブズ。
2011年8月に経営のバトンを渡したティム・クックCEOがストリーミング中継で発表をしたiPhone4sの発表を前夜に見届け、新しい時代のAppleを託して2011年10月5日、56歳で家族に見守られ旅立ちました。
翌日、訃報を知った世界中のファンたちがアップルストアや公園などに立ち寄り、その死を悼みました。
こんなにも世界中で愛され、そして惜しまれた人がいたでしょうか。
世界を変えたイノベーターが去ってから10年。
2021年5月21日に発売開始となった新しいiMacはまるでこの原点に再び戻ってきたようなカラーバリエーションで登場しました。
スティーブ・ジョブズ。あなたに会うことはできないけれど…10年経った今でもあなたが愛を注いだアップルは、今も世界中で沢山の人たちに愛され、そしてここから次の時代の種が芽吹くのを楽しみにしている人に期待させる企業で、きっとあり続けていますよ。
何故ならこのカラフルな色を観ただけで、こんなにも世の中の人をワクワクさせる企業が他にあるでしょうか?
アップルは次は私たちにどんな魔法をかけてくれるのでしょうね。
それとも私たちはまだあなたのかけた魔法にかかっているのでしょうか。
Thanks for all the "Magic".
GREAT JOBS,STEVE JOBS
2021.10.05
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