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海外のIFAは何故、超低コストでビジネスが成り立つのか?金融庁が知らない顧客本位とビジネス共存の仕組み①

金融庁の思いつきによる「つみたてNISA」は多くの金融機関所属の証券外務員(FA,Financial Adviser)や独立系の証券外務員(IFA,Independent Financial Adviser)からそっぽを向かれています。

何故ならそれは投資家(国民)のためという建前を振りかざした、誤った投資理解の普及とビジネスとして証券提案を行う証券外務員に持てる知識と経験をボランティアで提供せよというものだからです。

投資家にとってもメリットよりもデメリットの方が多く、金融庁が「老後2000万円問題」で自らに火を放って焼身自殺を図ってまで認識させようとしたり、6月初旬には公表されるはずが参議院選挙終わるまで公開されなかった「年金財政検証」のレポートを観ると明らかに矛盾する問題を抱えていますが、それを指摘すると「空気を読めよ」という圧力をかけてきます。

多分流行りに乗るのが好きな人や投資についてきちんと理解していない人(2018年加入者約103万人)が食い物にされたと言えます。恐らくは今年も昨年に近い規模の、またはそれ以上の加入してしまった方がいると思います。

本記事は「つみたてNISA」を非難することが目的ではなく、金融庁が如何に愚かな視点で証券ビジネスを観ているのか。

海外のIFAが何故、超低コストで顧客本位と呼ばれる業務運営をしながらビジネスとしての収益性を確保しているのかを有料でお伝えするものです。ご興味があればお支払いの上で閲覧下さい。


さて、購入時手数料と信託報酬によって日本のFA・IFAはビジネスが成り立っているという事を前回の記事で書きました。

少し考えれば当たり前ですが世の中に無料というものは本来ありません。誰かが身銭を切って提供しているから無料なのです。まぁ、それはマーケティングの一つなのかもしれません。

しかし購入時手数料や信託報酬というコストを海外のIFAはノーロード(購入時手数料ゼロのこと)や超低コストの信託報酬で顧客に提供してもビジネスとして成り立っている背景をご紹介します。

私が現在把握しているノーロード・低コストで成り立つ理由は全部で3つあります。

まず今回はその内の1つをご紹介します。


アメリカにおけるネット証券の立ち位置は◯◯で大きく変わった

アメリカでは日本の約3倍の人口がいますが、単に人が多いからビジネスが成り立つのかと言えばそうではありません。

アメリカの証券外務員もかつて日本と同じように購入時手数料と高い信託報酬を顧客の投資資産から徴収することで成り立っていました。

しかし1990年代中盤に入るとインターネットが普及を始め、インターネット証券が勃興を始めました。いわゆるドットコムバブル(ITバブル)と呼ばれる時代です。

この時に地域の小さな証券会社だったチャールズ・シュワブ証券はそれまでの対面による株式や投資信託販売からインターネットでの証券販売に大きく舵を切りました。

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対面ではないのでそれまでの駅前などの一等地に店舗を構える必要がなく、テナントコストや人件費を抑えることが出来た事で売買手数料や購入時手数料の軽減に成功。チャールズ・シュワブ証券は中堅〜大手証券のマーケットを次々に食っていき2000年代半ばを迎える頃には全米の証券会社(個人投資家の預かり資産)のトップ5にまで入る躍進をします。

日本で言えばSBI証券や楽天証券、マネックス証券ではなく「松井証券」(日本で最初のネット証券)が個人資産の預かり先として野村證券、大和証券、SMBC日興証券、みずほ証券に拮抗するポジションにいるような感覚です。

チャールズ・シュワブ証券の大躍進はアメリカにおける証券投資成長の事例として様々な分析が出来ますが、抱えている証券外務員が元々少なかったために大改革でネット証券へ舵を切れたのが大きな理由でしょう。経営には「正しい選択」と「スピード」「決断力」が必要という事を改めて感じさせます。

日本でも最初からネット専業として新規設立をしたマネックス証券やSBI証券などとは少し生い立ちや背景が異なります。なのでここでは元々は地方に支店を構えていた松井証券の日本でいち早くの転換を例にしました。

株式の売買手数料が安く、自分の好きな時間(夜中でも)取引が出来るネット証券はアメリカでも大ブームになりました。

大ブームになって、そして個人マネーが大量に世界の株式市場に流入しきました。そして、2007年のパリバ・ショック、サブプライムローン問題、2008年のリーマンショックでネット証券を経由で投資をしていた個人投資家の大部分が大損害を受けました。

一方でチャールズ・シュワブ証券は90年代のネット証券への転換のかなり早い時期から証券外務員の自由化を推し進めていました。元々働いていた証券外務員を独立させ、IFAとして多角経営させていました。

またアメリカの生命保険募集人も90年代には保険会社専属募集人から、兼業募集人(保険の乗合代理店)へと移行してきていました。

アメリカでは保険と証券の両方を扱えるFP事務所や会社が次々と誕生しました。この時に多くの保険募集人が証券の取次先として提携をしたのがチャールズ・シュワブ証券でした。いち早くIFA専用のサポート部隊を設け、顧客との対面で証券投資を取り次げる仕組みを確立した事で証券投資が未経験の保険募集人たちの育成を行いました。

教育は10年の時を経て身を結び、リーマンショックの際、顧客の保全に尽力したIFAの顧客たちはあの大暴落の中で殆どの投資家が損をしませんでした。

大損をした個人投資家たちは口コミでそれを知人や友人たちから聴き、IFAに顧問料を払ってでも運用をしてもらうという方向に潮目が変わりました。

高いコストを払って運用をしてもらうのは無駄だとリーマンショック前までは豪語していたのに、手のひらを返して今度はやはりプロにコストを払ってでも運用してもらうべきだと変わったのです。(日本人はお金のことを友人や家族に話さないし、ましてや損をしたなど言えない人も少なくない。アメリカ人はそれについてオープンだし、情報のシェアに対して前向きなので良いものはあっという間に広がる)

現在もアメリカで個人で投資をされている方は若い人を中心にいます。彼らの殆どはリーマンショックを知りません。まだ大きな下落を経験したことがない彼らは、リーマンショック前の個人投資家と同じことを口にしています。

自分で投資はできるものと過信しているのです。

今後10年、20年、30年と経ち、暴落を経た時にその人たちがどうなるかは言わずもがなでしょう。


またアメリカでは証券しか相談できない、または保険しか相談できないIFAは現在では殆どいません。

どちらも出来るから、自由化された市場で独立して顧客に本当に必要なものを提供する事が可能になりました。

アメリカの個人投資家マーケットを支えているのは保険代理店所属のIFAです。(アメリカでもFPというだけでは食べていけない時代になっている)

つまり兼業で、保険募集の報酬という収益の柱があるから、証券ビジネスを低コストで行うことができるという環境があります。

日本では証券はボランティア、保険は手数料削減とまるで全体像を把握していない状態に導こうとしているのが金融庁です。

縦割り行政による全体像を見ない改革は本当に害悪です。


アメリカの投資教育の起源はあの人!フィデューシャリー・デューティーのそもそもの理念は…

「顧客本位の業務運営」と今日では日本でも声高に掲げられているフィデューシャリー・デューティー(FD)の米国での普及の流れを振り返るとこの人の時代まで遡ります。

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ジョン・F・ケネディ大統領(民主党)は1962年にアメリカの個人消費市場が今後も未来に向かって持続可能性を保ちながら永続するためには企業と個人消費者双方の共存が不可欠と考えていました。一般的に企業は消費者よりも資本もあり強いため、この不均衡な関係性を利用して企業が消費者を一方的に搾取したりすることのないようにと「消費者4つの権利」という提言しています。

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