青森統合新病院の設置場所騒動に観るコンパクトシティの再考(中編)
本記事は下記の続編にあたります。
2024年9月16日、青森県の宮下知事と青森市の西市長が合同で記者会見を行い、青森県で2022年2月に始まって以来長らく議論されてきた県立中央病院(通称:県病/1981年竣工)と青森市民病院(1985年竣工)の統合新病院の整備場所が決定しました。
併せて2032(令和14)年10月頃を目途とした新病院の開業、
この開業には間に合わないものの候補地の一つだった青森操車場跡地(通称:青い森セントラルパーク)へ青い森鉄道に新駅を設置する案も検討開始となりました。
私はこの県営スケート場周辺一帯案に決まったことを前向きにとらえています。今回は青森統合新病院が決まるまでの経緯と、青森市が全国に先駆けて取り組んできたコンパクトシティに欠けていたものについて様々な点から書いていけたらと思います。
統合新病院整備場所検討会議とは
県病と市民病院の経営統合
青森統合新病院についての議論が始まったのは2022年2月10日でした。
「青森県立中央病院と青森市民病院のあり方検討会議」(通称:あり方検討会議)が開かれ、現状維持から共同経営の上で機能分担を明確化する案、共同経営の上での新病院建設する案や既存病院の改修でとどめる案などが検討されました。
この結果、両病院は共同経営の上で統合病院を新たに整備する事が望ましいと知事・市長に提案。
念頭にあったのは将来人口と医療需要のバランスに応えることでした。
これは青森県に限った話ではありませんが、人口が今後大きく減少する一方で、75歳以上の高齢人口は急増。
働く世代が相対的に減るという事は医療ニーズに対して医師・看護師の人手不足もより深刻になることが考えられ、青森県と青森市においては両病院機能の統合と経営効率化は喫緊の課題でした。
また青森県には全国最下位の平均寿命、不名誉な短命県を返上したいという思いもありました。戦後の調査が始まってからずっと全国最下位クラス。
三大疾病における死亡率は全国トップクラス。
医療従事者の偏りも顕著で、将来に渡って十分な医療を提供していくための見直しの必要性に迫られていました。
青森県は人口こそ全国31位(118.8万人/2023年)と少ない方ですが、面積では全国8位。その広い範囲をこれまで地域ごとに担う23の地域拠点病院が点在しています。
これらの病院のある場所というのは、県内でもまだ比較的人口がそれなりに集約している地域とも言えますが、今後は人口減少によって更に地域拠点病院の統廃合も視野に入れなければなりません。
また青森市に至っては、47都道府県の県庁所在地で初めて消滅可能性都市に入ってしまったほどです。
県立中央病院は青森県の高度医療中核拠点病院。設置場所の青森市とその周辺だけに限らず県内の広い範囲から患者を受け入れ高度な治療の提供が求められる役割も担っています。
その一方で新病院は、設置場所である青森市の市民病院も兼ねるという面もあり、その両方のバランスを取ることは経営面の複雑さと併せて、難しい判断が求められました。
新病院建設検討の背景
また県立中央病院と市民病院にも共通していえるのは、建物の老朽化が差し迫っている事と災害に対する脆弱性でした。
特に同じ東北地方で2011年に起きた東日本大震災の教訓は、決して他人事ではなく災害時に多くの市民・県民が治療を始め拠り所となる病院施設が機能しない、患者を受け入れることができないという状況は絶対に避けなければなりません。
それぞれの病院が建設された当時の建築基準法では適用されていなった耐震性能の補強、特に築年数がより古い青森県立中央病院は老朽化の修繕費もかさんでいて近い将来の建て直しが意識されるようになっていました。
また巨大地震等が青森県近辺で発生した場合、特に沿岸部に近い青森県立中央病院は津波や洪水の浸水想定区域であることも懸念されました。
青森市は港町として発展してきた歴史があるため、古くからの市街地の大部分は沿岸部などに扇状に広がっていて、県庁・市役所を始め多くの施設は沿岸部にあることが少なくありません。
こうしたことを総合的に鑑みて、両病院は経営統合の上で新病院の建設が必要であるとなり、その設置場所について新病院関係者、医師会、救急搬送を担う消防長、青森県と青森市それぞれの代表者と商工会、青森公立大学経営経済学部などを招集して行われた「青森市統合新病院整備場所等検討会議」(以下、検討会議)は2022年11月から開かれることになります。
この検討会議に参加する人を構成員と呼んでいます。
そして当初の主要候補地は予算も決して潤沢ではない地方自治体ですので、市有地・県有地ですぐに建設に着手できる場所を中心に青森市東部の①現在の県立病院及び旧県立商業高校跡地案、②市西南部の青森県総合運動公園案、③青い森セントラルパーク案(青森操車場跡地)が示されました。
しかし①県立病院案は既に触れた通り災害リスクという点において津波被害などが想定され、用地の広さやアクセスが現状と変わらない点では評価されるものの課題があるとされました。
②青森県総合運動公園案は三内丸山遺跡周辺に位置し、掘れば何かしらの遺跡や土器などが頻出する一帯です。ユネスコ世界文化遺産として登録されているためこの一帯を整備してすることは非常に複雑で新病院の開業が大きく遅れることも考えられます。
そこで青森市また青森市商工会は③青い森セントラルパークへの新病院建設を推していました。
そもそもこの青い森セントラルパークは旧国鉄時代に青森信号場として設置され、青森駅で接続する青函連絡船の貨物等の荷捌きをはじめとして整備された東北三大操車場跡地(宮城・仙台長町/岩手・北上六原)だった場所。
整備新幹線に格上げされた高度経済成長期には東北新幹線の青森市内の駅の建設候補地の一つとしても挙げられたことのある場所であり、操車場南部一帯(浜田地区)は郊外型ショッピングモールのサンロード青森(1977年/キーテナントはジャスコ青森店*現イオン青森店)の開業を契機に青森市内で1970年代以降最も発展した新興住宅地でした。
またこの場所は現在の市民病院から目と鼻の先で、市民病院の建て直し候補地の有力地として鹿内市長*時代(2009-2013/2期)から検討されていた場所でした。
しかし県立中央病院との統合となれば市民病院よりも規模が大きくなること、また全体では12.7haと広大だったセントラルパークには既に青森アリーナがこの土地の約40%ほどを使って建設されていおり、2024年7月開業を控えていました。
両病院の既存規模を考慮するとどんなに立体的に作ったとしても最低でも5.0ha以上の用地の必要性が求められていました。
そして県及び市の所有地のリストアップとその中で広さ、また未使用地(廃止予定含む)に予め絞り込まれていました。
更に市街地からだけでなく県立中央病院の機能から県内の広い範囲からのアクセスの良さも考慮して青い森セントラルパークに新駅を設置して統合新病院と併設する案を推す声もありました。
新駅設置やバスロータリー等の設置の場合、現在の残された用地では狭いことから地下駐車場案や病棟を2階以上の高さに設置するなど建物を高層化することでカバーする案も浮上。
市街地(青森駅)からのアクセス、幹線道路から雪道における病院への進入搬送のための道路幅、各消防署などからの救急車の到達時間、ドクターヘリの離着陸場所の制限なども含めた多角的検証がされました。
③青い森セントラルパーク案はJRから新幹線開業に伴って第三セクターへ移管された旧奥羽本線(青森-八戸)の青い森鉄道とJR貨物が所有する貨物路線が現在も平行に走っており、鉄道架線などへの影響なども考慮する事が求められるなど一長一短で決め手に欠ける中でも他の候補地よりやや有力な状況でした。
まちづくりと病院設置場所案
第1回の整備場所検討会議が2023年11月20日に始まり、情報を関係各所から解説してもらいながら約1か月ごとに検討会議が進む中で出てきたのは病院の開業時期も定まっていないことは大きな課題でもありました。
また県立中央病院の機能を継承する病院を新たに設置することは青森市のまちづくりの観点(コンパクトシティ・プラス・ネットワーク)からどうあるべきかをきちんと議論する必要があるという意見も出ました。
青森市は全国に先駆けてコンパクトシティ構想を掲げ、そして地元を含めて全国的には「失敗例」として揶揄されてしまうという苦い経験があります。
3つの候補地のいずれもこのコンパクトシティ構想の基本理念に従い、外環道内側(北側)に用地を絞っており、外環道外側(南側)には民間の農業用地などが広がっています。
検討会議の初期から、まちづくりと一帯になったからの病院の設置場所についての声もありました。
具体的には八戸市立市民病院が1983(昭和58)年に現在の場所に移転した際には周囲には私立女子高がある他は殆ど何もない辺鄙な場所だった事例などがあげられました。
しかし当時は郊外だったこの場所の隣接地に2012年、イオン八戸田向ショッピングセンターが開業すると周囲には住宅街が形成され、八戸駅などの駅周辺でなくても発展し町が形成された事例などもあることが紹介されました。
一方で青森県立中央病院が現在の東部(造道)から移転してしまうと、病院があるから土地や家を買った人、そこに住む人の暮らしにも影響するという懸念。緊急搬送などへのアクセスがどうしても悪くなることが懸念される声もあがりました。
しかし青森市側はコンパクトシティの開発境界である、これ以上外側には開発区域を広げないというコンセプトを変えるつもりはないとして、3候補地を中心とした議論が進められていきました。
第1回から第3回まで毎月開催されたこの整備場所検討会議が1月以降は途切れます。第4回が実施されたのは2024年の7月23日となり、半年間の空白が発生します。
この間、この整備場所検討会議の上位組織にあたり、病院関係者や県・市の代表者による「共同経営・統合新病院整備に係る有識者会議」(以下、有識者会議)が2月・5月・7月と開かれました。
検討会議で出た意見を再検証してそれをまとめる場が設けられ、かなり郊外の市・県有地などを含めた再検証や既に上がっている3候補地の課題の洗い出し、病院の規模や開業時期・体制整備などについての調整などが議論されていました。
特に青森市は隣接していた浪岡町と2005年に合併し、市の形状が白鳥型(旧浪岡町は頭の部分)となっていて、旧浪岡町には地域拠点病院があるものの本当に統合新病院がどの場所に設置されるかは慎重に議論する必要がありました。
この旧浪岡町地区(2.05万人/2005年)は東北自動車道インターチェンジや鉄道(JR奥羽本線)があり、青森市や青森駅と接続しています。
青い森セントラルパークに新駅が設置されても、青森駅で乗り換えをする必要があるという課題はあるものの、電車で移動できるのはかなりの負担軽減になります。
50年後の日本を先取りした津軽半島
更に青森湾を囲むように青森市と隣接する西部の蟹田町・外ヶ浜町・今別町と東部の平内町をはじめとした周辺町村を併せて青森県内では東青地区(または青森市都市圏)と呼ぶことがあります。
津軽半島の町村には1960年代〜1980年代にかけ青函トンネル工事期には全国から大勢の労働者(鉄建公団職員・建設作業員)が集まり活性化しました。
しかし青函トンネル開通後には殆どの労働者が帰ってしまって急速に過疎化。
三厩村(2008年に外ヶ浜町と合併)の工事の最盛期だった1975年に6,356人で1980年まで6000人を維持していました。しかしトンネル開通後の1985年には人口が4,298人へ急減。人口の1/3がいなくなってしまったのです。
青函トンネル工事が始まる前の1960年当時の三厩村の人口は5,515人。
トンネル工事開始前よりも減った大きな要因は労働者が去ると同時に在来村民までもが他地域に流出してしまったことでした。
ただでさえ衰退し疲弊していたこの地域を2022年8月の豪雨による土砂崩れによって沿岸に沿って走っていたJR津軽線は再建しても費用対効果が見込めないとして蟹田〜三厩駅間は2024年に廃線が決定。
バスによる振替路線が運行されていますが、更に衰退する事が避けられず、個人的には青森市や五所川原市などによる合併も視野に入ってくる事が考えられます。
2024年は能登半島地震・豪雨被害で過疎の地方の復興について社会的にも考える機会のあった年ですが、日本の50年後の地方の姿を先取りしたのが津軽半島の町村だと個人的には思います。
さて統合新病院の話に戻すと、これらの地域を含む青東地区から90%の患者が県立中央病院を利用しており、広域アクセスをどう考えるのかも重要になってきます。
もっとも浪岡駅~青森駅まで車で約32分と緊急車両のカバー範囲としてはいくらなんでも遠すぎるため、転院などはあり得るものの緊急搬送となれば地域の拠点病院を利用するか、ドクターヘリなどを利用するほかありません。
青天の霹靂、県営スケート場周辺案
この候補地の絞り込みについて大きく動いたのは、2024年7月21日の第5回有識者会議でした。県から県営スケート場とその周辺一帯を候補地とする案が提示されました。
これに青森市の市議会と市長側は青天の霹靂とばかりに動揺が広がり、西市長は反対の姿勢を示しました。また市議会でも県議会でもこの案は波紋を呼び、宮下知事は翌日に記者会見を行いました。
県営スケート場が建つ場所は土地こそ青森市の所有ですが、スケート場(建物)は青森県が運営しています。また隣接する屋内運動施設サンドームは青森市が土地も建物も所有・運営をしています。
また2026年に青森県で開催の国スポに向けて、屋内運動場サンドームも改修工事中。
冬期間は雪に閉ざされる土地のため、雨天や冬でも土のあるグラウンドで運動ができる施設は大地震などの災害時に市民の遺体安置所としての役割も担うことになります。
浜田中央公園は、近隣住民から地域の公園として活用することを前提に用地を提供してもらった土地区画整備事業の場所であり、住民だけでなく周辺にある村上病院などの入院患者などの散策場所としても親しまれている公園でした。
もしここに統合新病院を建設するとなれば、住民への説得・説明も求められます。
これを受けて2024年7月29日(木)に開かれた第5回検討会議の時点では、主要な候補となっている青い森セントラルパーク案と県から提示された県営スケート場周辺案とを比較した検討が行われました。
青い森セントラルパークよりも車で2~3分ほど南側ですが、外環道のギリギリ内側で青森市のコンパクトシティ構想のミッドの範囲内です。
青い森セントラルパーク案の場合の病院への侵入経路は交通量の多い幹線道路(国道国道103号または120号)と跨線橋を超えて、すぐに内側に折り返す必要があり、橋の途中から病院の敷地に降りることはできません。
加えて青森アリーナが完成する前の青い森セントラルパーク前の東西道路は時間帯によっては渋滞が発生しやすく、完成後の現在既にイベント開催時などの渋滞が確認されており、新病院がここにできた場合は緊急搬送車がこれに巻きこまれてしまうリスクもあります。
また冬期間において雪で狭くなる既存の住宅街の歩道を削るなどの拡幅工事などが必要でした。セントラルパーク東側にほど近い堤川の堤防が氾濫などをした際には浸水想定地域でもありました。
既にこの地域(桂木地区・緑地区)は20~40年前の開発初期から住宅が立ち並び、セントラルパークの外に殆ど新たに開発の余地は限られていて薬局等が病院の周辺に建てられる場合には住民の立ち退きが求められるなども考えられました。
他方、県営スケート場周辺案では元々が外環道(国道7号)という青森市の東西を結ぶバイパス沿いで交通の流れはスムーズです。
青森市の市街地を南北に走り、線路を超える青森中央大橋通り(国道120号線)と八甲田大橋を含む通称:観光通り(国道103号線)から車で2~3分ほど離れており、周辺には2000年にイトーヨーカドーが開業(撤退してシーナシーナ青森店)。
道路を挟んでユニクロ/GU、ドン・キホーテ、ラウンドワンなどが集まるドリームタウンALi。
更に車で2~3分圏の観光通り沿いには地域の味噌工場だった「かねさ味噌」が工場移転をした跡地に地域ホームセンター「サンデー」やイオン系スーパーMaxValuなど約10店舗以上が集まるイオンタウン青森浜田もあります。
この一帯、浜田地区は1970年代にサンロード青森の開業をきっかけに大型商業施設が相次いで開業。
前述のセントラルパークに隣接する桂木・緑地区の南部(郊外)に当たります。
青森市のコンパクトシティ構想におけるミッドの外側になることから特に青森市の中でも近年は最も開発が進んできた新興住宅街が形成されました。
またこの一帯は海からは離れているため津波の心配はほぼなく、河川からも一定以上に離れているため洪水などの被害も軽微。土地をやや盛り土で対策すれば主な建物部分(スケート場のある場所)は問題なく利用ができそうです。
広域からのアクセスという面では青森中央ICのほぼ真横に位置するため、車社会においても好立地と言えます。
青森市側も動揺しましたが、検討会議も動揺し、また周辺住民からも戸惑いも。
検討会議では他に候補地がまた更に出てくるのではないかという疑心暗鬼は、自分たちが議論する必要が本当にあるのかという声(愚痴)さえ聞こえてくるほどの後出し感でした。
そもそも検討会議でもっと他の候補地になりそうな場所はないのか、民間の土地を買ってでも外環道外側に新しい町をつくるという事も視野に街づくりを検討するべきではないかという意見が有識者会議を動かし、県を動かした点で検討会議が時間をかけて様々な意見を出し合った結果であり、私は大いに意義があったと考えています。
検討会議では青い森セントラルパーク案を市街地に近く、新駅開業によるアクセス性の良さや利便性を推す声も根強く、一方で県営スケート場周辺案にはメリットもあるが既存施設(県営スケート場・サンドーム等)の移転・建設などを懸念する声もありました。
また県立中央病院が現在の場所から移転してしまえば東部地域の住民の病院アクセスが悪化することを心配する声もありました。
青森市は8月初旬に近隣住民向けの説明会を実施。概ね理解が得られたものと判断し第6回検討会議が8月14日に開催され、整備場所についての意見交換がされました。
県から提示された資料の中には検討会議へ参加している構成員からの質問に合ったスケジュールと経費がそれぞれどれくらいかかるのかも概算が示されました。
当初は8月中に検討会議としての結論をまとめたいとしていましたが、9月に延期。そして第7回検討会議で意見の集約が行われました。
検討会議の全7回のYouTube動画を観ましたが、検討会議は結論を出す場ではないというもののそれぞれの立場からの意見が闊達に述べられたように思えます。
それを踏まえセントラルパークをやや推す声が大きかった一方で、9月12日に開かれた第7回の検討会議からの報告を受けたわずか4日後の2024年9月16日(月)、西市長と宮下知事が共同会見を行い「県営スケート場案」に決定した旨が発表されました。
土日は議会が動いていないことを考慮すると実質的に金曜日の1日で同意にこぎつけたことになります。
共同会見の中で県営スケート場周辺一帯を新病院の整備場所とした旨がそれぞれの立場から語られていますが、決め手はなんだったのでしょうか?
様々な利害関係もあり、当初は青い森セントラルパーク案を推進していた立場で、県営スケート場周辺一帯案に難色を示していた西市長が軟化し県と合意に至ったのは青森市にとっても潜在化されていた問題を県と協力して取り組めるという事だったと個人的には思いました。
特に県から提示された県営スケート場が今後、耐震補強のために50億円規模の予算がかかるという前提から、適正規模での移転・新設を兼ねられる点。
また西市長は自然災害(地震・津波)の影響が大きく出る場所を避けるという点で三内地区(県総合運動公園)は活断層(入内活断層)があり、県病・商業高校跡地は津波の想定区域であることから適地ではないと考えていたことから当初はセントラルパーク案を推していた事が語られていました。
一方で県営スケート場周辺案が出てきてから再検討を県とした中で、それぞれ一長一短がある中で、どちらもそれぞれに課題(4つの課題)も解決方法があることを確認。
統合新病院整備による移転が必要(サンドーム→セントラルパーク)
貯水機能も有する浜田中央公園の機能と住民の意向を最大限維持
交通対策(周辺道路の渋滞・救急アクセス対策、CP新駅検討)
青い森セントラルパーク新駅開業を含めたまちづくり検討の開始
市長として最大限重視するべきポイントと考えた際に、大規模災害が発生した時に県病の有する基幹災害拠点病院としての立地として高速道路ICが近いという点が決め手になったと語っています。
県との共同記者会見の中で具体的な話や質問はなかったものの、県営スケート場やサンドームの移転・新築、統合新病院の建設、そして新駅建設に関する費用*の落としどころも大きなポイントだったと考えられます。
というのも、青森市は県下最大の人口を有する街であり、県庁所在地ですが今、大きな岐路に立っています。
スポーツ施設
青森市に絞ってこの点をみていきたいと思いますが、例えば2026年に控えている国民スポーツ大会(旧国民体育大会)に向けて、青森では県を挙げスポーツ施設を相次いで建て直しています。
青森県で前の国民体育大会が開かれたのは1977(昭和52)年の「あすなろ国体」、その時に合わせて建設された県内のスポーツ施設は相次いで老朽化の期限を迎えつつあります。
太宰治らが通った旧制青森中学(現青森高校)のあった合浦公園に隣接する青森市民体育館はまさに1977年に建設されました。
バスケットボール、バレーボール、バドミントン、卓球…多くのスポーツで青森市内の小中学生が利用する体育館の一つで、中体連などの試合や応援に行ったことがある市民も少なくないでしょう。
大会のない時でも多くの市民サークル、社会人がスポーツを楽しむ身近な場所でしたが、青い森セントラルパークに青森アリーナ(青森市総合体育館)の2024年7月開業に合わせて2024年6月末で閉館しました。
あすなろ国体の開会式の会場となった青森県総合運動公園もその時に整備されましたが既に触れた通り、掘れば土器やら遺跡やらが相次いで発掘されてしまう場所。
当初はそのことは分かっていたものの、出土品の価値などわかっておらず地元の子ども達はここで掘れば次々に出てくる土器を割って遊んでいたという話があるほど。
ということで、場所を思いきり東側に移動させた山の中に新青森県総合運動公園を建設。
そこに完成したのはそれはそれは立派な、県の威信をかけて建てられた陸上競技場やプールです。
私は別にこれがダメだとは思っていません。1年の4分の1は雪に閉ざされる青森県民にとってスポーツは、設備が充足されていなければ伸びる才能も伸びないと思うからです。
体を動かすには環境も大切です。青森県には青森山田高校や八戸光星学院などに代表されるスポーツに強い私立高校があります。
これらの高校が強いのは昔は県外から有力な選手を引っ張ってこられることでしたが、近年は地元の子ども達も少なくありません。
優れた指導者やコーチがいて、制限のある環境の中でも正しく努力すれば自分たちが強くなれることを県民は知っています。
全国でも屈指の雪深い津軽地方の人々は我慢強く、真面目に努力することの大切さも知っています。
しかし、いくら高校でサッカーや野球、卓球などの特定の種目で強くてもプロや社会人で、また大人になってからとなると青森には地元に根差したプロチームがありません。
そこで近年、青森県が力を入れているのがバスケットボールBリーグ(B2)の青森ワッツ(2012-)や、サッカーJFLのラインメール青森FC(2016-)などのローカルチームの挑戦でした。
ホームがJ2の試合を開催する要件を満たす会場を持てなかったりしたそれも近年解消。あとは勝利と観客動員数の平均2000人を超えればJ3へ昇格できる段階。
新青森総合運動公園は施設の建設・運営・管理を民間業者に委託するPFI方式を採用し、総事業費651億円で建設されました。
尚、青い森セントラルパークに建設された青森アリーナ(カクヒロスーパーアリーナ)は115億円。青森アリーナには市内に住む匿名の篤志家から”短命市返上を目指し市民の健康作りとスポーツ振興に役立ててほしい”と20億円の寄附がされた資金を活用し、建設と運営がされています。
文化施設
その他にも青森市には再開発や施設の建て直し計画が、この後に無数に控えています。
青森市のインナー(昔からの市街地)に位置する松原地区。戦前・戦中にここは隣接する浦町駅(現:平和公園)によって栄えた地域でした。
所謂、公民館としての中央市民センター(プラネタリウム設備あり)は地域の人々の憩いの場であり、青森市内の小・中学生が週末などには様々な学校外のクラブ活動で交流をする場としても親しまれてきました。
私も小学生の頃、弟たちと天文クラブや科学・化学クラブに所属して通っていたことがあります。
市民センターの裏手には勤労青少年ホームと勤労者プール、市内にある解放されている屋外プールの一つで、近所に住む友人とその親に車に乗せてもらって遊びに行ったのは良い思い出です。
その他に棟方志功記念館(閉館)、旧市民図書館(アウガに移転)など文化施設もかつてあった場所で、現在は文化的な地区に再開発を使用という議論が進んでいます。
松原地区にも近い堤町には元は寺山修司の母校だった野脇中学校があった場所。ねぶた団地を経て、現在の青森市文化会館(リンクステーションホール青森)が1982(昭和57)年に建てられました。
2005年には全国高等学校総合文化祭の開会式や合唱・吹奏楽部門の会場として、2011年には全日本吹奏楽コンクール大学・職場一般などの会場としても使用された歴史ある建物です。
私にとっては小さい頃は人形劇や舞台(オズの魔法使い・ピーターパン)などを亡き祖母に連れて行って観覧した場所でもあります。
あとは塾の夏季/冬季講習で、会議室でしたが普段交流のない中学校の同級生たちと一緒に勉強したりしました。
県内でも数少ない音響設備の整ったホールなので有名アーティストのコンサート・ライブなどもここで開かれることが少なくありませんでした。
建物はかなり重厚な造りではあるものの老朽化の波は容赦なく襲ってきます。
青森アリーナが完成し、大規模なコンサート(と言っても5000人まで)は今後こちらが中心となることを考えると補強だけでなく、建て替え検討が視野に入って来る時期と言えそうです。
青森駅にほど近い海側に1986年に建設された青森県観光物産館アスパム。
青森県のイニシャルであるAをイメージした正三角形の特徴的な外観はゴジラにも登場したことがあります。
地上15階建てで展望フロアも備えられ、開業当初は14階には回転レストランがありました。
床が回転して360度のパノラマを楽しめるのです。(バブリー♪)
しかし回転機構を維持するメンテナンス費用を捻出できずにお店は撤退。その後は回らない、普通の景色が良いレストラン(現在はバー)となってしまいました。
アスパムは観光物産館という名称の通り、県内のお土産などが一堂に揃っている場所で、お土産を買いそびれてしまってもかなりのものを買い物止める事が出来ます。イメージ的には道の駅に近い印象。
青森市のランドマークであり、高さ76mは2024年時点で青森市内で最も高い建物になります。
1988年の青函博覧会ではこの一帯の開発が一気に進み、現在博覧会跡地は青い海公園として整備されました。
隣接する聖徳公園は現在の7月の祝日「海の日」(海の記念日)発祥の地でもあります。
青森市の西部と中央、また東部を結ぶ湾岸バイパスとして建設されたのが青森ベイブリッジは1994年に完成。
橋長1,219mは横浜ベイブリッジより長いんです…(長さ860m)
元は港湾に隣接する工場や倉庫などに荷物を輸送するための路線跡地を整備して造られました。
ここでもAOMORIのAをイメージした支柱またケーブルが…()
(青森県民のAに対するこだわりが強い)
青森ベイブリッジの総工費は約270億円。
アスパムから青い森公園を青森駅方向に海沿いに進むとあるのが歩行者専用橋ラブリッジ。
青森駅に隣接する岸壁に係留されているのがかつての青函連絡船(実物)を改修した博物館「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」
八甲田丸は1964(昭和39)年に竣工した青函連絡船で、数奇な運命によって後に建造された連絡船が引退した後も運用がされ、1988(昭和63)年の青函連絡船終航まで運行されました。
1990年に青森市の所有となり、現在の海洋博物館として展示されることになりました。
かつての稼働橋は現在も一部が起こっており、船の後部から線路を使って船内に貨物列車ごと運搬していた形跡を辿ることができます。
青函連絡船の中には列車(実物)の再現が展示されています。
アスパム、青森ベイブリッジと共に青森市のウォーターフロントの顔として親しまれていますが、海水また海風が当たる場所のため老朽化が懸念されています。
青森駅とアスパムの間に位置するのは青森ねぶたを通年で味わう事が出来る観光施設「ねぶたの家ワ・ラッセ」
2011年に完成し、青森市が初めて運営するねぶたの観光施設です。
館内では直近のねぶた祭での受賞作を展示しており、毎年ねぶた祭が終わると入れ替わります。
ワ・ラッセの総工費は土地の取得費用を含めて49億7千万円。
ワ・ラッセと広場を挟んで隣接するのがA-FACTORY。
(ここにもA…)
青森りんごを利用したシードルなどの醸造工程をガラス越しに見学ができ、テイスティングもできる施設です。
A-FACTORYの総工費は約6億円。
A-FACTORYとワ・ラッセの間の広場にはストリート・バスケのゴールも設置されており大会なども開催されたり、アスパムと青い森公園、駅前広場などと連携してフードフェスなども定期的に開かれています。
この広場を海側に行くと青森駅前ビーチ。
最近各地で流行りの地名モニュメントがあります。(冬季は撤収)
かつては浮遊ゴミや悪習を放っていた入り江を人口の干潟7300㎡を整備。
総事業費は7億円だったそうです。
青森駅周辺のウォーターフロントは現在こんな感じ。
スポーツや文化施設、公園等に関して、私は地方自治体として適切な規模と予算をかけた改修や建て直しは必要だと考えています。
また電気ガス水道や公共交通機関などのインフラに投資をする事、整備をすることは自治体として取り組む重要なことだと考えています。
一方でいわゆる商業施設となると非常に微妙、というか基本的にはかなり難しいと考えています。
区画整備や再開発を主導することはあっても、実際にそこでビジネスをして利益が上がらなければ企業や店舗は撤退してしまいます。
折角お金をかけて作った建物も施設も、その資金を回収する事が出来ずに貸し倒れになってしまいます。
この点で衰退する地方経済の起爆剤として自治体はどこまで介入するのかは真剣に考える必要があると考えます。
駅・商業施設
そしてここからがその疑問が残る駅ビルや商業施設について。
青森市が掲げるコンパクトシティの象徴、青森駅前再開発プロジェクトの目玉として、青森駅前の一等地に2001年に建てられたフェスティバルシティ「アウガ」。
総工費184.6億円をかけて開業しました。
地下には元々この場所にあった市場(地権者たち)などが集まっており、海鮮だけでなく様々な地元の食材などを買い求める事が出来ます。
で、1階以上は開業当時は商業施設だったのですが、有名な話ですがテナントが次々に抜けていき、青森市も市長交代を巻き込んでテコ入れをしたり、債権放棄を地元銀行にさせたりしたけど再生できず一度も黒字になることなく最終的に2017年に32億円の負債を抱えて経営破綻。(特別清算、市長は辞任)
地上9階建の内、現在は青森市役所駅前庁舎が1~4階。5階は「男女共同参画プラザ」「青森市まちなか保健室」、6~9階は青森市民図書館が移転しました。(市民図書館は開業当初から)
これらの顛末については以前にも記事を書きましたのでこれ以上は割愛。
詳しくは過去記事、または下記などを参照ください。
さて青森駅の西口は、新町商店街有する東口と違って裏口扱いでした。
実際、西口には古くからの住宅街が立ち並んでいる他はあまり買い物をしたりする場所はありません。(森林博物館などは徒歩圏にあるが…)
という訳で、青森駅西口はこんな感じでした。
で、これを改修してこうなりました。
エレベーター・エスカレーター・階段で橋上駅舎へ。
駅前ロータリー(バス・タクシー)や駐車場が整備され、青森駅改札と東口への東西通路も…。
こう(↓)なりました。
2018年に青森駅の東西自由通路と橋上駅舎(改札)を建て直し、総工費95億円。
4代目駅舎時代はエスカレーターや階段を上ってまたホームに降りるタイプでした。
それが5代目駅舎では先にエレベーター・エスカレーター、階段で上がって、改札はこうなりました。
ちなみに青森駅がJR東日本のSuicaに対応したのは2023年5月27日になってからでした。(岩手県の北上駅以北は同時に利用開始)
さて、そんな少しずつの変化の大きな節目が集大成を迎え、1959年から2021年まで利用された青森駅4代目駅舎は解体。
2024年4月に青森駅5代目駅舎と駅ビルが完成しました。
※新幹線駅の方ではない。
新たな駅ビルが完成したことを受け、一時期廃れていた青森駅周辺の再開発が近年、アウガ開業以来20年ぶりに活気づいています。
青森市内で初めてサイゼリヤが進出。
2~4階ショッピングフロアには市内・県内初進出のセレクトショップなどが入っています。
完全に大都会の商業施設の真似ですね。
病院(慈恵会)と連携した温泉(城ヶ倉温泉)併設のホテルReLaboが上層階に入っています。
ヨガやリラクゼーションスペース…
青森とは思えないレストランフロア…
また青森周辺の観光資源の一つである縄文文化について学べる「じょもじょも」と「市民美術館」(兼貸出スペース)も建物内に。
市民の認知度は兎も角、市職員もみなが手探りな感じが素朴で青森らしいですね。(褒めています)
この青森駅東口ビルは10階建て、延べ床面積1万7,800㎡。総工費はJR東日本と市が分け合っていると思いますが、約3,120億円(えっ!?)
また青森駅前再開発プロジェクトは更に駅東口の繁華街である新町商店街でも進められています。
新町商店街のど真ん中には、官民一体で行われた地上18階建て、高さ59.83mの「プレミスト青森新町ザ・タワー」がセンター棟(タワーマンション)が2021年10月に、ホテル・店舗・オフィスが入るウエスト棟が2023年6月竣工。
総工費91.49億円、補助金34億円が出ています。
新町商店街の地元百貨店として長年市民に親しまれてきた「中三」跡地には商業施設「THREE」に併設されるレジデンスが建設され、2023年に開業。総事業費は約88億円。
しかし県内に残った中三弘前店は、2024年8月に前触れなく、閉店セールもできずに破綻。
高度成長期などから台頭してきた郊外型のジャスコ(イオン/サンロード青森)などと競い、また時にはそのイオンと資本提携をし、一時は秋田市や盛岡市まで進出しましたが他の青森市内の地元百貨店だった松木屋、カネ長武田(ビブレを経て、現さくらの百貨店)と共に姿を完全に消すことになりました。
また青森駅前の新町地区においてはアウガ(現:青森市役所駅前庁舎)のすぐ裏側であり、アウガとTHREEとの間という好立地にあった青森国際ホテル跡地などの再開発が進行しています。
青森市で最も高い高さ80m、地上22階の高層マンションで、低層階にショッピングモールを誘致予定。(アスパムを超える高さの建物は市内初)
総工費200億円以上かかる見通し…
尚、東北新幹線(八戸~新青森間)開業にかかった総工費は4,557億円。
新青森駅の駅舎の建設費用は開示情報を見つける事が出来ませんでした。
移動の利便性などが向上したことなどを加味した経済波及効果については以下のような生産性変化が表れたとされています。
そして市民の間では「こんなに箱ものばかり次から次に建ててアウガの二の舞になるのでは…」という不安の声も聞こえてきます。
実際、現在の状況はかつてアウガが開業した頃に観られた新町商店街を中心にした駅前再開発の焼き直しのように思えます。
青森市のまちづくりに関するWEBページによると現在の新町商店街やウォーターフロントの再開発は2008(平成20)年に「青森駅周辺整備基本計画」が策定されています。
2008年というのはアウガの赤字が最初に市民の知る所となった頃で、2005年に平成の大合併を経て人口が30万人超え。コンパクトシティへ青森市民が期待をしていた時代でもあります。
少しいじわるな言い方をするならば、アウガの失敗を顧みずに計画を進めていこうとしているように見えなくもありません。
アウガが破綻した要因は様々ありますが、アウガ単独の成否でそもそもコンパクトシティを考える事は適切ではありません。(これは様々な人が既に指摘していますが、商業施設としての成否とコンパクトシティ構想の成否が混同されがちな点は留意が必要)
繰り返しになりますが、青森市が統合新病院の県営スケート場周辺一帯案に同意したのには、県と市のお互いの思惑が一致したと考えられます。
宮下知事は7月のスケート場案の説明において、「ファシリティマネジメント*」と「規模の適正化」を掲げ、移設・建て直しに際しての県の負担も十分に織り込んだ発言をしています。
また箱モノに依存することの危険性はあるという前提ながらも、投資をしていかなければ経済がこのまま縮小均衡で沈んで行ってしまう問題があります。
都市計画、まちづくりには建設している時に建設業者だけが潤うのではなく、その完成した施設などを多くの人が利用し、法人税や住民税などで最終的に帳尻が合えば良いので短期よりも中長期的な視点が欠かせません。
そういった意味で街がコンパクトシティという限られた範囲の中で活性化していくためにはスポーツや文化施設、電気・ガス・水道などのインフラ、病院・学校などを含む公共施設と道路・鉄道・バスなどの交通機関などの市民や県民に長く使われる設備への投資が一定の人口規模以上であるならば必要です。
また青森市にような青森駅前(新町商店街)を中心とした地区と、新病院整備場所として開発が進んだ県営スケート場周辺の浜田地区のような郊外の住宅街は相互に開発の比重を変えながら発展していくことが望ましいと個人的には考えています。
何しろサンロード青森が補修等は丁寧にされてきたとは言え、流石に老朽化が現在かなり進んできており、10年後は相当に厳しく、またここがなくなるとこの周辺は一気に廃れてしまう危険性があるためです。
2024年現在においては更に老朽化や閉店などが一巡した青森駅前商店街の再開発に比重が置かれていますが、恐らく5年、10年後に今度は青い森セントラルパーク駅周辺を軸とした再開発がかなり本格的に動き始めるのではないでしょうか。
次回は「コンパクトシティ」という言葉が独り歩きする中で、青森市に足りないものはなんなのか。
青森市に限らないテーマですが、地方都市が今後向き合う人口減少・少子・超高齢社会にどんな視点と考え方が求められるのかを気が向いた時にまとまり次第、記事にしたいと思います。
コンパクトシティの話に関連して、この漫画は参考になると思いますので課題図書としてリンクを添付しておきます。
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