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オリンパスブルーの憂鬱〜カメラ事業売却に思う理想と現実(2)㉑

前回はオリンパスのカメラ事業売却について、元カメラ販売員でカメラマニアの私が、オリンパスがフィルムカメラ事業を始めた背景・デジタル一眼レフ市場へ参入を決めた狙い、2003〜2005年のデジタル一眼レフ市場の黎明期に発売されたモデル(E-1・E-300・E-500)とその時の競合他社(キヤノン・ニコン)の販売戦略とセンサー供給をしていたコダックの破綻について触れました。

今回はその後の2006年以降にオリンパスおよびフォーサーズ陣営と対立する競合他社がどんな機種を投入して、どんな動きがあったのかを見ていきたいと思います。

ちなみに前回の内容などを読んで私はもしかしてオリンパスが嫌いなのかと思われるといけないのですが、販売員時代オリンパスを様々なカメラメーカーがある中で最も愛していました。(なお次点がペンタックス。大手は基本的に好きではない。今の推しはソニー一択です。)

私が初めて買ったデジタル一眼レフ(E-500)もオリンパスですし、オリンパスとフォーサーズの設計思想・哲学は非常に共感するところがありました。

が…愛ゆえに悔しくて悲しくて、撤退を決めた経営陣やこれまでかかわった経営陣に「バカヤロー!」の文句でもいってやらないと今回の件(だけではないが)は収拾がつかないのです(涙)

ではデジタル一眼レフ市場がいよいよ普及・拡大期に入った時代のオリンパス以外の動向を中心に観ていきましょう。


コダックに代わりパナソニックがセンサー供給開始

フォトイメージング界の巨人コダックの経営がいよいよ厳しいとなった2006年から、オリンパスはデジタル一眼レフのCCDセンサー供給を断たれてしまいました。

2005年11月にE-500を発売した直後で、矢継ぎ早にエントリー価格帯に新機種を投入したいオリンパスからすれば大誤算。そこでオリンパスに手を差し伸べたのがフォーサーズ賛同企業であったパナソニックでした。

2000年にドイツの名門カメラ・レンズメーカーライカ社とAV関連機器の業務提携をした事を皮切りに、2001年以降はライセンス対象をデジタル機器に拡大。ライカ社との共同開発によるレンズのOEM生産とライセンス認定を受けパナソニック製デジタルカメラ等にライカの銘が入ったレンズが小型デジカメとはいえ採用されるようになりました。

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2005年春に発売した小型デジカメに光学式手振れ補正機能を搭載し、初心者の写真撮影の失敗原因を機能でカバーするという積極的なアプローチでパナソニックのデジタルカメラは存在感を発揮し始めていました。

それまで光学式手振れ補正機能はキヤノンの一眼レフ交換式レンズに搭載されているISやニコンのVRなど望遠レンズ向けの物が主流でした。


小型デジカメは小型で薄いゆえに、手でしっかりホールドができず、またシャッターの半押しや押し込む際にどうしてもブレてしまうという問題が多くのユーザーに起きていました。

これはセンサーサイズが小さい、センサー性能が現在と比べて低感度であること、シャッター速度が遅いなど複合的な要因があるのですが、機能でカバーするということでこのシリーズは大ヒットしました。

小型デジカメで存在感を示していたパナソニックが、フォーサーズのセンサーをオリンパスに供給…藁にもすがる思いだったオリンパスは次期モデルからこのパナソニック製CCDセンサーを搭載していきます。(しかし恐らくはE-330は当初からパナソニック製LiveMOSセンサー搭載を計画していたのでは…と考えていますが)

※2004年10月に共同開発の話し合いがあったと記事には書かれています。


そしてパナソニックは独自開発のCMOSセンサー(この頃からそれまで主流だったCCDからCMOSセンサーへ転換が始まった)を改良していき、2008年9月にフォーサーズからマイクロフォーサーズを発展させ、ミラーレス機の第一号を世に送り出す準備を着々と進めていきました。


2006年ライブビューを世界で初めて実装したE-330投入

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ペンタ部分のない独特な形状のフォーサーズ第二弾として発売されたE-300の後継機として2006年2月にE-330(画素数750万画素、ボディのみ実売価格12万円、本体質量550g、月生産予定台数5千台)がパナソニック製センサーを搭載して投入されました。

あの独特なポロプリズム構造がこのファインダーだけではなく、液晶画面を見ながら撮影するという発想に発展しました。

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液晶画面は可変式でローアングルやハイアングルでの撮影時にはこの画面の角度を変えることで構図をしっかり確認しながら撮影ができる…小型デジカメではたまにこういったモデルがすでに発売されていましたが、デジタル一眼レフではこの画面を見ながらの撮影はこれが初の実用化でした。

実用化が難しかった理由としては小型デジカメになくて、デジタル一眼レフにあるレフ部分の構造が邪魔をしてしまっていました。

E-330はこれをレフが撮影する瞬間に跳ね上がった状態(センサーが剥き出しになり受光する)をポロプリズムという構図を利用することでファインダーをふさぎ、光路を確保したのでした。

またセンサーが常に光を受け続けるとセンサーが過熱しやすく、バッテリーも大量に消耗します。構造がデジタル一眼レフと小型デジカメはまるで異なりました。

このためファインダーで覗きながら撮影する従来の一眼レフの撮影スタイルと画面を見ながら撮影するモードの切り替えによってこの問題をクリアしようとしました。

この初めての試みはその後、キヤノンやニコンなど大手メーカーもこぞって導入をしますが、搭載間もない頃は課題もありました。

センサーに受光させたままオートフォーカスでピントを合わせることが当初はできなかったのです(笑)

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一眼レフはレフの反射した光をペンタプリズムでファインダーで観ていますが、レフは透過するタイプでその裏にはサブミラーが存在し、下方向に反射させた光を用いてオートフォーカス(AF)センサーにピントを合わせさせていました。

この構造だとミラーを跳ね上げた状態でピントを合わせられなかったのです。ピントリングを自分で手回しして合わせるマニュアルフォーカス…ライブビューはその後、センサーに受光した光でピントを合わせる位相差AF方式が確立され数年かけてようやく実用のレベルに到達しますがそれはまた少し先の話です。

この頃のオリンパスは形状と言い、新機軸のコンセプトを打ち出したりと今日のミラーレス一眼につながる積極的な攻勢に打って出た最後の時代と言えるかもしれません。


生き残りをかけたコニカミノルタのソニー提携、そして事業譲渡

1990年代半ばから立ち上がった民生用の小型デジカメ市場において圧倒的な存在感を放っていたのがキヤノンとソニーでした。キヤノンは元々カメラメーカーですし、デジタル一眼レフを含めて小型デジカメからプロ機までをカバーする存在。APSフィルム時代のIXYを小型デジカメにしたIXY DIGITAL(当初のイメージキャラクターはサッカー日本代表だった中田英寿、後にオダギリジョーらに代わる)は同社のベストセラーシリーズとなりました。

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一方のソニーはと言えば、自社のビデオカメラの愛称ハンディーカム(レンズ提携は独カールツァイス)をパーソナルビデオカメラ全般の呼称と誤解させるほどの認知度を誇ったビデオカメラブランドを保有していました。

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またテレビなどの映像技術や映像処理技術に長けており、サイバーショットシリーズ(カールツァイスのイメージカラーと似せている)はキヤノンIXY DIGITALシリーズと双肩を成す小型デジカメ市場の人気シリーズでした。

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そのソニーがデジタル一眼レフ市場へ注目を向けていたのが2006年。

しかし交換式レンズ(特許の塊)、デジタル一眼レフのノウハウを自社で持っていないソニーは、カメラメーカーでもあり世界初のオートフォーカスを実用化したコニカミノルタとの業務提携を行い、デジタル一眼レフ市場への参入を発表したのが2005年でした。


コニカミノルタはαシリーズと呼ばれる一眼レフブランドを持っており、デジタル一眼レフにもαDIGITALとして投入をしていました。

2004年11月にα-7DIGITAL(画素数610万画素、実売価格20万円、本体質量760g)を投入。α-7DIGITALは世界初のボディ内蔵手振れ補正機能AntiShake(2~3段分)を搭載した中級機モデル。「7」は同社のフィルム時代の一眼レフのエース機につけられるナンバリングでした。

2005年8月には入門機SweetシリーズのαSWEET DIGITAL(画素数610万画素、ボディ実売価格10万円、本体質量595g、当初生産予定台数5,000台/月)を投入。

機能がどんどん進化していく、そして価格がどんどんこなれてきて、入門機は小型・軽量にという流れが加速していた時代。

フィルム時代の主要カメラメーカー(キヤノン・ニコン・オリンパス・ペンタックス・コニカミノルタ)からデジタル一眼レフのエントリー機が一通り出そろったのもまさに2005年でした。しかしコニカミノルタのエントリー機投入は最後発。

ボディ内蔵手振れ補正機能が最大のウリでしたが、重さは最軽量を競うモデルにほど遠く、シェアを大きく取るには至っていませんでした。

死地奪回の一手としてコニカミノルタが打ったのが、デジタルの開発に強みを持つソニーとの提携でした。ソニーは小型デジカメを発展させて、デジタル一眼レフ市場への参入を目論んでいました。

2005年7月のデジカメWatchでソニーは次のように書いています。

今年2月のPMA 2005において「市場のスタディは続けているが、ソニーがやるならば銀塩カメラ出身の開発者が発想しないような斬新な製品でなければならない。ただし、現時点では“一眼レフ市場には参入しない”との結論が出ている(米ソニーエレクトロニクス・パーソナルイメージングディビジョン デジタルイメージングマーケティング担当副社長兼ジェネラルマネージャ高橋洋氏)」とデジタル一眼レフカメラ市場参入を否定していた。

 しかし翌月のPhoto Imaging Expo 2005では「一方でデジタル一眼レフマーケットが伸びているのも顕然としている。そこに対してソニーが何も提案しなくていいのか、という議論はある。どうなるにしろソニーらしさを生かす方向で判断をしたい(ソニーマーケティング株式会社モバイルネットワークプロダクツマーケティング部PIMK課・青木陽介統括課長)」と、やや含みを持たせたコメントに変化している。”

コニカミノルタからすれば自社のレンズマウント規格をソニーに提供することで、フォーサーズの狙っていた相互互換に近い、既存マウントを利用したソニーとのマウント共有という勝負に出ました。

既にレンズシステムが構築されているメーカーの強みはキヤノン・ニコンを観れば明らかでした。しかしソニーがどれくらい本気で2005年の提携時点でデジタル一眼レフに取り組む気持ちがあったのかは明らかではありません。

将来の参入の可能性として提携をした様子見の段階だった可能性が高いと思います。

しかし2006年1月19日、ソニーからまだ1台のデジタル一眼レフも出ていない中でコニカミノルタはカメラ事業そのものからの完全撤退を発表しました。(コニカミノルタ・ショック)

コニカミノルタは「デジタルカメラではCCDなどのイメージセンサー技術が中心となり、光学技術やメカトロ技術などの強みだけでは競争力のある強い商品をタイムリーに提供することが困難な状況」と撤退理由を説明

コニカミノルタのカメラ・レンズ資産や特許関連などをソニーへ譲渡することで、既存ユーザーへの修理やメンテナンスなどのアフターフォローについても全てソニーへ同年4月以降は移管されることになりました。


ソニーはその後、コニカミノルタのカメラ・レンズ関連の部署をほぼそのままソニーへ受け入れてソニー製デジタル一眼レフとしての発売を目指します。

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早くユーザーを安心させたいという思いからか、譲渡からわずか2か月後の2006年6月…ソニーのデジタル一眼レフ初号機α100(画素数1020万画素、ボディ実売価格10万円、本体質量638g)を発表。7月発売開始。

元々、提携をした時から温めてきた機種だったのでしょうか。ほぼαSWEET DIGITALのOEMです。ボディ内蔵手振れ補正機能ASを引き継ぎ、新たにローパスフィルターを振動させるアンチダストシステムを搭載(本体内のゴミの問題は当時、本当に深刻だった)。

しかし、ぶっちゃけ販売員としてそんなに売れたとはお世辞にも言えない機種でした。しかし黒い背景にオレンジ色に彩られたαのインパクトの強さは、ソニーのデジタル一眼レフ継承をした覚悟、情熱の輝きのように思えました。


ソニーらしさの欠片と言えばソニー製の映像エンジンBIONZ搭載や露出を変えた複数枚の写真から暗所の黒つぶれや明所の色とびを合成するDレンジオプティマイザーを初搭載したことでしょうか。

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ソニーはその後、2007年11月にハイミドルクラス機α700(画素数1,224万画素、ボディ実売価格18万円、本体質量690g)を発売。α‐7DIGITALの後継モデルにあたるエース機の投入で、ソニーが片手間や押し付けられてデジタル一眼レフ事業に取り組んでいるわけではない事が示されました。

ハイミドルクラスなので操作系はマニュアル操作を多用するユーザー向けに設計されており、Dレンジオプティマイザーの改良やデジタル一眼レフで初めての16:9画面、HDMI接続による液晶テレビなどとの親和性というソニーらしさの片鱗が込められていました。


2008年3月、α100後継機のα200の上位モデルとしてα350にライブビュー機能を搭載。ライブビュー専用CCDを搭載することでファインダーと兼用ができるなど着々とライブビューが常用できる環境を整えていきました。

2008年10月、かねてから噂されていたフルサイズ機α900(画素数2460万画素、ボディ実売価格33万円、本体質量850g)がソニーから投入されました。

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視野率100%のファインダーを有するプロ機として、コニカミノルタ系開発の最終モデルとされています。ボディ内蔵手振れ補正機能、アンチダストシステム…ソニーがデジタル一眼レフに本気で取り組む決意をしたことの象徴的なモデルでもありました。

コニカミノルタ時代のカメラ開発ロードマップの終着点(フルサイズ・デジタル一眼レフ)に僅か2年半でたどり着いたソニーは、ここから並行して研究を進めてきたコニカミノルタの光学技術とソニーのデジタル開発力を融合させた全く新しいカメラへの挑戦を始めます。


CCDセンサー世界シェア1位を捨てて、次の飛躍へ挑戦したCMOSセンサー開発

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2010年に一眼レフのミラーが上下する動作を不要としたプロ機に匹敵する10枚/秒の超高速連写機能を搭載したトランスルーセント・ミラーテクノロジーモデル(α2桁)を投入に先駆けて、2010年6月にEマウントのミラーレス機NEX(後にαシリーズに統一)に参入をしますが、それはまた少し先の話。

小型デジカメが携帯電話のカメラとの年々画素数の上昇を競い合い、コモディティー化をしていく過程にあった2004年までフィルムに代わるセンサーの主流はCCDセンサーでした。このCCDセンサー市場で世界シェアNo.1だったのがソニーでした。

しかしソニーはこの頃を境にCCDセンサーからCMOSセンサーへ、そして独自に開発した裏面照射型センサーの開発へ大転換を行いました。

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これまでの受光面と配線層をひっくり返したこれまでの「裏面」であった部分に照射するセンサーの開発成功はデジタルカメラの25年の歴史の中で恐らく「フィルムからデジタル」に匹敵する、最も破壊的なブレイクスルーだったと思いました。(販売員だった個人の感想です)

小型デジカメが一眼レフなどと決定的、致命的に異なった画質(レンズ性能×センサー性能×映像エンジン)における不利の中で、解像度は画素数の緻密化でやがて解消する、いえ500万画素を超えた時点で既に一般の用途ではほぼ解消しつつありました。

一方でレンズ性能は”大きく”明るいレンズほど作るのが困難で、これは小型化に有利である事は考えられていましたが、センサー性能が向上する事でより高度なレンズが求められるようになるとやがて差が付くと考えられました。

小型デジカメが小型ゆえに絶対的に覆らないであろう点は暗所などの光の取り込む量の違いでした。

小型デジカメには小型のセンサーが搭載され、小型であれば小型であるほど1画素あたりの受光面は小さくなります。そこで必要以上に画素数の緻密さ(高画素化)を追い求めれば、1画素あたりの受光面積はより小さくなっていきます。つまり暗所撮影に弱くなっていきます。

レンズ性能や映像エンジン、センサー内のその他のA/D変換技術(アナログ・デジタル)の進歩で補完するには限界があります。

物理的に大きい方が有利…これを覆した事は言い換えれば大きいカメラである必然性がなくなる事を意味しました。

2005年末に小型デジカメDSC-WX1/DSC-TX1を投入によって裏面照射型CMOSセンサー搭載機が発売され、その後次々に同社小型デジカメだけでなく他社小型デジカメにもソニー製裏面照射型CMOSセンサーは増えていきます。


液晶テレビとカメラセンサーの市場地殻変動

少しわき道にそれますが、2000年代半ばから日本では液晶テレビが急速に普及をしていました。理由は2011年7月24日に決まった地デジ完全移行(地上アナログ放送の停波)です。

それまで国内の家電市場では白物家電(冷蔵庫や洗濯機など)のメーカーとして認識され、黒物家電(テレビやオーディオなど)のメーカーとしては二流とされていたシャープが稼働させた「世界の亀山モデル」を掲げ、液晶パネルの生産で一気にシェアを伸ばしていました。

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東芝やソニーなども液晶テレビに本格的に力を入れていた中で、パイオニアやパナソニックなどは大型ではプラズマテレビが有利とお互い競うように開発競争を繰り広げました。

大量生産・大量消費により1インチ3万円程度だった2005年以降、どんどん液晶テレビの価格は下がっていき多くの家庭に液晶テレビが普及しました。

しかし地デジ完全移行(加えてエコポイント特需)を終えると液晶テレビの買い替え需要はほぼ消滅し、液晶パネルに需要以上の生産能力を持つ工場を拡張し続けたシャープは経営難に陥り、2016年に台湾の鴻海(ホンハイ、英語表記はFOXCON。iPhoneの組み立て製造に大きく貢献した企業の一つ)に買収されます。

ほぼ同時期にアメリカ原子力発電所の建設を狙っていた東芝が不利な取引を引いて赤字化。

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プラズマテレビ市場は2009年にパイオニアが、2014年にパナソニック共に撤退。単価の安く量産された液晶パネルの前に消えていきました。

ソニーは2000年代中盤から後半にかけて決して経営状態の良い企業ではありませんでした。

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期によっては大きく沈むことも珍しくありませんでした。この時、ソニーはまさに構造改革の只中にいて、将来の飛躍のために大転換を計っていました。

液晶パネルの過剰供給能力をテレビ以外に十分に振り分けることが出来なかったシャープは単価が高い大型液晶パネルの生産から単価の安い小型の液晶パネル生産への転換で、低コストで量産をする韓国サムスンなどと携帯電話・スマートフォンの液晶パネル市場を競い、収益力を大きく落としました。

他方、ソニーは液晶パネルの自社生産を中断。シャープなどへ外注することへ切り替え、工場の生産能力を強みのあるセンサー製造へ振り分けました。

そして世界でその時期と同じく急速に増えてくカメラセンサーの需要にこたえていきます。

iPhoneを始めとしたスマートフォンで、暗所撮影が綺麗だという評判を聞いたことがある人も少なくないでしょう。そうした評判のスマートフォンの殆どはソニー製カメラセンサーを搭載しています。

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近年ではインカメラ・背面カメラの1台につき2つのカメラセンサー需要だけでなく、広角・望遠など3~4つのカメラが搭載している機種も珍しくなくなってきました。


暗所撮影に強いという裏面照射型センサーを駐車場やビルなどの監視カメラや、車載カメラのバック時のモニターリング用カメラに搭載したり。ドライブレコーダーの普及にも貢献しました。

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加えて量産によってコストが下がったことで自動運転車の人を感知するのに搭載することも可能になりました。

今後、携帯電話通信規格の5Gが普及すれば、現在では想像がちょっとしづらいようなカメラセンサーの使い方によって更なる需要があるかもしれません。

(例えば既にAIにカメラ機能を搭載することで、より精度の高いDeep Learningが実現。AIは人間の眼を超える視覚を手に入れたとする説もあります。)

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ソニーのカメラセンサーの市場シェアは2018年50%を超え、他社を寄せ付けない圧倒的なポジションを確立するまでに至りました。

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フォーサーズ後期の小型・軽量デジタル一眼レフ

さてオリンパスのデジタル一眼レフ「フォーサーズ」はパナソニック製センサー「LiveMOSセンサー」を供給してもらい、デジタル一眼レフを発売し続けました。

発表当初に予定されていた殆どのレンズラインナップを商品化にこぎつけた2007年4月、グリップ部分をそぎ落として一層の小型・軽量を前面に押し出したE-410(LiveMOS1000万画素、ボディ実売価格9万円、本体質量375g*)が登場します。メモリーカードはCFカード/xDピクチャーカード…え?(苦笑)


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またグリップ部分を残し、ボディ内蔵手振れ補正機能を同社で初搭載したE-510(LiveMOS1000万画素、ボディ実売価格11万円、本体質量470g)も同年6月に上位モデルとして登場しました。(私は父が直前の3月末で定年退職をしたので、お祝いにこのカメラをプレゼントしました)こちらもメモリーカードはCFカード/xDピクチャーカード…(涙)

*E-410は発売時点で世界最軽量のデジタル一眼レフの座を獲得します。

2つのモデル以降、同社のイメージキャラクターに翌年のNHK大河ドラマ「篤姫」の主演として抜擢されるなどで注目の女優だった宮崎あおいを採用。(ちなみに同年6月に7年交際していた高岡蒼佑と結婚、後に不倫・離婚・そして不倫相手の岡田准一と再婚…企業イメージキャラクターとしてはやってくれた感がありすぎですが。私個人としては不倫は当人同士の問題だから別に気にしないし、不倫から正妻にこぎつけた愛は正直凄いと思っている。多分、本当に本気だったんだなと尊敬さえしている。)

それまでカメラはおじさんの趣味…(偏見)みたいなところが正直合った雰囲気のデジタル一眼レフ市場において若い女性や20代の多分宮崎あおいと近い世代のギャルたち(死語)が「あおいちゃんのカメラが欲しい!」と押し寄せました(これは本当…)

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しかし当時カメラ販売員だった青年(私)は思いました。グリップ部分を削いだE-410こそ手振れしやすくなるんだから手振れ補正機能が必要では…。

いや別にいいんですよ。好きなカメラ買えば。

軽いとか、薄いとか…すごく大事です。

どんなに良いカメラを買っても重くて持ち歩くのが面倒って持っていかないカメラに何の価値もないんですから。

でもそれ以上に、撮りたくなるカメラって大事なんですよ。

それは撮影者の感性も大切ですが。


オリンパスの戦略がどうにも迷走をしているように思えたのはこの頃からでした。世界最小・最薄・最軽量の座をオリンパスとしては何としても欲しかったのでしょう。フォーサーズの理念ですから。きっとそこにこだわったのでしょう。

でもじゃあ実際に発売されたカメラってユーザーの撮影体験にどれだけ寄り添っていたのでしょうか。綺麗な写真を撮りたい…

こだわるので有ればE-410にこそこのタイミングでは手振れ補正機能を付けてほしかった…というのが、販売員だった私の声でした。

そしてこれらの機種それぞれのモデルチェンジは2008年4月にE-420(液晶画面が大きくなった、ライブビューでもオートフォーカス*が可能となった)、2008年5月下旬、E-520(E-420と変更点同じ)

*小型デジカメと同じコントラストAFというピントの合わせ方。

新機能でフェイス&バックコントロールで人物の顔がピントが合いやすく、露出が自動でコントロールされるようになった…メモリカードはCFカード/xDピクチャーカード…(おい!やめろ!)

オリンパスのこの時期のマイナーチェンジは技術的な問題だったのでしょうか?私は違うように思います。

メモリーカードでCF…は兎も角、xDピクチャーカード陣営にいたオリンパス(あと富士フイルム)はSDカードへの移行が出来ずにいたのです。多分、お互いに何らかの縛りがあったと考えられる。

しかも正直、機能的な変更もあまり魅力的ではないマイナーチェンジです。液晶画面の大きさ以外はファームウェアの更新で済むのでは?くらいの改善点です。

明らかな撤退戦…いえ、消極的なモデルチェンジの気配がしていました。

私には技術者ではないので技術的なことは正直分かりません。

しかし私が指摘したE-410に手振れ補正機能は奇しくもかなり時間を空けて登場します。

そのモデルはE-620(LiveMOSセンサー1230万画素、ボディ実売価格9万円、本体質量475g)

いや、もうね…センサーについてどうこう言うのはやめましょう。

LiveMOSセンサー、そんなに悪いセンサーじゃないよ…多分。

フリーアングル液晶モニターも搭載されて、ペットを飼っている人とかにもきっと喜ばれるよ。※個人的には軽さを重視するなら通常の可変しないモニターで十分だと思ってる。

失われたオリンパスブルーの描写力も映像エンジンで描かれるように意識されていたし(言い換えれば他のメーカーでも映像エンジンの設定次第でできてしまうっていうか、それってフォ〇ショップで加工した事のとほぼ変わらない)

そんなことよりもこの軽さ、携帯性に必要な薄さ、そして撮影者に必要な機能(手振れ補正機能)をきちんと搭載したモデルの発売時期がね…どうしてこうなるよ。

発売日は2009年3月20日フォーサーズ最後のエントリーモデルとなりました。

メモリカードはCFカード/xDピクチャーカード…(バカ!)

※マイクロフォーサーズとしてオリンパスがミラーレス一眼PEN「E-P1」を発売したのは2009年7月3日。

センサーとメモリーカードという縛りと妥協するべきところで妥協しない頑固さという経営上、最も何を大切にするべきかを見失った軽量・小型のデジタル一眼レフを目指したフォーサーズのエントリー機の歴史はこのE-620をもって幕を下ろすことになりました。


同時期のライバル機たち(2006~2009年)

ちなみに同時期のライバル機では2006年9月にEOS Kiss DIGITAL X(同社Kiss DIGITALシリーズでは3代目、1010万画素、ボディ実売価格9万円、本体質量510g)が登場していました。電源投入時にローパスフィルターを微細振動させてゴミを振るい落とす機能がシリーズ初搭載されるなど主だった特徴という点では既に他社がやっていることを厳選して着実に取り入れていました。

※メモリーカードはEOSデジタルではこの機種までCFカードだった。


そして2008年3月には当時デジカメでは主流だったSD・SDHCカードとライブビュー機能に対応したEOS Kiss  X2(1220万画素、ボディ実売価格9万円、本体質量475g)。2007年にフィルム一眼レフが販売終了となり、このモデルからDIGITALの表記が省略されることになります。

また2008年6月にはEOS Kiss X2と併売される形でEOS Kiss F(ライブビュー機能を搭載、1010万画素、ボディ実売価格7万円、本体質量450g)も発売されました。

ニコンは入門機として2005年6月発売のD50(610万画素、ボディ実売価格9万円、本体質量540g)、2006年12月にはニコンが入門機としてD40(610万画素、ボディ実売価格6万円、本体質量475g)を発売開始しています。

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モードダイヤルの中にD50からは「こどもスナップ」(幼稚園児が帽子をかぶっている様子のやつ)が追加搭載され、幼い子供を撮影する際にシャッター速度を早く、かつ発色の良い色合いで撮影するモードが搭載されたり、夜景・風景モードが統合されカメラが自動判断して切り替えるようになりました。

これまで軽さ競争にはあまり積極的な参加を示してこなかったニコンですが、ファインダー倍率や視野率を多少犠牲にしてこれまでのD70/D70sのようなペンタプリズムからペンタミラーにD50/D40から切り替えています。

また画素数競争がセンサーサイズの大きくゆとりのあるAPS-Cであることを理解して闇雲な画素数競争には参入しませんでした。D70を始め、同社のデジタル一眼レフはプロ機を除き汎用性の高いSD・SDHCカードを採用してきた点も含めてカメラ界の絶対君主として決して中途半端なモデルは出してきませんでした。

お陰で価格帯ではキヤノンよりも入門機が少し安く、当時決して激安ではなかったSDカードを小型デジカメからのステップアップユーザーが買い替えずに使える点も人気だった理由の一端でしょう。


この時代の入門機も変わらずキヤノン・ニコンが圧勝でしたが、あおいちゃんカメラとして軽量・薄型・小型の3拍子が揃ったオリンパス・フォーサーズは一定の市場評価とその存在感を示した時期です。

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またカメラストラップやカメラバックにカラフルなものが出てきたり、時にはホットシュー(ストロボを取り付ける部分)にアクセサリーを付けるなどこれまでのカメラ市場ではあまり観られることの少なかった色遣いの小物が注目されるようになりました。

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共闘?それとも裏切り者?パナソニックのフォーサーズ機登場

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2006年7月22日、オリンパスのE-330発売からおよそ半年後にパナソニックからついにフォーサーズ1号機DMC-L1が発売されました。

カメラとしての機構はほぼE-330!LiveMOSセンサー750万画素、本体質量530g(SD/SDHCカード対応)、標準レンズセット(14-50)で実売価格25万円。ボディ本体のみの販売はなし。

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最大の特徴はライカ製のフォーサーズ対応レンズが登場したことです。高くて買えないよとか思いながらも、ライカ銘の入ったレンズがフォーサーズの選択肢に加わったのはユーザーとして、フォーサーズファンとして待望の時でした。

尚、セットのレンズがレンズ内手振れ補正機能搭載モデルであることから、本体内蔵手振れ補正機能は非搭載でした。

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2007年11月、第二弾DMC-L10が発売。LiveMOS1010万画素、ボディ実売価格10万円、本体質量480g

フリーアングル液晶を搭載して、液晶画面を見ながら撮影する際の姿勢がハイアングル・ローアングルの他、側面から撮影するなど自由度の高い機能を搭載しました。

顔認識AF/AE搭載を謳っていますが、恐らくはE-510の手振れ補正機能を省略して、フリーアングル液晶モニターを搭載したOEM品だったのではないか。センサーも一緒のように思える…(泣)

というよりもこのモデル自体がパナソニックの高倍率ズームデジカメFZシリーズそっくり…


起死回生を狙ったフラグシップのリニューアルE-3登場!

2003年以降、フォーサーズのフラグシップを張り続けてきたE-1ですがさすがに小型デジカメでさえ1000万画素超えが珍しくない時代となった2007年11月に後継モデルを投入しました。

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E-3と名付けられたフラグシップにはエントリー機で搭載されたライブビューに加え、当時世界最速のオートフォーカス、

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2軸可変式液晶モニターの搭載。ボディ内蔵手振れ補正機能・マグネシウム合金ボディ、防塵防滴・ゴミ除去機能、視野率100%ファインダーなど当時のオリンパスが搭載できるフルスペックモデルでした。

1010万画素、実売価格20万円、本体質量810g…

スペック的には最高でした。数字や機能で観れる部分は当時最高のモデルでした。しかし多くのオリンパスユーザーが、フォーサーズ初期の頃(E-1・E-300・E500)の夢をE-3に観れたかといえばそれほどでもなかったというのが正直な感想です。

「結局、パナソニック製のセンサーか…」

画素数の話をしているわけではありません。数字には表れないセンサーの引き出してくれる描写力を知ってしまったフォーサーズ初期のファンからすれば単に数字だけを他のメーカーのライバル機にあてがっただけの魂の抜けたモデル…メーカーや開発者には申し訳ないですが、これはこれで喜ぶユーザーもいたと思いますが、オリンパス・フォーサーズに恐らくの大多数のユーザーが期待しているのはそっち方面ではないということに気づいてもらえないのだと悟った決定的な時期でした。


「何故、富士フイルムのスーパーCCDハニカムやシグマのfoveonを搭載してくれないんだ…」

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無茶な話とは言え、フォーサーズ協賛企業に名を連ねながら富士フイルムはニコンのフラグシップからセンサーと映像エンジンだけ自社の物を搭載したFinePix S2Pro/S3Proを出していました。

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「大きいセンサー作れるなら、何故フォーサーズに供給しないんだ?(涙)」

富士フイルムは市場を静観しながら来るべき時に備え、そして自社が生き残るための戦略を虎視眈々と狙っていました。

センサー供給または富士フイルムとしてフォーサーズへの参入をしなかったのはフォーサーズに見切りをつけるタイミングを計っていたのです(恐ろしくも賢いメーカーですよ、本当に)

そしてE-3のメモリーカードはCFカードと、xDピクチャーカード…(大馬鹿野郎!!)


2008年12月にはE-3の基本性能を踏襲したミドルクラスE-30(LiveMOSセンサー1230万画素、ボディ実売価格15万円、本体質量635g)が発売されます。

E-3よりは軽量、E-520よりは堅牢・高性能。ファインダーの改善。

アートフィルターとライブビュー時のオートフォーカスを高速化したコントラストAF対応…んん!?

メモリーカードはCFカードと、xDピクチャーカード…(正気か!?)


置き土産?最後のフラグシップ・フォーサーズ機E-5へのアップデート

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2010年10月29日、フォーサーズとして最後のモデルとなったフラグシップE-5が発売されました。

LiveMOSセンサー1230万画素、ボディ実売価格19万円、本体質量800g

E-3発売から約3年半ぶりのリニューアル。

液晶画面が大きく、緻密で高精細になりました。屋外の明るい場所でもくっきりはっきり見えるようになりました。(地味に大事なポイント)

いたずらに画素数競争をせず、ダイナミックレンジやSN比などを考慮し、ローパスフィルターもほぼ素通しの高品質なものを採用しました。

アートフィルターで撮影時にフィルター効果を予め入れられるようになりました。

オートフォーカスの精度が向上しました。

HD画質(フルHDではない)の動画が撮影できるようになりました。

流し撮り撮影モード(IS3)が搭載されました…


いずれも大切な機能です。必要なスペックアップです。

価格も堅牢なマグネシウム合金ボディ、防滴防塵、フラグシップとしてはかなりお手頃感があります。

が…このアップデートを喜んだユーザーが世の中にどれくらいいたでしょうか?

正直E-3出したのが少し前だから、最後にE-5にして格安でフラグシップを放出します…最後の置き土産です。そう言われているような気がしなくもありません。

もうね、最後の最後に振り絞ろうとしたけど、これくらいのスペックアップしかひねり出せなくなっていた…そう捉えられても仕方ない(でも本当に機能的には素晴らしい、まったくほしいと揺さぶられないけど…)

だってシステムとしての開発を凍結って言っても、実質的に終了宣言ですから。これ以上の発展が見込めないんですから…。

もうね、ユーザーを裏切った感が半端じゃないですよ。

あ、でも最後にオリンパスがやっとユーザーの声を聴いたなって変更点があります。

メモリーカードがCFカードとSD/SDHCカードのWスロットになった(笑)

もう何もかも手遅れ感満載ですけどね…( ;∀;)おせーよ、バーカ!


フォーサーズシステムのレンズシステム

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ワイドレンズ4本、標準レンズ11本、望遠レンズ12本、マクロレンズ4本、単焦点レンズ7本…計38本+ライカレンズ4本の合計42本。

構想から12年、2003年に初号機E-1を世に送り出してから8年と経たずにこれだけのラインナップを拡充したことを讃えるべきでしょうか。

メーカーとして生き残りをかけてマイクロフォーサーズへの移行をして、勝機の見えない戦いをキヤノン・ニコンの二強と勢いのあるソニーに挑み続け、挙句そちらでも悲劇を繰り返し、事業売却のカードを切らざるを得なくなったことを最後まで戦ったと言えるでしょうか。

無茶・無謀と勇敢は意味が違います。


フォーサーズシステムの全てのレンズは今日では生産完了済み。中古でしか手に入りません。

ライカレンズなどのようにマイクロフォーサーズへ移行したものもありますが、基本的に二つのシステムには相互互換性がありません。(フォーサーズ機にマイクロフォーサーズ対応レンズは不可。マイクロフォーサーズ機にフォーサーズ機のレンズは専用マウントアダプターを介して接続はできるが…)


おわりに

フォーサーズユーザーが何本のレンズを持っているか分かりませんが、これらが既に修理もできなければ買い直すこともできません。これがどれだけのことか理解できていないメーカーは恐らく交換レンズ事業などに手を出してはいけないのです。

だからコニカミノルタは撤退の際に、ソニーへメンテナンスを含めた既存ユーザーの面倒をみてほしい、みてくれるならと事業を譲渡したのです。これがどれだけ苦渋の選択だったか、そして勇気ある決断だったかわかるでしょうか。

また本記事ではあえて書きませんでしたが、ペンタックスのリコーへの吸収もまた勇気ある決断でした。(今後も生き残れるかは未知数だが、かなりきついと思っている。ニコンでさえ危うい所にいる)

さて、時系列的には最後の時期とミラーレス一眼の登場は重なるところですがあえて今回はデジタル一眼レフ市場のメインストリームをカメラ機種の機能や性能的な面から比較してみてきました。

この2010年を目前とした時期から、今日のデジタル一眼市場は「ミラーレス」が主戦場となっています。

オリンパス・フォーサーズ陣営は勝機を見たデジタル一眼レフ市場への挑戦から何故、敗退したのでしょう。

そしてその先のミラーレス市場への再挑戦でも何を間違えたのでしょう。


なおxDピクチャーカードは2010年12月に生産を終了…8GBまで容量アップを計画していたが、名前の通り画像の保存をメインで想定していたため、動画などの高速大容量の記録スピードへ対応が遅れ、また写真・動画だけでなく音楽※などその他の記録にも汎用性が高いSDカード(SDHC・SDXCカードなど)に嘘のようなボロ負けして2GBまでしか発売されませんでした。

※著作権保護機能がSDカードには搭載され、xDピクチャーカードには非搭載だった。

オリンパス・フォーサーズはSDカードの対応をしなかったことが決定的は敗因ではありません。この点については続きで。いつか気が向いた時に書きたいと思います。

続くかも?


悲観しなくても良いという意見について

ちなみに事業継承先がVAIOの再建をした会社だから悲観をしなくても良いという意見もあるそうです。

うん、芽はあるかもしれないけどVAIOって今どれくらい存在感ある?

フォーサーズは打ち切られたんですよ。マイクロフォーサーズは引き続きサポートしてくれるのかもしれないけど、同じように打ち切られないって保証もないよね。

ミニマイクロフォーサーズとかナノフォーサーズとか言い出しかねない(笑)

継承会社が大化けさせてくれるかもしれないという期待はファンとしては当然したい。けれど、それよりもレンズシステムをはじめ一度裏切られた感を新会社も引き継ぐことになる。

パソコンを作る会社と決定的に違うのは、交換レンズシステムという仕組みを打ち切られたという負の感情も引き継ぐという事。これは相当難しい。

何故、フォーサーズ・マイクロフォーサーズが負けたのかを正しく理解していないと継承会社も火だるまになりかねないですよね。

(個人的にはかなり厳しいけれど、芽はまだあると思っている)


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