文科省が「法令」「違反」を特定できないワケ
この論考は、「No pain No gain」氏(@nopain_nogain05、法務博士)によるものです。
文科省が「法令」「違反」を特定できないワケ
なぜ、文科省は解散請求していながら、未だ解散請求の要件である「法令」「違反」の条文を特定できないのでしょうか。
結論から申し上げると、その理由は、不文の秩序たる公序の違反(=社会的相当性の欠如)を理由とする不法行為では、「法令」要件と「違反」要件を共に充足することができないからであると考えます。以下具体的に説明します。
不法行為の2つの類型
まず文科省が法令違反の根拠として挙げる不法行為について説明します。
民法第709条の条文に忠実に解釈すれば、不法行為とは「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害」する行為を指します。
そして、不法行為が成立する類型には大きく以下の2つがあります。
①明文化された法令に違反するもの(代表的には犯罪にかかわる行為など)
②明文化された法令には違反しないもの(代表的には不貞行為など)
一般に、不法行為による損害賠償責任が発生するケースはその多くが、①法令違反を伴うものであるため誤解されがちですが、②不貞行為により損害賠償責任が認められるケースのように、明文の法令に違反しない場合にも不法行為は成立します。
今回の解散請求で問題となる不法行為はどちらの類型か?
では、解散請求で問題になっている家庭連合の事案は①②のどちらの類型なのでしょうか。家庭連合の解散請求で問題となっているケースは大部分が献金行為や伝道行為の態様が「社会的相当性」を欠くことを理由に不法行為が認められた事案です(全国弁連が家庭連合の刑法事案としてあげる、末端信者の交通事故などの事例はここでは除外します)。
つまり、「公序と呼ばれる不文の秩序(=社会的相当性)」に違反したことが理由となって不法行為が認められた事案です(=②類型)。
解散請求の要件について
今回の解散請求の根拠条文は宗教法人法第81条第1項第1号と第2号前段です(余談ですが、解散前の手続において専ら検討されていたのが第1号であることを考えると、第1号請求が本命と考えていいと思います)。
そして、第1号の要件には「法令に違反して」という文言があり、解散請求には「法令」要件と「違反」要件が両方必要であることが分かります。
ここで、「法令」とは具体的に何を意味するのかについては、これまでに様々な議論があったことを既にご承知のことかと存じます。大別すると「法令」の意味内容については、
①民法等を含めたすべての法令(解散肯定派に多い)
②刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するもの(オウム高裁基準、解散否定派に多い) という2つの立場があります。
しかし、私がお伝えしたい点は、
仮に「法令」の意味内容が「民法等を含めたすべての法令」であるとする見解に立っても「法令」の要件と「違反」の要件を同時に充足することはできないということです。
「法令」要件について:民法第709条は違反できない条文
解散肯定派の多くは、法令違反の理由を不法行為が認められるからと理解していると思います。より具体的には、民法第709条違反を念頭に置いていると推察します。
〈第709条〉
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
家庭連合には過去複数の不法行為と裁判所に認定される事案がありました。しかし、民法第709条「違反」を主張する人の多くは、なぜ不法行為が成立すれば709条「違反」となるかその論拠を具体的に説明できないはずです。
結論から言うと、それは709条が、不法行為の成立時に損害賠償責任が発生することを定めた賠償規範であり、そもそも「違反」できない条文だからです。家庭連合の例で言えば、家庭連合は709条に「違反」ではなく、709条が「適用」されて不法行為が成立したのです。多くの人が709条に関して「違反」と「適用」を混同しているように思われます。
法曹関係者は通常709条「違反」という言葉をそもそも用いません。あるとすれば、それは誤用です。
繰り返しになりますが、709条は「~してはならない」に代表される禁止規範、「~しなければならない」に代表される命令規範のように違反が成立する条文ではなく、そもそも違反が成立しない条文だからです。
よって、仮に「法令」要件を拡大解釈し、あらゆる法令が含まれると解釈したとしても、民法709条には「違反」がそもそも成立しない結果、「法令」要件はクリアしても「違反」要件をクリアできないのです。
民法第709条が禁止・命令規範ではない理由①:民法の性質
ではなぜ、民法第709条は禁止・命令規範ではないといえるのでしょうか。
条文を見てみると、確かに文言上「違反」できそうな箇所が見当たりませんが、それが直接的な理由ではありません(文言だけ見れば、禁止規範の代表とも言える殺人罪を定める刑法199条も「殺人をしてはならない」と規定してはいません)。
民法709条が禁止・命令規範ではないと断言できる根拠は大きく2つあります。
1つ目は、民法の性質。2つ目は、不法行為の性質について判示した最高裁判例の存在です。以下、順に見ていきます。
1つ目の理由ですが、①刑法に代表される禁止・命令規範と②民法(709条)との決定的な違いは、
①刑法(禁止・命令規範)は、国家 vs 私人の関係を規律する規定であるのに対して、
②民法は、私人 vs 私人の関係を規律する私人間の利害調節規定である点にあります。
民法は、その規定のほとんどが任意規定であることからもわかるように、あくまで私人間の利害関係の調節を目的として設計された法制度であるため、国家 vs 私人の関係を規定する刑法と異なり禁止・命令規範として評価できないのです。
逆に刑法違反に対しては、禁止・命令規範の違反として評価できるため、国家が刑罰を科すことが許容されるのです。民法は私人間の利害調整規定なので、国家が不法行為をした私人に対して刑罰を科すことはできません。
一見すると、「不法行為の損害賠償は実質的に見て刑罰(罰金)ではないか?」と思われるかもしれません。
しかし、民法は私人 vs 私人の利害調整規定であるため、不法行為の損害賠償は、生じた損害を「私人(加害者)から私人(被害者)に」金銭賠償することで原状を回復させること(=利害調整をすること)がその目的となります。
国と私人との関係を定めた刑法は、刑事罰である「罰金」において、「私人(違反者)から国家に」罰金を支払わせる制度を設けていることと比較すると分かりやすいかもしれません。
民法は、私人間の利害関係の調節を目的として設計された法制度であるため、禁止・命令規範に当たらないのです。
民法第709条が禁止・命令規範ではない理由②:最高裁判例の存在
2つ目の理由ですが、不法行為の性質については、これを判示した最高裁判例(最判平成9年7月11日民集51巻6号2573頁)が確定しています。
この最高裁判例の判示に従えば、民法第709条を禁止・命令規範と解することは不可能といえます。
民法第90条「違反」・第715条「違反」も成立しない
ここまで、民法第709条は(禁止・命令規範ではないから)違反が成立しないことについて説明してきました。では、民法の他の条文では違反は成立するのでしょうか?
公序良俗違反を理由に、民法第90条違反を主張する見解も見受けられますが、民法第709条と同様の理屈が妥当します。公序良俗という不文の秩序については、「違反」は成立しますが、民法第90条の「違反」は成立しません。使用者責任について定める民法第715条も同様です。
民法は、私人間の利害関係の調節を制度趣旨として設計された法制度であるため、禁止・命令規範に当たらないことがその理由となります。
〈民法第90条〉
公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。
〈民法第715条第1項本文〉
ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
「違反」要件について
以上の内容から、民法第709条(民法第715条、民法第90条)では、「法令」要件は充足しますが、(709条には「違反」が成立しないので)「違反」要件を充足しないことが明らかになりました。
では、一度文科省の立場に立って、「違反」要件を充足するためにはどうすればよいか考えてみましょう。家庭連合に対し不法行為が成立した理由でもあり、家庭連合が実質的に「違反」したのは、「公序と呼ばれる不文の秩序」です。
しかし、これを指摘することで「違反」要件をクリアしたとしても、不文の秩序は当然ながら「法令」ではありません。結局「法令」要件をクリアできないのです。
文科省の現状
以上から、
・「法令」要件をクリアしようと解釈すれば、「違反」要件をクリアできず、
・「違反」要件をクリアしようと解釈すれば、「法令」要件をクリアできない。
まさに論理のジレンマに陥っていることが理解いただけるでしょうか。
過料請求・解散請求において国側が主張する「法令違反」の根拠は、「民事法上の規律や秩序の違反」です。
しかし厳密には、
①「民事法上の規律」であれば「民法〇条違反」と特定する主張責任が生じます。これを特定しない国側の上記主張は、請求側の負うべき主張責任を果たしていないため、「法令」要件を充足できません。
②「秩序」は、そもそも不文であるので「法令」ではありません。
上記論理のジレンマを理解いただければ、なぜ、「違反」する「条文」を特定できないのか、その背景がよくわかるのではないでしょうか。
これが、まさに文科省の陥っている「違反」する「法令」が特定できない状態(=「法令」要件と「違反」要件の両方を同時に充足できない状態)というわけです。文科省の法律論の致命的欠陥はこの点だと考えます。
私見
上記朝日新聞の記事によれば、「教団側は『法令違反』が具体的にどの法律のどの条文にあたるかを明らかにすることなどを求めたが、国側は明確にしなかった」とあります。
上記の論理的ジレンマをご理解いただければ、なぜ「国側は明確にしなかった」のか理解いただけるかと思います。
「明確にしなかった」ではなく「明確にしたくてもできなかった」がより正確な表現であると私は考えます。
審問に関する大手記事の多くは、「教団側の福本弁護士は、『法令違反』の条文を具体的に特定するように求めた」等の記載にとどまっている記事ばかりで、読者側には「709条違反でしょ?」と誤解させるような記事ばかりでした。
福本弁護士が「法令違反」の条文を具体的に特定するように求めているのは、違反している条文が分からないからではありません。国側が特定できないことを分かっていながら、国側の論理破綻を明確にするためにあえて国側にこれを求めているのです。そこがミソです。メディアにはこの点を指摘していただきたいと思います。
なお、福本弁護士がこの論理的ジレンマを十分よく把握している理由は、彼が書面で提出した意見陳述書2を読んでいただければ一目瞭然です。私の主張はあくまで、少々難解なこの意見陳述書をかみ砕いて説明しているにすぎず、同様の理由はすでに裁判所に主張されています。
また、別の問題があります。というのも福本弁護士はこの問題点につき質問権行使前の時点ですでに文科省に指摘しています。であれば、なぜ国側は「違反」する「法令」が特定できない状態(=「法令」要件と「違反」要件の両方を同時に充足できない状態)を把握しながら、解散請求に踏み切らざるを得なかったのかが問題となります。
この福本弁護士が指摘するこの論理的破綻が露見すれば、宗教法人審議会の議事録非公開化等と合わせて、解散請求手続きの公正性に焦点が当たる一つのきっかけになるのではないかと考えます。
【参考資料】
・家庭連合意見陳述書(1)
・家庭連合意見陳述書(2)
本稿の「発展編」も合わせてご確認ください。
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