カタカムナとの出逢いーその2
私のカタカムナ音読法は、勉強ができない生徒をできるようにするために考案したものだった。しかしこれを、すでに割と勉強ができるようになっている者に教えると、より早く習得し、さらに能力がぐんと伸びることが確認された。外国人にも試してみた。イギリス人も中国人も、他の人たちより日本語ができるよう になることが確認された。
日本語は一音一音切れている。だからその一音一音を正確に発声することが「キモ」となる。
私の家庭教師としての出発は、学生時代、近所の子どもたちの英数を主体とした全教科の成績を上げることだった。私はこれに「圧勝」した。私は学校内申点を獲得させる「プロ」であり、しかもそこに受験成功を結びつける「技術」を持った。
もちろん国語も、学校のテストで点数を取らせることは簡単だった。国語ならずも、学校のテストとは、覚えるべきことをテストの瞬間まで覚えていること、手の届くところにある実を捥ぐ(もぐ)ことに等しい。「意志」と「方法」さえあれば誰でも手に入れることができるものであった。
英数の指導では、その結果が指導した内容が入試問題にも強いことが確認された。しかし国語はそうはならなかった。と言うよりも、そもそもこの国語が本当にできていないためにその他の教科の得点率が低いのである。テキストや問題文の意味を正確に読み取る力―汎用的国語能力―を、それを持たせる環境にない子どもに与えるにはどうしたら良いか。
実はまだ、そんな難しいことを考えていたわけではないかもしれない。しかし、教えようとしていることを理解する能力―これを前提にしなければ子どもの学力を本格的に伸ばすことはできない相談である。ここには独自の他の「接客的能力」も含まれようが、「コア」にあるのは言語力を高めることに他ならないことは、たとえ親や他の教師がわからぬとも熟知していたと思う。
しかし、すでに26歳で結婚して思った。とりあえずこの稼業で連続食っていくには国語ができるようにする教師になることが最善であると。英語や数学は、自分と同レベルあるいはより優れている「指導者」が結構いる。でもなぜか、国語をできるようにする教師はまずいない。と言うことは、国語ができるようにすることができる教師になれればこの先当分食いっぱぐれがない。やっていける。でもそれにはどうしたら良いのか。日本語が全然アチャラかパーで、家族に本を読む習慣がなく、漫画のような脳内世界しか持たない子どもたちに、どうやって日本語とはこう言うものだと体感・了解させることができるのか。
偶然『徒然草』で、その音読に国語力伸張の鍵があることは掴んでいた。でもそれがなぜかはわからない。なんで『徒然草』を一音一音切って音読すると現代文もよく読めるようになるのか。その「原理」が分からなかった。
しかし、そこへ『カタカムナ』を導入すると、さらに効果が飛躍的に大きくなることがわかった。カタカムナを音読すると、『古事記』や『万葉集』や『古今集』も音読直解できることがわかった。そして、その結果、現代文読解能力が著しく伸びるのである。おまけに作文も書こうと思えば書けるようになってしまうのである。いったいこれはどう言うことなのか?本当にこのことに気づいたのは自分だけなのであろうか?
これはできない子をできるようにする試行錯誤の結果偶然編み出した「技法」であるが、だからこそすぐに、日本中の子どもたちにこれを届けることが自分の「使命」だと思ってしまうが、「カタカムナ」なんて言うと怪しがられて敬遠されてしまうのか。ふざけるな!『古事記』や『日本書紀』の内容の方がもっと「怪しい」のに。
私は、読者ご存知の通り、限りなく無神論に近い哲学実践者である。おまけに科学的な月の遠近WAVE研究で、シャーマン系の「矛盾」を「昇華」させてもいる。一切は「波動感知」に起因する。私は、「宗教」を持たない。「イメージ」以外の「死後の世界」を捨象して生きている。しかし、カタカムナが日本語理解に大きな効果を持つことは否定できない事実なのである。
結果的に、まあ日本人の子どものアタマがヨくなることが確実であれば、カタカムナがなんであろうと構わないといった「立場」を取らざるを得ない。
カタカムナ音読は「最強」である。これの上の日本語能力伸張法は今のところ現れない。
日本古来の「和歌」には、「その前」があった。和歌が急に生まれるのではなく、その前の「言語」「ウタヒ」があった。
これでいくと、「文字」より先に「音」があったと言いたくなるが、「カタカムナ」は音声付きの文字記号として伝わっているのである。
それはなぜかわからない。どうしてそれが伝わったのかも分からない。
現在、You-Tubeなどで、私のカタカムナ音読や、古典文音読、または教育説話などが続々up中である。
是非ご視聴の上、これからの子どもたちに、まず与えるべきものが何であるのか、改めてダイアローグして欲しいと願う。
98年に行った、ホビット村カタカムナ音読会は、狭い会場がパンパンに膨らむ盛況を見せた。
そこに現れた人たちは、これまた私の全然知らないタイプの人たちだった。
つまり、「カタカムナ」はまだ一般的ではなかったと言うことになろうか。