カタカムナとの出逢い
私が初めてカタカムナに出逢ったのは、1996年のことだった。
あるとき、知人の芸術家に誘われて、縄文文明を研究している人が主催する会合に参加した。「会合」とは言っても、誰かの特別な演説があるわけではなく、自由に参加した各々の者が自己紹介し合う「パーティー」と言った類のものだった。しかしそこで出遭ったのは、極めて珍しい人たちで、縄文文化研究から、古代海洋航海術の研究、音波と波動の研究、近未来予測、今でいうパワースポット研究、古代宗教研究、古代建築研究、古代文献研究、占星術研究とありとあらゆる研究家や、巫女や神事に従事する女性シャーマン、太陽メッセージを自動記述する女性、占い師、中には金星とのコンタクトをするという女性もいて、いったいこんな人たちは普段世の中のどう言うところに生息しているのかと強く興味を持った覚えがある。
その中の一人のこれまた明らかに天才的波動を出す人物が、「あなたは何をする人ですか?」と尋ねるので、「私は家庭教師、個人教授をする者です」と答えると、「何を教えているのですか?」と聞くので、「どんな教科でも教えますが、特に国語の音読教育に力を入れています。私と読むと、古文が現代語のように読めるようになるのです」と答えると、「ほうそれはすごい。ではこれもお読みになれるかな?」と言って差し出したのは1枚の紙で、それには見たことがない記号で、中心から右回り渦巻き状に書かれた「図」があったが、それは妙に直感的に美しく感じられた。 後に知ることになるが、これは カタカムナ文献第5首6首であり、到底初見の私が読めるはずはなかった。宇宙からの文字に見えた。
「これは文字なのですか?」
「そうです。カタカムナ文献と言います」
「カタカムナ文献?聞いたことがありません。それはなんですか?」
「カタカムナ文献は、およそ8000年前から伝わるとされる日本の超古代文献です。」
「そんなこと信じられません」
「だから、あなた音読の先生なんでしょ、試しに一度読んでみてくださいよ。音はわかっているんですよ。意味が伝わりにくいのです。」
と言って、差し出された紙にはカタカナが縦書きに記されたものがあった。
「お断りしますが、これは日本語なんですね」
「そうです。古代日本語です。」
「日本語なら一音一音切って読めばしっくり来るはずです」
「ほう、ではぜひやってみてください。お願いします。」
そこで私はそれを声に出して読んだ。それを一音一音切って読んだ。
するとそのとき極めて不思議な感触が起こった。共有された。意味はわからない。でもそうではないものが伝わる感じがするのである。日本語ではない。でも限りなく日本語みたいである。
相手も驚いた。周りの者も、何かこれまでに聞いたことがない言葉を耳にしたように緊張した。
なんだこれは?なんだこの不思議な感触は?
これが私が初めてカタカムナ音読をしたときの記憶である。
すぐに生徒たちに使ってみたが、驚いたことにそれまで使っていた『徒然草』より、はるかに効果が大きいことがわかった。
そしてこれがやがてホビット村でのカタカムナ音読会につながり、その結果、相似象学会の宇野多美恵先生にお目にかかることになるのである。