再会はずっと一緒だった事の確認だったというお話
こんにちは🌞バヨリニストの外薗美穂です🎻
オトナになるって色々大変だよね、ということを通り過ぎて、オトナになった自覚も薄れ、オトナのルールで生きながら、それでもやっぱり何だかまだまだコドモな自分をもどかしく感じたり、至らなく感じたり、やっぱりオトナになんかなれないよ、と思ったりしながら日々暮らしているわけでございます。
そんな昨今….。
先日起き抜けに、子どもの頃の事を何故だか異様に鮮明に思い出しました。
幼稚園の卒園式だったかと思います。
もしくは卒園の前の卒園パーティーみたいな時の事かもしれません。
それは、先生方の祝辞の後、テーブルの上に用意されたサンドイッチやお菓子などを食べながら卒園を祝うようなイベントで、丁度園長先生のお話しを聞き終え、先生か保護者会の偉い方々のお話を聞く、というタイミングだったように思います。
幼稚園生の私は、目の前のサンドイッチが気になっており、大人のお話しが長かったのもあり少々退屈気味な気分でした😅
もう年長さんなんだから、人の話はお行儀良く聞きなさい、とか、なんだかんだとソーシャルなルールを沢山教えられていた時期だったのですが、はーい🙋♀️と言いながら、頭の中はフワフワと妄想の世界を漂ったり、その場の空気というか周波数に感電したりして、無自覚で突発的な行動をして母に叱られたりなどしておりましたその頃。
幼稚園児の私は、不意にやってしまったのです。
皆が真面目にお話を聞いている時に、手がニューと伸びて目の前のサンドイッチを掴んでいました😆😆😆
そしてパクリとそれを食べてしまったのです。
しかし、そのサンドイッチは野菜のサンドイッチで、想像していた美味しさとは違い、あ!!間違えた!!!の感覚が口に広がりましたが、ひと口食べてしまった後の手に残ったサンドイッチと口の中に広がる残念感とは今更どうしようもなく、苦い顔をしながら、静かにユックリユックリもぐもぐと口を動かして目をキョロつかせているという状態でした。
取り立ててそれを非難する人もその場には居ませんでしたし、やがて退屈な先生のお話しも終わり楽しいパーティーへと時間は移り変わって行ったのでしたが、後に、卒園パーティーの写真が届き、サンドイッチをフライングして1人パクついている現場をしっかりカメラに納められおり😂😂😂、それを見た母が、何て恥ずかしい‼️と、大変興奮して怒っていたのをよく記憶しています。
子どもアルアルな、ただの笑い話というエピソードではありますが、この周波数に感電したみたいに無自覚に変な事をやってしまう習性は今も健在で、イ〜大人が、どうしてちゃんと出来ないのでしょう、、あーあ、これだから私は。。😖💦と思うこと多々ありで、その度に、未だにちゃんと出来ない成長不良のオトナ、というような見方を自分自身に向けておりました。
しかし、この朝、この幼稚園時代のサンドイッチ事件の事を思い出した時に、あの時サンドイッチに向かって、ニューと伸ばしてしまった手と、その時の空気に再会した感覚をたまらなく愛しいと感じたのでした。
この時から私はもう既に私で(笑)、自覚なく何かに誘われてしまうように動いてしまう、それは時にいけない事だったりもするのかも知れないけれど、何かしらの周波数に同期してしまってやってしまうその行いは時にミラクルで、時にインスピレーションであったりもするのです。
そして、そのサンドイッチ事件を、母は、母のルールの中で何て恥ずかしい‼️と感じだんだろう、という事を理解した時に、ヒトのそれぞれのルールというか、大切にしているものがあるのだという事も理解でき、全ての事が愛おしく感じられてしまったのです。
私をワタシが愛しいと感じ、同時に人と人々が作り出す時間と空間と全ての事がなんだか愛しいな、と思ちゃったのでした✨✨✨
再会したような、でもそれはずっと自分と共にあった物事?時間?スピリット??であったなぁと。
それを何と呼んで良いか分かりませんが、素敵な再会の瞬間でした。
巡って巡って、また会った。
多分そんな感じで、これからも妙なタイミングでニューっと未来に手を伸ばし破調を起こして生きていく。
私はワタシでイ〜んだわ、と思えた朝でした✨
これからも、ニューっと、ね❣️😆😆😆😆
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