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あいまい日記1 ─虚無
私は家にいると体中が虚無になる。虚無感に包まれるということではない。もっと端的に虚無になる。言葉でその違いは表現し難い。絵を描くとか、近い将来のためにWEBデザインを勉強したいとか、積んでいるプラモデルを組み立てようとか、家の外ではいつもそんなことを思うわけだが、家に踏み入れた途端そういう負荷のかかる取り組みに耐え難くなる。何かやろうとすればやたら眠くなり、せめて生活リズムを整えようと早めに寝ようとすると今度は一向に寝付けない。ゲームをする、マンガを読む、ASMRを聴きながらゴロゴロする。自然とやってしまうのはこの辺り。いや、ゲームは幼い時から好きであり続けているものだし、マンガは素晴らしい表現物だと信じているし、ASMRは深い可能性がある何かだと思っているのだが、それはそれとして、それらを楽しむことを自分の生の本筋に据えようとは思えない。掃除・洗濯・簡単な食事の用意などといった家事はそれほど苦労せず取り組める。家事は気分を良くしてくれるし、ちゃんとやった分だけ体感も軽くなる。生活からノイズが減る。以前は随分とダラしなかったのだが、年月をかけて少しずつ変化していった部分だ。この変化を踏まえて、先の取り組みについても望む方向に変えていけるのではと考えるのだが、どうもその道筋は見えていない。(そろそろ言葉を重ねる体力が切れてきたのを感じる。)動画コンテンツにもとても負荷を感じる。好きな映画やアニメ作品は何度でも見返すが、未知の作品に対してやたらと腰が重くなっている。だが外で、映画館で映画を観るのは嫌いじゃないし、というか純粋にワクワクした気持ちで楽しめる。映像作品に感じる負荷は、家にいるときに顕著に感じるものだ。海外ドラマも観れない。ごくたまに1シーズンを一気観してヘロヘロになったりすることがあるが、何シーズンもある作品を毎日続けて観続けていくようなことができない。家とはなんなんだろう。家の環境が問題なのだろうか?ベッドや枕をもっと良いものに変えたり、空気清浄機を入れてみたり、間接照明を取り入れてみたり、風水を意識した家具配置にしたり、そういったことなのか?この虚無をどうにか祓って、取り組みたいことに取り組む充実感を味わいたいんだ。ここまで書いたことは、たぶん私の生をほとんど最初から常にうっすらと覆ってきたものであるような気がするが、ここ数ヶ月で特にその感覚が切迫してきている。虚無が切迫してきている。言葉にすると変だな。ともかく言語化してみた。可視化してみた。しかし頭にあったはずの思いは、書きながら言葉と言葉の間に、文字と文字の間に、ボロボロとこぼれ落ちていく。ここに書かれた文章はもうすでに、ホラーゲームで拾う歯抜けのメモ用紙みたいなものだ。ここまで書くのに1時間半弱。書くというのは時間がかかる作業だな。とりあえず今日の分は出し切った。では。