forget me not
「君は何のために生きているのかな?」
暗い静かな川べりで放たれた漠然とした問いは、普段なら茶化してやり過ごすような、ごくつまらないその問いは、夏の甘やかな夜風に混じると奇妙なほど自然に響いてきた。
「人間は何かのために生きているわけじゃない。たぶん、それは考える順序が逆なんだ。生きているがために何かをするしかない。そして俺たち人間の場合は、することが無闇に多彩なだけだよ。」
「ふーん…まぁそうだね。合っていると思うよ。“私たちは”そうなんだろうね…。でも“君は”どうなのかな?君の意志は?君のたましいは?君の応えには、まだ中身が無いよ。」
彼女は初めてこちらに顔を向けた。柔らかく落ち着いた微笑。しかしライトブルーに輝くふたつの瞳は、冷たく真剣な光を投射している。
ひと呼吸、間を稼ぐために私は空を見上げた。
「実はそれがわからなくて、それが決められなくて…。たぶん…ずっと探してる。使命感とか、突き動かすものとか、俺は自分の中にそういう“軸”とか“核”みたいなものを確かめることが未だにできないんだよ。」
「正直だね。でも早くしないとおじいちゃんになっちゃうよ。決めた方がいい。怖がるのは無意味だよ。」
横目で彼女の方を見る。彼女はまだこちらを向いており、私の視線をまっすぐ射抜いてきた。一瞬、わずかに心拍数が上がる。
「怖いのは、事実だ。何が怖いかって、飽きるのが怖いんだよ。決めて進んだはずのことに飽きるのがな。これまで生きてきた経験から言って、そうなるのが簡単に想像できる。それを何度か繰り返せば、もはや決めることにも意味はなくなるだろう。それが怖いんだ。これ以上、虚無を増やしたくはない。」
彼女は眼をすこし細めて、顔を前方に向けた。
川向こうには古びた規格アパートメントが立ち並んでいる。疎らに点る窓明かりの配列は、そこを立ち去った何かが最後に残したメッセージのようだ。
それぞれが、メッセージを解読するための時間が流れた。
そして彼女はゆっくりと言葉を発した。
「同じことだよ…。君にもわかるはずだ。いずれにしても、君は最後には、その虚無をすべて引き受けることになる。自ら漕ぎ出していくか、それとも死の際に波にさらわれて溺れるか。その違いだ。私は前者をおすすめするよ。その時のことを、昨日のように覚えているからね…。」
目を瞑り、彼女の言葉が、私の身体に浸み込み同化するのを待った。
目を開き、暗い川の流れを見つめる。
「わかった。理解できたよ。俺は漕ぎ出すことにしよう。立派な船など持っていないけどな。今、ここにあるものでいい。」
私はもう一度、彼女の方を見た。そしてこの時間を記録した。